58 白虹 sideヘルゲ
俺は毎日毎日、「願い」を送り続ける。
俺にもいつか、修練の悦びを理解できる日が来るだろうかと思いながら。
デボラ教授の研究室はマギ・マザーの本体を基軸に、8基のマザー分体の調整を受け持つ。中枢の頭脳、大国アルカンシエルそのものとでもいうべき本体と、主要7部族それぞれの分体と、白縹用の分体1基だ。
それぞれの部族特性を生かして調整されたマザーの筐体は、名前に由来する色で分けられている。
支配者であり、この国の人口の多くを占める紫紺一族は紫
政治的ブレーンであり、財務も司る政財部の中心、瑠璃一族は濃紺
食糧 医療 教育 統計 その他諸々を司る民部の中心、露草一族は空色
魔法研究に長けており、マギ言語の管理を司る魔法部の中心、緑青一族は緑色
文化・芸術に優れ、語り部を持ち、国の歴史も司る文化部の中心、金糸雀一族は黄色
軍部と連携し、時にはプロパガンダも担当する側面を持つ広報部の中心、山吹一族は橙色
一族ほぼ全て軍人という屈強な部族で軍部の中心、蘇芳一族は赤
そして、俺たち白縹のマザー筐体は、白だ。
マザー本体の筐体は透明で七色のラインが描かれている。
そこに当然、白などない。
分体8基は、定時になると本体とデータの同期を始める。
本体に全部族の情報が集約されるが、分体間での同期はない。
しかし本体のマナ容量も無限ではなく、情報の有用性や優先順位を、定められたロジックで取捨選択していく。
そのロジックも基本的には国を維持するものなので、まさに血も涙もない提案が下されることもある。そして、その提案を実際に施行するかどうかは紫紺首脳部や瑠璃のシンクタンク、いわゆる「中枢」どもが決定するわけだ。
俺の狙いは『ロジック』だ。
まさにマザーの思考を決定付けるそのロジックの原型は、はるか昔に緑青の天才が生み出したものだという。
人が思考するように、人が想うように。
しかし紫紺はそれを嫌った。
国に人情はいらぬ。
結果、マザーの思考から情というものを除いた合理的な倫理回路が誕生する。長い年月を経て情報が蓄積された「国」の思考回路は、兵器についてこう考えた。
『我が国には安全を、敵国には脅威を。安定した従順な暴力を手にする』
結果生まれたのが、俺。
しかし俺の「全て」の情報をマザー本体に同期させることはできない。当然だ、人一人の心情10年分全てをデータにしたら、本体と分体8基を合わせたところで到底収まるものではない。
当然、ロジックで切り捨てられた俺の情報が多々ある。それがどれほど有用性のある情報だったのかは、情を捨てたマザーにわかるはずもなかっただろう。
紅玉が完成した後、マザーはなぜこんなことになったのかと、思考回路をこねくり回している。なぜなら、手に入れた兵器が「不安定で従順な暴力」だったから。
実際には「安定して反抗的な暴力」なんだがな。
ともあれ、俺の毎日の仕事は「マザーをさらに賢く効率よくするためのマギ言語構文発明の補佐」が表向きだ。俺は毎日デボラ教授とそれについて議論をかわすフリをし、教授がインスピレーションを得ればともに喜ぶフリをする。
課題となる難解なマギ言語構文を、努力して作りました、と提出してはデボラ教授が検証していく。
さて、デボラ教授が俺の送ったマギ言語構文を検証用演算回路に流すと何が起きるか。複雑な構文の中に紛れた、小さな構文のカケラがマザー本体に仕掛けられた「鍵付きの隠蔽部屋」へ流れていく。
ほんの一つのセンテンスが、隠蔽や誤認や偽装の方陣で隠されて、マザーの波形で流れるのだ。
毎日、毎日。
一滴、一滴。
まるで白縹の修練のように、俺にとっての「願い」、マザーにとっての「毒」がたまっていく。
いつの日か、その願いを解き放つために、毎日。
いつか、虹を白く染めるその日まで、俺は願いをため続ける。