335 クランの心臓 sideアルノルト
翌朝、俺がユリウスたちの部屋をノックするとすぐにエルンストさんが開けてくれた。にこっと笑って「おはようございます!どうぞ!」と招き入れてくれる。
アル「おっはよ、エルンストさん、ユリウス!…うわあ、また何か食べてる…」
ユリ「おはようアルノルト。昨日クルイロゥへ行くのを忘れちゃって…痛恨のミスだって項垂れていたら、ここのシェフの方が『クルイロゥほどじゃないですけど』って言いながらカトレータを作ってくれたんだ。何言ってるんだかなあ…最高だよこのカトレータ。後でもう一回お礼を言いに行こう…」
エル「アルノルト殿、いい治癒師を知りませんか?私はユリウス様の胃に大食いの呪いでも仕掛けられてるんじゃないかって常々思っているんですが」
ユリ「エルンストさん、いっつもその冗談言いますね。そんな呪いがあるわけないでしょー。それに大食いしているんじゃなくて、回数が多いだけですよ…」
エル「同じ事ですよ、絶対胃の中に何かあるに決まってます!」
アル「そうだ、姉ちゃんが『何か食べるたび、メモに書けば?』って言ってたなあ。どんだけ食べてるか記録付けたら、自分の異常性がわかるよユリウス」
ユリ「うぐ…これ以上アルノルトに足枷を付けられてたまるか…!私は宣言するよ、好きに食べて、綺麗な歌を聞いて、綺麗な景色を見て、健康でいてみせる!『絶対やります!』エルンストさん、これなら文句ないでしょ?」
エル「…こんなことでやります宣言しないでください…まあ、健康管理は絶対条件ですからね、当然お願い致しますよ」
エルンストさんは苦笑いすると、俺の分もお茶を宿の人に頼んでくれた。何だかほんとにナチュラルに「付き人」なんだよなあ…昨日のヨアキムさんの調査結果を聞いてると、とんでもなく有能な人なんだけど。
二人をまじまじ見ていると、ユリウスがカトレータを食べ終わって満足そうな顔をして「ちょっと待っててね」と空になったお皿を自分で持って部屋を出て行く。何か意外だなー、ユリウスがそんなことするなんて。何となく気になって部屋から顔を覗かせると、階下の食堂から声が聞こえる。
「本当に美味しかったです。クルイロゥも美味しいけど、あなたの気持ちが一番美味しかった。また必ずここへ来ますから、いつまでもお元気で、私に美味しいカトレータを作ってください。ごちそうさまでした」
…うおー?
なんか、フィーネが美味しいマナを食べた時みたいなことを言っているユリウスの声が聞こえて、そーっと食堂を覗く。
…うおー…
食堂の、おじいちゃんシェフが涙目になってユリウスと握手してた。
…うおー…
周りのウェイトレスさんたちも微笑ましい感じでもらい泣きしてないですか、あれ。お客さんまでうんうんって頷いてる。
…ふおおおお、部屋に戻ろうっと…
ご機嫌で帰ってきたユリウスは「ん?なに?」なんて言いながら椅子に座る。んー…、俺はいま何を見たんだろ。エルンストさんに聞いてみたくなるけど、それよりもクランのことだ。
アル「えっと、ユリウスのクランのことなんだけどね」
二人はビタッ!と動きを止めてから勢いよく俺を見た。ユリウスなんて椅子で居住まいを正して「はい!」なんて俺の方へ体の向きを変える。な…なんだこれ…なんでユリウスがこんなに緊張してるんだよお、逆じゃないの?
アル「俺もユリウスと、ずっと友達でいたいです。だから、クランに入れてください」
ペコリと二人に頭を下げる。で、視線を戻すと。ユリウスの目が右を見て、左を見て、エルンストさんを見て、俺を見る。キョトンとした俺と目が合うと、ユリウスは首筋から脳天まで「キュガアアア!」という効果音でも付きそうな速度で真っ赤に染まった。
は?な、なにそのかわいいの!?エルンストさんも、ユリウスのその反応は予想外だったらしい。目を剥いて「えぇ!?」とか言って、おろおろしだした。ユリウスは何かを言おうとして口をぱくぱくさせてから「アルノルト、もう一回言って」と言う。
…聞こえてなかったことはないと思うんだけど、もう一回「クランに入れてください」と言った。ユリウスが「違う、その前」と言うので、何なんだよもうと思いながら「俺もユリウスとずっと友達でいたいです」と言った。
ユリウスは「聞き間違いじゃなかった…」とエルンストさんに呟いた。
ちょっとー!告白の返事をもらった乙女みたいな反応するなよおおお!!
アル「もしかして俺が断るだろうって思ってたの?」
ユリ「そりゃそうだよ、こんな面倒な方法を取らないと会えない人間と友達のままでいてくれるなんて思わないじゃないか…」
アル「むー…そりゃちょっと面倒だなとは思うけどさ。だって正直言って、俺に政治的思惑がなにか絡むわけないじゃんとか思ってるしさあ。俺がバカのふりでユリウスの家に突撃しちゃえばいーんじゃないの?とかも思ってる。でもそれじゃユリウスがやりたいことのジャマしちゃうんでしょ?そしたら友達でいたいんだから適切な方法を取るよ」
エルンストさんはなぜか青い顔をしながら「…アルノルト殿は意外と恐ろしいことを考えるんですね…」と呟いた。今のどこが恐ろしいことなんだよー。
エル「昨日少し言いましたけどね、アルノルト殿はシンクタンクで有名人なんですってば。ええと、デボラ教授の養子になったんでしたね?緑青へ行った時に、魔法部ではなく研究所へ直接魔法作成の依頼に行く人の話を聞いたことは?」
アル「あ、聞いた聞いた!」
エル「あなたはデボラ研究室に就職しますね、あの門外不出のマギ言語研究室ですよ?さて、あなたがユリウス様と大の仲良し!という感じで会いに行っているとします。政敵がそれを見て最初に思いつくのは『ユリウス議員はマギ言語研究家を籠絡して、長様に仇成す魔法の作成を秘密裡に依頼した…という噂を流して、失脚させてやれ』でしょうね。そしてあなたも紫紺の長様へ仇成す魔法作成を請け負った謀反人と見做されて投獄です」
俺はもう、ビックリしたなんてもんじゃなかった。口をガパーッと開けて、まだ少し顔を赤くしているユリウスを見る。眉毛をハの字にして、少し情けない笑顔をしながらユリウスは「ま、そうなるね」と言った。あー…これ、今の話を聞いて俺が「やっぱクランに入るのヤーメタ、友達ヤーメタ」って言い出すと思ってんな。
アル「ユリウス、俺が友達やめるって言うと思ってんでしょ。バカにすんな。俺はそんなにヤワじゃないし、身を守る方法もある。ユリウスがヤダっつっても友達やめないよ?言ってわからないなら、もっかいすーっげえ痛いデコピンかましてあげよっか」
親指と中指で輪っかを作り、ふんぐぐぐと力を入れて震えさせながらユリウスに突き出す。ユリウスは今度は真っ青な顔で「これ以上やられたら記憶喪失になる!」とおでこを押さえながら椅子ごと後退りした。
エル「…まあ、要するにそれに類することが私たちには毎日地雷のように仕掛けられているんですよ。さりげなく歩いているように見えて、地雷を避けたり撤去したりしながら議会の中を歩いてるんです。なので…アルノルト殿、ようこそ『ツーク・ツワンク』へ。この指輪へマナを流してください」
もらった指輪は小さな魔石のついたシルバー。あ、この地金の部分の彫り物は見たことがある。ヨアキムさんの魂の器に描かれている、模様が魔法効果を持つやつだ。マナを流すと、俺の固有紋がじわりと滲んで溶けた。左手の人差し指に指輪をしたまま、エルンストさんが持っていた大きい魔石へ手をかざすように言われたので、その通りにする。
魔石へ俺のマナ固有紋が写し取られ、その後ユリウスが手をかざす。大きな魔石にふわりとマギ言語で【承認】と浮き上がるのが見えた。あー、なるほどね。誰かがこの指輪と魔石を勝手に使おうとしても、ユリウスの承認がなきゃ登録もできないってわけだ。
ちょっと目を凝らして大きな魔石を見たら、暗号化はしてあるけど一般的ではない方陣が見える。おお…【会員秘匿個人情報ネットワーク】【要注意人物トレース】【盗難防止自壊機能】等々…すっげー、なんだこりゃ。この魔石、たぶんエルンストさんの管理するサーバーから魔石だけ取り外して持ち歩いてるんだ。フォグディスプレイとかのインターフェイスがないだけで、これがツーク・ツワンクのサーバー・コアそのものなんだな。
そりゃマザーになんて情報がないわけだよ、エルンストさんが持ち歩いてるんじゃん。ヘルゲさんの移動用端末の方が当然性能はダントツに高いけど、これ…高度な方陣研究をしている人でも仲間にいないと作れなさそう。
それに、この指輪!これもヘルゲさんの作る通信機ほどの性能じゃないけど、このサーバー・コアと細く繋がったマナのラインが見える。それが、数十本。放射線状にあらゆる方向へ伸びていて、一番多いのは当然中央の街がある方向…北東だ。つまり、この人たちも「独自インフラ」を作っていて、マザーを介していないんだ。
俺がへぇ~って顔で魔石を見ているのをエルンストさんは面白そうに眺める。あ、クランの心臓部をこんなじっくり見ちゃいけなかったかな…
エル「やっぱりマギ言語研究室にスカウトされるだけはありますねえ…この魔石の中身、ある程度理解したって顔ですね」
アル「うあ…勝手に見てゴメンナサイ…つい、興味が…」
ユリ「アルノルトがわかるなら、別に見たっていいよ」
エル「ええ、端末の体裁になってませんからフォグ・ディスプレイは出せないですけどね」
アル「えっと…そう?んじゃさあ、質問していい?この盗難防止自壊機能って…自壊しちゃったらデータ、全部パーになっちゃうの?これがオリジナルでたった一つでしょ?」
エル「…驚きましたねえ、この短時間でそこまでわかるんですか。ええ、そうですよ。だからいつも緊張してます」
アル「これさ、このコアが盗まれて自壊機能が働く寸前に、どっか安全な場所にある空の魔石へデータ送信させちゃえば?そしたらバックアップの魔石には普段気を遣わなくてもいいわけだし、盗まれたものを必死に探さなくても犯人が自壊させてくれるのを待てばいいと思う」
エル「そんなことが…でき、ます、か?」
アル「ちょっと待ってねー、えっと…あ、この魔石でいいや」
マナの波に聞く。最近は俺のマギ言語の語彙が増えているから、もうあんまり童謡みたいなものはできなくなってるんだ。それでも口語体みたいな、くだけた詩になることが多い。俺自身が読めて理解できるので紙に書くこともないし、ただ出来上がった詩にマナを充填して魔石へインプット。さらに方陣暗号化を仕掛けてっと。
アル「でっきたー。エルンストさん、帰ったらこのちっちゃい方陣をバックアップ用のカラ魔石に入れておいてね。これがマーカーになって、データを誘導するからさ。んで、こっちの大き目の方陣をそのオリジナルに入れといて。そしたら勝手に既存の方陣とデータに接続して、自壊の方陣の作動条件を満たした瞬間にそのデータを全部引き連れてバックアップの魔石に向かって飛ぶよ。その後カラになった魔石が自壊するから、犯人はデータごと壊しちゃったって思うでしょ?それとどの座標からデータが飛んで来たか記録されるから、少しは犯人探しの役に立つかも」
よっし、これでエルンストさんのストレスが少しは減るかな!とか思って二人に笑いかける。でも二人は、石像のようになって俺の渡した魔石を見つめていた。
アル「…もしかして、あんまし役に立たないかなあ?」
エル「と…とんでもないですよ…この機能があれば、安心です。というか、いまオリジナルの方陣を一分足らずで作りましたね…?」
ユリ「ちょ…アルノルト、何が『俺に政治的思惑が絡むわけない』だよ。君、ほんとに気を付けなよ?君自身の能力目的で誘拐されちゃうよ!?ダメだよ、こんな簡単に高度なオリジナル方陣が作れることをバラしては…!」
アル「あ…あー…そうだね、あはは…不用心だったね、ごめん…」
し、しまった…ヘルゲさんたちと開発してるとこのスピードが普通なもんだから…そうだよね、隠さないとヨアキムさんみたいに拷問されて無理矢理魔法を作れ!なんて言われちゃうかもしれないんだ。うおー…俺、ちょっといま自分の迂闊さを思い知った。
エル「まあ、私たちだけしかいなくて良かったですよ。その開発力はデボラ教授の元だけで発揮したほうがいいですよ。でも、本当にこの方陣は助かりました…ありがとうございますアルノルト殿」
アル「えへへ…エルンストさんいつも大変そうだしさ。役に立つなら良かった。さっきのこと、忠告ありがとう。ちゃんと気を付けます」
ユリ「ほんと、底知れない技能持ちだなアルノルトは。あ、それで連絡方法なんだけどね。私からはエルンストさんが魔法部宛にシンクタンクからの問い合わせって感じで通信を入れて、会いたい場所とか時間を相談すると思う。で、アルノルトからの連絡なんだけど。その指輪にマナを大目に流してくれればいい、こちらから何らかの接触をするから」
アル「ん、わかったよ。俺もうそろそろ緑青の街に移動するからさ、そしたら第一研究所の案内センターに連絡してくれる?それで繋がると思うから」
エル「了解しました。きっと来期からシンクタンクは魔法部への問い合わせ急増になりそうですねえ。何かいい方法を考えておきましょう」
エルンストさんはニッと笑ってユリウスを見た。ユリウスは口を尖らせて「いいじゃないですか…」と子供みたいに言う。俺もなんだかおかしくなって全員で笑っていたら、宿の人が「お迎えの方がいらっしゃいました」と知らせにきた。食堂の一角にゲートが開いていて、向こうに数人の紫紺らしき人たちがいる。おっと…モード切替だね、了解。
ユリ「アルノルト殿、では失礼いたしますねー」
アル「はい、貴重なお時間をありがとうございました」
エル「…ではアルノルト殿、失礼いたします。シンクタンクへの質問がまだおありでしたら、お問い合わせください」
俺はにっこり笑って会釈し、ゲートはすっと消えた。
…っは~、ユリウスってほんとに面倒な世界にいるんだなー!
うう、さっきいきなり方陣作っちゃったこと…フィーネに白状しとこう。