408 知識欲 sideヨアキム
あれから私は、二日ごとにデミへ通うようになりました。毎日きちんと基礎訓練をするように三人へ指示し、私が二日ごとにそれをチェックする。毎日行ってコンバット・レーションを差し上げれば彼らの飢えは満たされるでしょうが、それでは彼らの生きようとする力を削いでしまうと考えました。
コンバット・レーションは固く焼きしめたクッキーのようなものですから、日持ちします。それを非常食として備蓄できるように、なるべく日々の糧は自分たちで調達しなさいねと伝えてあります。
本当は彼らの服もどうにかしてやりたかったのですが、真新しい服を着せるわけにもいきません。ですが襲われかけて服が裂けているキキは、そのままでは危険だと思ってアルマさんに救援を頼みました。
事情を聞いたアルマさんは舌なめずりして、「わかったァ。丈夫な布だけど薄汚くて古そうな感じの加工したげるねぇ!まっかせて、デミ仕様でギィとジンのズボンも作ったげるゥ」と言ってくださいました。
出来上がったのは、帆布製だけど古く見せる為に柔らかく加工したゆったりチュニックと女の子用のサブリナパンツ。デニム地だけどヒザのあたりが擦り切れて横に裂けている男の子用のズボンが二着。…さすがです、これならデミでも小ぎれいなんて思われませんという薄汚さです。
三人に「これ、拾ったので差し上げますよ」と言って渡すと、喜んでくれました。ギィだけは「お前が物を拾うとかなさそーだけど?」と不審そうに見てましたけどね。
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一週間ほどすると、キキのマナに変化が現れました。繊細な扱いをするものの錬成量の少なかったキキは、顔を洗う水を出せても少量でした。ですが訓練によって錬成量が増え、たっぷりとした水を出せるようにまでなったのです。
ジンにはあの翌日に眼鏡を作りました。マナ・グラスと同じ要領で彼の視力に合わせて水晶のレンズを形成し、ヘルゲさんの方陣が仕込まれてレンズが割れにくくなる軽い銀縁のフレームへ嵌め込みます。眼鏡をかけたジンは土魔法の的へ向けてマナを飛ばす練習をし、すぐに放出精度を上げました。
そして一番遅かったけれど、一番大きな成果が出たのはギィでした。彼は元々錬成スピードが速かったわけですが、丁寧に錬成する訓練が功を奏して、密度の高いマナを結構なスピードで錬成できるようになったのです。これなら、かなりの結界方陣が広範囲に出せるのではないでしょうか。
ヨア「三人とも目覚ましい進歩ですよ、素晴らしい。これなら結界の方陣も扱えますね」
キキ「でも…水がいっぱい出せるようになったけど、これで結界も出せる?」
ヨア「ふふ、そんな簡単にはできないでしょうねえ。ところで皆さん、文字は読めます?」
文字が読めなければ、語彙がなければ、方陣の中身を理解して暗記するという「自分の脳内での方陣の保持」はできません。なので文字の習得は必須なんですよね。
ジンは少しだけ読めるけど、ギィとキキはまったく読めないということでした。次の段階は国語のお勉強ですねー。というわけで!じゃじゃーん。持って参りましたよ、「新装版こうぎょくのだいぼうけん」。
…いや、他の本にしようと思ってたんですってば。でもですねえ、アルが処分に困ってたんですよ、これ。金糸雀の里を出る時に、歴史編纂局の方が気を遣ってアルに下さったんだそうですけど…猫の庭でこれは出せないから、キャビネットの奥底に封印してあったんだとか。
ギィたちの役に立つならばどーぞどーぞなんて言ってグイグイと私にこの本を押し付けるアルは、必死でした。
ヨア「さて、これは物語の絵本なわけですが。この面白い物語を読むためには文字を知らなければなりません。ですので、文字を勉強致しましょう。それと、算数もね」
ギィ「…ンなもん知ってどーすんだ。俺はその本の絵、きもちわりぃぞ」
キキ「私、読みたい。その絵、かっこいい」
ジン「俺、どっちでもいい…」
ヨア「…まあ、絵はともかくとしてですね。あなた方、紅玉って聞いたことあります?」
三人「さあ?」
ヨア「なるほどねー。えっとね、こういう魔法を使う人がいるんです。こちらへいらっしゃい」
私は視覚的に一番ショッキングだと思われる山津波の映像記憶を三人へ見せました。これはヘルゲさんにお願いして、あの当時の監視方陣の映像コピーをそのままいただいてきましたので鮮明に写っています。
三人はポカンとしました。ギィは目をこすり、キキは「え?え?」と言い、ジンは眼鏡のレンズを拭きました。そして三人とも「もう一回見せて」と言います。
ギィ「これ、何人でやったんだ」
ヨア「一人です」
ジン「何かの作り物か、この木」
ヨア「正真正銘、本物の砦と森ですよ」
キキ「…この人?この黒い点に見えるの、人だよね」
ヨア「そうです。彼が紅玉と呼ばれる白縹の魔法使いです。この国で一番強力な攻撃魔法を使います。他国からこの国を守る最大戦力の代名詞が紅玉なんです」
キキ「…じゃあ、この本て、この人のことなの?」
ヨア「ふふ、残念ながらこの本の主人公は大昔に本当にいた紅玉のお話です。でも今見せた大規模魔法の映像は、今代の紅玉のものですよ?」
キキ「ヨアキム、文字教えて…早く読みたい」
ヨア「もちろんですとも。ですが…このお話、聞きたいですか?」
三人「聞きたい!」
ヨア「じゃあ今日は訓練をお休みして、このお話を読みましょうかね。それで文字も覚えれば、一人で読めるようになりますよ?」
三人はうんうんと頷き、なんだか年齢相応の瞳の輝きをしていました。…たったこれだけで子供は子供らしくなれるのに。デミの大人たちは負の連鎖を断ち切ることを知らない。愚か、と一言で斬って捨てるのは簡単ですが、このねじくれた混沌を秩序立った世界にすることなど、誰にできるのでしょう。
全員洗脳してしまえ、と乱暴な思考が脳裏をよぎりますが、それではハンジンの阿呆と一緒ですもんね。それに…秩序だった世界だけが正しいわけではないのですから。
さて、でも私は偽善者です!
まずは小さな種まきから、ですよ。
どんな芽が出ますかねぇ~、楽しみです。
三人に「こうぎょくのだいぼうけん」を読んでさしあげると、ギィとジンはわくわくしてしまって、どうしていいかわからなくなったようです。簡易テントを出てダーッと草原を全力ダッシュしてから…戻って来ようとしてテントが見えないことに気づき、キョロキョロと困った顔をしてたのが可愛かったです。
キキは「はぁ…おもしろかった…もう一回読んで…」と頬を紅潮させておねだりするので、もう一回だけですよと言って読んであげます。二回目は私がどこを読んでいるのか指で示しながらにしました。
キキはその澄んだ目から全ての文字を焼き付けようと必死でした。ジンも私の肩に手を突いて、後ろから覗き込んでいます。ギィはキキの反対側から本を見て、夢中になりすぎてジンに「ギィ、頭がジャマ」と手で押されています。
彼らは初めて知識欲というものを経験し、その欲求はどんどん膨れ上がります。私はそれを利用して文字を教え、簡単な算数を教え、方陣の覚え方を教えて行ったのでした。