308 閉じるな sideフィーネ
ぼくがカミルさんのミッションを手伝って戻ると、アロイスから少しだけ何かを心配しているようなマナの声が聞こえる。
『…アルノルト…いい方向へ事が進むといいな…君なら大丈夫、がんばって…』
…何かアルにあったんだろうか?つい気になって、アルの名が聞こえた瞬間に集中してしまい、アロイスに問い質してしまったが。結果、特に心配するようなことはないとアロイスは笑う。
しかしその…やはりアルの心を暴いてしまって以来、マナから人様の感情や思惑を読み取るのは、必要最低限にしているつもりなんだがね。気になって仕方ないのは、許してほしいんだよ…男性に惚れられる、もしくは男性に惚れるなどという経験はまったくゼロ、皆無なのだからね。
考えてみればぼくは、愛しいと思う者が幸せになっていくのを嬉しい気持ちでたくさん見てきた。だが、それは所詮自分以外の者の「別人の物語」を読んで幸せのおこぼれを貰っていたに過ぎないと、最近気付いたよ。
あんなにダイレクトな熱い気持ちを浴び、それでも気付かないほどの鈍感ではないつもりだ。
アルの「恋」を感じてからというもの、愛らしい天使たちへの愛情もナディヤとリアの幸せそうな様子への湧きあがる嬉しさも…まったくぼくの中で感じる幸福度合いに変わりはないのに、なぜか物足りなさがある。
ぼくにもあるのだろうか?
たった一人を愛するための「熱い気持ち」を生み出すモチベーションは、ぼくにも…あるのだろうか。
自室へ戻って、少し思案する。ぼくはアルが「俺はまだこれからだから、言う資格がなくてこの気持ちを仕舞ってた」と言うのを聞いて、調子に乗って人の心を暴いたことを大反省したけれど。では、ぼくは真剣に彼へ向き合ったのだろうか?否、ぼくは彼の恋を「刷り込み」と決めつけて、彼の心をヒナ鳥の気持ちだと思い込もうとしていた。
…彼の心を無理やり暴いたくせに、あの熱い気持ちを感じたくせに、ぼくは傲慢ではないか?
ぼくはアルをもっと知らなければならないと、彼のことを真剣に感じなければいけないと、決心した。
*****
そろそろ夕方に差しかかるかという頃、ぼくは金糸雀の里へのゲートを開いた。コンラートへ接続し、透明化して歩き出す。アルに見つかっては、彼が何かを成し遂げようと集中していることの邪魔をしてしまうと思ったからだ。更に「気配遮断」の方陣まで展開してマナの動きを隠し…敏感な金糸雀の里の人々を刺激しないように注意した。
…そこかしこで「昇仙」というマナの言葉が聞こえる。以前金糸雀の里へ来た時もそうだったが、長老様方が合唱する儀式は金糸雀の関心事のトップだ。ぼくはその時、こっそりと丘の近くの海岸で長老様方の歌を感じて「接続用の紐」を作るインスピレーションを得た。きっと昇仙という儀式が近々にあるのだろうね。
以前来た時とほとんど変わらぬ町並みに、知らず笑顔が浮かぶ。独特な弦楽器の調べに、研鑽を積んだ歌声。金糸雀の歌手は、まさに肉体全てを楽器と化しているかのように歌うのだよ。確かにカナリアの歌は凄まじい。しかし普通の歌手の声もぼくは好きさ、耳のごちそうだよ。
さて、ここでアルは何を得ているのだろうね。金糸雀の民族特性を勉強するなら街歩きでもしているか?しかし同年代と話すために学舎へ積極的に行っているとも言ってたね。…たしか金糸雀では高等学舎からは男女別のはずだ。うーん…さすがに消えて男子学舎へ侵入するというのはねえ。卑劣な覗き魔になるつもりはないよ、仕方ないから却下だね…
その時、ザワリとマナの声が一つの事象に集中するのがわかった。
『…またあの子だね』
『インナさんが大丈夫って言ってたから、まあいいんだろうけど』
『最長老様、楽しそうだ…昇仙してしまうんだから、さいごにあれくらいいいよな…』
『あの男の子、最長老様が好きで仕方ないって感じ…悲しまないといいけど。あの子、確か緑青の子よね。何も知らないのかな…』
フッと視線の集中する先には、花屋で黄色い花を見て寄り添う、仲睦まじい…
アルと、お婆さんがいた。
*****
当然だが、アルはぼくに気付かず「疲れたでしょ、抱っこさせてね」と言って軽々とお婆さん…最長老様を抱き上げる。黄色くて可愛らしい花の咲いた鉢植えを抱えた最長老様が花を見て微笑むと、それを見たアルが愛しそうに笑う。これだけ注目を浴びているにもかかわらず、二人だけの甘やかな空間には一本のヒビも入らない。二人は、お互いしか見ていなかった。
「楽しかったねえ、あんなに素晴らしいものを見たのは初めてだよ」
「あは、喜んでくれてよかったー。俺の方が嬉しくなっちゃうよ」
「ほっほ…この鉢は、インナに世話を頼もうかね…満月まではわたしの部屋に置こう。心が安らぐよ」
そんな風に話す彼らは、顔を寄せ合ってお互いのマナを絡ませ合うように心を交感させていた。
最長老様からこぼれ出る、深い深い旋律。アルの示す愛情が貴重で大切で、この子がこれからも自由につよく生きられるようにと願う、広大で深遠な愛情。静かに、深く。
そしてアルは、いつもの音楽ではなかった。楽しげで軽快なマーチは鳴りを潜め、この里でよく聞く弦楽器のように素朴で純粋な音色が響く。その旋律の全ては、最長老様の為に。竹林へ続く道も最長老様へしか繋がっておらず、他者も見られるようなあけっぴろげな心ではない。全ては、最長老様の、為に。
そう、認識されていないぼくには、竹林はちらりとも視えなかった…
あまりのことに愕然としていると、アルに抱っこされてぼくの目の前を通り過ぎようとした最長老様と目があった。そんなバカな、魔法はきちんとかかっている。
驚いて固まっていると、最長老様は紛れもなくぼくだけにマナで語った。
【自分だけで完結してはいかん。閉じるな、繋がれ】
ぼくは脳天を揺らされ、しばらく動くことができなかった。