417 Keep clear of the gods sideヨアキム
私はまたセルゲイさんのアトリエ(とご本人が言っていました)へ足を運びました。アルマさんに教わって、無地で濃いグレーの開襟シャツとデニムです。私は無駄に姿勢が良いと言われ、猫背で周囲を警戒するように見回すこと!なんて指導までされたのですけど…
姿勢や歩き方については「…なんでヨアキムがやるとヨボヨボのおじいさんみたいになっちゃうのかなァ?」と匙を投げられてしまいました。なんだか爪剥がし三枚分くらいはチクリとしましたよ、アルマさん。
ヨア「セルゲイさん、いますか?」
客「んぎゃあぁぁぁぁぁ!」
セル「あんたか、入れ。ちょっとソッチで待っててくれよ。チ、まだ序の口じゃないか、ガマンできねえならやめるか?彫った面積分だけの代金でいいぜ?」
客「ど…どれくらいスミ入ったんだ?」
セル「周りの飾り模様と獅子の鼻の穴だけだな」
客「嘘だろぉぉ~…くっそ、ガマンすっから頼むッ」
セル「俺はいいけどよ。いくぞー」
客「いぎゃー!!」
…セルゲイさん、なかなか拷問に慣れていらっしゃる。このお客さんも、さっさとあの技を習得すればラクなんですけどねえ…毎日爪を剥がして二か月もすればできるようになるのに。
人の拷問風景をこんな間近で見る機会もあまりなかったので、なんだか楽しくなってしまいました。でも針を刺していくだけなので、ちょっと単調ですよね。
そうだ、今度カミルさんとコンラートさんがブチ切れたら現場にお邪魔するのはどうでしょうね。きっとタトゥを入れるよりもバリエーション豊かな拷問風景が見られますよ、そうしましょう。
しばらくするとそのお客さんは今日の予定分を終えたようで、消毒されて帰っていきました。セルゲイさんは「筋彫二時間でネを上げるようじゃ無理なんじゃねえのか…」とブツブツ言いました。
何でも最初の数分は痛くて叫ぶ人は多いけれど、逆にそのうち脳内麻薬で眠りかける人がいるんだとか。なかなかのツワモノですね、私のお仲間でしょうか。
セル「悪いなあ、待たせちまって」
ヨア「とんでもありませんよ、お仕事中にすみません。実はセルゲイさんがご存知なら教えてほしいことがありまして」
セル「んあ?なんだ?」
ヨア「デミに移動魔法があるなんて話を聞いたんですよ。ほんとですか?」
セル「あー…アレか、闇市場に紫紺が売りに来るから、出品されることはあるぞ」
ヨア「いえいえ、違います。殺し屋とかが使うんですよー。一回しか使えないとか、そんな感じで」
セル「おい…本当に軍人じゃないのかよ?いくらあんたでも首突っ込みすぎたら命取りになる。俺は最後は自分の身を守るぞ?」
ヨア「ということは、ほんとに一回こっきりの使い捨て移動魔法ってあるんですね。ご心配には及びませんよセルゲイさん。ただ、私の友人がデミのヘタッピな殺し屋に襲われましてね。返り討ちにしたけど移動魔法を使ったっぽいって気にしてたもので」
セル「…何したんだ、その友達ってのは」
ヨア「何もしてないと思いますよ。道を歩いてたら襲われたらしくて。デミではそんなの日常茶飯事でしょう、たまたま虫の居所が悪い殺し屋に目を付けられたんじゃないですか?」
セル「んー、まあいいけどよ。俺がマフィアに囲われてるってのは言っただろ?そこにはいろんな特技持ちがいてよ、その中の一人が作ってるらしいぜ。ただ大量には作れねえみたいだから、かなり高額だって聞くぞ」
ヨア「へぇ~、すごい人がいるものですねえ。セルゲイさんも大概すごい技術ですけど、その人は禁忌魔法のコピーなんて怖いことするんですね」
セル「うーん、コピーって言うか、不完全コピーの改良版って言ってたな。もっと座標設定をきちんとできるように改良したけど、肝心の移動魔法は一回使ったら壊れちまうんだってよ。ほんと、俺はよく聞く話だから麻痺しちまってるけど…そうだよな、怖がらなきゃいけない話だよな」
セルゲイさんが自嘲気味に笑うので、話を切り上げました。今日はベルに元気の出る歌をお願いしたら、タラニスへの感謝祭の歌を歌ってくれましたよ。セルゲイさんは「おお、これこれ!なっつかしー!」と今日は大喜びしてくださいました。
*****
セルゲイさんのアトリエを出ると、午後六時を回っていました。ちょうどギィたちが一番危険な狩りに出かける時間ですね。今日も無事に戻ってこれるといいんですけど。
あーあ、いつもながらロクデナシがたくさんいます。こんな早い時間から泥酔している人までいるんですね。カモられちゃいますよー?
さわらぬ神に崇りなしですからね。さっさとこの人から離れましょう…っと、さっそく子供に狙われてますね、あの泥酔さん。あらら…どっちを応援しましょう。
ん~…気の毒ですけど、子供のゴハン代になってあげてください。こんな時間に泥酔しているあなたが悪いんですよー?
ギィよりも小さな子が意を決したように泥酔さんへ向かって駆け出しました。そのポケットに手を伸ばし…財布を盗って離脱しようとした瞬間、でした。
ジン「バ…ッカやろ!!」
パギャッ
その泥酔さんは、確かに酔っていました。でも危害を加えられたと思った瞬間、反射的に一発の指弾を、子供へ浴びせました。
そしてジンが。
ジンが、まるで指弾が来るとわかっていたかのように、その子供を庇った。
子供はガクガク震えながら、でもダッシュして逃げ去った。
そしてジンは。
顔をのけぞらせてから地にヒザをつき、トサッと倒れた。
私は、信じたくない光景を見て、元の姿へ戻ってしまった。
ねえ、コンラートさん。
こんな時はどうすればいいですか?
ねえ、カミルさん。
こいつを苦しめるには、どうすればいいですか?
ねえ、カイさん。
ねえ、ヘルゲさん。
ねえ、アロイスさん。
ねえ、オスカーさん。
ねえ、ねえ、ねえ、ねえ!
「さわらぬ神に崇りなしって…知ってるか」
およそ私の喉から出たとは思えないような掠れた声が聞こえます。
たぶん私の手と思われる右手が、男の喉を掴んで吊し上げています。
そして左手らしきものが、男の腎臓のあたりを渾身の力で握り潰します。
男が窒息死する寸前で壁へ投げて叩きつけ、近寄ります。
男が指弾を撃ってくるので、守護で叩き落とします。
男は弾がなくなったらしく、手元に小石でも落ちていないかと探ります。
私はキュイン!と氷の楔を飛ばして、男の手足を磔にします。
私は口角泡を飛ばす男の口が汚らわしくて、水球を詰め込みます。
私は涙らしきものを流しながら、男に問いかけました。
「あの子はお前より上等な命だったと思わないか…?」
右手に無数の、氷の針を掲げて。この男が痛覚というものをまだ持っているならば、死んだ方がマシという数の極小の針を掲げて。
優しい雪のように見える、ダイヤモンドダストのような激痛の針を、お前に。
サァ…と雪が降ったような無音の音を立てて男を包み込んだ針は、全ての毛穴に刺さって消えた。
男は酔いだけでは緩和しきれなかった激痛に叫び声を上げた。
でもその叫びは水球に阻まれて、ほとんど空気を震わさずに泡となった。
その時、フッと肩に手が置かれました。
「もういい、ヨアキム。こっちへ来い」
そう言うと、私はその人に背中を押され、外壁の外の草原へゲートで連れてこられました。「…あれ?ヘルゲさんですか?」と言って振り向くと、ちょっと困ったような顔をしたヘルゲさんとアロイスさん、コンラートさんにカイさんにカミルさんにオスカーさんがいます。
それと…彼らの向こうにニコルさん、ハイデマリーさん、フィーネさん、ユッテさん、アルマさん。
全員、じゃないですか。どうしたんでしょう。
あ。
オスカーさんが担いでる男は。
ヨア「…オスカーさん、そいつ、私が料理していたんです。かえしてください」
オスカー「ヨアキム、もういいよ。こいつ殺しちゃうとマズいから」
ヨア「何でですか、そいつ、ジンを。ジンを…」
ニコル「ヨアキム、ジンは生きてるよ。ちょっとの打撲と、脳震盪を起こしただけ!」
ヨア「…そんなはず、ありません。目に指弾が当たったんです。のけぞって、倒れたんです」
ヘルゲ「落ち着け、ヨアキム。目に当たったんだろう?ジンの目は何で覆われている?」
ヨア「…眼鏡…」
アロ「そ、しかも普通の眼鏡じゃないでしょ。ヘルゲの作ったフレームに入った水晶のレンズだよ?」
マリー「…落ち着きなさいな、ヨアキム。あなたが作ってあげた眼鏡に指弾が当たっただけ。しかも結界を出しながら庇ったのよ、ジンは。さすがに殺し屋の指弾は結界を壊したけどね」
フィ「そうさ、ヨアキム。君があげた結界が指弾の勢いを弱めて、君があげた眼鏡がジンを守った。ジンは、眼鏡への衝撃で脳震盪を起こしたのだよ」
ヨア「のうしんとう…」
私は、ユッテさんとアルマさんが支えているジンの体に向かって、よろよろと歩きました。そっと口元に手をかざしてみると、温かい息が手の平に当たります。胸に触ると、規則正しい鼓動が手の平を打ちます。
顔を見ると、眼鏡のブリッジ部分はひしゃげていて、鼻の付け根には青痣ができています。レンズは割れてはいませんが、指弾の跡がクッキリと陥没して残っていました。
私はヘタリと座り込み、恥も外聞もなく「うわああああん…」と泣いてしまいました。
ユッテさんは私の頭を撫でて「うん、怖かったね。うん、わかる」と言います。
アルマさんは「冷やしタオルあるよォ」と言って目に押し当ててきました。
オスカーさんは「なかなかいい制裁かましたじゃん、ヨアキム」と褒めました。
コンラートさんは「…ソレ、なっつかしいな、オイ」と苦笑しています。
大きな簡易テントの中で、皆に囲まれて、私はしばらくえぐえぐと泣きました。その間にヘルゲさんとフィーネさんがジンの新しい眼鏡を作り、オスカーさんたちは指弾を放った男を担いだまま猫の庭の草原へ戻りました。
ハイデマリーさんは小さな容器をくれて「傷薬よ、この子につけてあげてね」と笑います。
アロイスさんは私の肩に手を置いて「ヨアキム先生、きちんとこの子に無謀な行動は何も生まないって教えてあげて。その上で…生きててよかったって、ちゃんと言ってあげればいいと思うよ?」と優しく言いました。
そうして夏の夜風にさやさやと音を奏でる草原にジンと二人でいると、ギィとキキも戻ってきて私を探しているのが見えました。簡易テントを一回切って二人を中へ入れると、その気配でジンは目を覚ましました。
ジン「…あれ…?俺、どうしたんだっけ…」
ヨア「…どうしたじゃありません。ど、ど、どうしたじゃ、ありませ…」
私はきちんと先生らしく叱ろうと思ったのに、またしてもジンを抱き締めてわんわん泣いてしまいました。
ギィとキキはポカンとして私を見るし、ジンはまだよく事態を飲みこめていないようでクエスチョンマークだらけの顔をしているし。
私は先生らしさなどカケラも出せず、まったくもって情けない姿を三人に晒してしまったのでした。