435 工房の攻防 sideユリウス
今日も私はギィたちと遊びに工房へ出かける。遊びって言うと語弊があるかな…彼らにとっては「仕事への理解を深めるための勉強」と同義なんだ。
ヨアキムは彼らの魔法制御を鍛える訓練も兼ねて、チェス駒の製作を身につけさせたいと思ってる。最初は通常のチェスマンから練習していて、一番小さなポーンを一生懸命作っていた。
ヘルゲたちに柔らか目の木材を調達してもらって山積みになっているわけだけど、この木材ってばヘルゲが植林用の魔法をレインディアから失敬して生やしたものらしいよ。
この魔法はもうリーヌス司令から魔法部へ連絡が入っていて、国内の木材卸しをしている人へ配布されている。無用な自然破壊を避けられるし、クローンを生やす場所さえ確保してあれば切り放題だからね。根っこを除去する苦労はあっても、山が守られるっていうので好評なんだとか。
その代わり、その業者ごとに木材を卸す量は厳密に管理されている。好き放題売られたら値崩れを起こしちゃうからね。その調整と管理に、露草の材木商組合は一時期てんやわんやだった。
ほんと、ヘルゲたちが何気なく世にもたらすものって、どれもこれもスケールが大きいんだよね。
ま、とにかく私は彼らの「仕事」のジャマをするつもりはないので、ヨアキムがいる時だけお邪魔して、彼がいいと言う時に三人とゲームをしていた。それ以外はね、何をやっているかと言いますと。
私も、一緒になってチェス駒を作らせてもらってたんだ。
生活魔法くらいしか自分の中で保持していないし、変装魔法だのは魔石に入っているものを起動するだけ。魔法素養はほどほどにしかない私だけど、金糸雀の里でアルノルトにマナの可視化方陣を仕掛けてもらって見た景色は最高だったからさ。
私も、彼らと一緒に訓練してみようかなって思ってね。
出来上がったポーンを見て、ちょっとガックリする。いつもこれで遊んでいるから形状はばっちりわかっているのにね…頭の部分の球体が難しいったらないよ。
ちなみに一番先に上手なポーンを作り上げたのはキキだった。キキは私から見てもとても丁寧にマナを扱う。ちょっと時間はかかるけどね。
ギィはすごい速さでザーッと削って行くんだけど、「できたぜ!」と言ってボードの上に置くと、グラグラしていて底面がまっすぐじゃないのが丸わかりだった。
ジンは仕上がりはまあまあなんだけど、遅い。ジリ、ジリ、と慎重に削っていく。そしてできた!って思って置くと、他の駒に比べて大きかったりして溜息をつく。
でも三人とも、出来が悪いと思っても諦めないでまた調整し始める。
偉いなって思って、私も熱心に削る。
そんな静かに集中する時間が、私にも心地よかった。
*****
ある日、ギィがムスッとした顔で工房へ戻ってきた。彼らは一日中工房に籠っているわけではなく、自主的に浮浪児たちの護衛をしているらしい。腕の刺青を見せたまま、早朝の死体処理や酔っ払いの移動を手伝うんだとか。
また、一番危険な夕方の時間帯に理不尽な暴力を受けそうになっている子供を見つけたらさりげなく助けているらしい。ギィは「バカは助けてねぇよ。ジンに言われて仕方なくやってるだけだ」と不機嫌な顔をしている。
で、戻って来たギィがいつにもまして不機嫌そうなので不思議に思っていると。
ギィ「おい、ヨアキム。外にルチアーノが来てるぞ」
ヨア「あらら…ユリウス、すみませんが変装してもらえます?」
ユリ「了解。今日は帰った方がいいかな?」
ヨア「どうでしょうねー、興味あるならいてくれてもかまいませんよ?」
ユリ「あは、じゃあ噂の大ボスを拝見しようかな。おとなしくしてるよ」
そして護衛の大男と一緒にノシノシと入ってきたのは、鷹のように鋭い目をした初老の男だった。
ルチアーノ・露草か…
中枢でももちろん有名人だ。長様がデミにメスを入れられないのはひとえにこの男の統率力と、交渉力ゆえだ。デミに犯罪者は溢れていても、ほんとにヤバい奴らはこの男の管理下にある。
野放しになっているやつらは、大抵ケイオスの支配下へも入れて貰えないクズだと聞いているけど。まあ…この男がいなくなったら、デミは毎日のように大規模な抗争が起こる危険地帯になるだろう。そうなったらデミを一掃できる可能性はあるけど、逆に闇市場のような「必要悪」も運営されなくなる。
するとどうなるか?
シンクタンクでそのケースをシミュレートさせると、一般人レベルで詐欺や暴行が多発し、取り締まりが異様に困難な事態になる。組織としての体裁がなくなり、隠れることが巧みな単独の犯罪者が増え、善き隣人だと思っていた人物が実は悪質な犯罪者だった、というようなケースが増える。
この男は中央に必要な人物なんだ、情けないことにね。
ルチ「よう、邪魔するぜ。…お、いいスミ入れたじゃねえかガキども」
ヨア「ルチアーノのお抱え治癒師さんのおかげですよ。いい腕してますねえ、彼女は」
ルチ「だろ?俺のお抱えにはなったが、いくら誘っても俺の情婦にゃなってくれねえんだよな…カタい女でよ」
ヨア「呆れますね、まだ女性が足りないんですか?治癒師さんはマトモな人なんでしょ。それに奥さんの忍耐力に脱帽ですよ、ルチアーノのモノはもげた方がいいと思います」
ルチ「…お前もほんとに容赦ねえな…もげろって初めて言われたぞ俺ぁ…」
…ちょっと、ヨアキム勘弁して。
私は大ボスと緊迫感あふれる交渉でもするのかと思って身構えていたんだけどな。なんでそんなシモの話で大ボスをからかってるのかなあ…あ、そういえば私もジギスムント翁にこんな感じで接してたっけ。私とヨアキムって変な所で似てるんだな、ギィたちの言った通りかも。
というかアルノルトもジギスムント翁に顔が真っ二つとか言うし、ヨアキムは大ボスにもげろとか言うし、相手が普通の人物じゃないんだもの。
二人とも、私を「笑ってはいけない地獄」に堕とすのは勘弁してくれないかな…!
ギィたちは平然と、でも神経をかなりルチアーノと護衛の方へ向けつつポーンを削る練習をしている。私ももちろんポーンの頭の球体を慎重に削りながら二人の会話を聞いていたんだけどね。
「もげろ」の衝撃に集中力が乱れ、ポーンの首がひゅぱっと切れた。
コロコロとキキの方へ転がっていく…あうう…
ルチ「んあ?そっちの兄さんはスミ入ってねえんだな。いいのかよ」
ヨア「彼は私の友人なんです。デミを歩く時は子供たちと一緒に行動させますから」
ルチ「へえ…ヨアキムのダチとはな。何て名だ」
ユリ「…ユリウスです」
ルチ「んあ?紫紺か?」
ユリ「ええ」
ルチ「議員でそんな名前のやつ、いただろう」
ユリ「そうですか?同姓同名なんて紫紺じゃ珍しくありませんよ」
ヨア「ちょっとー、ルチアーノは私関連だと妙に何でもロックオンしませんか?やめてくださいよ、友人が減っちゃうから。デミから出て行きますよ?」
ルチ「ち、お前もカテぇなあ。で、ユリウスは何でガキどもより下手クソなんだよ?」
ギィ「…ぶッ」
ユリ「ギィ、ひどい…私も最近始めたばっかりなんですよ」
ルチ「くくッ 中枢サマがデミで木彫りの練習かよ…傑作だな」
ユリ「同姓同名だって言ったのに」
ルチ「ッハ、そうかい?まあいいけどよ。はー、やっぱお前は気晴らしにいいぜヨアキム。また来るわ」
ヨア「何が楽しいんだか。護衛さんも大変ですねえ、お疲れ様」
護衛のマッチョは見事に無表情のまま、ゴーレムよろしく反応もせずにルチアーノと出て行った。ヨアキムが防諜方陣を展開し直して元の姿へ戻るので、私も戻る。
ヨア「っふー、ルチアーノの勘も鋭いですね」
ユリ「ほーんと。私みたいな若造まで網羅してるとはねえ」
ギィ「なあ、お前中枢議員なのかよ」
ユリ「うん」
ジン「こんなとこで何してるんだ?」
ユリ「え、君たちとチェスしに」
キキ「…この国の、偉い人なんじゃ、ないの?」
ユリ「別に偉くはないよ?そういう仕事だっていうだけだね。…もしかして中枢議員は嫌い?」
キキ「ユリウスは、好き」
ギィ「お前、どんだけ俺らに嫌われたくないんだよ。こないだっからしつけえぞ、お前が何様だって知るもんかよ」
ジン「…ん、関係ないよ」
ユリ「あは…そっか。好きって、嬉しいな。ありがとう」
あれ?ヨアキムがオロオロしてるんだけど、どうしたのかな…
自分のことを指差して、口をパクパクさせてるんだけど。
ジン「…キキ、サービスたりないっぽい」
ギィ「待った。タダでくれてやるこたねえぞキキ」
キキ「…えっと」
ヨア「ギィひどいっ 私にキキの『好き』を買えって言うんですかあ!?」
キキ「…ヨアキム、泣かないで」
ヨア「あう…キキは優しいですね…」
ユリ「…私は何か差し上げないといけなかった?」
ギィ「お前はいいだろ、キキが自主的に言ったんだから」
ヨア「ギィはあれでしょ、私をイジめることに快感を覚えてるんでしょ…」
ギィ「ちげーよ、キキはユリウスが『こうぎょく』に似てるから好きなんだ。な?」
ユリ「こうぎょく?」
キキはコクリと頷くとパタパタと二階へ上がり、一冊の絵本を持ってきた。見せてもらうと、キラーン!ピカーン!と言う感じの、赤い目で濃い金髪で、仮装をしたトビアスたちみたいな衣裳の、眉毛が妙にビシっとした男の絵。
中身を見せてもらうと、どうもガードのことであるらしい昔の紅玉についての物語絵本だった。そういえば、昔リリーがこれを読んでたかもしれない。
キキは表紙のこうぎょくの太い眉毛を小さな指で隠し、私の顔と見比べながら言った。
キキ「眉毛と目の色以外、そっくり」
ユリ「えー…そう…かな?」
ジン「キキ、ユリウスは魔法ダメだぞ、いいのか」
キキ「ん、顔が似てるからいい」
ギィ「キキ、こいつヨアキムみたいにバカっぽいぞ、いいのか」
キキ「ん、それでもいい」
私は主にジンとギィの言葉から胃痛に陥り、ヨアキムはいまだにキキの「好き」を買わなければ得られないことを気にして、呼びかけても返事のないしかばねのようになった。