364 色彩の大樹 sideユリウス
アンゼルマ様は、私が執務室へ戻って来てから数刻もたたないうちにアポをとってやってきた。快活で、明朗。はっきり物を言うのに、その言葉は周囲の熱意を汲み取っていて温かい。皆でアルカンシエルを盛り上げていきましょう、と言って先頭に立つ姿は周囲をやる気に溢れた集団へと成長させてしまう。
そんな彼女は、いまブランを見て目を輝かせていた。
アン「ごめんなさいね、お忙しいとは思ったのだけど。実は私の娘がポムを欲しがっているのよ。あなたのお隣にいるかわいいワンちゃん…その子なのかしら?娘はポメラニアンだって言ってたけど」
ユリ「この子はカスタマイズ型なんですよ。随分人気が出ましたね、ポムは。素晴らしい開発者がいたものですね」
アン「あら…開発者のフィーネ・白縹と面識があるのではないの?」
ユリ「まさか!私はそんな有名人の知己は得ておりませんよアンゼルマ様」
アン「んー…でも、ぬいぐるみの紳士って…あなたなのでしょ?そのワンちゃんも、発売直前から連れ歩いていたって聞いてるわ。開発や販売に、実は関ってるとか」
ユリ「私がこんなすごい物の開発に携われる訳ないじゃないですか~」
アン「ふふ、じゃあ販売ルートね?」
ユリ「参ったな…」
アン「もう、隠す必要なんて微塵もないじゃないのユリウス議員!あなたは素晴らしいわ、偶然でも何でも一人の研究者の心を動かして、こんなすごい物を世に送り出す一助になっているのだもの。胸を張ってちょうだい、私は同じ議員として、あなたを誇りに思うわ!」
…っかー…
わかってました。アンゼルマ様はこうやって心から人を称賛するんだよ、だからあそこまでスッゴイ美談はイヤだったのに、フィーネはもおおおお!「商売ネタつくれよー」「それイイネー」で作られたのにー!
私があまりの恥ずかしさに赤面するのを押さえられないでいると、アンゼルマ様は「ま、恥ずかしがり屋ってほんとだったのね!」などと嬉しそうだ。なんで女性って私が赤面すると喜ぶんだろ。リリーもそうだったなあ。
ユリ「…えーと…その、お嬢さんのポムを買うのに、この子を見に来られたんですか?あいにく私はぬいぐるみ店の店長さんと少々面識がある程度なので、購入に融通を付けられるほどではないのです。販売ルートに関りそうな玩具組合を視察したことがあったので、そこの人に少し力を貸してほしいとお願いしただけですし」
アン「うふふ、大丈夫!ポムを二匹買うだけだし、それは夫が手配してくれるでしょうからね!それよりも、広報部の記事は読んでるわよね?ポムの爆発的ヒットは、その開発のきっかけになった『ぬいぐるみの紳士』の話と共にこの国のイメージ向上に多大な貢献をするわ。でもあなたがぬいぐるみの紳士だと分かれば、あなただけじゃない、紫紺一族の大きなイメージアップに繋がります。あなたの名を出すだけで長様の大きな力になるのは間違いない」
ユリ「…お断りします」
アン「どうして?あなたが恥ずかしがり屋なのはわかるけれど、これは名乗り出るべきことなのよ。中枢議員として長様の治世安定の一助になることは、私たち全員の義務ではなくて?」
ユリ「もちろん長様の治世安定に力を尽くすことは私たちの大前提です。しかし自身の信念を曲げてまで一助になることを、長様は良しとしないでしょう?私たちは…ギフトを持って生まれている」
アン「…あなたの信念って何かしら?名前を出さないことが信念だなんて言わないわよね?」
ユリ「私は、実態のない紫紺至上主義や大国の威力顕示には協力いたしません」
アン「実態ならあるじゃないの。長様は素晴らしい方よ?他国にもアルカンシエルが良い国だと言うのがそんなに悪いかしら?」
ユリ「では広報部が金糸雀自治体へ無理矢理ねじ込む、歴代の長様の嘘っぱちな英雄譚は何なのです?そして国に都合の良い記事を書かない山吹の記者が閑職へ追いやられている現実をご存知でしょうか?それに中枢議員が秘密裡に緑青へ訪れて、非公式に魔法作成を依頼するのが後を絶たないことが記事にならないのはなぜです。露草の街で自分の名を使わせることと引き換えに、売名行為と賄賂要求がひっきりなしに起こるのは?この国が強いと知らしめて、言いがかりのように戦争をしかけて戦後賠償を狙ってばかりだった先々代の長様の話は?戦争で命を落とした蘇芳は、そんな理由で自分が死んだことを知ったらどう思うのでしょうね。中枢議員の贈収賄が発覚した時に『すべて秘書がやった』と全ての責任をなすりつけられて投獄された瑠璃も何人もおります。そして…未だに白縹が隔絶された村で他部族との交流も許されずに飼われている。これのどこに、実態の伴った良い国という定義が当てはまると言うのでしょうか」
アン「あ…あなた、それは中枢議員として問題発言だと思うわ。私は黙っていてあげるけど、余所でそんなことを言わない方がいいんじゃないかしら。長様だってそういうことが一朝一夕でどうにかなるとは思わないからゆっくり取り組んでいるのであって…」
ユリ「長様のことをどうこう言っているのではありません。たとえいま私が言ったことすべてが是正されようとも、人が集まって国を形成している以上、あらゆる場所から問題は噴出する。ですが…私は節度も持たずに、他部族とのバランスも考えずに、協調しようともしないあなたを信用はしないと、こう申し上げているんです」
アン「な…ッ!随分と…失礼なのではないかしら、ユリウス議員…?」
ユリ「そうでしょうか?ところでアンゼルマ様、先ほどポムを二匹買うと仰っていましたが…どなたとどなたの分なのですか?」
アン「は?そんなの娘の分に…娘の…」
アンゼルマ様は急に押し黙って、目がゆらゆらと泳ぎ始める。フィーネから『いい仕事をするねえユリウス』と、よくわからないけれどお褒めの言葉をいただいた。私は、心が揺れ始めたアンゼルマ様をじっくり観察することにした。
フィ『…なるほど。呪術の影響もあるが、次女は死んでいなくて遠くへ行っているだけだと自己暗示がかかっているね。ここでエミーリアを出したら逆効果な気がしてきたよ』
マリー『ん~、そうねえ。私もそう思うわあ』
アロ『ん、問題発覚かな』
フィ『ふむ、コンラートが入手した粘土板の通信と、彼女の記憶内容は合致する。アンゼルマはしかも犯罪の指示をしたという自覚がないね…本当の傀儡だ、これは』
アロ『ん~、そっか。ユリウス、悪いけどもう一回アンゼルマを揺さぶってくれる?エミーリア様の墓前にポムを供えるんですか、と』
マリー『あら…キッツぅ…』
う…私もそこまでやりたくはなかったけど…仕方ないか。
ユリ「アンゼルマ様。一匹はアレクシア様に、もう一匹は…エミーリア様の墓前に供えるのですか?」
アン「!! あ、あなたどういうつもり!?私の娘は二人とも健在よ、なんって失礼なことを!許せないわ!」
ユリ「アンゼルマ様、エミーリア様は亡くなられました。大変、痛ましい事件でした。ですが…同じ思いをされたジギスムント翁が、仇はとってくださいましたよ」
アン「馬鹿なことを言わないでちょうだい!エミーは…ちょっと遠くへ行っているだけで」
ユリ「アンゼルマ様。では失礼なことを申し上げたお詫びに、私の秘密をお教えします」
アン「な…なんなの?秘密を明かされても許さないわよ!」
ユリ「許す許さないは後でご検討ください。私は、死んだ者の魂の使者になれる特技があります。もし私がエミーリア様の魂と接触したことがありますと告げたら…どうします?」
アン「嘘…嘘よ」
ユリ「そうですね、信じられませんよね。では、エミーリア様がここへいらっしゃったら、信じてもらえますよね」
これ以上、アンゼルマ様を見ていられなくて。ごめんねフィーネ…勝手に話を進めて。右手を差し出し、ハイデマリーのマナを要求する。ほんの少しだけ遅れて、幻影のマナは渦巻いた。
小さな女の子は、アンゼルマ様を見つめ…一歩だけ近づいた。
アン「や…やめて、来ないで!違うわ、あなたは違う!エミーは生きてるんだもの、そんなまやかしが私に通じると思っているの?」
フィ『ふむ…ハイデマリーさん、これは強制的に琥珀を書き換えましょう。エミーリアの右手から何かを放る仕草をさせてください』
マリー『りょおかぁい』
小さな女の子は少し悲しそうな顔をした後、右手でフィーネのマナを放り投げるようにした。フィーネはアンゼルマ様が避ける間もないほどのスピードでスパン!と琥珀に方陣を書き込んで行く。アンゼルマ様は「キャ!」と小さな悲鳴を上げたあとは呆然とし始めた。
ユリ「アンゼルマ様、大丈夫ですか」
アン「…どうして。私は、このままで幸せだったのに。どうして思い出させるの」
ユリ「エミーリア様が、そんなのはイヤだと…仰るので」
アン「ねえ、エミー。あなたを守れなかった私を…一緒に連れて行ってくれないかしら。ね?」
そう言うと幻影の女の子のそばへ行って、するりと頬を撫でた。
そして…マナを練り始めたので、私もエルンストさんも一瞬身構えた。
アロ『おーっと、こっち来ててよかった』
アロイスが何かやったみたいで、アンゼルマ様のマナは錬成しても錬成してもかき消されていく。ハイデマリーが心得たように幻影を操り、まるで女の子が母親のマナを消しているように見える。
アン「なんで…っ!お願いよ、もうイヤ!あなたを守れなかった私が、この国を守れるわけないのよ!」
そこで…たぶんハイデマリーだと思うんだけど。幻影が右手でマナを押さえつつ、左手をぶん!と空振りし…ぜんぜん手は届いていないのに、いきなりアンゼルマ様の頬がバチンと叩かれた。
マリー『あなたに残っているのは、何?失くしたものばかり探して、残ってあなたを支えている夫とアレクシアを置いていくの?甘えないで。…と、うまく伝えてくれるかしらあ、ユリウス』
ふう、と息を吐き、静かにアンゼルマ様へ話しかける。
ユリ「アンゼルマ様。あなたにはクラウス様とアレクシア様がいる。エミーリア様は、死んだ自分のことを見てくれずに生きていると盲信するあなたが心配でたまらないんですよ。あなたは…エミーリア様を侮辱する気ですか?安らかに眠らせてもあげないんですか?クラウス様とアレクシア様に、更にあなたを失う辛さも味わえと、そう言うんですか?甘えないで、ください。これ以上エミーリア様を悲しませるなら、あなたとは一切お話しません」
アンゼルマ様は頬を押さえ、じっと幻影を見つめた。そして、いつもの快活さはどこへ行ったのかと思うほどの小さな声で「ごめんね」と呟いた。
女の子の幻影はきゅっとアンゼルマ様の手を握ると、ほどけるように光の粒子になって消えた。
*****
アロイスからエルンストさんへ指示が入っていて、この一連のやりとりはクラウス様が控えの間でほぼ全てを見ていた。私はそっとクラウス様へ近づき、「エミーリア様の想いを伝えたい一心で、アンゼルマ様に暴言を発してしまいました」と深く頭を下げた。
クラウス様は「いや…ありがとう。私では妻を正気に返すことができなかったのだから、まったく不甲斐ないよ。その…暴言だなどと思わないでくれないかな、あれは彼女に必要なことだった」と悲しげな微笑みで私と握手した。
フィーネはアンゼルマ様が犯罪に加担した事実をしっかり思い出せるように「記憶解放」という魔法を掛け、この件に関してジギスムント翁へ相談すべしという暗示もかけた。
二人はお互いを支え合うように執務室へ戻って行き、アロイスが『お疲れ様、ユリウス』と声を掛けてくれて私は一気に力を抜いた。
ユリ「ふあー…こりゃジギスムント翁の方が簡単だったなあ」
エル「アンゼルマ様はクラウス様に任せれば良いでしょう。テロ組織の傀儡になっていた可能性があると匂わせておきましたから、恩は売れましたし」
マリー『フィーネと私でエルメンヒルトの取り込みはやっといてあげるわ、彼女は自分が何をやったかしっかり覚えてるし。ちゃーんと恩を売ってきてあげるわねえ』
ユリ「え、私が行かないとダメでしょ?」
フィ『はっはっは、ハイデマリーさんとぼくなら問題ないよ。きちんと君がエルメンヒルトを救ったことになるから安心したまえ』
…私の幻影でも出すのかな?でも幻影ってしゃべれないんだよねえ?なんだか狐につままれたような気持ちで「そ、そうなの?じゃあよろしく…」と言ってしまったけれど。
アロイスは『マリーは“守る”ことに一家言ありだからねー、あれはガマンならなかったと思うよ。でも叩いちゃったのは少し悪いと思って、きっとエルメンヒルトを引き受けたんだよ。大丈夫、マリーとフィーネなら安心だから』とカラカラ笑った。
ハァ…疲れた。
私は平和主義者でもなければ博愛主義者でもない。アンゼルマ様にどかんと言い放ったのは、普段私が仕事上でいつも感じていた「紫紺の嫌いな部分」の話。いわば、ただの愚痴だ。
私が目指しているものは、「紫紺に支配されているいくつかの部族がある大国」ではないんだ。そんなつまらないものではなくて。
全部の色が縦横無尽に踊り、全部の色が心のままに歌い、全部の色が、自らの意志でこの国を愛す。この国を愛しているから、動く。
あの、金糸雀の里が一つの心臓になった時のように。
すべてのいろが、この国へ血液を行き渡らせるために美しく発色する。
この国が真の意味で「生きる」ために、私は手助けするモノになるよ。
すべてのいろの世界を繋ぐ、大樹になってみせる。