437 建国祭② sideユリウス
シュピールツォイクに着くと、それこそ老若男女がたくさんいてワイワイと賑やかだった。店の外にまで行列ができているのを店員さんが整理券を配って捌いていたりするので、混雑しすぎてあまり遊べないのかなと心配になる。
何の行列かと思って看板を見てみると、『Tri-D airy region 完全版 上映開始! CAUTION:落下感のあるスリリングな映像となります。心臓の弱い方、小さなお子様、お年を召した方の観覧はご遠慮ください』という何とも腰の引けそうな警告付きの案内だった。
ユリ「うわー、とうとう完全版が出たのか。ロミーもフォルカーも仕事早いな…」
ジン「トライ…? さっきのキキが獲った景品か」
ギィ「さっきお前、キレイなものが見られるって言ってたじゃん。なんであんな危険物みたいな注意書きなんだよ」
ユリ「ああ、キキが当てた景品は使用目的が『リラックスできる美しい景色と音楽を自宅で味わう』ってことなんだ。だからそれに入っている映像は編集された美しい景色をゆったり見れるものなんだよ。でもここで上映される完全版はね、編集される前の…ものッッすごい崖を落ちて行く映像があるんだ。あれはね、背筋がゾワッとするよ」
ギィ「それ撮影したやつ、自殺でもしたのかよ」
ジン「…死んでたら映像記憶、無理だろ」
ユリ「あは、撮影したのはダン・山吹っていう一流の映像記録者だよ。すごく高い場所を撮影できる方陣を使ったんだ。だから本人はピンピンしてるよ?」
キキ「…ユリウス、見た?こわかった?」
ユリ「えっとね、怖いって言うかビックリしたかな最初は。でもねー…あれはクセになる!面白いよ~、スリルがあって」
ギィ「…見てぇ」
ジン「俺も」
キキ「…みんないるなら、見てもだいじょぶ…見たい」
ユリ「混雑してるから少し待つと思うけど、じゃあ見られるか聞いてみようね」
私たちが列に並んで券を配る店員さんの前まで行くと、「四名様ですね!こちら一時間後上映分の整理券になりますが、よろしいですか?」と言われた。頷いて券を受け取ると、ギィが何気に一番ワクワクしていた。
ギィ「ジン、お前って落ちる感覚平気なのかよ?よく夜中に落っこちる夢見てビクってなるじゃん」
ジン「あれな…落ちるってわかってんのに体が勝手にビクーンてなる。よくわかんねえ、でも別に怖くはない」
ユリ「あー、疲れてるとその夢見るよ私も。『来るぞ、来るぞ』って思ってるのに防げないよね~」
キキ「…ユリウスも、こわい夢、見る?」
ユリ「そりゃちょっとは見ることもあるよ~。キキは?」
キキ「…えっと、前より、今の方が、こわい夢、見る」
ギィ「あー…それわかる。安全な場所、確保しちまった方が夢って見るんだなって思った」
ジン「そういえばそうだ。穴にいた時ってそんなヒマなかったな」
三人は軽く「そうそう、ソレ」みたいな顔で納得した。
…えっと、なんだか結構ヘヴィな話に聞こえたのって私だけ?「そ、そーなんだ?」なんて言いながら、一時間店の中を見て回ろうって言って歩き出した。
店内はいつもよりごった返していて、様々なイベントに人が群がっている。
中でも若い女性が多いのが、例のポスターランキングの発表だった。
一位が白いブラウスシャツに銀縁をかけたヘルゲ、二位が白衣のアロイス、三位がリア。わあお、みんな大人気だね…あ、四位がオスカーだ。何かカミルとコンラートにイジめられそうな予感がするよ。
あ、と思い出して三人にコソッと耳打ちする。
ユリ「あのね、一位になってるポスター見える?これナイショね、彼が本物の紅玉だよ。どうもみんな、瞳の色はコンタクトレンズで変えてるって思ってるらしくて、一般の人はあまり知らないことなんだ」
キキ「え…こうぎょく?…かっこいいけど、眼鏡してる。金髪じゃ、ないんだね」
ギィ「あ、じゃあ山津波ってアイツが出したのか?すげえな」
ジン「へえ…ほんとに目が赤い…」
こうぎょくファンのキキが喜ぶかなって思ったんだけどな…反応がイマイチ。
あの絵と似てるかどうかが判断基準なのかな??
立ち止まっていると邪魔になりそうだったので、何となく人の流れに乗って奥へ行くと。
『店長に勝て!チェス対戦会場』
ユリ「なんだって!?ちょ…ギィ、あれ見て!ねぇみんな、行ってきてもいい?いいかな?」
全「お、おう…」
私が大急ぎで対戦会場へ行くと、既に数人がむぐぐ!と悩んだあげく次々と投了していく。ちょ…店長さん…やっぱり強いなんてもんじゃないよ、多面指しってどういうこと!?会場には10面のチェスボードがコの字に置かれていて、店長さんがニヤリと笑ってはコトン、と一手進める。
次の盤面を見てはまたニヤリ。コトン。ニヤリ。コトン。
こんな感じでどんどん打ち負かしては、投了した人が悔しそうな、でも楽しそうな顔で後続の人に席を譲っていた。この人垣の半分くらいはチャレンジャーで、外縁は見物人。
ユリ「うーわ、店長さん策士…!手の内見せないように私と対戦してくれなかったんだ!ズ、ズルい…ゲームに強いわけじゃないなんて言ってたくせに~」
ギィ「…あのケヴィンって店長…あんなつえーのかよ」
キキ「みんな、負けていくよ?」
ジン「何であんなことできるんだ」
ユリ「みんな、ごめんっ!私も挑戦してきていい?」
キキ「ユリウス、がんばって」
ジン「俺たちここで見てる」
ギィ「くっそー、勝てるワケねえけどやりてえな」
ユリ「初心者でもいいって書いてあるよ?滅多にないよこんなチャンス!ギィ、行こう!」
私とギィはそれぞれ隣り合った盤面の列に並ぶ。もう相当数が負けているらしく、数回挑戦した猛者も諦めたと周囲の人が言っていた。うあー、ワクワクする!どれくらいもつかなあ…せめて良い手でとがめて、店長さんに「やるな」って言わせたいんだよ。
私の前の人がチェックメイトを受けた。…早指しもいいトコだけど、店長さんてば私を見つけてゲームを早く終わらせたっぽい。余裕だなぁ…
ケヴィ「ようやく来たな」コトン
私の盤面に店長さんの白い陣営が襲い掛かり始めた。ニヤッと笑ってセンターポーンを迷いなく打つ店長さんは、何てことのない定跡だろ?という不敵な笑顔を残してギィの所へ行く。
ケヴィ「お、お前もゲームが面白くなり始めたか?そりゃいい」
ギィ「 … 」
ギィは軽口など叩くヒマはないと言う感じで集中していて、後ろで見ているジンとキキはギィをじっと見て応援している。
さーて…じゃあ店長さんの本気を味わうかな!
私は歪な黒のポーンのまま、アルノルトに言われた通り「自分で」勝負した。奇手と言われようが構うもんか、相手の序盤準備を崩して、常に狙うのはもちろんツーク・ツワンク。冷静に、徹底して罠を仕掛けるんだ。
ギィの様子も気になり、視界の片隅でギィの打ち筋も見ていた。でも相手が相手だからね~。ごめんギィ!こっちも気が抜けないんだ。
私が中盤でルークを動かして攻勢に入ると、店長さんは面白そうに「ほう?」と言って私のポーンを持って行く。うー、ほんっとこの人、とがめてくるなあ!悪手を打たせたいのにスルスル逃げて行くこの人は、ほんとにどういう脳内なんだろう。
そして目の端で見ていたギィは、ピクリと動いた後ポーンをスッと前に出す。
その手は、かなりいい筋だと思った。そのポーンで受けなければ、店長さんに次の一手でチェックされていただろう。なのにこの前の勝負の時のようにギィは肝心要の時に「狙われてる気がする」という理由でスッと絶好手を繰り出したんだ。だってそのポーンが一つそこにあるだけで…一時的だとは思うけど、店長さんが劣勢になったんだから。
ケヴィ「くは…お前どんな打ち筋を見てるんだ?面白いな」
ギィ「…うっせ、余裕ねえんだ。余計なこと言うな」
ユリ「うあ…ギィすごいね」
ケヴィ「ユリウス様、人のを見てる場合じゃないぞ?」コトン
ユリ「…うあ!えー…?」
ケヴィ「こっちは…これはどうだ」
ギィ「…あ…あー!」
ケヴィ「もう残ってるのはアンタら二人だけだぞ」
ユリ「うー…それで回ってくるのが段々早くなってきてたの?ハァ、だめだリザインする」
ケヴィ「こっちもチェックメイトだな」コトン
ギィ「くっそー!」
結局私たちは同時に店長さんに下され、見事な多面指しに観客は大拍手だ。はぁ、目標達成できなかったなあ…
ユリ「ごめーん、負けちゃった…」
キキ「…ユリウスも、ギィも、かっこよかった」
ジン「対局が一番長かったって、周りの人が言ってた」
ギィ「くっそー、納得いかねえ。逃げ回るしかできなかった感じがすんだよ…」
ユリ「私は逃げられまくって、翻弄されて、いつのまにかこっちが罠にハマってたよ…」
ケヴィ「よう、やっぱユリウス様はかなり研究してるな。俺相手にあれだけ粘るやつは珍しいんだ、胸を張れよ」
ユリ「くー、今までノラクラと対局を避けてたのはこのためだったんですね」
ケヴィ「こんなイベントの前に自信喪失されて、一番期待している相手が来なかったら困る。それにお前…ヨアキムのとこのギィとか言ったか。お前面白い、ここでチェックするぞと思うと逃げる。さっきのC4なんて絶好手だぞ、気に入った」
ユリ「うわああ、ギィうらやましい…次こそは!」
ケヴィ「悪いがユリウス様と打つなら集中せんとできん。商売のジャマだ、来るな」
ユリ「ひどい、店長さん!」
キキ「ユリウス、元気出して。かっこよかった」
ユリ「キキ、ありがと…そろそろ時間だね、四階に行こうか」
ジン「あ、完全版か」
ギィ「やった!早く行こうぜ!」
私は店長さんから盛大にフラれ、キキに慰められながら完全版の上映会場へ行った。それにしても…ギィの才能が末恐ろしい。本能で回避するあの感覚は何なんだろう。定跡なんてほとんど知らない子が、私と同じくらいの時間粘り続けて、あの店長さんに食らい付いていた。
たぶん店長さん、ギィのことほんとに気に入ったんだろうな。羨ましい!
*****
気を取り直し、もう三人のエスコートに集中しようと思って四階へ。私は猫の庭で完全版を見せてもらっているからね。彼らが「至高の絶景」を見てどんな反応をするのか楽しみだよ。
私たちは真ん中あたりのなかなかいい席に陣取ることができ、ギィもジンも「早く始まらないかな」とワクワクしている。キキは私の左に座って、少し緊張してるような感じがするんだけど。
「大丈夫?ちょっと滝を下るシーンがあるけど、それ以外はとっても気持ちいい映像だからね」とキキの手をとってポンと叩く。そのままキキは私の手を握り、怖くないと自分に言い聞かせていた。
少し会場が暗くなると、フッと周囲に青いラピスラズリの色が溢れだす。今現在、世界で一番美しいと思えるほどのブルーから飛び立った視線は、巨木の森や遥か彼方まで見通せる広大な地上を神のような視点でとらえる。
その圧倒的な光景に観客は呼吸を忘れ、ダンさんの視線とインナさんの声に、瞳と鼓膜を侵食されていく。
ギィとジンとキキは、全身でこの光景を見ていた。
そして川が急に途切れた瞬間。
ひゃ!とほぼ全員が息を吸い込むような小さな悲鳴を上げて落下感に体を傾けてしまい、クラリとしているのがよくわかった。
キキは大丈夫かなと思って見てみると、私の手が命綱だとでもいうように握ったまま食い入るように瞳から吸収していた。
ギィとジンは顔に呆けたような表情が張り付き、背中から地上へふわふわと降り立って台地の頂上を見上げた途端、淋しそうな顔になった。
…わかるよ。
え、あのすごい場所から落ちてきちゃったから、もう戻れないの?
そんな風な…残念なような、でも地上へ降りてきてホッとしたような。
上映が終わって周囲が明るくなると、三人は魂を抜かれたように口を開けたままだった。「面白かった?」と聞くとコクリと頷く。
そろそろ花火が始まるなと思って、店から出る。マナ花火がパーンと打ち上げられて、きれいだねと言っても、三人は花火を見てはいるんだけどコクリと頷くだけ。
…どうしよ、完全版の刺激がそんなに強かったのかなあ。
ユリ「そろそろ工房へ帰ろうか?送っていくよ。…あの、三人とも大丈夫?」
ギィ「なあ、ユリウス…キキが当てたあのガラスの…トライなんとか。あれ、マナ流すとさっきのが見られるのか」
ユリ「うん、滝を落ちるシーンはないけど。歌も流れるし、穏やかな映像が流れるよ?」
ジン「はやく、工房に戻ろう」
キキ「うん」
結局彼らは、それ以降口数も少ないまま工房へ戻った。そして二階の寝室に籠って、ずっとTri-D airy regionを作動させたまま、降りてこなかった。