381 元気を出して sideアルノルト
リョビスナ台地から帰って来て二日後、ダンさんから編集できたよ!っていう連絡が入った。インナさんの家へ直接集合してって言われたので俺は緑青から、ヘルゲさんとフィーネは猫の庭から移動魔法で集まった。
ヘルゲ「ダン、随分と早いな。無理したんじゃないのか?」
ダン「いえいえ、全然。フルバージョンは最初から考えていた通りの構成で撮影できましたから、ほぼ編集する必要がないくらいでしたよ。ショートバージョンが少々手間取って二日も貰っちゃいましたけど」
アル「早く見せて~!全部で…四つ?マナの有無とロングとショートかな」
ダン「まあ、最初はフルバージョンの僕の視線だけ見てくださいよ」
ダンさんは自信たっぷりに言うと、大き目のフォグ・ディスプレイで青い池から始まるあの映像を見せてくれた。…何度見ても、何度聞いても、鳥肌が立つよ。分かっているはずなのに、台地から滝と一緒に落ちて行くところはお尻がゾワっとするような、浮き上がった感じもするけどさ。
つい「うひょ…」とか間抜けな声が出ちゃったけど、インナさんも「キャ!」と声が出てた。「インナさんしっかり歌ってたのに、ヘンなの~」って言ったら「ウィングが降りている時は夢中だったんです!アルノルトさんだって声をあげてたじゃありませんか~、普通の状態で見たら腰が抜けちゃいそうです」なんて言ってふくれっ面になった。
フィ「これはその、見る人が心臓の弱い方だと注意が必要な映像なのかもしれないね。ぼくらはまだ免疫があるからいいが」
ダン「ショートバージョンはマイルドな映像にしてありますよ。僕の視線そのままじゃなくて、高所撮影用の視線での映像なら滝を落ちていかないです。直前で切り替わって、滝を俯瞰する定点映像になりますから落下感はありません」
ヘルゲ「そこまで考えて編集してくれたのか、助かる」
ダン「ふふふ~、任せてくださいよ。用途が分かっているんだからお安い御用です。この映像なら、きっとお客さんに満足してもらえますよ」
アル「ねえねえ、インナさんの歌のマナは俺も波で見えてたんだけど、フィーネの視線は見てないんだよ。ミックスしたの?」
ダン「…アルノルト君、驚きますよぉ?じゃあマナを可視化させてフルバージョンをどうぞ」
もう一度青い池から旋回して上昇する映像から始まった。…そっか、この時はまだウィングが降りてきてないからほとんどマナが映ってないんだ。チラホラ揺れる光の粒はあるけど。
青い池の大穴を出てクスノキの回廊へ入ると、歌が始まる。インナさんは全然古代語なんて知らないけれど、紡がれた言葉はたぶん月白の言葉だった。俺たちはマナをダイレクトに感じたので言っていることが直接脳に響く感じでわかったんだけど、これも本当は不思議現象なんだよね…そう言えば水月さんの言ってることだって理解できたもんなあ。
そんなことを思い返しながら映像を見ていると、ふっと人影があったような気がした。マナの光でぼんやりしているけど…なんだあれ…なんだアレぇぇぇ!
クスノキの回廊を埋め尽くす光の人たち。穏やかな優しい顔でインナさんと一緒に【帰っておいで】って唇が言っている。月白の人たちが、にこにこしながら両手を差し出してダンさんと俺に向かってマナの波を送っていた。
俺は波しか見えていなかったけど、フィーネには月白の人たちが見えてたの!?
フィ「ふふ、驚いただろうアル。ビックリさせたくてねえ、黙っていたのさ」
アル「すげー…俺、あの人たちが送ってくれてた波しか見えてなかったから、なんだか悲しい森だって思ってた。あんな風に笑ってくれてたのかあ…」
ダン「僕も初めてフィーネさんの映像記憶を見た時はビックリしましたよ。でもあんな温かい笑顔が映ってるなら、もちろん採用でしょ!じゃあ次はショートバージョンのマナ無し。これも凝った作りでループさせてますからね~」
ダンさんはすぐにショートバージョンを流し始めた。なんだか霞がかかったような青い池から始まってる。何でボンヤリしたエフェクトがかかっているのかと不思議だったけど、とりあえず黙って見てた。
…ざあっと森を抜け、湖を旋回し、空を仰ぎ見てから川を下る。最後の滝を俯瞰させていた定点の視線がすうっと水がほどける所を撮って…ゆっくり移動したかと思ったら、虹をくぐり抜けた。
で、くぐり抜ける時に滝の水しぶきみたいなうっすらした霞がかかったと思ったら、虹の弧に合わせて真っ青な円がぼんやり現れて。視界が晴れたらまた青い池を見ていた。そこからまた始まる、台地の遊覧飛行。
これ、すごい。
ロングバージョンは大冒険をしているようなドキドキする絶景だったのに、ショートバージョンを見ていると心が癒される綺麗な景色の連続なんだ。どこにも心臓に悪いようなスリリングな場面がない。
フィ「完璧じゃないか、ダンさん。これはまたバカ売れしてしまうね、ヘルゲ」
ヘルゲ「まったくだ。しかもこのループを二周見ることでインナの歌が一回終わるようになっている。測ったようにフィットさせたもんだな」
インナ「…ヘルゲさん、このおもちゃは中央へ行かないと買えませんか?私はとても欲しいです」
フィ「何を言うんだいインナさん。あなた個人の分はもちろん提供させてもらうし、フルバージョンはカペラでの上映に使えばいいのでは?あ、ショートバージョンは個数を揃えて寄付するから、インナさんの采配で学舎の教材として配布するのもいいね」
ダン「それはいい考えですよ!長様のウィングがその由来の土地の映像付きで聞けるなんて新しい試みの筈でしょ?」
インナ「…そう言えばこんな形態って今までありませんでしたね…歌劇はオーケストラが生で場面に合わせた曲を演奏しますけど。ふふ、楽しくなってきました。里の皆は驚いてくれますよね、きっと!」
フィ「くぅっふっふ…ぼくもあのウィングの『マナ楽譜』は完成しているのでね…ではヘルゲ、すぐに量産体制に入ろうではないか」
ヘルゲ「おう、そうだな。それと弁当を作ったアロイスがいるだろう?あいつから伝言なんだが」
ダン「はいはい?」
ヘルゲ「今週末にあの墳墓で鎮魂パーティーするから二人とも来ないか、だと」
ダン「…えっと、僕と…インナさん?鎮魂…なのにパーティー??」
フィ「もちろんさ。魂は賑やかに送るのがぼくらの流儀なのでね。あ、白縹の葬式のスタンダードではないよ?あくまで『ぼくら式』だけどもね」
インナ「まあ…お邪魔していいんですか?その、一族のお仲間内でやるのでは…」
アル「俺たちをカペラの集会に呼んじゃったインナさんが言う~?舞台にまで上がらせて、俺たち冷や汗かいたのに!」
インナ「あら、そういえばそうでした…ふふ、じゃあ遠慮なく伺わせてください。ああ、また楽しみが増えちゃいました」
ダン「僕も呼んでもらえるの…白縹の…パーティーに?」
ヘルゲ「まったく、お前ら呆れるな。ここまで白縹の失われた歴史に貢献した者など皆無だぞ?まあ俺たちも軍の秘匿に関する事情があって、白縹一族全体で礼を言えないのは悪いと思ってるが…俺たちの仲間は、お前らがどんなにすごいことを成し遂げたのか、よくわかってる」
ヘルゲさんがそう言って笑うと、二人も徐々に嬉しさがこみ上げるような笑顔になった。なんだか全員がほっこりした空気になって和んでいると、ヘルゲさんが思い出したように言った。
ヘルゲ「そうだインナ、この前もらった酒なんだが」
フィ「おーっとヘルゲ!すまないがその件に関してぼくはアロイスから注意を受けていてね。インナさんに再度お酒を貰おうとしたら報告するように言われてしまったのだよ」
ヘルゲ「なんだと!」
フィ「アロイスからの伝言だ、『もし追加贈与を受けたら仮装で“だいぼうけん”させちゃうよ』とのことだが?」
ヘルゲ「インナ、今の話は忘れてくれ」
インナ「あら…いいんですか?まだたくさんありますから、構わないんですけど…」
ヘルゲ「お前はいい奴だな、だがとにかく忘れてくれ。俺はいま何もお前に言わなかった。いいな?全員そういうことで頼む。俺の紅い世界が今度こそ灰燼に帰してしまう…!」
ダン「…なんとなーく、わかった気がします。サインにまつわることですね…」
インナ「あ、あ~…わかりましたヘルゲさん、大丈夫ですよ。私は何も聞いていません」
インナさんもダンさんも「こうぎょくの挿絵」のことだと分かって、気の毒そうにヘルゲさんを見た。俺もそういえば秘匿レベル5にしてあったからナチュラルに忘れてたな、あの件。
でもヘルゲさん…この中に事情をまったく知らないままメッセンジャーにされた人が、なんだか知りたそうな顔をしてます。とっても危険なマナの香りが漂ってきます。
フィ「…ぼくだけ仲間外れかい?だいぼうけんと言えばアレで、金糸雀の里と言えば発行元で、だいぼうけんの仮装?あれは仮装というか目から魔法を出すという突飛な絵だったはずだね。しかしアロイスは確かに仮装と言った。と言うことは、だ。…新たなこうぎょくの挿絵が出現していて、その挿絵がヘルゲの巨大な弱点に成り得るほどの…」
ヘルゲ「フィーネ…わかった。お前が事件捜査のエキスパートというのは本当に身に染みてわかった。ほら、これだ…」
ヘルゲさんはもう、フィーネに隠すことを諦めて映像記憶を見せた。潔いというか、もうあの件に関してはぼろぼろって言うか。フィーネはそれを見た瞬間、顔がハニワみたいになった。
フィ「ええと…その…き、君の美丈夫な部分をよく表現している…のでは、ない、か…?」
ヘルゲ「…俺はこの挿絵を描いたやつと会ったことなんてないぞ」
フィ「なんと…ではただの想像でこれを?なんという妄想力だ…!この仮装をさせられたらきっと君はもう一度死んで、赤ん坊からやり直す羽目になるのだね。うん、これはその…理解した。ぼくもアロイスへ何もなかったと報告させてもらうよ。元気を出したまえ…」
最近、金糸雀へ来るたびに心が破壊され続けているヘルゲさん。
あまりに憐れで、俺たち撮影クルーは全員で慰め続けました。