302 可愛い人と sideアルノルト
「マリー姉ちゃん、夜にごめんね!あのね、お願いですから、女性が喜ぶことを教えてくださいっ!デートしたいんだけど、八十歳くらいの人なんだ!」
『…ケホッ…あ、あの、アル…落ち着いて、状況を説明してくれるかしらあ?八十歳って聞こえたんだけどお…ちょっと、アロイス大丈夫?レティを落とさないでねぇ?』
「うん、八十歳くらいの女の人!連れまわしたりムリをさせたりはしたくないんだけど、喜んでほしい~!」
俺はオスカーさんをグラオの良心として導いたという「女心の教導師」、マリー姉ちゃんを頼った。なんとか今の状況を説明すると、マリー姉ちゃんはとっても優しい顔になった。…ちなみにアロイス先生は近くで聞いていて、あまりの展開に驚いてひどくむせ込んだみたいだった。
『ふふ…アルったら…正直言って、私はビックリよぉ…既にあなたは大合格だと思うの。女は子供だろうが老いていようが、女ですもの。きちんとあなたは正解を出してるわよ。…でも、そうよねえ…そういう方には、そりゃあ一番いい想いをしてほしいわよねえ…』
「そうなんだよお。もー…フィーネもそうだけどさ、ミロスラーヴァさんも心が充足してるから欲しい物とかが無くてさあ。そうすると、どっかへデートに連れて行きたいけど、あんまり無茶させて疲れさせたくないし~…」
『んふん…そうねえ。じゃあ、空中散歩なんてどうかしらぁ。その方だけなら、守護やガードを見せてもいいんじゃないかしら?どう、アロイス?』
『うん、僕もそれはいい考えだと思うね~。高所恐怖症じゃなければ、人に見られないポイントを探してゆっくり飛んでもいいと思うよ?できれば索敵範囲の広いヘルゲに接続するのがいいかな』
「うっは、そうか!あ、あと移動魔法を使ってもいい?ミロスラーヴァさんが見たいって言う場所が離れてたら、それで移動したいんだけど」
『うん、いいよ。最長老様とのデートに関しては、グローブも移動魔法も許可します。ついでに明日のお昼ごはんも、腕によりをかけてデリバリーしてあげましょう』
「おー、さっすがあ!あ、お弁当なんだけど、インナさんの分もお願いしていいかなあ?一人で留守番させちゃうからさあ」
『もちろんいいよ。お家の座標を後で送っておいてね』
マリー姉ちゃんには、エスコートの時に気を付けるべきことをいくつも教わった。適度に休憩を入れて、女性にトイレへ行きたいと言わせるなとか。抱っこしてアルのペースでばかり移動させず、歩調を合わせてゆっくり一緒に歩けとか。…これらの注意をがっちり守って、オスカーさんはリア先生をゲットしたわけなんだね…すげーや。
こうして俺は、翌日の午前中に準備万端でミロスラーヴァさんを迎えに行った。
*****
「え?私の分の昼食まで?」
「うん、ちょっと配達に来る子に驚くかもしれないけど、白くてモチモチしたマシュマロみたいなのが来るから。何も危険なものじゃないから安心してね」
「え、ええ…ありがとうアルノルトさん。では、最長老様、楽しんできてくださいませ」
「ヒョッヒョッヒョ…インナ、あとはよろしくねえ」
俺とミロスラーヴァさんはニコニコして手を繋ぎ、ゆっくりと里の中を歩いた。きっと奇異の目で見てる人ばかりなんだろうけど、今日の俺には関係ありません。俺が見て、話すのは、大好きなミロスラーヴァさんだけだもん。
お花屋さんの前を通った時に、ミロスラーヴァさんからふわりと緩んだマナの波が漂い、思わず「ああ、そういえば家の庭にお花いっぱいあったもんねえ。どの花が好き?」と聞いた。ミロスラーヴァさんはキョトンとしてから笑い出し、「そうだねえ、一番好きなのはデイジーかねえ」と言った。
花束でも贈りたいなあって思ってるとマナを読まれて、「花束なんぞ持ってたら、荷物になってデートを楽しめんぞえ。今日は思いっきり遊ばせてくれるんじゃろ?」とウッキウキな声を出すから笑っちゃった。「それもそうか!じゃあ帰りにまた花屋さんに来ようね!」と言って、また歩き出す。可愛いなあ、ミロスラーヴァさん。
海岸まで来てからヘルゲさんに接続し、高出力索敵…うん、周りに人はいませんね!
「ミロスラーヴァさん、行ってみたい場所とか国とかってある?」
「ヒョッヒョッヒョ!!国とは大きく出たねえ!わたしはこの里が一番好きさ、どこへも行こうと思ったことはないよ。ああ、でも…海に出てみたいと思ったことはあるね。いつも目の前にあるし、感謝を捧げていたが…どれくらい広いのだろうと思うね…」
「よっし、決定!じゃあ今日は海の上を周遊コースだね。あのさ、高い所を飛んでもいい?」
「ほっほ、アルノルトは飛べるのかい?」
「うん、ちょっと仲間に力を借りればね」
「高い場所はだーいすきさ。鳥がいつも羨ましかったよ」
「おっけーい!じゃあガード、お願いしまーす」
ヴォン、と二人掛けのソファくらいの形状でガードが出てくれて、そっとミロスラーヴァさんを乗せる。俺も後ろから抱き抱えるみたいに乗って、しっかり支えた。ガードは慎重に高度を上げ、丘に隠れて里から見えない高さを維持。そのまますーっと海上へ出た。
「ほお~!こりゃ気持ちいいねえ!ヒョッヒョ!!見てごらんアルノルト、魚の群れが泳いでいるのが見えるぞえ!」
「うっはあ、すごいね!たくさんの魚の集合体なのに、何であんなに機敏に動くんだあ?」
「うーん…ちょいと、ガードさんて言ったかね?もっとたかーく上がれるかい?」
ガードは( 無邪気なバアチャンだなぁ。うっし、そろそろ里からは見えねえだろ。上がるぞー )と言って高度を上げていく。遠くに小さくなった金糸雀の里が見え、光の柱が立ち昇った丘も見えた。…やっぱり、あの丘は何もないただの草原だというのに、マナの光が一面にチラチラと揺れている。明後日の夜には、ミロスラーヴァさんはあの光の中に入ってしまうんだ…
「…なんちゅう大きさだろうねえ…わたしゃとてもちっぽけなのに、まるで世界をこの手にしたかのような景色だね…ああ…空と海と大地に抱かれているかのようだ」
「…ほんとだ。世界って大きいね…俺たちって、ちっぽけだよね…」
「なあアルノルトや。このガードさんとやら…あなた方のご先祖様じゃろ」
「…うん、そうだね。白縹のご先祖様だね」
「そうかい…歴史の流れも大きい。世界も大きい。わたしゃ、この中に還ってゆくのさ、アルノルト。本当にもう、何も恐ろしくないよ」
「…ちょっと怖かったんだね?」
「ほっほ…そうだねえ、死が怖いのではなく…無になるのではと。いくらカナリアのために必要な贄だったとしても、いくら金糸雀一族から尊敬される立場だとしても、たった一人からの深い愛は得られない一生だった。だから…たくさんの昇仙した長老の一人としか認識されずに、ミロスラーヴァという人間は忘れ去られるのじゃろうと…そう、思っておった」
「大丈夫、俺が覚えてる。絶対忘れない。忘れたくても忘れられないよ、こんな強烈な出会い方してさあ~」
俺は、泣かなかった。俺は、この愛しい愛しいお婆ちゃんをぎゅっと抱きしめて、ほんの少しの恐怖も不安も持たないでいてほしいと、それしか思わなかった。ミロスラーヴァさんは鳥の群れを見つけると「彼らと同じ高さで同じ方向へ向かうぞえ!」と叫んだり、無人島を見つけて「降りるぞえ!探検するよアルノルト!」と言って鬱蒼とした森を歩いたり…すーっごく元気で楽しそうだった。
小さな島だったのですぐ反対側へ出てしまった俺たちは、ケタケタ笑って休憩した。かなり飛び回って遊んでたみたいで、もうお昼近かったからアロイス先生に通信を入れた。
「アロイス先生、お昼をお願いしてもいいですか~?」
『お、ナイスタイミング。今からツヴァイがそっちに行くよ』
「はーい、ありがとう!いただきまーす」
「…ほうほう、通信してたのかい?ほっほっほ…まったく、あなたの仲間はとんでもなくやり手ばかりじゃな?」
「そうなんだ!すっごい人ばっかりでさー」
目の前に小さなゲートが開き、ツヴァイがピョコンと出てきた。
「おまっとさーん!はいよ、こっちがアル用のがっつり弁当な。んでこっちのレディにゃ特製弁当!消化にいいものを入れてあっからよ、よーく噛んで食べなよおじょうさん!」
「ヒョッヒョッヒョ!!ありがたくいただくよ」
「飲み物はこっちな!じゃあなアル~、きばれよぉ~」
「あはは、ありがとツヴァイ。先生たちにもよろしく言っておいてねー」
打ち寄せる波と、視界いっぱいに拡がる大海原を見ながらお弁当を一緒に食べる。ミロスラーヴァさんはとてもおいしいと言って、たぶん彼女にしては勢いよくモニュモニュと食べていく。「あんまり急いで食べちゃだめだよー」って心配して言ったら「アルはこんなすごい料理人が仲間にいるのかい、おいしくて手が止まらないよ」と目をキラキラさせる。
ミロスラーヴァさんはいろんな話をする。小さな頃から『紡ぐ喉』が顕現していて、次期長老は決まったも同然と言われて育った。初恋は隣の家に住んでいた、絵描きのお兄さんだった。すぐにそのお兄さんは綺麗な舞踊家のお姉さんと結婚してしまい、周囲に恋をしていたと知られないように海沿いにある洞窟へ行って泣いた。
長として認められたのは16歳の時だった。それからは儚く散った恋の思い出だけを抱えて、毎日歌った。歴史を大河から受け取り、マナに乗せて語る。丘へ行ってはタラニスへ祈り、大河への感謝を捧げ、マナをたっぷり乗せるように歌を紡ぐ。
大気よ震えろ、この祈りよ空の神へ届けと、心をむき出しにして歌う。
「アルノルトや、あなたの心がそんなにむき出しなのは、まるでマナの大河と同化して祈るわたしらカナリアとそっくりだ。あなた方は深淵…と言ったかね?死んでその輪廻の流れに乗りたいのなら、そんなに開け放してはいかん…きっと、あなたの大事な場所へ縛られて、ただマナの波を感じるモノになってしまう。自由に生きるんだよアルノルト。留まってはいかん。あの大きな大河に乗って、あなたの優しい心を未来へ持って行くんだ。心の時間を、止めてはいかん」
「…うん、わかった。ちゃんと、戸締りする。…でも、大切なひとには開けてもいいでしょ?」
「ほっほ…そうじゃなあ。愛しいおなごになら全開放してええんでないのかい」
「そっか、じゃあミロスラーヴァさんには全開放だね」
「ヒョッヒョッヒョ!こりゃ惚れこまれたもんだ、女冥利に尽きるねえ」
食休みも充分だね、と思って移動魔法で海岸へ戻った。また手を繋いでゆっくり歩き、帰りに花屋さんでデイジーの鉢植えを買う。金糸雀色のかわいい花だった。「疲れたでしょ?抱っこさせてね」と言ってヒョイっと持ち上げると、ミロスラーヴァさんはまたケタケタ笑う。「まったく、いい男と出会ったもんだ」と上機嫌で言うから、俺も嬉しくなった。
家に戻ると、インナさんが笑顔で「お帰りなさい、最長老様、アルノルトさん」と出迎えてくれた。お弁当がとてもおいしかったと喜んでくれていて、アロイス先生に伝えてあげようって思う。ミロスラーヴァさんをきゅっと抱きしめて、「また明日ね~!」と言って宿へ戻った。
おかみさんは「おかえり!」と大きな声で言ってくれた後で、俺をチョイチョイと呼んだ。
「…アル君、あんたにお客が来てる。広報部の金糸雀支部の人らしいんだけどさ。何時に戻るかわからんから出直してくれって言ったんだけど…待つって言って、食堂でずっと待ってるんだ。あんた、最長老様と会ってるだろ?そのことじゃないかと思うんだよ…」
「うは…なるほど。俺も全然会ってることを隠してもいなかったしね。ありがとおかみさん。大丈夫、ミロスラーヴァさんやカナリアの…昇仙のこととか、大切なことは絶対俺から話さないからさ」
「…すまないね。あの人がどこまで知ってるかはわからんけどさ…あんたは最長老様が認めた子だ、信用してるけども。広報部はね…」
おかみさんはそう言うと「あの人だよ」と細身で猫背な…なんだかモッサリした人の背中を指さした。俺はすうっと息を吸うと、「心の戸締り」をしてから食堂へ入った。