328 閑話 ユリウス① 箱庭
小さな頃から、気付けばリリーは私のそばにいた。「ユリウス、今日はなにして遊ぶ?」と言われ、本当は仲良しの男の子たちとお外でかけっこをしたいなと思っていたけど、足の遅いリリーはいつもビリで悲しそうだったから「リリーの好きなお話を読みたいな」と言ってマザーの図書館を見に行く。
リリーは「ユリウス優しいね、だいすき」とニコニコするけれど、さりげなく気遣いをしたつもりの心はすっかりばれているらしいと分かって照れてしまう。照れている私を見ると、リリーはもっと嬉しそうになる。
友達がたくさん、外で遊ぼう!と誘いに来てくれて、リリーも一緒に遊びたいんだと言うと、男の子たちは納得したような笑顔になり「ユリウスのそういうとこ偉いよなー。わかった、じゃあ庭で馬跳びとかさ、凍り鬼とかしようか」とあまり足が速くなくてもできそうな遊びに切り替えてくれる。
リリーもそれを聞いて、嬉しそうな顔で一緒に遊び始める。よかった、私の周りの友達はとても気遣いが上手で、みんな優しい。リリーもとても楽しそうだから、私も笑顔になる。そんな私たちを見て、両親や使用人さんも微笑ましいものを見るかのように笑顔になる。
そんな、丁度いい温度のお湯に浸かるような、緊張など何もない楽園が、私のいる場所だった。
ある日を境にリリーは「遊べないの、ごめんね…」と言って家からあまり出て来なくなった。どうしたんだろう?具合でも悪いのかな?と思ったので、リリーの好きなお菓子をお見舞いに持って行ったり、家の庭で咲いたお花を庭師に切ってもらって持って行ったりしていた。
でもリリーの家の使用人さんが申し訳なさそうに「お嬢様は特にご病気ではありませんので…」とやんわり花を返してきた。私は贈り物を突き返された経験などなく、それがかなり大きい「拒絶」であることだけを知識として知っていた。そんなバカな、と思った。リリーはなぜこんなことをするんだろう、あんなに仲よく遊んでいたのに、なぜ?
私はリリーに会って話がしたいんです、と何度も訪ねた。私がリリーを怒らせてしまったのなら、その理由が知りたい。私のいけないところを直して、リリーにきちんと謝りたいと思った。しかしその行動は何も実らせなかった。
学舎や周囲の大人たちの判断で、私は家からほとんど出られない状況へ堕とし込まれた。仲の良い男の子たちは二度と遊ぼうと誘いに来てはくれなくなり、リリーとは二度と話すこともできない。混乱に混乱を極めた私は、必死に両親へ説明を求めた。
なぜ、私はリリーに許されないのか。
なぜ、男の子たちはもう遊んでくれないのか。
なぜ、私は学舎へ行ってはいけないのか。
そんなに…私は、悪い子なんですか?
私の問いかけを聞いて、母様は号泣した。父様も「すまない、お前のせいではないんだよ、でもこうするしか」と声を震わせる。
どうしてこんな悲しい顔を両親がするのかまったくわからなかった。そしてその答えは、家庭教師の先生がたっぷりと持っていた。
紫紺のカリスマ持ちという特徴と、その発現時期について。
紫紺一族は古来より魅力的な人物が輩出され、指導力に優れた者が非常に多い。その魅力はカリスマ性と呼ばれるが、一族内…中枢に近い者たちの間では「神からの賜り物」つまり「ギフト」と呼ばれていた。ギフトを持つ者は、同じギフトを持つ者が直感で分かる。
私は生まれた時に先代の長様の祝福を受けたらしいが、非常に驚かれたそうだ。新生児の段階で約半分、三歳になる頃にはギフトが完全発現するほどの強さだったから。
そしていま、私はそのギフトにもらった全ての幸福総量を無駄に使い切ったらしく、屋敷で軟禁されることとなったのだった。リリーは私を嫌ったわけではなかった。男の子たちも、学舎の先生方も、私を嫌ったわけではなかった。
そう、最初からギフトが彼らを操って、私が嬉しくなるような、素敵な世界を作り出すため、箱庭の人形にされてしまっていただけだったのだ。
*****
こころに、黒くて冷たいものが降りしきる。
それは触るととても痛くて、手も足も冷たくて。
泣いても叫んでも温かい箱庭は戻らず、
いつしか心臓まで凍りついていくのがわかった。
それでも、ほんの少し残された自分の場所を必死に守りたかった。
母様、父様が泣くのは、私の幸福総量が無くなってしまったせいだから、せめて無くなる前の私を見て、涙を止めてほしかった。私は「緊張など何も感じていない、温かいお湯に浸かったユリウス」を作って、いつでもふわふわと笑うようになった。
使用人さんも庭師さんも、私に優しく笑いかけてくれるようになり、やはり温かいユリウスは非常に有効なのだとわかった。家庭教師の先生は一生懸命「それは、あなたが辛いだけですよユリウス様…」と切ない顔で言ってくれたけれども、私がギフトを使い切ってしまったせいなのだから、これは自業自得なのですとふわふわ笑った。
*****
高等学舎へ入学が許され、私は自分の居ていい場所が少し広がるのではないかな、と期待に胸を躍らせていた。しかしそこにいたギフト持ちの同期生たちは、私が小さな頃に自分専用の温かい箱庭を作って遊んでいたみたいに、陣取りゲームを展開して遊んでいた。私はそのゲームの中では圧倒的弱者もいいところで、かと言ってなぜか誰の軍門に下るでもなく無事に過ごせていた。
「早咲きは枯れるのも早いな?」と言ったのはどこの陣のキングだったか。
あまりにもゲーム展開が複雑になって行くにつれ、私はこの面白くもない盤面でどの駒も動かす気はないとばかりに沈黙を守っている。だって、このチェスボードには私の少しの白い駒。あとの盤面は全て黒い駒で埋まっているんだからね。
そして学舎が白と黒のチェスボードにしか見えなくなってきた頃、同期のギフト持ちたちも溶けて形の崩れかけたポーンのように見えてくるんです。辛うじて、私を支えようとしてくれた少数の取り巻きがヒトに見えていたかもしれません。
バカなギフト持ちは、まるでサクリファイスのように自陣の駒を犠牲にして有利な状況を作ろうと画策し、キングとしての価値を堕としていく。
私がやるのはステルメイトのみですよ。そして「ね、お互いに益が無いことなどやめましょう」と黒いキングへ言って、ほわほわ笑う。
私はユリウスという小さな派閥を取り巻きによって形成された状態で高等の三年間を過ごす。誰にも取り込まれなかったのはとても不思議だったけれども、きっとギフトを使い切った空っぽの私など、駒として持っていても使い様がないのだろうなと思えば納得した。しかしそんな私を慕ってくれる取り巻きの人たちが憐れで、ふわふわと笑ったまま過ごした。
*****
中枢議会にはいろいろなセクションがあるものの、いわゆる「配属命令」というものが少ない。そんなことを指示しなくとも、各部の監督や、各部族の監視・調整、財務や外交等、その職に適性のあるギフト持ちが勝手に覇権争いをしてのし上がっていくからだ。
私は各部の監督、各部族の調整を得意としていた。私の緩みきった笑顔は中枢という固くて怖いというイメージを覆し、わりとどこの部族でも警戒心なしに受け入れてもらえたから。
ある時、軍部の視察で上層部の一人に「中枢の方にこのような緩んだ方がいるとは残念ですな」と厳しい顔で皮肉を言われた。その時の私の衝撃は計り知れない。ギフト持ち以外の者で、私に悪意らしい悪意を向けてきた人が今までいなかったから。
その鋭利な感覚が一瞬、黒くて冷たい私の内部にまで刃を届かせて、私は歓喜に心を震わせた。
初めて出会った、「本物」だと思った。素晴らしい、蘇芳は素晴らしい。その規律の厳しさ故に、少々のギフト持ちなどは跳ね除けてしまうその胆力。
私はとても晴れやかな笑顔をして、その人物に「あなたは素晴らしい人ですね。私のような者はほんの少数派です。長様は、その言葉を誇らしく思われるでしょう」と言った。すると、その人は毒気を抜かれたような顔をした後…少し顔を赤らめて「…失礼しました。ユリウス様は深いお考えでそのように振る舞われているのですな。これは私の短慮でありました」と言って、すぐにギフトに下ってしまったのだった。
こころに淀んでいく黒くて冷たいものは、すでにギシギシと音がするほど詰まっていた。その弾けて飛び散りそうなほど緊張しきった入れ物は、そろそろ限界だろうと自分でもわかっていた。そこへ一瞬届いた、あの鋭利な刃物。すぐに消えてしまったけれど、あの「本物」の気配は鮮烈だった。
温かいお湯はもういいんです。どんなに望んでも得られない夢は、見るだけで黒くて冷たいものをこころに増やしてしまうから。だから私は、あの鋭利な刃物を…永遠に私を刺し続けてくれるあの刃を探すことに夢中になった。