434 特級の宝物 sideアルノルト
月に一度、インナさんがタラニスへの感謝を丘で捧げる日には金糸雀の里へ行く。いつもヨアキムさんと俺で里へ行き、ダンさんと合流してから丘へ行くとインナさんが待ってるんだ。
ベルカントも一緒になって歌うタラニスへの祝詞は、同じ歌のようでいて毎回マナの配合が違う気もする不思議な歌だ。でもその歌を感じていると、心が空へ解放されてとても気持ちがいい。
だからユリウスも来ればいいのにって思って誘ったんだけどさ。
「インナさんの歌を聞いて、クルイロゥでごはん食べようよー」という、ユリウスにとっては断る余地のないお誘いだったはずなのに『うー…ちょっと用事があるんだ…また誘ってくれる?ごめんね』と残念そうな声で謝られた。
忙しいのかあ、ユリウスと聞きたかったのに残念だなって思って通信を切る。修練を終えてから俺の横でこの通信を聞いていたフィーネも「珍しい、ユリウスがこれを断るとは。よほど重大案件でも抱えているのだろうかねえ」と言った。
アル「修練終わったんだ、今日は長かったねフィーネ」
フィ「うむ。なんだか金の小鳥がずいぶんと鳴くのでねえ。何か言いたいことでもあるのかと耳を澄ませていたんだが、さっぱりわからなかったよ」
アル「あ、そういえば俺のとこも賑やかだったな…金糸雀の里へ行くからはしゃいでるんだと思ってた。そうだ、フィーネも今日一緒に行かない?見たい方陣があるなら無理にとは言わないけど」
フィ「ふむ…いいかもしれないね。今日は特に味わいたい方陣があるわけでもないし、ご一緒してインナさんのおいしいマナを堪能しようかな」
アル「うっは、やった!じゃあ朝ごはん食べたらすぐ行こうよ」
俺がフィーネの手をきゅっと握るとフィーネが笑って頷くので、追加で頬ずりとキスもつけて、更にむきゅっと抱きしめた。
…おっといけない。手加減、手加減。
すっと離してにこっと笑い、「食堂に行こっか」と言うとフィーネが「むぅ…」と唸った。そして不満そうな顔で両手を広げながら言ったんだ。
「…アル、抱っこ」
ド グアァァァァァァ!!
ててて手加減生活するとフィーネからおねだりとか、そういう大サービス特典があるの!?最高!なにこれ最高!
いやいや落ち着けアルノルト。ここで大暴走したら目も当てられない。俺だって学習能力はあるんだ。フィーネに「審査だ、アル」なんて言われて太ももチラリなんてされてフィーネへジャイアントストライドエントリー&潜行開始とかわけわかんない理性のキレ方で襲い掛かって何回落第したことか。
いま暴走したあげく朝ごはんもすっぽかし、金糸雀行きもドタキャンなんてしたら二週間はさわれなくなるに決まってる。
ガマンだ、がんばれ、俺。
引き攣った笑顔のまま「…もちろんいいよー?」なんて言って、フィーネをもう一回抱きしめた。
「…違う、抱っこだよ」
ゴ ッガァァァァァァ!!
ゼェ…ハァ…
が ま ん だ ア ル ノ ル ト 。
「こうかなー」って言いながら膝にフィーネを乗せて横抱きすると、フィーネはようやくホッとしたようにクタリと体重を預けてきた。
可愛すぎて身体中からいろんな水が出そうです、フィーネ…
でも、ちょっと様子がおかしい気がして「フィーネ、疲れてる?体調悪いなら無理して金糸雀へ行かなくてもいいよ?」って聞いてみた。そしたらフィーネは首を傾げて少し考え込む。
「なんとなく淋しい気持ちになってねえ。なんだろうねこれは…うん、満足したからもういいよアル。ありがとう」
「フィーネを淋しい気持ちにさせるなんて俺ってば言語道断じゃん。今日は二人になったらずっと抱っこしててあげるから、もう大丈夫だよフィーネ!」
「そうではなく…」
自分でもよくわからないね、なんて首を傾げたフィーネと一階へ降りる。でも皆と話すフィーネはすっかりいつもの調子で普段通りだった。
*****
ヨアキムさんと三人で金糸雀の里へゲートで移動した。里の入口にはもうダンさんがいて、笑顔で手を振ってくれる。きっとインナさんも丘にいるだろうからと、すぐにもう一度ゲートを開いて丘へ直接行った。
インナ「おはようございます皆さん。あら、フィーネさんも来てくださったんですか!嬉しいです!」
フィ「やあおはよう、インナさん。相変わらずお美しい…カナリアの方は歌の美しさとお姿が比例するのだねえ」
アル「フィーネ、今度は爆裂王子モードだね。どうしちゃったのほんと…」
ヨア「このナチュラルさはユリウスしか太刀打ちできませんね」
ダン「フィーネさんって本物の王子より王子様っぽいよ?ブルーバックの王太子様を取材で見たことあるけど、ちょっと何て言うか…甘やかされててダメな大人だったからね」
フィーネは俺たちの王子考察などスルーして、インナさんのマナを味わうのに忙しそうだ。紺青の瞳がハート型になってマナを追ってるよ…
インナさんが祝詞を歌う準備に入ると、ヨアキムさんはベルカントへ「さあ、思い切りどうぞ、ベル」と笑う。ベルカントの波は嬉しそうに揺蕩い、インナさんと同調して集中し始める。
祝詞が空へ舞いあがり、光の柱を形成し、俺たちに鳥肌を立たせて溶けて行く。
この幸せの時間は、何ものにも代えがたいから、俺は必ず聞きに来る。
そうしてキラキラと溶けていくマナを視ていたら、一掴み分くらいの光が溶けるのをやめて俺たちの方へ降りてきた。
全員、びっくりしたなんてもんじゃない。俺たちはカナリアじゃないからよくわからないけど、マナが空へ溶けていくのが普通だと思ってて…溶けないマナがあったら、まさか今日の祝詞が失敗したってことなの!?とか思って慌てちゃったんだ。
でもインナさんはそのマナを視ているうちに目を丸くし、破顔した。
そしてマナの光は、フィーネを包み込んだ。
インナ『…おめでとう、大河の嬰児に祝福を』
マナを纏った声で『語った』インナさんの視線の先で、空へ溶けなかったマナはフィーネのお腹へ溶けていった。
フィ「…あったかいね…そうか、これが最大級の愛情の始まりか」
そう言ってお腹を撫でるフィーネの小さな手が、神聖なものに見えて。
お腹を見下ろすフィーネの瞳が甘く蕩けるようで。
俺は目に張った水の膜がジャマでフィーネが見えなくなって。
俺たちの子供に溶けていった一握のマナは、きっとあの小さなカナリアからの贈り物だという確信があって。
ヨアキムさんが「やった、赤ちゃんがまた来ますよベル!」と叫んで、ベルカントが歌い出す。ダンさんが俺の肩を叩いて「おめでとう!こりゃすごい、おめでとう!」と言ってくれて、インナさんはフィーネの手を握りながら「なんて素敵な日にご一緒できたんでしょう。ああ、アルノルトさんとフィーネさんの赤ちゃん!素敵!」と大興奮していた。
俺は、またしてもこの里に、特級の宝物をもらった。
*****
ヨアキムさんは飲食ができないのでデミの工房へ戻ったけど、俺たちはクルイロゥへ繰り出してユリウスお勧めのカーシャとカトレータを食べた。ジンジャーエールで乾杯して、クルイロゥで演奏していた人がフィーネのおめでたを聞いてたくさんの楽しくて綺麗な音楽を聞かせてくれた。
その楽団は俺が里へ滞在していた時に何回も宿へ来てくれた人たちで、たくさんおめでとうと言ってくれた。
フィーネはふわふわした感覚が抜けないよと言いつつ嬉しそうで、皆の祝福のマナが美味しすぎて酔ってしまいそうだと笑う。
食事を済ませてインナさんやダンさんと別れ、金糸雀の里の出口を出る。ゲートを開く森への道は、フィーネを抱っこしてゆっくり歩いた。
フィ「ふふ、アルがこの子の波に気付かなかったのならば、きっとまだ二か月も経っていないのだろうね。カナリアはすごい人々だな」
アル「そうだねー。でも俺、きっとミロスラーヴァさんが特別に教えてくれたんだと思うよ。あの人は俺たちに甘いからさ~」
フィ「ぷっはは、確かにね。ではこの子の心には、生まれながらに金の小鳥が住みついているのだろうね。素晴らしい贈り物ではないか」
俺たちは、あのマナの光がミロスラーヴァさんだと確信を持って話していた。フィーネも何となく、俺たちの心にいる金の小鳥のマナと似ているよって言うし。
森でゲートを開いて猫の庭へ戻ると、抱っこされたままのフィーネを見て皆が「珍しいな」なんて顔をする。俺は嬉しくて仕方なくて、にっこにこしながら大きな声で言った。
アル「ただいま~!今ねぇ、金糸雀の里で、歌うマナにフィーネがおめでただって教えてもらってきたよ!」
…
…
全「なにぃぃぃぃ!?」
フィ「…アル、君はこういう報告をするタイミングが少しおかしくないかい」
アル「え、そうかな…」
マリー「さすがアルね…さあいらっしゃい。妊婦への注意事項をあなたに教えてあげるわ…」
アル「あ、ハイ。フィーネ、授業を受けてきます…」
フィ「うむ、そうしてくれたまえ」
俺はマリー姉ちゃんの特別集中講座を受け、安定期までは可愛い我が子に会いたければ全力で理性を掻き集めろと叩き込まれた。
結婚して以来枯れた輪ゴムのようだった俺の理性の紐は、しっかりした頑丈なロープになって結び直されたのでした。