295 光る竹 sideフィーネ
アルが旅立ってからはぼくに平穏な日々が続いている。…こう言うとぼくがアルを疫病神のように思っていると誤解されてしまうね。いやいや、そうではないのだよ。【疑似荷物】になるでもなく、アルが何か不安になってしまわないかと心配してしまう日々ではなくなったというだけでね。アルがいるととても賑やかだし楽しいし、かわいい弟分が楽しそうにしているのは姉としても嬉しい限りなのだ。
アルは突き抜けてからというもの、心の中が対外的に丸見えになっている状態がデフォルトになってしまった。ちなみに、ぼくはこういう人物は見たことがない。犯罪捜査などに関っていると、余計にアルの異様な状況がわかる。犯罪者は自分のやっていることが「悪いこと」だとわかっていればいるほど心がギシギシと固まり、心の中を見せまいと頑なになる。そして柔軟に考えられないから心にたくさんのヒビが出来て、そこからひどい匂いや味が漏れ出てくるのだよ。普通の人々だって、秘密の一つや二つはあるのだから、心を見せまいとする殻はあるものだ。
だのに、本当にアルは…こんなに柔軟な心と思考を持ちながらも、心の中から清々しい竹のような香りと味わいのマナが溢れだす。そして「俺はみんなと楽しく過ごしたい」、「自分はこうありたい」という表面を形作るマナが楽しいマーチを奏で始める。
ぼくがいつも見たり聞いたりしているマナの個人情報というのは、この「自分はこうありたい」という表面を…取り繕う、と言っては語弊があるが、要するに他者へ見せている自分という仮面は誰にでもあるわけで、その部分を感じているのだが。
アルはこんなに心をあけっぴろげにして大丈夫なのかね?誰かに酷い言葉を吐かれたら、とても深く、必要以上に傷ついてしまうんじゃないのかね?と心配になっていたのが、旅立つ前。
そして旅立ってから、そういうアルを眼前にして視ることが無くなったからなのか、ぼくは以前のように周囲の皆への愛情を垂れ流す日々だ。ああ、心配事がないって素晴らしい。…むう、ぼくはアルのことも大好きなのだがね。こんな風に感じるというのはアルのことを厄介者と思っているようではないか、断じて違うよ?
*****
旅立ってから二週間が経ち、週末に元気よくアルは猫の庭へ帰ってきた。既にニコルたちや小さな愛らしい天使たちとたくさん話していて、ヴァイスから戻ったぼくらにもたくさん緑青の面白い話を聞かせてくれる。なんとまあ、得難い経験をしているのだろうと思うよ。母上のおかげで、かなり緑青の内部に入らないと経験できないような話が盛りだくさんだった。
ところがねえ、アルがおかしいのだよ。
いや、おかしいと感じているのがぼくだけなのが困ってしまうんだが…誰に聞いてもアルのマナは「静謐な竹林にかぶさるような、以前のように楽しげなマーチ」としか言わないのだがね。
アルの竹林の中に一本だけ、とても眩しくて高温の熱を宿したような立派な竹があるではないか?そこから絶えず聞こえる声があるではないか?あんなにあけっぴろげなアルの心なのに、他の皆に聞こえていないのかねえ…不思議すぎるよ。
『大きくなれ つよくなれ 高く高く 太く太く』
これは何なのだろうね…アルに直接聞いた方が早いだろうか。ぼくは翌日、アルの宿泊している部屋を訪ねた。
「アル、質問があるのだが…君の心の中のことなので、答えたくなければ答えなくてもいいよ」
「どしたのフィーネ?いいよー、何でも聞いて!」
「君の心は竹林なのだったね?そこにねえ、一本だけとても太くて立派な竹があって…そこから不思議な声が聞こえるのでね」
「う…!フィーネには聞こえてるのかあっ!な、何て言ってる?」
「大きくなれ、つよくなれ、高く高く、太く太く…と言っているね」
「うほあ…よかった、それだけだよね?」
「…うーん、実は聞き取れない小さな声が竹の節に閉じ込められている感じもするけれどね」
「うおおお…それ、聞こえちゃったら少し恥ずかしいかなあ…でもフィーネならいっかあ」
「?? いいのかい?その、心の中のことだし根掘り葉掘り聞く気はなかったのだよ。ただ、どうもぼくだけに聞こえたり見えたりしているようで、それが不思議でね」
「あー、そりゃそうだよね。聞こえるとしたらフィーネだけだと思うもん、指向性あると思うし」
「…指向性とはまた…アルは妙な特技をお持ちだね」
「えー、そんなに特殊なことじゃないと思うよ?あ、でもフィーネは垂れ流し型だから、指向性ってないのかなあ…いやいや、特定多数への指向性があるのかあ」
…なんだかアルは自分の心を面白い分析の仕方で把握しているようだね、緑青で研究熱でも獲得したのだろうか…気にはなるが、ぼくがこれ以上聞いてしまって良いものでもあるまい。
そう思って「参考になったよ、ありがとう」とでも言って話を打ち切ろうと思ったのだがね。
「ねえねえ、フィーネはどんな花が好き?好きな食べ物は?うーん、モノじゃなくてもいいんだけどさ、好きな景色とか好きな場所とか…」
「なんだか今日はアルが何を言いたいかがよく把握できないのだが…ぼくが愛しているのはマナと方陣と仲間だね」
「ちがうちがーう!それは俺もよーく知ってるの!そうじゃなくてね、フィーネもいろんな部族の街へ行ったんでしょ?どこの何が好きになった?」
「ふむ…?そうだねえ、やはり金糸雀の語りのマナがおいしかったかな…」
「むう…フィーネから聞き出すのって難しい…」
「おや、ぼくは何か間違った答えを言ってしまったかい?」
「んっとね、フィーネは女の子でしょ?女の子をデートに誘いたかったら、その子が好きな場所へ行ったり、好きな食べ物を食べたり、好きな物をあげたいでしょ?だから俺はフィーネが何を好きなのか知りたいんだよー」
「…そこでなぜ『だから』になるのだい…話がカッ飛んでいないかい…?」
「もー、フィーネは自分のこと女の子だと思ってないんでしょー。俺、知ってるよ?『性別など関係ない、自分の大切な人間がぼくの宝物だ』っていっつも思ってるもんね。俺もその考えは賛成。だけどさあ、俺から見るとフィーネはどっからどう見ても女の子だもん。みんなが大切で愛情たっぷりなのはいいけど、人間て『たった一人の特別な愛情』が何より嬉しいってこともフィーネは知ってるでしょ?」
「う…うむ、確かにそれはそうだね、ナディヤもリアもたった一人を見つけて幸せになっているね。しかしぼくも阿呆ではないので、自分が生物学的に女性だというのはよく知っているのだが…そ、その…アルがなぜそんなに熱く”女の子”を強調するのかが理解不能なのだよ…」
「うほー…フィーネって…意外とおバカ…」
「な…っ!アル、それはひどくないかい?確かにいまアルが何を言いたいのか把握できていないのは認めるが、アルがどの着地点を目指して話をしているのかがわかりにくいから悪いのではないか!?」
「うぐー…それは俺にはまだ言う資格がないんデス…せめて一年お待ちクダサイ…」
「むう…人をおバカ呼ばわりしておいて、一年もお預けとは…!」
「ゴメンナサイ」
「いやいや、許さんよアル…ぼくの知識欲を甘く見ないでくれたまえよ。君の心の秘め事だと思うから遠慮していたがねえ…こうなったらザックリバッサリ、その光輝く高熱の竹を割ってあげようではないか…!」
「えーっ!!なになに、何するつもりなのフィーネ!やめてー!」
アルは服を脱がされるのを怖がる乙女のように自分を抱き締める格好までして、フルフルと震え始めた…ふっふっふ、この方法はたぶんグラオ全員が倫理観からやっていなかったことだと思うが…
リンケージグローブを装☆着!!
アルへ接続完了!!
潜 行 開 始 だ ッ
*****
ぼくは自分の心に居た。いつも通りの深い深い蒼。清流に遊ぶ、結晶でできた魚たちが泳ぎ回る。まるでマナを酸素のように吸い、その鮮明な感触にいつでも心を震わせ、清流を踊るように跳ね飛ぶ。その魚たちのほとんどが今…隣接した竹林へ意識を向けていた。
隣接といっても、ほとんど重なり合うように存在するこの心はアルの分身だ。能力を借りているという意識から、たぶんこの禁断の方法を試した者はグラオでも皆無だろう。
ぼくは、竹林の中へ一歩踏み出した。
静謐な空気。いつもマナで感じるのと同じ、清々しい芳香。そこに…あの光り輝く極太の竹はあった。何が起こるかわからないが、ぼくはちょっと怒っているのだよ。アルは突き抜けた頃から急に何を考えているのかわからなくなった。とても心配したし、責任も感じたし、それはぼくの心の魚たちが跳ね回る元気を削ぐほどだったというのに。
あ の 態 度 は な ん な の だ 。
ぼくをおバカだとう!?目にもの見せてくれるわ!というわけで、極太の竹よ、そこへ直れ!その光る節へ隠しているものをぼくへさらけ出すが良い!
『フィーネがすき』
『フィーネは可愛い』
『フィーネを守れる男になる』
『フィーネに認められる男になる』
『フィーネに触りたい』
『フィーネがほしい』
『フィーネがすき』
『フィーネがすき』
『フィーネがすき』
…
…
…
な、
な、
な、
なんなのだこれは…
なぜにこの光る節からぼくの映像記憶が出てくるのだい。ぼくが自分を鏡で見る姿よりも非常に可愛い姿に見える。なんだこれは、アルの眼球は何か特殊フィルターでもかかっているのかい。割れた竹からは、まるで宝箱からザラザラと溢れ出る金銀財宝のように「ぼく」が溢れ出てくる。
アルの心がダイレクトにぼくの心へ流し込んでくるもの。それは「同じマナの世界を共有できる稀有な仲間」や「溺れた海で縋りつける流木」や「あたたかい理解者」といった、ぼくと出会った初期に抱いていたであろう感情を凌駕した、つよい、つよい感情。
それは、紛れもない「恋」だった。
アルは猫の庭で様々な「大きな心」に出会った。自分の小ささを実感し、しかし自分にしかない才能を伸ばせば彼らの仲間として恥じない能力になれる。そう信じて勉強していた矢先に露呈してしまった、自分の依存心…彼は怒り狂った。自分自身の甘さに、情けなさに、弱さに。自分への怒りで、彼は突き抜けたのだ。
そして彼は深淵を感じて、ルカに救われて生還し…ぼくから見るとあまりにシンプル、あまりに率直な思考を獲得する。
「毅く生きる」
現在の彼が持っている行動原理は、これに尽きていた。
深淵で死の恐怖を味わい、自分の弱さを嘆いた彼は、この思考を熱く燃やして旅に出た。その全ての目的地、終着点となっているのが…ぼくだったのだ。
生きて、つよくなって、フィーネと共にいられる自分になる。
たったそれだけの為に、アルは18歳の一年間を費やす決心をした…
*****
ダイブアウトすると、目の前には頬を赤くしたアルが手の甲で自分の口元を押さえてぼくを見ていた。
「…フィーネ、俺の心…見に行ったんでしょー…」
「うむ、見た…」
「まだこれからだから、まだ俺は全然ダメだから仕舞っといたのにー…」
「すまなかった…」
「うー…でもさあ、俺が言ってたこと、もうわかった?そしたらフィーネの好きな物教えてくれる?」
「…そこからなのかい…」
「そりゃそうだよ、女の子をデートに誘うにはそこからです!」
「むう…わかった、ちょっと考えてくるよ。そう言われればぼくには好きな物と言われてもすぐに出てこないね…」
「よろしくお願いしまーす」
「了解したよ…しかしアル、ひとこと言わせてもらうが…君は女性を見る視野が狭くはないかい…」
「あー、ヨアキムさんが言ってた刷り込みのことを心配してるの?」
「うむ…ぼくはまさにそれだと思っているのだがね…」
「そっから始まってたとしても俺の心はご覧のとおりだもん。どうしようもないよー」
「そ、そうかい…ではね…」
ぼくはアルの部屋を辞して、自分の部屋へ戻った。しばらくボンヤリして、どうしてこうなったのだ、という思いしか浮かばないね…
それにしても大変な宿題を貰ってしまったものだ…ぼくの好きな物、場所、景色に…花と言っていたかね…これは重大任務だよ、真剣に考えなければ…




