365 アールヴヘイムの幻獣たち sideヘルゲ
フィーネとハイデマリーはエルメンヒルトの取り込みをすんなりと済ませた。半年以上も拘留され、その間あの琥珀のペンダントが外されていたことも大きい。エルメンヒルトは鉄格子が嵌った窓や鉄製のドアの無骨さを除けば瀟洒とも言える部屋で、許された紙媒体の書籍を静かに読むだけの日々だったようだ。
自分が作成を指示したオリジナル魔法がどんなに危険なものだったかも理解しており、最初は早く長様が自分を次女と同じところへ送り出す決心をしてほしいと思っていたようだ。しかし夫と長女が足しげく通って、監視付きの面会だったが懸命に「生きて罪を償おう」と説得。彼女は徐々に生きる気力を取り戻しつつあった。
透明化したフィーネとハイデマリーは、影のユリウスを歩かせて面会申請。監視のシュヴァルツはコンラートの同僚だったティモを指名し、中佐から極秘ミッションと連絡された上で会話記録を残さないように指示してあった。
フィーネとハイデマリーは簡易テントに入り、透明化解除。さすがに影を出しつつ透明化は負荷が大きいからな。影は穏やかにエルメンヒルトへ話しかけ、どうしても会いたいと言うので連れてきました、と次女の幻影をフィーネが出す。次女はエルメンヒルトへ蜂の閉じ込められた琥珀のペンダントを渡し、号泣する母を抱き締めてから消えた。
時間差で呼び出されていた夫と長女を部屋へ入れ、「エルメンヒルト様釈放の手続きは済ませておきました。エルメンヒルト様ならば、きっと更に国民の福利厚生を充実させてくださると信じています」と言い、後は家族だけを残してティモへ釈放手続きを任せる。恙なくミッションを終わらせたフィーネとハイデマリーは『ハニー・ビー、クリア』と呟いて猫の庭へ帰還した。
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仕上げはもちろん、ニコルとフォン・ウェ・ドゥ組だ。ニコルは二人のクリア・コールを聞いて『待ってましたぁ!』と叫んだ。一応、傍受スライムを一つニコルの周辺警戒のため置いてあったんだが…見る必要もないほどニコルはヒマそうにゴロゴロしており、『スパイダー』と『バタフライ』が佳境というところだけ『よっし、いけー!』などと小さな声で応援していた。
カミルが地脈に流れる精霊を選別して精査し、この琥珀が四つしか国内に存在しないのは確認してある。そして『ハニー・ビー』の処理が済んだ瞬間、ニコルはふっと気配を変えた。
この気配は雪ヒョウだな。ニコルは俺が毛色だけでミニコルのぬいぐるみを雪ヒョウにしたと思っているようだが、温和で天然なニコルの中にも熱い魂がある。俺やアロイスは、やはりそれを長年一緒にいただけに感じ取ってはいた。
…こんなにすごい獣とは、その時は思っていなかったがな。
軍属になり、俺と結婚し…スザクが生まれてからのニコルは完全にその獣を自分のものとしている。自分が守るべきものに対して危害を加える相手への「差別」という感覚を手に入れ、その守るべきものの「範囲」も明確にする。
俺に似てきたと言ってしまっていいのか、元からニコルの中に素養があったのかはわからないが…要するにニコルは敵を識別する明確なボーダーラインを手に入れて、そこを超えた相手には自分の力で君臨し、蹂躙し、一歩も自分の守る領域へは侵入させないという恐ろしいほど「攻撃的な拒絶」を繰り出すようになっている。
アロイスと話した時に「母性本能、だろうねえ」としみじみ言っていたが、俺の思っていた母性本能とはだいぶ違っていて驚いた。しかしその苛烈な気配に、絶対的な安心感に、俺は惚れ直した。やはり、ニコルは最高の女だ。
まるで野生のしなやかな獣が仔を守るように、中枢会議所の屋根でなめらかに立ち上がる。そのどこまでも透き通った緑の瞳が輝くと、中央の街を埋め尽くすような莫大なマナが錬成された。ニコルはその精霊の国の住人へ向けて、愛情で作り上げられた冷徹な勅令を下した。
『テキの精霊を排除。以後、一歩も入れるな』
ドゥ!と精霊は飛び立ち、地脈も、風脈も、水脈も、すべての精霊の通り道をなぞり、支配していく。精霊の光は中央の街を嘗め尽くし、アルカンシエル全土へ太陽の光のように放射されていった。
精霊たちを見送ると、アールヴヘイムの女王のような俺のパートナーはフッと気配を和らげて『みっしょん・くりあ!』と可愛らしく言った。
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ニコルが可愛いクリア・コールを発した瞬間、フォン・ウェ・ドゥのシャマンが集まっていたパオと呼ばれる大きなテントの中では上を下への大騒ぎになった。ニコルの精霊が叩き返したシャマンの精霊たちが、まるで呪い返しのように術者へ跳ね返ったからだ。
ちなみにフォン・ウェ・ドゥには今現在おっそろしい幻獣が集結している。呪い返しでワーワー言ってる場合じゃないぞ、お前ら…
ケルベロスにミノタウロスにサイクロプスにケンタウロス、ハーピーにエキドナ…
『暴れ足りねぇ』と言って中枢会議所の中が治まったと思ったら、勝手に集まって簡易テントの中で獲物の数をどう振り分けるかというじゃんけんをしていた。
ヘルゲ「…そんなもん、ケルベロス一匹で事足りるだろうが。なんで集まっているんだ」
コン『ケルベロスってなぁ俺のことかよ?お前こそテュポーンじゃねえか!』
ヘルゲ「うるさい、俺はようやくオーバーヒート気味の神経を休めることができるんだ。アロイス、監督責任は丸投げするぞ」
アロ『え~…本当は僕だって行きたかったのにさあ…グラオともあろう組織が、今回このミッションに何日かかってると思ってるんだよ…ようやく大詰めのグランド☆キリングなのになー。僕はエレオノーラさんとか関係各所への調整に奔走でさー…』
カミル『悪ぃなアロイス!これ以上人数が増えたら獲物の取り分が減るわ』
カイ『お前の分もゴツイのやってやっからよ』
アルマ『アロイス兄さんの“お仕置きの極意”に従って、えげつない薬使うからねぇ!』
アロ『僕、そんなのアルマに教えた覚え、ないよ…?』
ユッテ『うーっし、カミル兄!“魔法刀”解禁でいいっしょ?』
カミル『お、いいんじゃねえか?こいつら相手なら少しくらいオーバーキルでもかまわねえしな』
オスカー『え、いいの?んじゃ俺も“魔拳”使っていい?』
カイ『…お前のオーバーキルはミンチになるからやめとけよ』
アロ『ねえ…ちょっと…筋肉組のその話、僕聞いてないなあ。何、魔法刀って。何、魔拳って。ねえねえ』
コン『あー…ホラ、アルが蘇芳要塞都市でマナの瞬発防壁だの瞬発攻撃だの教わってきたじゃねえか。アレの進化版つーかなー』
アロ『君ら、僕を忙殺したいんでしょ、そうでしょ』
アロイスの怨念籠った通信を歯牙にもかけず、幻獣たちは俺がチェス駒に沿って名付けたそのものの姿になってパオを強襲。「神の白蛇は俺たちがもらった」と言いながら嬲りまくり、本家の「狂幻覚無限ループ」をかまされ、アルマの「えげつない薬」で痛覚を遮断されて、手足がなくても数日生き延び、わざと焚かれた狼煙を見て様子を見に来た普通の遊牧民が失禁する状態で死にざまを晒した。
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ユリ「ほんとこわい、ほんと君たち怒らせたらこわい!!」
エル「あの後、夜中にトイレへ行けなくなりましたよ、私…」
アロ「あははー、ツーク・ツワンクの回線切らないでそのままグランド☆キリングマツリだったもんねぇ」
ユリ「笑い事じゃないですってばアロイス…私は夜中に目が覚めて、白いのがボウっと見てるから叫んじゃって…ブランに可哀相なことをした…」
ヘルゲ「すまん、あの時は俺も限界でな。ボンヤリしてて回線を閉じるのを忘れていたんだ」
エル「…シンクタンクに来てくれたら、許してもいいですよヘルゲ」
ヘルゲ「正直、シンクタンクがどう運営されているのかは興味津々だ。エルンストがユリウスにくっついてて、どうして戦略研究室トップの兼任なんぞできるんだと不思議に思ってる」
エル「イイですよ~、何でも教えてあげますよ~?」
ヘルゲ「 だ が 断 る 」
エル「もおおお、私をモフレストから救えるのはヘルゲだけなんですよおお!」
ヘルゲ「 断 固 拒 否 す る 。エルンストからは危険の匂いしかしない。俺の心が死ぬ予感しかしない」
ニコル「え~、ヘルゲの心ってめっちゃ広いのに死んじゃいそうなの?すごいトコだねシンクタンクって~」
今回、何気にこのバカでかい国を網羅するほどの精霊魔法を使ったのに「ちょっと疲れたかな!」とか言っているニコルを全員が見た。そして「そうだ、こいつはこういうやつなんだ」と全員が目を逸らす。
ちなみに回線を切られていなかったユリウスとエルンストも、おおまかにニコルがやったことは理解している。二人はポツリと呟いた。
「…ドライアドってこんな感じ?」
…やっぱり幻獣駒だったか…