329 閑話 ユリウス② ひとつの鼓動
ある冬の日、私に広報部金糸雀支部への視察依頼が入った。いつものようにエルンストさんと移動魔法の予約を取ってから打ち合わせをする。エルンストさんは私などに付いてくれたシンクタンクの奇特な方だ。
どこへ行ってもその腰の低さから私の付き人だと言って憚らないが、実際はシンクタンクの中でも部族戦略研究部と情報戦略研究部の兼任トップという肩書を持つ。なぜ私などのシンパになってしまったのか未だにわからないけれど、「ふわふわした私」という困ったキャラクターをサポートしてもらうにはうってつけの能力があるのでありがたい。
彼によると、ここ二週間のうちに急激な変化が金糸雀支部で起こった。これはここ数年の金糸雀の里の閉鎖具合を考えると有り得ない程の変化だと言う。ただ原因はほぼ判明していて、金糸雀の最長老様ご逝去に伴う新長の就任とのこと。
この新長インナ殿は革新的な考えをお持ちのようで、頑なに部族外秘としていたカナリアだけのカペラでの集会に他部族を二名参加させるという英断をされた。その二名の内の一人が金糸雀支部のダン・山吹氏。最長老様ご逝去に際して、かなりの尽力をした功績が認められたのだ。
これは広報部の株も上がるし、長様も七色統率の観点から見て喜ばしいと絶賛されており、詳しい経緯を聞いて報告すべしというのが今回の仕事だった。それにしても「最長老様と仲良くなり、散歩等によくつきあってくれた」という理由のためノーマークだったもう一人の招待客…彼はシンクタンクの一部ではすでに有名人なのだそうだ。
アルノルト・緑青。
白縹でありながら稀有なマギ言語の才能が偶然にも魔法部マギ言語研究室のデボラ教授の目にとまり、白縹では初の魔法部行きという進路を獲得した麒麟児。教授の教育理論に基づいて七色の分体への理解を深めるために留学…そのため教授の養子となり、同時に急激な学科成績の上昇を見せた。
その成績はS+。瑠璃のシンクタンクでも滅多に見ないその好成績は、垂涎ものの頭脳として瑠璃の注目を浴びていた。魔法部は良い青田買いをしたものだと、羨ましがられているのだという。
ともあれ、今回の仕事もラクそうだなと思う。金糸雀の長は大抵マナから心理を読むことに長けているけれど、今までふわふわした私を看破して突き抜けてきたのはあの蘇芳だけ。もし長様が私を看破したところで、何も問題はないです。きっとギフトに踊らされて私を憐れむだけでしょうし、私は私で金糸雀の喜ばしい話を聞きに行くだけなのですから。
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新長インナ殿は、思った通りに方針のはっきりした革新的な方とお見受けした。柔らかい笑顔と口調で、それでもきっぱりと回答していく姿勢は紫紺の長様も気に入るでしょうね。
「最長老様のご逝去という悲しみを超えて、金糸雀の里は生まれ変わるのですね。とても尊敬すべきことと思います。最長老様にはお目通り叶わないままでしたが、金糸雀の皆様と良い関係を結べればこれに勝る僥倖はありません。最長老様の安らかな眠りを願うと、紫紺の長よりの言葉を預かって参りました」
「まあ、ご丁寧にありがとうございます。私どもはこれからもアルカンシエルを潤す一端になれればよいと考えております。どうぞよしなにお願い申し上げます」
さっくりあっさりと様式美の漂う面会を終える。既に一度広報部への訪問は済ませているけれど、ダン殿はご自身の貴重な映像記憶の提供を評価されたとのこと。考えてみれば当然だ、ダン殿は夢のような美しい映像記憶を持つことで有名な映像記録者だ。その行動力は凄まじく、それによって持ち帰る映像記憶は筆舌に尽くしがたい。なぜ金糸雀支部にいるのかと聞けば、この里にあふれる音楽や芸術の素朴な美しさを収めたいのですと照れながら言っていた。
さて…気になるもう一人の彼ですが。接触する口実が見当たりませんので、食堂へ行って美味しいものを食べながら待ちましょう。そして私が最高のプロフを堪能していると、彼…アルノルト殿が降りてきます。するりと私の隣に腰掛けてくれて、常連客が座りそうな席に陣取っていて正解だと思いました。
おいしいケーキの話で盛り上がり、やはり当初の話通りに彼は純粋な優しさを持っているようでした。最長老様を思いやって、きっと丁寧にお散歩へ付き合ったのでしょうね。もっと話してみようと思っていたらエルンストさんに見つかり、宿で怒られた。「もう一人の招待客へ接触するなんて言ってなかったじゃないですか!するならするって言ってくださいよ~」と情けない声を出され、素直に謝っておいた。
私はさっさとこの仕事を終えて、美味しいものを探す一日を作りたいと思う。いつも視察の時にはそう思うので、私にとっては当然の行動へ出た。つまり、もう一度あの「アル君」に接触する。どうも彼は最近広報部で勉強しているらしく、通りをマザー施設の方へ歩く姿を見かけることができた。これ幸いとばかりに私も広報部へ歩き出す。
バーニー「長様のところへ行くって言うから出るのかと思ったら、マザー施設の中をあっちこっちフラフラ見ててな。いつ戻って来るかわからなくてアルノルト君を呼べなかったんだよ。すまんなー、まさか宿で遭遇してるとは思わなかった」
アル「あー、でもとっても人当りのいい方でした。楽しくって、さらっと気持ちよく話せるし」
ユリ「それはありがとう~」
さらりと中に入り、私のギフトにきちんと堕ちていたらしい「アル君」を見てホッとする。うん、仕事は今回も順調に終わりそうだな。そう思って、アル君へ中枢議員らしく「お礼」を言うと、謙遜してしまった。やはり心の優しい子なんだなと思い、これ以上ギフトの犠牲にならないように当たり障りのない言葉で褒める。
本当に、その一瞬だった。
彼の瞳が。美しい結晶で出来たピーコックグリーンの瞳が、ヒュッと開いた。見ているのは私の顔ではない。彼の目の焦点は私の内側に定まっていて、まるで恐ろしいものを見たかのような。私がいつも浴びせかけられる好意の視線ではないのだからすぐにわかる。かと言ってあの軍上層部の蘇芳のような嫌悪の視線でもない。
これは、まぎれもない恐怖だった。
信じられないと思った。ノーマークだけれども一応接触しておきますか、と思っただけの彼が。私にとっての刃を持つ稀有な人物なのだと直感で感じる。
ああ、あの刃をもう一度感じられるなら。
嫌われること前提なのだから、あまり会ってもらえないのは仕方ないと思う。
またこの黒くて冷たいものが破裂しそうになったら、魔法部へ会いに行くから。
だから、とりあえず君の刃を試しに刺してみてくれないかな。
もうね、限界なんだよアル君。
私は、この寒い場所に耐えられなくなりつつあるんだ。
頼む、私がここで確かに生きているという実感をくれ。
私は紫紺の長様ではないナニカに祈る気持ちで、アル君に再々度接触した。気が急いているのは分かっているんだけど、どうしても彼の気持ちを確かめたかった。
そして返ってきた言葉は。
その、言葉は。
「…ユリウス様、どうして心がそんなに空っぽなんですか。なのにどうしてそんなに温かい人柄で、優しい笑顔で人々を和やかな気持ちにさせられるのか…俺にはそれがわからなくて…とても歪に見えて、それがとても…怖いんです」
紛れもない、「本物」の感情。そのあまりに的確な切り口、あまりに急所を突いた言葉に、私の中の黒いものが踊り狂っているのがわかる。開かれた「入れ物」は大きく口を開け、ぎちぎちに詰まって呼吸困難になっていた原因を解放していく。
鼓動が、ひとつ。
十数年ぶりに動いた心臓は、ギシリ、と音を立てる。
生きている。
私は、生きている。
私の心臓は、まだ、生きていた。