336 巣立ち sideアルノルト
フィ『あっはっは、なるほど!いいのではないかい?だって君は魔法部の研修生なのだし、母上の秘蔵っ子として鳴り物入りで研究室へ入ることになる。その片鱗を見せただけなのだから、秘匿でもなんでもないさ』
アル「でもユリウスもエルンストさんも、石像みたいに固まってたんだよー…しかも誘拐されちゃうよ、なんて言われたからさあ」
フィ『ま、確かにマギ言語は門外不出だから先方が驚くのも無理はない。だがマギ言語使いがオリジナル魔法を自作して使用するのは普通のことさ。暗号化もしてあるのだから気にすることはないよ。それに、ユリウスはグローブのことを知らないからねえ…やろうと思えばアルが一瞬で相手を行動不能にできてしまうとは思っていないだろうしね』
フィーネがケラケラと笑い飛ばしてくれたからよかったけど、ほんとにあれは反省するべきだってヘコんだ。なんかさ、やっぱりユリウスの役に立ちたいなって思っちゃったんだよ…これって絶対カリスマの影響なんだろうなって思うし。だってさあ、あんな仔犬みたいに懐かれたらさあ…年上なのにユリウスってかわいいとこあんじゃん!とか思っちゃうよ。
フィ『それにしても、アルはぼくに通常考えうるパターンでの嫉妬をさせてくれないのが困ったものだね。こういう言い方をしては何だが、ご老体の次は男性か。しかも両方とも憎めないから、毒舌で追い払うチャンスもないではないか…』
アル「ちょ、フィーネ…何か誤解っていうかお互いの認識に齟齬があると思います。しかもフィーネの舌鋒は過剰攻撃です、やめてください」
フィーネが独占欲みたいなのを見せてくれて嬉しい反面、「毒舌」と言う時のマナが「殺る気満々」と言ってるのが超コワい。俺、ユリウスと仲良くし過ぎるのはほんとにほどほどにしないと。カリスマのこともあるけど、毒舌でユリウスがまたコワれちゃう…!
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そんな風にユリウスやツーク・ツワンクの件は落ち着いていき、俺は金糸雀の里で本来やろうと思っていた勉強漬けの日々へ戻っていった。ベティさんに「絶対観るべきよ!」と強硬に勧められて一緒に歌劇団の公演を見させてもらったり、なんとアナスタシア様に会うこともできた。ほんとに綺麗な人で、ユリウスと同じくらい魅力的な人だと思う。
ベティさんはそのすごい熱意が歌劇団の人に受け入れられて、どんな俳優の卵でも熱心に話を聞く。そして必ず「私はあなた方の努力が実らせた『芸術』という果実の美味しさを言葉で知らせることしかできないけど、その言葉が皆の力になるって信じてる」と言っては「お互いに頑張りましょうねっ」と激励するんだそうだ。
アナスタシア様(…ベティさんの影響で様付けになっちゃった…)は、そんなベティさんをかなり認めていた。
「ベティは舞台が『夢を見せる場所』だっていうのを良く知ってるわ。裏の努力や懊悩を絶対出さずに舞台へ上がることがプライドである私たちには、過剰に私生活や裏を暴こうとする記者は悩みの種だったの。だから、密着取材を許可したもののどうなることかと思ったけど…記事には最小限の舞台裏の情報のみ。ほとんどは表舞台の魅力がどうつくられるかっていう素晴らしい記事だった。素敵な芸能記者よ、彼女は」
こんな風にきれいに笑うアナスタシア様を見て、俺もなるほどと納得する。これはベティさんに特別な取材許可が下りるわけだよ。きっとベティさんは歌劇団の裏側をたくさん見ても、それが不特定多数の人に対して「歌劇の魅力」を伝える材料になるかどうかで取捨選択している。エドワードさんも言ってたけど、「100個知った情報の中から絶対に発信が必要な情報は1か2」だったりするらしいし。大変な仕事なんだなあ。
でも広報部へ帰ってからベティさんにアナスタシア様がこう言ってたよって教えてあげたら嬉しさで失神してしまった。…なんで、なんで広報部って少し残念な人が多いのかな?
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そしてユリウスは俺が緑青へ行く前までに一回だけ金糸雀の里へ来た。ダンさんの映像記憶が出来上がりましたっていう連絡を受けて、『広報部金糸雀支部へ紫紺の長様からの感謝の言葉を伝えに来ました』という体裁をあっという間に整えてのお遊び出張だった。
…エルンストさん、お疲れ様です。
つか、紫紺の長を巻き込んで口実作ったの?何やってんだよユリウス…
エルンストさんは「金糸雀の里へ来る口実を作るユリウス様は鬼神のようでしたよ…」と言って儚い笑顔をした。ユリウスにとって金糸雀の里は唯一緊張がほぐれる場所になっているらしく、中枢にいる時とはほぼ別人みたいなんだって。なんでもユリウスはいま周囲から「氷雪の貴公子」と呼ばれているそうで、その二つ名を聞いた俺は大爆笑してユリウスに睨まれた。
だって…!俺の中では「捨て犬ユリウス」だし「感謝魔人ユリウス」だし「胃拡張坊ちゃん」だし、どこが貴公子なんだよ!って感じ。ユリウスはそれを聞いてぷるぷる震えるから、怒ったかな?と思ったら「さすがアルノルトだ…中枢にはないんだよ、その原始的感覚が!」と阿呆で斜め上なドM式の感激をしていた。
デコピンの発射準備をした俺と、どこで調達したのか眉間だけを防御する結界を展開してニヤリと笑うユリウスはジリジリと間合いを測る。最終的にダンさんから「ケンカする子には映像を見せてあげませんよ…」と叱られて、即座に肩を組んで「ケンカしません、仲良しです!」と俺たちは笑顔になった。
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これが、金糸雀の里での出来事。
驚くほど多くのものを得て、俺は緑青の街へ戻る。
数日後にこの里を出ます、お世話になりましたと方々へ挨拶へ行くとどこへ行っても泣かれるので、俺は何回もつられて泣いた。おかみさんは号泣するし、花屋さんは黄色いデイジーの鉢を俺にプレゼントしてくれたし、ミハイルさんは「新装版こうぎょくのだいぼうけん」を一冊くれた(どうしよう…)。
広報部でもちょっとみんなに泣かれて、でもいつでも会えるさとぎゅうっと力のこもった握手をバーニーさんがしてくれて、俺はなんだか泣きながら笑顔になってしまった。
最後の夜はインナさんの家へダンさんと一緒に呼ばれて、三人で話しながら晩ごはんをごちそうになった。たくさん、たくさん話した。この里の素敵なところや、面白いところや、小さなカナリアのことを。
里を出発する日の朝、里の出口へ向かって歩いていると綺麗な声がとても遠くで響いた。振り向くと丘の上から一本の光の筋が立ち昇り、それに反応した「歌うマナ」が揺らめきながら追随する。今日は空に聳える光の柱ではなく、まっすぐ俺に向かって黄金の河が流れて来る。
その河へ流れ込む支流のように里のあちこちからカナリアの声が合流するので、俺のところへ届いた時には大河のようだった。周囲をぐるりと取り巻くカナリアたちの歌は、俺を黄金の繭に包んでから大気へ溶けていった。
『またおいで、待ってるよ』
俺は里の出口で丘へ向かってブンブンと手を振り、この豪華で温かすぎる見送りに「もー、また泣かされた!」と独り言を言いながら歩く。ゲートを開ける、人目につかない場所まではすぐそこ。でも涙が止まるまでもう少し。
俺は、歩く距離を無駄に長くしながら里から離れた。