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Three Gem - 結晶の景色 -  作者: 赤月はる
宝石の旅路
302/443

301 昇仙 sideアルノルト







俺はなるべく静かに部室を出て、さっきの子が気にしないように笑顔で挨拶しながら教員室へ向かった。なるべく丁寧にお礼を言って、普段通りに歩くよう、姿勢に神経を使いながら男子学舎を出た。…こんなに、自分の足音も聞こえないような慎重な歩き方をしたことがない。


正門を出て左へ。俺の足が知っている、昨日俺と一緒にたくさん笑って、たくさん話した小さな婆ちゃんの家へ。段々と速度が上がる歩調は、慎重さをかなぐり捨てての疾走へ変わった。


婆ちゃん。

ミロ婆ちゃん。


俺、せっかく会えたのに。フィーネと俺以外にもいた、マナの世界を重ねあわせて生きるひと。こんな言い方をして悪いけど、昨日話しててわかったのは…インナさんはまだ俺たちほどじゃないってことだった。俺はミロ婆ちゃんの話すマナの大河の話がよくわかる。ミロ婆ちゃんは俺の話すマナの波の話がよくわかる。


ミロ婆ちゃんは、マナの大河が囁く言葉を難なく受け入れて、まるで大河そのものが話してるみたい。俺やフィーネでさえ敵わない。俺たちは集中してようやくマナの話し声が聞こえるんだから。


ねえ、お願いだよミロ婆ちゃん。俺にもう少しだけ時間がほしい。俺とミロ婆ちゃんが一緒にいられる時間がほしいんだ。昇仙って何?俺、昨日話しただけじゃ足りないよ。もっと、もっと婆ちゃんに教えてほしいことがたくさんあるんだ…!



緑青で研究熱病者を避けて走っていたように、すごい速さで誰にもぶつからずに駆け抜ける俺は、またしても道行く人の視線を集めていた。…この人たちは、金糸雀の人たちは、昇仙が何だか知ってる。ミロ婆ちゃんが死んでしまうことが分かっていて、とても淋しいし悲しいんだけど、受け入れていた。


俺だって、ただ悲しくて「ヤダヤダ死んじゃヤダ」なんて思ってるわけじゃないんだ。ミロ婆ちゃんは高齢だし、寿命ってものがあるんだろ?カナリアだから、きっとマナの大河から教えられていつ死ぬかがわかるとか、そういうことなんだろ?


でもダメだ。俺は…ミロ婆ちゃんの心と、もっと…触れ合っていたいんだよ。俺の気持ち一つでミロ婆ちゃんの寿命が延びるなら、いくらでも願うから。だから、俺に…時間をください…っ






*****





息を切らしてミロ婆ちゃんの家に着いた。扉をコンコンと叩いて「…ッハ、ハア、ミロ…ッハア、ばあちゃ…」と呼ぶ。もしかして出かけているかなと思ったら、家の脇にある花壇の影からインナさんが顔を出した。



「まあ…最長老様が言うから見に来たら…本当にアルノルトさんじゃないですか。どうしたんです、そんなに息を切らして。さ、どうぞ。最長老様はいまお庭にいます」


「ッハ…ッハ…すみませ…おじゃま、します…」



庭へ回ると、いろんなハーブや花に囲まれているミロ婆ちゃんがくしゃりと笑った。マナの大河に早速俺のことを聞いたのかもしれない。開口一番に俺の思っていたことを言い当てた。



「…ほっほ…誰かから昇仙のことを聞いたのかい。まったく、あなたは優しすぎるし感じすぎる。…どれ、ここへおいで。婆が汗を拭いてやろう」


「ミロ婆ちゃん、昇仙って何?…いつなの?」


「んー、そうだねえ。一言で説明するのは難しいねえ。だが、時期は次の満月だよ」


「…は?満月?あと数日じゃん…4日?5日くらいだっけ?」


「…アルノルトさん、3日後です」



インナさんの言葉を聞いて、足の力が抜ける。ヘタヘタと座り込み、ミロ婆ちゃんを穴があくほど見つめた。俺、なんで旅の最初に金糸雀へ来なかったんだろう。どうして。どうして…こんなギリギリになって出会ったんだ?ぐるぐると後悔が渦巻く俺の頭を、ミロ婆ちゃんは優しく撫でる。



「…アルノルト、昨日も言っただろうに。わたしゃあなたに会えて感謝しとる。ギリギリでもなんでも、あなたはわたしに出会ってくれただろ?…昇仙はねえ、カナリアのひとつの在り様なのさ。素質ありと認められたカナリアはね、マナを伴侶として一生を大河に捧げるんだ」


「…へ?インナさんはひ孫なんでしょ」


「ひょっひょっひょ…デボラ殿とあなたの関係と同じさ。血は繋がっておらんよ。年齢的にひ孫と対外的に言っておるが…インナはわたしの跡を継ぐカナリアの次期長だ」


「…最長老様、日が陰ってきました。お体に障りますから、中へ」



インナさんは俺も促して、昨日の部屋へミロ婆ちゃんと入っていった。





*****





ミロ婆ちゃんは、ゆっくり静かに話しはじめた。


金糸雀では昔から稀有な才能を持つ者が二つ目の声帯である『紡ぐ喉』を持って生まれてくる。だが恋をして結婚し、子供を産むと紡ぐ喉が潰れてしまい、結果的に貴重なカナリアが一人減る。それでもカナリアが多く生まれることもあるので、特に恋愛が禁止されていたわけではなかった。


他にも紡ぐ喉が潰れてしまう制約はあり、マナの大河から授かった真の歴史を捻じ曲げて語ったり、人を陥れようとして、悪意からいらぬ真実を暴露したりすると潰れるんだ。


ある時、金糸雀の里にカナリアが三人しかいなくなるという未曽有の危機があった。それは大戦乱時代の初期、紫紺の攻撃を受けて多くのカナリアが攫われ、何も知らない紫紺の者が美しい声で歌う小鳥だとでも言うように愛人として囲った結果だった。


攫われたカナリアは悲しみと憎悪のあまり、真実の歌を編み出すに至ったという。真に愛する者へ歌えば永遠の幸せを。愛のない者へ歌えば永遠の苦しみを。自らの魂を犠牲にして、多くの紫紺を奈落へ引きずり込んだそうだ。


これを知った三人のカナリアは決心した。次代のカナリアが生まれてくるまで、私たちは恋をしない、攫われたカナリアの無念を無駄にはしない、と。その時にカナリアへ男が触れることは不敬とする空気が出来上がったのだという。この三人のカナリアは結局、老いて死ぬまで独身を貫いた。その時に、初めてカナリアたちは昇仙という現象を目の当たりにする。




マナの大河と「紡ぐ喉」を通して触れ合い続け、従来のカナリアが経験したこともないほど長期間に渡って歌い続けた結果は、マナの大河とほとんど同化した自らの体だった。三人のうち、一番最初に死期を悟ったカナリアは言った。「…私のことは仙人にでもなったと言っておきなさい。これからも皆を見守っているから」と言い残し、満月の夜に死んだ。


海と里が一番良く見える丘の上で。自分の家に伝わる刺繍をふんだんにあしらった花嫁衣裳を着た老カナリアは、あぐらをかいて背筋を伸ばしたまま、まるで石化したかのように無機質になっていく。そして景色へ溶け込むように消えていき、そこにはカナリアにしか視ることのできない「歌うマナ」が鎮座していた。昇仙した魂は丘で歌い続け、自然への祈りがより力強くなる。




それから、大戦乱時代中期になった頃には「カナリアは昇仙をするべき」という風潮が強まった。恋愛は禁止され、男性との接触はなるべく絶つ。しかし元々が自由を愛する気質の金糸雀だ。反発して里を飛び出し、自分だけの愛する人を見つけようとするカナリアもいた。…ベルカントは、まさにこの時期にヨアキムさんと出会い、一生に一度と思い定めた恋をした。ベルカントの他にも、禁断の恋だと糾弾されたり、密かに想い合っていた男性との仲を引き裂かれるなどの哀しい話は後を絶たなかったと言う。


あまりにエスカレートしたカナリアを縛り付ける掟に、やっと妥協案とでもいうべき決まりとして生まれたのが「長老」という制度だった。カナリアの中でもマナへの感受性が強い者が候補となり、更に本人が納得すればたった一人の「次期長老」として側付きになる。だからインナさんは、ミロ婆ちゃんのそばにいるたった一人。


「長老様方が歌っている」と最初にインナさんが言っていたけど、昇仙した歴代の長老様方の魂のことを指しており、実際にたくさんいるのだと思っていた長老様は…生存しているのはミロ婆ちゃんだけだった。あの光の柱の中心で歌っていたのは、ミロ婆ちゃん一人だったんだ…





*****





「アルノルトや。あなたが良ければ、この婆の最期をインナと一緒に看取ってはくれないかねえ?本当はインナだけが丘で立ち会うんだが、わたしゃあなたにも居てほしい。ご先祖様も、良ければ見送ってほしいもんだ」


「…いいの?インナさんも、俺がいていいの?」


「ええ、私はもちろんかまいません。最長老様のお望みはなるべく叶えたい。金糸雀の為に…他のカナリアが幸せに生きる為に、一生を贄として捧げて来られたのです。いいではないですか、これくらいワガママ言っても…ねえ、最長老様」


「ヒョッヒョッヒョ…さすがにインナはよーく分かってるねえ」


「うん、わかった。俺、ミロ婆ちゃんを見送る。…あのさ、満月まで俺、ここに毎日来てもいい?何か準備とかあったら、ジャマになる?」


「いいえ、もう最長老様のお衣裳もできていますし。心を安らかに過ごすこと以外、何もありませんよ」


「ほっほ…そういうことじゃな。しかし、昇仙の際に婆が花嫁衣裳を着るなんぞという風習…最悪じゃな…それだけはご先祖様を恨むぞえ…」


「えぇ~、俺は見たいよ!ミロ婆ちゃんの家の刺繍なんだよね?絶対見たい!」


「ヒョッヒョッヒョ!まったく、アルノルトはわたしを抱っこするわ花嫁衣裳を見たいと言うわ…そんなのはあなたの恋人にやっておやりよ」


「ぶー…俺はいま片想い中なんですう~…いいよ、そんじゃ俺は三日間ミロスラーヴァさんの即席恋人だ。抱っこでもデートでもしちゃうよ!」


「ちょ…アルノルトさん…!?」


「ブーッヒャッヒャッヒャ!!インナ、羨ましかろー?婆に恋人ができたぞ」


「んもう…最長老様、ずるいですよ?最後の最後で後継者にそんな思いをおさせになるなんて。アルノルトさん、私が昇仙することになったらご連絡しますからね。まだ生きていらっしゃったら私もお願いします!」


「あっは、了解しましたー!お姫様のエスコートはお任せくださーい」



俺たちは、三人でケラケラと笑った。

三日後の満月の夜に死んでしまう予定の人を囲んで、涙ではなく笑顔でいられるのはとても不思議だった。






  

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