321 防御無効の人 sideアルノルト
俺は楽しい帰還日を終えて再び金糸雀の里へ行った。さすがにそろそろ里も落ち着いてきたよねとマナの波から判断し、書籍店でも行ってルカやレティの喜びそうな絵本とリア先生が興味を持ちそうな本がないか見に行くつもりで歩き出した。
金糸雀では絵画などの芸術も当然盛んなので、紙媒体の本や画集というのはかなり売れるらしい。やはり映像データはやり取りが便利だけど、芸術家が本来表現したかった絶妙な色や、絵の具の盛り具合による力強さの表現とか、そういうこだわりたい部分っていうのが台無しになると言うのが芸術家たちの意見なんだそうで。
そういうところに理解の深い金糸雀一族では、上質の紙やキャンバス、筆や絵の具といった画材もものすごく多くの種類がある。俺なんかは絵を描けばルカと同程度(か、それ以下)だから、何色もある美しい色鉛筆のセットがあってもまさに猫に小判。
猫と言えば、ルカと一緒にナニー猫のピーチを見ながら絵を描いた時にはエライ目にあった。ルカの絵を見たコンラートさんは「お…?トラか…?」と惜しい意見を出し、ルカに「ねこしゃんだもん!」と怒られていた。そして俺の絵を見て「…強そうなアメーバだな…?」と言い、俺がルカのマネをして「猫さんだもん!」と怒ったら、爆笑したあげく「おーい、みんな来い!ここにアルノルト画伯がいるぜ!」と展覧会をされてしまった。それ以来俺がペンを持っていると勉強中にもかかわらず「画伯、猫さん描いてくれ」とからかわれるようになりました。
悔しいので請われるたびに平然と「猫」「天使」「熊」を描いたら、「トゲトゲアメーバ」「腐った死体」「アメーバが立った」とタイトルを勝手に変えられた。そのあげく「アルノルト画伯様の最新芸術だ!」と言っては二代目グラオ王子と同じ額縁に入れられて数日間一階の壁に飾られる。皆の娯楽になったなら、それでいいですよ、もう。
まあ、そんな訳で。俺は素晴らしい芸術家が作り出す素晴らしい芸術が見られたり聞けたりすれば感動できるし、それでいいんです!いいじゃないですか、綺麗なマナを見放題で育ってるから、綺麗な物には敏感ですよっ!
つい絵について思い出すとコンラートさんの爆笑を思い出してムムゥと口を尖らせたくなるけど、やっぱり金糸雀の里にいる画家はとんでもない才能の人たちばかりだ。道端でサラサラと目の前の人そっくりの似顔絵を描いたり、まるで映像記憶みたいな写実的な絵を色鉛筆だけで描いていたり。ほんと、どういう脳の中身なんだかなあって感心しちゃって溜息しかでない。
そんな風にいろんなところでオオ!とかすげー!とか思いながら歩いていると、その画家さんや道で演奏していた人たちのマナから『アルノルトじゃないか!』という波が来るので、思わずにっこりして会釈する。そうすると相手も、特に話さないけどにっこり笑って会釈してくれる。…なんだこれ、なんかすごく心があったかい。
知らず笑顔になって歩いていると、「お、アルじゃないか!ご機嫌だなあ?」とミハイルさんに話しかけられた。ちょうど俺が入ろうとしていた書籍店から出てきて、本を何冊も持っている。
「ミハイルさんこんにちは!えへへ、里の人がみんなあったかいからさ、なんだかニヤニヤしちゃって…あれ、この本もしかして」
「おー、例の『こうぎょく』さ…いま里にある分は回収して、新しい挿絵のものと交換していってるんだ」
「え、そこまでしてくれたんですか!?なんかすみません…」
「いいってことよ、当たり前だ。これが新しい挿絵の本さ、これなら紅玉サマにも申し訳が立つだろ!」
見せてもらった新しい挿絵の『こうぎょく』は、まるでヴェールマランの宮廷衣装でも着ているかのようなキラキラしい衣裳で、キリリとした太ましい眉毛に、バサバサのまつ毛、目には星、そして白い歯がキラリと光っている。
…どこかで見たな…ああ、男子学舎の演劇部部長さんに似てるんだ…
「これなら男の子だけじゃなくて女の子も喜んで読んでくれるだろ。これですげぇ魔法をドッカンドッカン撃つんだからな、女の子は惚れるぜ!」
「そ…そう…ですね、あはは…」
ミロスラーヴァさんによって落とされた「改稿地獄」を味わった直後!というような憔悴した笑顔を見せるミハイルさんに、俺はこれ以上何も言えないと口を閉ざした。
…ごめん、ヘルゲさん…
*****
書籍店でたっぷり絵本や歴史書を吟味した後、数冊を買って宿へ戻る。今日も一階の食堂は賑やかで、笑って会釈してからお昼ごはんを食べる。すっかりこの宿では代わる代わる誰かが演奏しに来ることが定番になったらしく、いつもいい気分で食事することができる場所になっていた。
食事を済ませて午後は広報部へ。俺はまずバーニーさんに政治関係の話を聞いたり、エドワードさんが話してくれる各部族の最新ニュースを聞いた後でダンさんが整理する映像記憶の編集作業を見せてもらう。ダンさんの視線の持って行き方、光が当たる方向に気を配って、最高の映像が撮れるように調整する手腕には恐れ入ってしまう。「至高」が見たいのなら自分の技術も「至高」じゃないとね、と当たり前のように言うダンさん。こうやって見させてもらえているから、一昨日の上映会での画質調整だってけっこうイイ感じに出来たと思うんだ。
ふんふん、とダンさんの技術を少しでも盗めないかな、なんて真剣に見ているとバーニーさんが呼びに来た。
「…なあ、アルノルト君は紫紺のカリスマ持ちに会ったこと、ある?」
「ないですよ!そんな機会、まったくありませんでした」
「んー…会ってみる?」
「えぇっ!?うそ、会えるんですかっ!俺、紫紺と瑠璃の同年代は専門学舎へ行ってしまうから留学はできないって言われて諦めてたんだ…」
「まあ、同年代ってほどでもないが。金糸雀支部が急にいい情報を取ってこれるようになって、特にベティの歌劇団の記事なんかは反響がすごいんだ。歌劇場は連日満員だし、中央の歌劇場でも公演をしてくれないかというオファーが来はじめているらしい。でな、中枢の若いカリスマ持ちの一人が、金糸雀支部の視察に来るってことになってな。…俺も一度だけ会ったことがある人なんだけど…無理強いはしない、かなり強力なカリスマ持ちだからな。俺はアルノルト君が取り込まれないかが心配なんだ」
「…そんなに、強力なんですか?えっと、魔法じゃないんですよね」
「ああ、会えば分かる。…なあ、紫紺の長様の為にこんなにたくさんの部族が動くってのはどういうことかわかるか?力で押さえつけている印象を受けるだろうが、ほとんどの場合はそうじゃない。長様に惚れこんだ周囲の人物が、勝手に長様の望むように動こうとするんだ。つまり、カリスマ持ちってのは…どうしようもなく魅力的なんだよ。その魅力は千差万別。民衆を導く、頼りがいという魅力とか…残虐さや冷酷さの魅力だったこともある。どうしようもなく弱くて守りたくなったり、どうしようもなく温かい人柄の魅力だったこともあるのさ。これに憑りつかれたら、きっと…この里で何があったのか、アルノルト君は自らペラペラとしゃべり出すかもしれない」
「う…わ…俺が白縹だってわかったら、籠絡しようとするかも…ですよね」
「籠絡しようなんて、彼らは考えないと思うよ?…そんなことを思わなくても、アルノルト君が勝手に籠絡されちゃうんだ。カリスマ持ちっていうのは、そういう人々なんだ」
ゾクリ、と肌が粟立つ。
思わずヘルゲさんへ接続して、ガードに相談しちゃうくらいには、俺は怖くなった。それでも、会わないことにはどういうことなのかなんてわからない。会ってみたい…
( 紫紺はな…マナなんぞ関係ねえんだ。あいつら、悔しいけど人格者がかなりいる。白縹もな、山奥でひっそり暮らしていりゃあ宝玉狩りになんぞ遭わなかったが、たった一人…ほんとにフラリとやってきた一人のカリスマ持ちに惚れこんで、人里へ降りちまったんだ。すげえいい奴だったって話だぜ、そいつ。白縹が惚れこむくらいには気持ちの良い奴だったんだ。そして結果的に白縹は狩られることになった )
うあ…俺、会わない方が良さそうかな…
( 俺じゃヤバい。守護しかねえよアル。ニコルに接続して守護で拒絶するしか手がねえ。だが、結局お前がしっかりしねえと。心をしっかり閉じていないと、守護の拒絶が甘くなる。けっこうキツいぜ? )
俺は、明後日にやってくるという若い紫紺に会うかどうか…ヘルゲさんやアロイス先生に相談してから返事しようと思い、いったん広報部を出た。
会わなきゃ、どんな風に危険なのか…どんな風に魅力的なのかわからない。でも防御や警戒の仕方がわからないというのが今までと勝手が違う。ニコル姉ちゃんの守護しかないけど、それでさえ俺の気の持ちようで緩くなってしまうなら。
ミロスラーヴァさんのことも、グラオのことも絶対に話すわけにはいかない。
ぐっとがまんして、会わない選択肢も考慮に入れるべきだと自分に言い聞かせた。