438 獣の国の麒麟児 sideヨアキム
ギィたち三人に刺青を無事に入れた後、私はカミルさんやフィーネさんに協力してもらって家具を工房へ揃えていきました。
ルチアーノが用意してくれたのは、彼の大邸宅からほど近い瀟洒なメゾネット。集合住宅といってもデミにしては大きめの二階建ての家が二つくっついている建物で、それが四棟ほどあるんです。
後から知ったんですが、ルチアーノが情婦を住まわせたりするのに使っているらしいんですよね。あれだけ言ったのに、デミの人間から見れば結局私が「ルチアーノのものになった」と宣伝してるようなものじゃないですか、気色悪い。
というか全部で八つもメゾネットがあるということは、愛人を八人囲う気があったってことでしょうか。本当にルチアーノの下半身は躾の悪いことです。
まあ、これが私一人の問題ならここへ来なければいいだけの話だったんですけどね。三人の子供が安全に暮らせるというのであれば否やはありません。
そんなわけで、一階はキッチンとバスルームにダイニング。リビングは改造して木彫りのための資材置き場と作業場。一応ソファのセット。
二階はベッドルーム。キキは一人部屋にしようと思ったのですが、とんでもないとばかりに首を振ります。今まで穴の中で身を寄せ合って休んでいた二人がいないなんて不安で眠れないらしいですね。なので、本人たちが部屋を分けると言い出すまでは三人一緒にしました。
まあ後はナイショの方陣オンパレードですよね。猫の庭もかくやと言わんばかりの警戒システムを敷きました。念のためユリウスが来る時などはいちいち防諜方陣を敷いていますけど、強力な誤認の方陣があるので外から中を覗いてもなんてことないはずです。
ちなみに警報システムは紅たちが見ていますから、このメゾネットの中にサーバーはありませんよ。ルチアーノに見つかったら、また舌なめずりして欲しがるに決まってます。
そんな感じでなんとか体裁の整った工房へ三人が住むことになりました。でも少し悩んだのが彼らの食事です。私が食事を摂らないことを説明するわけにもいかないので、彼らと生活を共にすることができないのです。
穴ぐらで暮らしていた彼らに料理などできるはずもなく、かと言ってこうなった以上「自分で調達しなさい、盗んできなさい、無いならレーション食べなさい」などとは言いたくもありません。
アロイスさんとナディヤさんに相談してみると「やっと僕らの出番だねナディヤ!」と言って、ヘルゲさんたちに頼んで「あるモノ」を作ってもらいました。
紅たちのように動くわけではありませんが、アインたちと同じゴム製人形のちっちゃい版。マナを流して起動すると、フォグ・ディスプレイに「お困りですか?」と表示されます。
キキがキッチンの使い方がわからなくて困ったのでそれを尋ねると、画面には映像でコンロの使い方や流しの使い方が出ます。そしてそこを清潔に保つ必要性や掃除のやり方までが簡潔に説明されるのです。
その他にも生活の知恵や、ハウスキーピングに関する基礎知識、お料理に関するノウハウが初心者用に常時流れます。
要するに彼ら専用ヘルプデスクなわけですが、思いつきもしないことは質問してくるわけもありません。なので情報を垂れ流しておいて「あ、こういうこともできるんだ」とか「こうしなきゃいけないんだ」ということに気付いてもらうわけです。
それでもすぐに食事の支度ができるわけもなくて、朝食と夕食はデミのケータリングサービスを契約しました。昼食はがんばって自分たちで卵を焼いてみたり、デミの屋台で買ってきたりしているようです。私が三人に渡した「賃金」という名のお小遣いでやりくりしているのも、勉強になりますからね。
ギィ「ケータリング!?なあ、俺らまだ何も仕事してないんだぜ?」
ヨア「従業員の育成、設備への先行投資、環境整備は経営側の責任です」
ジン「…ヨアキム、何言ってるかわかんねえ」
キキ「まだレーション、ある」
ヨア「私と追加契約してください。実験体として健康維持が必須です。これからはきちんと食事と睡眠をとり、この家を管理し、訓練と勉強と仕事に従事する。これらを維持するための費用はもちろん雇用する私が出しますので、あなた方はそれを受け取る義務があります」
キキ「…なんとか、わかった」
ジン「たぶん、わかった」
ギィ「キキ、後で説明しろ!何なんだよコイツ…わけわかんね」
ふう、小難しい言葉で煙に巻くのに成功しました。
「あなた方が可愛いので大切にしたいのです」と言ったら、きっとギィなどは怒り狂ったあげくにパンチかキックつきで「ほっとけ!」とでも言うでしょうからねえ。
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そんな彼らは、ユリウスとのゲームに夢中になっています。ああ、ユリウスったらそのノーブルさでキキを虜にしていることに気付いていません。まあ仲良くなってくれたのは嬉しいですし、彼らがデミの外へ目を向ける機会になればと思って微笑ましく見ています。
それでユリウスと一緒に建国祭で楽しもうというのも、素晴らしいことだと思ったんです。
私が金糸雀の里でフィーネさんのおめでたを聞き、もう嬉しくてフワフワした気持ちのまま工房へ戻って幻獣駒を作っていましたらね。夜になって戻ってきた三人は一目散に二階へ上がり、出てこなくなっちゃいました。
ユリ「ヨアキム、もしかしたら私は余計なことをしてしまったかな…」
ヨア「どうしたんです?何かありました?」
建国祭でどんなことがあったかをユリウスは聞かせてくれましたが、何も問題などない気がしました。ユリウスはその中枢議員という身分で彼らを守ってくれましたし、お祭りを存分に楽しんだのは明白です。
ユリ「Tri-D airy regionの完全版が上映されていたから四人で見たんだよ。そうしたらあんまりにも刺激が強すぎたのかわからないんだけど…心ここにあらず、みたいな感じになっちゃったんだ。たぶん今、二階でTri-D airy regionを起動して見ているんだと思うよ」
ヨア「そうですか…気に入ったのは間違いないでしょうけど、そんなに呆けるって何なんでしょうね。ユリウス、気にしないでください。彼らを一日中楽しませてくれて、感謝してますよ」
そう言うとユリウスは少しホッとしたように、でもやっぱり少し二階が気になるような感じで帰って行きました。一応様子を見ようと思って私も二階へ上がり、ノックしてからそっと扉を開けました。
そこには、リョビスナ台地の絶景とインナさんの祝詞に魂を奪われた三人の姿がありました。
ヨア「…きれいですね」
キキ「…うん」
ヨア「みんな、どうしました?」
ギィ「…悔しくてよ」
ヨア「悔しい、ですか…?」
ジン「俺たち、ほんとに最低な場所で生まれたんだなって思って」
キキ「ようやく、わかった。ボロボロの服のままじゃ、シュピールツォイクへ納品へ行けない理由も。デミの子供が、警ら隊に信用されない理由も」
ギィ「デミは、あっちと違う国だ…ここは、ケダモノの国だったんだ」
私はギィの言葉を聞いて、悲しくなりました。まだ、早かったんでしょうか。彼らに劣等感を植え付けたいわけじゃなかった。でも彼らはこんなにショックを受けている。勉強させて、デミの外を教えて、負の連鎖を断ち切れる大人になってほしかった。
キキ「ヨアキム、違う。私たち、ようやくわかったの」
ヨア「…違うって、何がですか?」
キキ「いまヨアキム、私たちに余計なことしたって、思った。違うよ、ヨアキム。ヨアキムは、ケダモノ以外に、生きる方法があるって、私たちにわからせてくれた」
ギィ「…だな。正直言えばあっちみたいなヌルい生き方してたら、感覚が鈍っていつか殺されるって思う。でもよ、この工房は絶妙な位置にあると思うんだよ。ケダモノ生まれだけど、あっちの感覚もわかるようになって、マトモになったらさあ…俺ら、半獣くらいにゃなれんじゃね?」
ジン「うん。ヨアキム、俺は…頭も、体も、強くなりたい。もう俺らみたいに、穴ぐらで震えるやつらを増やしたくないんだ。今は何もできないけど、いつか、そうできるように、考える」
また、泣かされました。
あなた方はその辺で何も考えずに安穏と暮らしている子に比べたら、上等すぎる魂を持っている。誰がケダモノですか、誰が半獣ですか、と言って抱きしめたかった。
キキはまた私の涙を拭きに来ます。今はもう、あの破れた服の切れ端ではありません。きちんと洗濯されたハンカチで、きちんと毎日お風呂に入っている清潔な手で。
そして無口なジンも、口の悪いギィも、声の小さなキキも、がんばって言葉を探し、私に今日何をしたか、何を思ったかを語ってくれました。
初めて、射的をしたんだそうです。空気弾を撃つ道具が、人を殺すためじゃなくてゲームに使われていることに驚いたそうですよ。
ユリウスが買ってくれた串焼きの肉を他の子供に奪われないよう警戒する必要もなく、ゆっくり歩きながら食べたら、びっくりするほどおいしかったそうですよ。
マナ・グラスを通して見るマナは、まるで光の川の中にいるみたいで。デミではこんな流れ方をするのは腐臭のする砂埃や排水溝の水だけだった。だから、この川なら溺れたいなって初めて思ったそうですよ。
ギィとジンはキキに自分で獲った景品をあげちゃいましたが、そうやって確保した「獲物」を人に与えるというのが、妙に気持ちをあったかくさせることに気付いたそうですよ。
そして、ユリウスに守られたと。
その方法に衝撃を受けたのだそうです。あちらの、デミの外の世界で力を持つユリウスは「名前だけで俺たちをデミのクソガキじゃないものとして警ら隊に扱わせた」のだと、興奮気味にギィは語る。
警ら隊は、もしギィたちだけなら高確率で「スリの男と共犯」という扱いをしただろう。ギィたちに財布をスらせて、男が隠し持つとか。そんな風にしか扱われないはずなのに、ユリウスは悠然とマナ固有紋で身分を証明し、一瞬でその庇護下にギィたちを置いた。
警ら隊の隊長さんに、「お嬢様、坊ちゃん」なんて呼ばれてスリの捕縛に協力してくれてありがとうなんてお礼を言われた。初対面の、しかも警ら隊から無条件に自分を信じてもらえたという驚愕の出来事に、呆然としてしまったと。
ジン「でさ、パズル屋のケヴィンがすごくチェス、強いんだ。でもギィがさ…まともに戦ったんだ。そしたら、周りの大人がさ…」
キキ「…すごかった。ギィの打ち筋を見て、『荒削りだけど、あの子すげえな』って感心してるの。ケヴィンがギィを褒めたの聞いたら、ギィの肩を…殴るんじゃなくって、軽く叩いて、『いい対局だったぜ』って笑うの」
ギィ「ありゃびっくりしたよな。ユリウスがいるからまだ殴られると思わずに済んだけど、俺らだけならダッシュで逃げてたよな」
キキ「あのね、これ、みんな、ヨアキムが教えてくれたんだよ?だから、余計なことじゃない、違う。わかってくれた?もう、泣かないでヨアキム」
ヨア「キキぃ~、私はあなたに優しくされて嬉し涙が出てるだけですぅ~」
ギィ「じゃあもうサービスすんのやめとけ、キキ」
ジン「だな。サービスしすぎると、ヨアキムから水分抜けて、枯れる」
ヨア「枯れるとか言わないでくださいよ、ジン…そういえば三人とも、なんでTri-D airy regionにここまで夢中になってるんです?」
三人は顔を見合わせて、ちょっと言い難そうにしました。何かな?と思っているとキキが私をそっと見ながら言いました。
キキ「ヨアキム、ビックリしないで、泣かないで聞いてね。あの、私たちね、死んだかと思ったの」
ヨア「…はい?」
ジン「川が急に途切れて、空中に放り出された時、死んだって思った」
ギィ「あの映像、リアルすぎて…俺らほんとにもう地面に叩きつけられて死ぬんだって思ったんだ。でもよ、虹の輪っか抜けたら、救われてた」
キキ「…うん、あのね、うまく言えないんだけど、穴にいた頃って、あの感覚が普通だった。でも工房に来れた。虹の輪っかが速度緩めて、私たちを助けてくれたのが、まるでヨアキムみたいって、思ったの」
キキたちのたどたどしい説明をじっくり聞くと、一つは「確実に死ぬと思ったのにいつのまにか救われて着陸していた。それが自分たちの今の状況のようだと思った」ということ。
もう一つは「あの高い崖の上にあるすごい景色は『デミの外』だと感じた。そこへもう一度登って、あの素晴らしい池や森に到達したければ、勉強や訓練をすることで辿りつけるかもしれないと感じている」ということ。
だからTri-D airy regionを見て、決心を固めていたんだそうです。
「必ずあの上へ行ってやる」と。
私は言葉にせず、心の中で「あなた方は既にケダモノの子などではない」と強く思いました。
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キキたちに心配させたくないですし、私はもう泣かないように努めました。
三人が眠った後で猫の庭へ戻り、器との接続を解除して揺蕩います。
ねえベル、今日はすごい一日だった気がしますね。
フィーネさんのおめでたが素晴らしい形で知らされる奇跡が起きて。
ギィたちが一気に大人になったような気がして。
なんだか、感慨深いですよねえ。
だってユリウスは「好意しかもらえない不幸な子」だった。
その彼が「悪意しかもらえない不幸な子たち」を無意識に救った。
私は、彼らに何かをあげられているでしょうか。
振り回すのではなく、ただ力になってあげられているでしょうか。
そんなことを思いながら、ふわふわとパティオの上で私は揺らめいていました。