362 バジリスク sideユリウス
官邸へ着くと、長様の側付きの方が申し訳なさそうに「ここでお待ちください」と小部屋へ案内してくれた。アポを取った議員を待たせるなどよくあること。でも私はどうしていま長様が立て込んでいるのか知っているからね。
「長様に『子鼠が好き勝手をしにきました』と。それだけお伝え願えませんか?」
「は…はい」
少しすると先ほどの側付きの方が「どうぞ、お入りください」と長様の執務室への扉を開ける。さすが長様、私が何を言いたいかはわかったみたいだね。
中へ入ると長様とジギスムント翁が差し向かいで座っている。翁は憤懣やる方ないといった厳めしい顔をして私を睨んだ。
ユリ「長様、ジギスムント翁、お話中にお邪魔をして申し訳ございません」
長「…よい」
翁「長!このような若造に聞かせるほど軽い話をしているのではないぞ。ユリウス議員、控えよ」
長「よい、と言っている。ジギスムント、民を締め上げてどうしようと言うんだ。財産徴収?紫紺教の創設?そんなものはこの国には不要と何度言えばわかる」
ユリ「…ジギスムント翁は長様を崇める宗教をお創りになるのですか」
翁「当然だ、この国の民は一つの思想でまとまるべきなのだ。ユリウス議員、でしゃばり過ぎは身の破滅に繋がると思うが」
ユリ「あは、私は紫紺教が創設されても破滅しないとは思いますが。翁が破滅ですよね?…他国のシャマンであるあなたは紫紺教の教徒ではないのですから」
翁「…その言、しかと聞いた。儂を貶めるとは無謀な若造だ」
ユリ「あなたにとってウェ・ドゥ教は『貶められる』という認識なのですか?シャマンを崇拝していた方々もお気の毒に。ところで長様、申し訳ないのですがここで魔法を使用するご許可を。翁にお会いしたい方がいるのですが、魔法で呼び出すしかないもので」
長「許可する」
翁「長!いい加減になさっていただきたい、なぜこんな若造のわがままを聞かねばならんのだ」
長「俺が『見たい』からだよ。…ジギー」
翁「…!」
私が右の掌を上に向けると、その上にふぉん…とハイデマリーのマナが渦巻く。マナは心臓の鼓動のようにドクンと光ってから、弾けた。
弾けた光が集まると、そこに小さな男の子がふわりと降り立った。男の子は一歩ずつ翁へ近づくと、至近距離で立ち止まる。
翁は目の前の我が子へ溢れ出る激しい渇望と、もしこれが夢だったらという恐怖、抱きしめたいけれど、抱きしめたらこの子がまた淡雪のように消えてしまうのではという畏れ…ありとあらゆる激情に揺さぶられて、指一本動かせずにいた。
翁「ペ…ト…ロ…」
男の子はスゥっと翁の胸元を指さす。ハッとした翁が服の中からごそごそと琥珀のペンダントを取り出し、掠れた声で言った。
翁「お…お前がくれた琥珀だ…父は…大事にしているぞ…」
男の子はムッとした顔になり、ふるふると首を横に振った。そして男の子の差し出した手に、今度はフィーネのマナが渦巻く。呆然と見守る翁の胸元へ、男の子はニコリと笑って右手をあてた。
琥珀の飴色が揺らめく。光で攪拌された琥珀と、その中の蜘蛛は男の子の手で柔らかく包まれた。琥珀の光がおさまると、男の子は翁の首に手を回しながら…光の粒子になって立ちのぼる。天へ向かって降る雪のように、父の縋る手に見送られるように。
翁は一粒だけ涙を零して、あまりの「痛さ」に胸を押さえる。息を詰め、全身を戦慄かせて、必死に叫びそうな魂を押さえてうずくまっていた。
長「…ユリウス、ジギーはなぜこのような心痛を与えられねばいかんのだ。同じ子を二度も失わせていい権利など…誰にもなかろう…!」
ユリ「この琥珀はペトロ様が贈ったものではありません。ペトロ様は、それが我慢ならなかったのだと思いますよ。大切なお父上が騙されているのは許せない。だから、それを本当の『自分からの贈り物』にしたいと…そう思われても不思議ではないのでは?私はペトロ様の御心を伝えにきた、ただの使者です」
長「…誰がジギーを騙した?俺に『見せろ』、ユリウス…!」
ユリ「先代の長様が、翁をフォン・ウェ・ドゥから『強制保護』した経緯はご存知ですか、長様」
長「…知っている」
ユリ「今でも熱烈にフォン・ウェ・ドゥは翁を奪還しようとしてますよね」
長「あいつらか…!」
ユリ「落ち着いてください、長様。翁は確かにいまこの国になくてはならない重鎮。ですが…最初に戦争で彼らの重鎮を掻っ攫ったのは我が国なのでは?」
長「ジギーの能力欲しさにヒュプノで操って、自我のない操り人形にしていたやつらに同情などないわ!ジギーは…この国で初めて自我を取り戻した。俺と一緒に、俺たちと一緒にこの国を守ってきた」
ユリ「…なるほど。では長様、私はフォン・ウェ・ドゥがこれ以上翁を苦しめないよう尽力したいと思います」
強制保護にも理由があった、と。
…ヘルゲが頭を抱えているのが目に浮かぶよ。五十年もの間に絡まりあった糸は、そう簡単にはほどけないね。
このフェアリーチェスは刻々とその姿を変えて、数手先を読んでいるようでいて、いきなり新たな打ち筋の扉が開いていく。まったく…幻獣がいなければ私が詰んでいるよ。
翁「…ユリウス議員」
ユリ「はい」
翁「儂はもう…大丈夫だ。ヒエロニムス、すまなんだな。この琥珀、呪の精霊が通るにはうってつけの構造をしとる。ペトロはこのようなもの、儂に贈ったりはせんかった。またしてもウェ・ドゥにやられていたか…呪を受け付けない術は使っていたのだがな」
ユリ「…気が付かれてよかった。ですが翁、そのペンダントは最低でもあと三つございます。そちらは私がまた使者として出向きますのでご安心を」
長「…ユリウス、いったいお前は誰と『繋がった』んだ?」
ユリ「好きで鼠と繋がる者などいませんよ。これはただの私の特技です」
長「…ふん、ただの鼠が大蛇に噛みつくものか」
ユリ「あは、何をおっしゃるんですか。…必要ならバジリスクだろうと、噛みつきますけど?」
長「くは、そうか。お前…やはり面白いな」
ユリ「あ、そうだ…翁、申し訳ございませんがアグエ様が呪の窓口として深く操られているご様子。彼が正気になられましたら、アグエ様とじっくりお話してくださいませんか。それとご自宅に呪を防御する術を施した方がよろしいかと」
翁「わかった…恩に着る」
私は官邸を出ると、自分の執務室へゆっくり歩き出す。その間ひっきりなしに『幻獣』たちは新たな打ち筋を見出していく。
フィ『白蛇は陥落だね』
マリー『じゃあ私、黒へ連絡してエルメンヒルトに”贈り物”をする準備してくるわぁ』
ヘルゲ『カイ、アルマ。アグエはどうだ』
アルマ『琥珀発見でぇす、処理は済んだんだけどお』
カイ『こいつ、親父とドカンとケンカでもすりゃ安定すんじゃね?ブツブツ親父と母ちゃんの文句言ってやがるぞ』
アロ『そこまで面倒見切れないね、白蛇にお任せで。それよか…攻撃目標が定まったねえ、マツっていいの?エルンスト』
エル『ちょちょちょ、待ってくださいよ!フォン・ウェ・ドゥを焼野原にするんですかあ!?』
アロ『あははー、そんな派手にやったらバレちゃうでしょ。特上のお仕置きするだけだよ』
ヘルゲ『アロイス、なんでお前がはっちゃけてるんだ…落ち着け』
アロ『いやー…なかなかやり方汚いからさあ、ツブしたくなっちゃって』
カミル『おー、気持ちはわかるぜ。でももうちょい待て…今精霊で地脈の先を突き止めてっからよ』
オスカー『ユリウス、アンゼルマが動いた。おっどろき…ジギスムントがすぐアンゼルマのペンダントに気付いて、能面みたいな顔でユリウスがぬいぐるみの紳士だと思うって言ったよ。何なのこの人…』
エル『うーあー…出た!完全復活ですねジギスムント翁…あの方、シャマンじゃないって顔して普通に地脈と精霊使ってるに決まってます。今まであの人の見通す力が何なのかわからなかったんですが、ようやく正体がわかりましたよ…!』
ユッテ『アンゼルマ、もう出る支度してんね。もしかしたらユリウス連戦かもよ~』
ニコル『ユリウス、やっちゃえ~。私、待ちくたびれちゃった…』
カチャリと執務室のドアを開けて中に入ると、フィーネが防諜方陣を展開した。
ユリ「ぷはー、やっとしゃべれる。ニコル、もうちょっと我慢してくださいね。アンゼルマ様の心理読み取りと解呪…なるべく手早く済ませましょう」
ヘルゲ『コンラート、カミルから座標が来た。どうだ』
コン『…了解。ターゲット捕捉、十六名のシャマンが割りまくった粘土板の修復…完了。草原に置くからリアに解読させてくれ』
ヘルゲ『十六名?随分少ないな』
コン『…お前が殲滅しすぎたんじゃねえの。まあこんだけで何かやろうとしたなら、こいつらもいい手使ったんじゃね?現に第三は偶然見つけられただけだったもんな』
ヘルゲ『まあ、どうでもいいか。ユリウスのリサイクルにも支障はなさそうだし…中佐のゴーサインが出たらツブせ』
コン『うーい』
…これが十六人の敵を目の前にした一人に言う言葉なのかな。コンラートはもうフォン・ウェ・ドゥ国内に潜入していて、カミルが精霊魔法で座標を突き止めた途端にそこへ行ったらしい。
さて、私は次の大物を飲む準備でもしますか。