373 霧雨台地 sideアルノルト
ヘルゲさんが大変な目に遭ってしまった金糸雀の里での俺の記憶は、鬼気迫るヘルゲさんによって秘匿レベル5に設定された。うん、仕方ないとは思うけど…この中途半端なレベル設定は、「またあの絵本がらみで何かあった時に俺を助けるアルの初動が遅れる」という、防衛本能とのせめぎ合いの結果だったらしいです。
そんなこともありましたが…撮影はフィーネも一緒!インナさんとダンさんにもフィーネを婚約者として紹介できるし、一緒に絶景が見られるし、一石二鳥だよ!
ヘルゲさんはフィーネに「こういうものを作るための撮影なんだが」と相談し、フィーネはそれを聞いて瞳がギラギラしている。もう、面白くって仕方ないって顔だね。
フィ「それは素晴らしいじゃないかヘルゲ!ぼくの予測でもカナリアの祝詞の録音にはマナまで乗らない。だがぼくが実際に聞いて味わったその祝詞の旋律を、楽譜のように違うプログラムへ入れておくのさ。そして使用者がそのプログラムに見合ったマナを充填できれば…映像と祝詞にシンクロするマナの波の出来上がりだろう?」
ヘルゲ「ほう…それはいいな。あと、ダンがマナの可視化方陣を使って撮影するかを悩んでいたんだ。それも美しいだろうが、景色そのものの映像をマナの粒子が阻害するとも言えるからな」
フィ「ふっふっふ、そこはホラ…ぼくとアルがいるではないか!ダンさんは景色そのものを存分に撮影し、ぼくらはマナの景色を撮影する。インナさんのマナを視たければぼくらの視線をオンにし、景色を堪能したければオフにするというのはどうだい?」
アル「ええぇぇ、ソレすっごい!でも、俺たちとダンさんが違う方向を向いちゃったらズレた景色になっちゃわない?」
ヘルゲ「だったら共鳴を使えばどうだ?リアルタイムでダンとアルが共鳴すれば、ラグは出ないじゃないか。それとインナや俺たちが上空に浮いているのがフレームインするのはマズいな…」
フィ「ふむ、ではヘルゲもダンさんに共鳴して、その上で二組の位置調整をするのは?つまりダン&アル、インナ&フィーネ、ヘルゲの三組をガードに乗せ、映像担当と音楽担当の位置調整はダンさんの意図を汲み取ったディレクターであるヘルゲがやるのさ」
ヘルゲ「なるほど、並列コアをいくつか使えばなんとでもなるか…」
アル「それいいね~。じゃあダンさんにそう伝えておくよ、そしたらダンさんも何をどう撮影するか考えやすいもんね」
俺たちはものっすごい作品ができそうな最強のコラボチームになって撮影の準備を進めていった。当日はダンさんだけがブルーバック国の国境を正式に越える手続きをするけど、俺たちは移動魔法でナイショの入国でーす。ごめんね!
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撮影当日の朝、俺たちはまずダンさんをブルーバックとの国境まで送った。レジエ山脈の中腹にある国境はすっごく寒いらしくて、それをよく知っているダンさんはモッコモコのすごい装備だった。普通のコートを着ている俺たちを見て、「そっかー、簡単に移動できるって身軽に行けるってことなんだよね」とダンさんは苦笑い。
ダンさんが出入国手続きをしている間に、今度はインナさんを迎えに行くため、家へダイレクトにゲートを開けた。一応予告はしてあるけど、女性が一人で住んでる家にズカズカ入るのもどうかと思い、フィーネが声を掛けてくれた。
フィ「あー…インナさんはいらっしゃるかな?迎えに来たのだが」
インナ「あ、はい!まあ、初めまして。アルノルトさんの婚約者さんですね?インナと申します、どうぞよろしくお願いします」
フィ「フィーネです、こちらこそよろしくお願いしますよ!どうぞ、こちらにゲートを開けましたから」
インナ「おはようございます、アルノルトさんにヘルゲさん」
アル「おっはよ!…インナさんもモッコモコだね…」
インナ「え、だってとても寒いってダンさんにお聞きしましたよ?」
ヘルゲ「ああ、なるほどな…まあ季節柄まだ寒いのは確かなんだが、結界みたいなもので覆ったまま上空に上がるんでな…実際は大して寒くない。結界内の温度も自在だしな」
フィ「はは、しかし備えあれば憂いなしと言います。インナさんは正しいですよ。それにそのモコモココートは可愛いですね」
フィーネとインナさんはすぐに仲よくなった。寒がりのフィーネもモコモコのセーターを着込んでるし、なんだか俺とヘルゲさんがヘンみたいだなあ。
国境を越えたブルーバック側の宿場町で待っていると、ダンさんが「おーい!」とニコニコしながらやってきた。無事に手続きは済んだみたいで、「また絶景か?好きだなーとか言われちゃったよ~」と言っていた。国境砦の人に覚えられるほどブルーバックに来たことあるんだ、ダンさん…
ブルーバック王国はレジエ山脈に代表される山岳地帯や湖の多い国。面積だけで言ったらこの大陸の中ではアルカンシエルに次ぐ大きさで、でも平地が少ないから人のいる地域は限られる。アルカンシエル寄りの西側にほとんどの人口が密集していて、東はたくさんの岩の台地と広大な森に覆われている。
東側のその台地の中でも一際大きくて高さのある「リョビスナ台地」が今回の目的地。“霧雨”は水のない滝のことを指しているらしいけど、誰も登れたことのないその台地を地元の人は「悪魔の遊び場」って呼んでるんだって。何人もの冒険家が登攀に挑戦してはケガしたり死んだりしてるかららしいよ。
平地では酪農が盛んで、ブルーバックのチーズやバターといった乳製品はめちゃくちゃおいしいと評判らしい。帰りにお土産を買って帰ろうね~なんてインナさんやフィーネは盛り上がってた。
宿場町のカフェで最終打ち合わせを終えた俺たちは、それぞれ簡易リンケージグローブを装着。ざっと台地の上の全体像を見てからダンさんが撮影したいポイントとルート、角度を決定するらしい。この時期の太陽の角度や台地の気象情報も把握していて、「今は乾季だし、絶景間違いなしですよ!」と自信満々だ。
…この一連のことをほぼ一瞬で決定するダンさんは只者じゃないと思うんだよ。何か所もこういう場所に行ってるから、勘でできることとできないことが何となくわかるって言ってる。その上で最高の、至高の映像を撮るんだ。俺たちは全員がうきうきしながら宿場町を出て、人気のないところでゲートを開いた。
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だいたいの座標はわかっているけど、なんといってもリョビスナ台地の下は広大な森だ。最初にゲートを開いたら巨木の幹の内部がドンと木目付きで出たのでやりなおし。まあその時点でヘルゲさんが自動マッピングをして周囲を把握したので、二度目はきちんと巨木と巨木の間に出口が出来たけどね。
この広大な東部の森林地帯は、レジエ山脈のある西側に比べてずいぶん温かい。たぶん金糸雀の里と同じくらいなんじゃないかな。雪も降っていないし、常緑樹の多い緑の森だった。
そして…俺たちの目の前にあるリョビスナ台地は、巨大かどうかも俺にはわからない。だって巨大だって思えるのって、全体がある程度把握できるからでしょ?
あまりにも高いんだ。
そして、あまりにも大きい。
「水のない滝」が見えるはずの、ダンさんが以前撮影したポイントへ一気にゲートで来たんだけど、滝がない。
どういうことかというと…台地の切り立ったガケの途中にね、雲がかかってるんだ。ダンさんが言うには、その雲があるあたりはすでに水の流れがほどけて霧になってしまっている高度。そこに雲がかかっていて上が見えないから、俺たちにはいま滝の痕跡らしきものさえ見えていないってことみたいで。
どこかにこの台地の終わりはないのかと右側の遠くを見たり左側の遠くを見たりしても、台地の近くに居過ぎるからなのか、どこまでも続く切り立った崖しか見えない。
雲に遮られて、頂上が見えない岩の壁。
左右に終わりの見えないその崖は、まるで俺たちがいるこの大陸に通せんぼをされているみたいだ。
ダン「ん~、何回見てもすっごい所だなあ!」
インナ「あの…あの崖…本当に限りのある大きさなのですか?私には人に超えることのできない絶対障壁があるようにしか見えないのですけど…」
フィ「ぼ、ぼくも同意見だね…ぼくの背が低いせいで見えていないわけではないよね?」
アル「なんか俺、ダンさんがすごいって思った。俺だったら何回見たって放心しちゃう自信があるよ…なにこの圧倒的な質量…」
ヘルゲ「…これは…自動マッピングをかなり広範囲にやってようやく掴める大きさじゃないか…縮尺がわかっているつもりでも、現実感がないな。俺の索敵範囲の最大出力でギリギリ入るってところだ」
フィ「ヘルゲの最大範囲かい!?な…なんという広大さだ…」
ダン「ほんと、遠近感狂いますよね~!さて、どうしよっかな…まだ朝早いから、日が当たらなくて雲が消えないんです。滝は後で晴れてから撮影すればいいとして、一気にあの雲を突き抜けて台地の上を見に行きませんか?あの上はきっと、高い山の頂上付近で見られるような一面の雲海になっているはずです。雲海に浮かぶ島々のような台地群が見られますよ!」
インナ「まあ、天空にあるタラニスの使者の棲家のようではないですか…!」
アル「行こう!ヘルゲさん早く行こう!」
俺はもうガマンできなくて、一刻も早くその天空の島を見てみたかった。俺は標高の高い山に登った経験なんてなくて、雲海っていうのがどういうものがイマイチよくわからない。
それでもインナさんの「タラニスの使者の棲家」という言葉に、なんとなくミロスラーヴァさんが「いいものがあるから、早くおいで」って言っているような気がした。