378 台地の記憶 sideアルノルト
水月さんたちが還ってしまった墳墓の中は、インナさんの祝詞が静かに流れる広大な青と白と光の空間だった。まだ撮影もあるから今は無理だけど、改めて猫の庭の皆でお墓参りに来たいなあ。そう言うとフィーネはうんうんと頷いていたけど、周囲を見ながら少し考え込んだ。
フィ「しかし小さな子供は、こう棺が多くては怖がってしまうかね?宝石の祭壇のこともあるし…」
アル「でもほら、解放の構文があるから幽霊は出ないんだしさあ。ただキレイな場所って思うだけかもよ?」
ヘルゲ「ま、親の判断に任せればいいんじゃないか?この棺もただの石で、中身など風化して何もないからな」
アル「うぇっ!?ヘルゲさん、中身見たの?」
ヘルゲ「スキャンで確認しただけだ。太古のウィルスに感染なんて洒落にならないからな」
フィ「うーん…しかしここへリアを連れて来たら、住むと言いそうで怖いよ。古代語の刻まれた石棺が万単位であるのだからねえ」
ヘルゲ「あいつ、ここで子供を産むとも言いそうだな。ま、オスカーにリアの後始末はやらせろ。そういう苦労も込みで惚れたらしいからな」
フィ「おおぅ…ヘルゲの鬼発言がオスカーにまで波及するとは…リアが最近何かやったのかい」
ヘルゲ「…ついさっきな。リアへの土産は小さな試食用チーズの欠片でいいからな」
リア先生、何やらかしたのかなあ…。ヘルゲさんは腹立たしそうに言い捨ててからダンさんとインナさんの方へ行き、撮影はどうする?と聞いていた。このクアルソ台地はおもちゃとして映像を利用するわけにもいかないけど、リョビスナ台地の方は青い池も含めて存分に撮影したいとダンさんは息巻いている。
おもちゃ用の映像は迫力重視で航空撮影した映像記憶を使うつもりで、青い池や巨木の森はドキュメンタリー映像として必要な人へだけ配信するつもりなのだそうだ。まあここの映像が公開されたところで、基本的に他部族が登ってこれるわけもないから問題はなさそうだけどね。
ダン「午後二時から三時くらいが、水のない滝を撮影する最高の時間です。光の角度から見て、計画通りのルートでいけば虹も撮影できるでしょう」
アル「そうすると、三時間はあるよね。あ、ダンさん!青い池って大穴の中にあるって水月さんが言ってなかった?太陽が真上に来ないと影になっちゃうんじゃ…」
ダン「そうなんだよー。行ってみないとどうなっているかわからないしね」
ヘルゲ「よし、じゃあ今度こそリョビスナ台地を探索するか」
全「おー!」
墳墓の中でガードの結界に入り、元の三つのケースに収まって再出発!インナさんは歴史が降りてきたり鎮魂歌を歌ったりと大活躍だったから大丈夫かなあって思ってたんだけど、それはもうご機嫌だった。
インナ『金糸雀の里では長が急に歌い出すと、皆が何事かと注目してしまいますから。だから決まった日にタラニスへの祈りを捧げますし、カペラで皆が歌う時に歌うようにしてるんです。毎日歌いますが、自分の心のままにというわけではないんですよ』
フィ『なるほど…仕事というか役目として毎日歌うわけなのだね。ということは、今は心のままに歌えて楽しんでもらえているのかな?』
インナ『ふふ、もちろんですよ!さっきはとても悲しい歴史が降りてきて泣いてしまいましたけど…もう大丈夫です、次に何か降りてきても冷静にお話できますよ』
インナさんとフィーネは楽しげに話していて、俺とダンさんは共鳴しながらゆっくりリョビスナ台地を見下ろしていた。ダンさんがハッとしたのと同時に俺も気が付き、台地の真ん中にある大きな…うん、またしてもジオラマみたいに見えてしまうほど巨大な穴が見えてきた。
巨人がハンマーでも振り下ろして、ボッコンと型押ししちゃったのかなっていう丸い穴。側面は固そうな岩肌がゴツゴツしているけど、穴の底は緑色のもこもこした木々の梢。その真ん中に、真っ青な宝石みたいな池が煌めいていた。
俺、この色は見たことがある。
俺の心のお隣さん、フィーネの心にある水源の色。
俺の竹林を潤してくれる、あの深い蒼の水が実在するなんて、知らなかったよ…
*****
周囲には危険な動物の気配もなく、俺たちはそっと池のほとりに降り立った。調整した自動マッピングによると、ここには小さな爬虫類や鳥類、昆虫しかいない。そして池の中には、生き物は皆無だった。
ダン「虹の池もそうだったけど、濁っていない池っていうのは大抵生き物の棲家にならない水質みたいなんだよ。最長老様も『飲んだら死にそう』なんて言ってたけど、あながち間違いじゃないかもね」
フィ「それにしても…海の青ともまた違うね。この大穴は上から見たら宝石箱のようだったよ」
インナ「まだ少しだけ影がかかっていますね…もう少し待てば、太陽の光が全部に当たってくれるでしょうか」
ダン「そうですね、ここで待ちましょうか」
アル「じゃあ少し早いけどお昼にしようよ~」
俺が景色と歌の次に楽しみにしていたお弁当!!こんなすごいトコで食べられるなんて最高じゃーん!俺がヘルゲさんに「ゴハン!ゴハン!」と言うと、「仕方ないな、じゃあ呼ぶか」と言って猫の庭へ通信してくれた。ひゃっほう!
いつもみたいにアインたちだけ来るのかなって思ってたら、景色を見たくなったらしいアロイス先生とナディヤ姉ちゃんまでヒョイっと出てきた。
アロ「お邪魔しまーす、こんにちは!お弁当配達のついでに絶景のつまみ食いに来たよ」
ナディ「ごめんなさいね皆さん。がまんできなくて、つい来ちゃったわ」
二人は青い池を見て目を丸くし、ダンさんやインナさんと挨拶しながらお弁当を渡してくれた。上を仰ぎ見て、青い池を見て、周囲の岩壁を見て…
ナディ「…なんだかここ、懐かしい感じがするわ」
アロ「ね、何でだろ。こんな絶景見たことないのに」
俺やダンさんは顔を見合わせ、インナさんはクスクス笑いながら「そうですね、前世は皆さんここに住んでいたのかもしれませんね」なんて言っていた。月白のことを言ったら、アロイス先生はどんなに驚くだろうな。
二人は「じゃあね、たくさん食べてね」と言いながら猫の庭へ戻り、俺たちはランチタイムです!インナさんは「あのお二人が作ってくれていたんですか…相変わらず美味しすぎるわ…」と言い、ダンさんは「ずるい…ずるいです、僕が以前この土地へ来た時はヘビの丸焼きだったのに…絶景を見ながら絶品料理とか、どんな紫紺の偉い人だって経験したことないですよ…!贅沢すぎる!!」と文句だか称賛だかわからないことを言って頬張っていた。
ごはんを食べ終わって、周囲の森を少し歩いてみてわかったことがある。この台地ってもしかして…哺乳類がいない??自動マッピングにもそれっぽいのは反応ナシなんだ。
しかも、ちょろちょろっと走って行くトカゲを見つけて更に驚いた。見たこともない鮮やかな黄色の背中と綺麗なオレンジ色の足。そして背中にある背びれ?みたいなもののてっぺんに、小さな黄色の玉がぴこぴことたくさんくっついている不思議な生き物だった。
インナ「月白の方々は、変装できる人だけが下界で狩りをしていたみたいです。台地の上で野菜を育て、木々の恵みと特殊な魔法で豊かな生活をしていたようですね」
ヘルゲ「特殊な魔法?」
インナ「ええ。ヘルゲさんとは違うタイプの宝玉の方で、動植物に直接作用する特殊魔法を使える方がいたみたいですよ。ここみたいな高地でも野菜が元気に育つようにしたり、下界での狩りの際には危険な動物は追い払っても獲物にしたい動物はおびき寄せたり。不思議な力ですよね」
フィ「自然の体現者という呼び名はそういう所から来ていたのかもしれないねえ。動植物に作用するユニークか…」
ダン「それに下界と隔絶して長いから、爬虫類や昆虫も下界とは違う進化をしてるんですかね…さっきのトカゲの鮮やかだったこと…」
俺たちは見た目だけではないこの台地の特殊さに驚きながら池へ戻った。すると太陽が真上に来ていて、青い池はその本領を発揮していたんだ。
池の底にある白っぽい砂が光を反射して、水面が光ってるっていうよりも池の底が発光していた。濃い青のガラスの向こうから揺らめく柔らかい光が俺たちの顔を照らし、こんな綺麗な色は他にないって思わせる。
ダンさんは「ヘルゲさん、すみませんが撮影モードでよろしく!」と叫んで、視線を増やす方陣を起動させた。俺も慌ててダンさんと共鳴し、一緒に走っていく。ダンさんは少し高い場所からの視線と一緒に自分も移動して、池をゆっくり廻りながら全部の角度の色と光を記憶に収めていく。
ヘルゲさんも心得たもので、ダンさんの視線の向かう先に誰も写らないようにガードをすいすい移動させている。そのうちダンさんが上空から撮ろうと思ったので、俺たちは即座に不可視の結界に覆われて飛び始めた。
俺たちに驚いて飛び立つ極彩色の鳥。
小さくなっていく青い宝石の池。ゆっくり旋回しながら離れて行き、大穴の外へ出た俺たちはヘッドセットからフィーネの声を聞く。
フィ『インナさんにウィングが降りてきた。このまま台地全体の撮影に移行できるかい?』
ヘルゲ『いけるぞ』
ダン「いいですねぇ、行きましょうか!」
うっは、キタ…!
俺はダンさんとの共鳴に集中しつつ、インナさんから流れて来るその祝詞が今まで聞いたこともない言葉に溢れていることに驚いていた。ミロスラーヴァさんの祝詞もさっきのインナさんのレクイエムも、タラニスとマナの大河への祈りや願いという要素が必ず入っていた。
でも、これは違う。
これはきっと、このリョビスナ台地にかつて生きた月白たちの想いだ。
大穴を出たダンさんは、クスノキの間を木漏れ日に降られながら進む。
【地に下ったしろき者を愚かと思い】
うねるような古い幹と、クスノキ特有の芳香を放つ若い枝を見ながら、トンネルを抜けるように悠然と進む。
【我らは月の御許に残ったしろき者と驕り】
クスノキの幹には、きっと月白の住居だったと思われる石の壁が埋まっていた。
【どちらも愚かで、どちらも正しかった】
月白の集落だったかもしれないこの場所も、もう何だったのかも分からないほど植物に飲みこまれて。何もかもが「無かったこと」のように見える、この悲しい森をダンさんは進む。
【地に下ったしろき者よ、帰っておいで】
徐々に高度を上げ、梢の隙間からダンさんは森の上へ出た。すうっと視線を回し、螺旋を描くように森と、この台地と、遥か下方に見える地上と、そしてたくさんの周囲の台地。最後に真っ青な空を見てから視線を戻す。
【我らも闘った 我らも傷つけた お前も闘った お前も傷ついた】
まるで木々の梢の上を歩くように、緑の雲海を歩くダンさんは、ツヤツヤとしたクスノキの葉っぱを一枚見て、飛び立つ小鳥を一羽見て、切り立った岩を見る。
【ここへ帰っておいで 天に一番近いこの郷へ】
小鳥と一緒に空を駆け、小鳥と同時に離脱する。乾いた砂地で見つけた小さな花と、近くを走る小さなトカゲ。側を流れる小さな川を辿って、ころころとした水滴の一瞬を捉える。
【待っている 同じ悲鳴を上げた、同じ心を目印にして 帰っておいで】
湖を旋回し、上昇し、全体を見渡したダンさんは、一番大きな川へ向けて体を投げ出すように下降していった。岩にジャマされても、岸にぶつかっても、何かに導かれるように突き進んでいくたくさんの水。
【我らは鏡のように 我らは双子のように】
ひとかたまりだった水はとうとう台地の最先端へたどり着き、まるで飛び立つように土の軛からダイブした。
【汚れた手でも 血濡れの足でも】
川だったものが、滝になる。水滴の集合体になった、川だったものは大気に投げられて自由落下していく。あの遥かな大地へ向かって、どんどんほどけていく。
【待っている 同じ快哉を上げた、同じ心を目印にして 帰っておいで】
このまま俺たちは叩きつけられてしまうのかと思ったけれど、急にふわりと落下速度が緩くなる。ほどけ切って粒ではなく粒子になったあの川は、すべての色彩が詰まった光る虹のゲートを作り出している。
俺は、インナさんの歌の光まで含めた、世界中のすべてのいろを見た気がした。
【空へ還ろう、あの空へ 光が待っている 我らが待っている】
虹のゲートを振り返り、今しがた落ちてきたあの雄大な台地を見上げるようにして。背中からふわりふわりと落ちるようにして、俺たちはやっと地上に戻ってきた。