404 透明な存在感 sideアルノルト
魔法部の前で皆と解散し、俺とトビアスとお母さんは猫の庭へ帰った。お母さんには「もうユリウスとエルンストへは相談したよ」って言って、一応安心させられたと思う。
でも「猫の庭へ私も行く!」と必死に言うからどうしたんだろうって思って顔を見ると、お母さんは「あそこでささくれた神経を休めるんだ」と保養地からの帰りとは思えない言葉で俺たちを納得させた。ごめーん…
アル「ただいま帰りました~」
マリー「お帰りなさぁい。あらあ、デボラ教授…お話は聞いたわぁ、お疲れ様でした。こっちでお茶でもどお?」
デボラ「おお、すまないハイデマリー。はあぁぁぁ…まさかリゾートでガチンコとは思わなくてね…」
マリー「ん~、仕方ないわ。でもアルとトビアスが懐いたのなら、デボラ研究室はいい意味で目をかけられるんでしょうから。ね?デボラ教授は今まで害が及ばないように気を付けて中枢に対応していたんでしょうけど…最大の後ろ盾が出来たと思えば、気が楽よぉ」
デボラ「うむ…そうだな。アルとトビアスが悪いわけじゃないのはわかってるんだ…くそ、あの衝撃に負けてカジノで大勝負できなかった自分の虚弱メンタルが憎い…!」
マリー「あらあ…カジノ、いいわね。今度私も一緒に連れていって?負けた記憶は大勝利で上書きしなくっちゃね」
デボラ「それもそうだな。よし、次は絶対、己に克つ…!」
ナディ「ふふ、デボラ教授はそうでなくちゃ。マリーと一緒だったら確実に楽しめると思うわ」
マリー「あらあ、ナディヤも一緒に行きましょ。ナディヤってなんだか勝負運がありそうなのよねえ」
姉ちゃんたち、お母さんの気持ちを浮上させてくれてありがとう…!
でも、なんだかあの三人がカジノに行ったらナニカが起こりそうな気がするのは俺だけ?誰かに聞いてみたいけど、皆ミッションに出ちゃってていないんだよねー。
トビアスと昨日作ったおじいちゃんたち用の方陣について、もっと改良できないかななんて話してたらユリウスとエルンストさんが来た。まだ午後四時なのに早いなあ。
ユリ「こんにちはー!待ち切れなくて来ちゃったよ」
トビ「よう。あれからじいちゃんたちに高性能の刺客追跡方陣作って渡したぜ」
エル「あははー、やると思ってました。二人は絶対やると思ってました。想定内です、わかってました。あははー」
アル「エルンストさん、ごめんねってば…あの温泉、エルンストさんにこそ必要だよね。えっと、温泉黒豚、好き?肩揉んであげるよ…」
なんだかほんとに儚い気配のエルンストさんが可哀相で肩揉みしてたら、ドヤドヤとグラオの皆がご帰還。挨拶した後、俺とトビアスは筋肉兄ちゃんたちにもみくちゃにされた。
カイ「お前らホンットおもしれーな!ユリウスの次は紫紺の長かよ」
カミル「トビアス、長に『あくどい商売してんのか』って言ったらしいなー?俺を笑死させる気か」
コン「アルは長の護衛が気付かなかった刺客に気付いたんだってな?すげえじゃねえか、あれはシュヴァルツの中でも腕っこきが付くんだぜ?」
アル「うあ、やっぱシュヴァルツの人だったのかあ…失敗したなー…でしゃばっちゃいけなかったかなあ」
カミル「いーってこった。あっちは基本的に隠密&筋肉部隊だ。魔法部の奴が気付いたのは違う索敵方法があったんだと思うだけで、あっちは気にもしてねえよ」
コン「お前、あれがシュヴァルツだって気付いてたのか?質が落ちてんのかよ黒は…」
アル「あー、違う違う!その、オステリアで『黒豚おいしい』って言ったら護衛さんのマナの波が揺れたからさあ…」
元シュヴァルツの三人は、全部の筋肉を揺らして全身で笑い転げた。更にトビアスが「アルノルトはジギスムント翁に眉間のシワが深ぇって言ったんだ、俺だけはっちゃけたわけじゃねえよ」と憮然として報告した。何で言いつけるんだよお!兄ちゃんたち笑いが止まらなくなってるじゃんか!
証拠獲りに行っていたらしいオスカーさんやフィーネたちも全員戻ってきて、アロイス先生とナディヤ姉ちゃんは最高の黒豚料理を作り始めた。もう、匂いが既にヤバい。二日連続で黒豚は食べたけど、全然イケる。俺、一週間黒豚でもいい。
アロイス先生が「チーム緑青も呼んでおいで」って言うんで、トビアスがパウラとロッホス、フォルカーを連れてきた。ナディヤ姉ちゃんなんて、見るだけでヨダレが出そうなとんかつとヴルストを入れたお弁当を作って、ダンさんとインナさんに配達させていた。
皆とおいしい黒豚料理を堪能してから食休みしつつおしゃべり。ちょっと久々だったフォルカーは、いまイグナーツさんについて自治の仕事を片っ端から経験しまくってるんだそうだ。「方陣をいじくってるお前らが羨ましい」なんて言ってたけど、イグナーツさんから吸収した「イイ感じに裏で手を回す方法」が面白くてしょうがないらしい。
なんだかね、フォルカーとユリウス、アロイス先生にカミルさんが集まってその手の話をしてると、全員の顔が影になっててよく見えない気がするんだ。
フォルカーが「…こんな感じなんスよね…どう思います?」なんて言うと「あー、それはホラ、仕掛けるキーマンが違ってると思うな…」とユリウスが答え、アロイス先生が「あれ、でもタゲはその老害ちゃんだろ?そしたら言っても分からない可能性が高いよ」とサラリと言う。止めにカミルさんが「フォルカー、ヌルいぜ…タゲの弱点を洗い出すのが先だ。それを失ったら心がナノ粉末になっちまう臨界突破なモノをだな…」と具体的なメンタル殺傷方法を伝授する。
こ わ い で す 。
*****
ヨアキムさんが見当たらなくて、どうしたんだろ?って辺りを見回した。フィーネが「どうしたんだい、アル」と小首を傾げて見上げるので、可愛くてむぎゅっと抱き締めたい!と思った。最近俺って、フィーネに対する臨界ボーダーがすっごく低いと思うんだ…反省。
アル「ヨアキムさんがいないなあって。いつも猫の庭にいたから物足りないっていうか。最近よく夜に出かけるね?」
フィ「ああ、そうだね。夜型の人と親しくなったからね…まあ、そんなに遅くならないうちに戻って来ると思うよ」
ヘルゲ「ヨアキムはデミへ行ってるんだ」
アル「ええ!?」
ヘルゲ「大丈夫だ、アヒムとも話をして問題ないと判断した範囲でしか動いていない。変装もばっちりだし、何かあれば紅たちがすぐわかる。心配ないぞ」
アル「そっか…ヘルゲさんたちにも相談して動いてるなら心配ないね」
あー、びっくりした。ヨアキムさんて楽しそうに中央を散歩してるって話は聞いてたけど、まさかデミに入るとは思わなかったよお。俺は近づいたこともないけど、コワい場所だから絶対行くなってオスカーさんにも注意されてる。
細かいブロックごとのナワバリがあったり、デミ独自のルールがあったりするから素人には絶対入り込めない場所なんだって。ヨアキムさん、よく行けるなあ。
*****
部屋に戻って、なんとなくヨアキムさんのことを考えてみる。七百年経った、自分がかつて住んでいた街は、ヨアキムさんにどう見えているんだろう。今度話を聞いてみたいなって思ってボンヤリする。
フィ「…ヨアキムのことが気になるかい?」
アル「うーん、えっと、この世界がヨアキムさんにどう見えてるのかなあって」
フィ「まったくだね、同感だ。だが、それはきっと彼にしかわからないねえ。誰も七百年の時間を超えた者はここにいないのだし。ガードたちとも少し違う存在だからねえ」
アル「あのね、フィーネ。ちょっとうまく言えないんだけど…ミロスラーヴァさんに教えてもらったことなんだけどさ。俺は心が解放されすぎてて、マナの波を感じるだけのモノになっちゃうとこだったんだって。それ聞いて心を閉じるってことを覚えたんだけどね?」
フィ「うん」
アル「ヨアキムさんて、心が解放されてるのか閉じてるのかもわからなくて。フィーネってヨアキムさんからどんな音楽が聞こえる?ヨアキムさんのマナってどんな味がする?俺は…ヨアキムさんの波がよく理解できないんだ。もちろんこの波はヨアキムさんだっていうのは判別できるよ、でもなんていうか…」
フィ「…透明、だね」
アル「そ、そう!それ!透明なんだ!あー、やっぱフィーネはわかってくれた!」
フィ「ベルカントとヴァイセフリューゲルの気配が濃厚だから、ついそれがヨアキムのマナだと勘違いしそうになるが…今の彼のマナは無味無臭、無色透明。そういう特徴のマナだとしか言いようがないね。ものすごい透明度のガラスや、恐ろしいほどの澄んだ水。確かにそこにあるのに、全てを透過させてしまうかのような…難しいね、表現するのは」
アル「ダンさんが行った『虹の池』の水ってさ、生物が住めないほどの透明度だって言ってた。あ、あとリョビスナ台地の青い池も。あんな感じかな」
フィ「そうだね、きっと生きている人間には到達できないところに彼はいる。…ふふ、最長老やダンさんならきっとこう言うだろうさ。彼は『至高の存在』だとね」
俺とフィーネは、雲をつかむようなイメージの話をしながらも、ヨアキムさんが特別な存在なんだと再確認する。
でも俺たちにはすごく身近な家族。
白と黒、善と悪、天使と悪魔…どんな言い方をしたらいいのかわからないけど、対極を経験したヨアキムさんはいま、完全にニュートラルで透明な存在感を示して、俺たちのそばで生きていた。