286 緑青の街② sideアルノルト
お母さんからたっぷりのお説教、それと俺のことを説明されたゲラルトさんは、正座に痺れた足でヨロヨロしながらソファへ座った。俺は改めてさっきの質問攻めに一つずつ答え、一番大事な質問には「みんな、村でとっても仲良く暮らしてます」と笑顔で返した。ゲラルトさんは「そうか…そうなのか、よかったよ…」と心底ホッとした顔をした。
ゲラルトさんのマナの波はとっても幅が広くて、分厚くて、聞こえてくるマナの言葉も、口から出てくる言葉もすっかり一致している。なんて正直な人なんだろう。お母さんがイライラしちゃう言動も、きっと知識欲に正直な言葉として出ちゃうからなんだろうなあ。とにかく俺はゲラルトさんが大好きになっちゃったんだ。
「そうか、じゃあ緑青の街を存分に見ていくといいよアル君。それとも私塾の聴講生にでもなってみるかい?君と同年代の子たちが放課後にゾロゾロ来るから、それも楽しいかもしれないよ」
「うわあ、聴講生になりたいですっ!あ、でも授業料とかどうすればいいかなぁお母さん。必要経費はグ…ヴァイスが負担してくれるってアロイス先生から聞いてるんだけど」
「あはは、そんな心配は無用だよアル。聴講生は他にもたくさんいる。初回登録から三か月以内の聴講ならば無料で緑青の人々に解放しているからね。その中に授業を理解できる人がいれば、マギ言語の適性の有無がわかるだろう?適性診断も兼ねているのでね」
「そうなんだ!やったあ…緑青の友達できるといいなあ…」
「しかしアル君はすごい適性を持っているんだったな…授業が退屈だったらいつでも私のところへ来るといいよ、たっくさん、たっくさん語り合おんぎゃ!」
「アホ親父と話すだけでアルの見識が広められるとは思えないね…アル、父さんの知識欲の餌食になりたくなければ、あまりここへは近寄るなよ?」
「あはは!でもたまには来てもいいでしょ?俺、ゲラルトさんのことすごく好きになっちゃったんだよー」
「なんと…ア、アル君、私のことはおじいちゃんと呼んでくれてもげがば!」
「アル、あまりアホ親父を調子に乗らせないでおくれよ…では父さん、私はアルを居住区へ連れて行きます。私の家へ住まわせますので、私が中央にいる間よろしく。対応ランクはSにしますが秘匿ランクはFになりますからね」
「おお、それがいいだろうね。じゃあねアル君、ほんとに何か困ったことがあったら私に言うんだよ」
「はい、ありがとうございます。お世話になります!」
所長室を出て歩き出すと、俺は気になっていたことをお母さんに質問した。
「ねぇお母さん。対応ランクと秘匿ランクってなに?」
「ああ、ここは研究所だろう?だが中央や他部族からも来客が多くてねえ。筆頭研究所なので、その来客への対応を端的にわかりやすくしているのさ。対応ランクは滞在者にどれだけ手厚く対応するかの指標。私ならここで育った者だから大体のことはわかるので、ランクが低くなる。そして秘匿ランクはここの研究内容に関してどこまで明かして良いかの指標だ。例えば中枢の偉いさんが直接ここへ来て『こういう魔法を作れないか』ってな注文をしに来たりするわけだが、魔法部へ来ない時点で胡散臭さ満点だ。こういう手合いには秘匿ランクを最高度へ上げてすっとぼけろっていうわけだね。そして、魔法部を経由した正式な客だったり、私のような身内が引き入れた者ならばどんどん秘匿ランクは下がるわけさ。ちなみにアルは…”師匠”のことも含めて緑青の秘密の最深部を最初から知っているようなものだ。なので秘匿ランクは最低のF、でもここのことをまったく知らないので対応ランクSなのさ」
「へええ…すごいねえ、きちんとシステム化されてるんだ…お母さんてやっぱりすごいお家のすごい人なんだなあ…」
「はは…まあ、緑青のトップがあんな体たらくだから、そこまで言われると逆に恥ずかしくなるぞ、アル…」
「お母さん、容赦なかったねー。でもゲラルトさんは緑青の代表として頑張ってるんでしょ、研究にばっかり没頭してるわけじゃ…」
「あのなアル。人には向き不向きというものがあるのだ。実質的に緑青の自治を舵取りしているのは『第二:アスピヴァーラ家』の所長なのだよ。フィーネが世話になっている魔法部方陣研究室のファビアンという男がそこの長男なのだがね。その父上がうちのアホ親父のフォローをしてくれている。まったく、ファビアンにも伯父上にも頭が上がらんよ…」
「伯父上?じゃあそのファビアンさんはお母さんの従兄なのかあ。あれ、でもリーさんも従兄じゃなかった?」
「ああ、リーは『第五:ヴァルタサーリ家』所長の次男だな。リーの母上がうちのアホ親父のすぐ上の姉、ファビアンの母上はそのまた上の姉なのさ。まあ大抵第一から第七までは系譜のどっかしらで血がつながってるからね、血族としての結束も強いってわけだ」
「へぇ~、すっごいなあ。白縹も結束は強いけど、どこでどんな風に血がつながってるかなんてわかんないもんなあ」
「ははは、白縹はこれから”系譜”が出来上がっていくだろうよ。特にヘルゲとニコルの系譜は、どんなすごい魔法使いが出るかわかったもんじゃない。何百年か後に”白縹の貴族”だの”白縹の開祖”だの呼ばれているかもしれんぞ?」
お母さんとそんな話をしながら居住区へ入って行き、またしてもケージに乗って「1街区1番」へと移動する。ここはゲラルトさんとお母さんの家が左右にある建物で、他の家より大きかった。右がお母さんの家。扉のすぐ横にある魔石でお母さんは俺の居住者登録を済ませると「マナ固有紋で開くからね」と言って開けてくれた。
中はもう…何ていうか広かった。たぶん猫の庭の二部屋分はあるよ…俺、最初に旅をしたいって考えてた時は野宿とかテント暮らしとかになるだろうなって本気で考えてたのに、何でこんなにリッチな滞在になってんの…
俺がポヤンと家の中を見ていると、お母さんは「すまないね、こんなだだっ広いだけの家に一人じゃ淋しくなるかな?もしここで友達ができたら、遠慮しないで家に上げても泊まらせてもいいからね?」と心配そうに言った。俺はブンブンを頭を振り、「違うよお母さん!俺、こんなに贅沢な旅でいいの?って思ってさあ!」と慌てて否定してしまった。
「ははは!まあ確かに緑青だけの待遇かもしれないね。今後他部族の街へ行ったら基本的には軍部か魔法部の支部を頼って、職員宿舎や民間の宿屋を利用することもあるかもしれない。まあいいじゃないか、アルは私の可愛い息子なのだから緑青でくらいは贅沢に過ごしたって。そうだアル、この案内用端末を触ると第一専属の案内センターへ繋がる。緑青の街の地図データもあるし、店の案内もしてもらえるし、何かわからなくて困ったら頼るといいよ。紅たちコンシェルジュみたいなものだ」
「うん、わかった!…ほんとにありがとう、お母さん。感謝してます」
「うむ、では私は魔法部へ戻るからね。…頑張りなさい、他の部族の街へ行こうと決めたらまた連絡するんだよ、すぐに手配するから」
そう言うと、お母さんは俺の肩をぽん、と叩いて家を出た。「第一」を出るまではケージで移動して正門で手続きしないとずっとお母さんがここに滞在してることになっちゃうから…正門を出てから移動魔法を使うんだな。俺はお母さんを見送り、ソファにぽすんと座った。
…もう既に頭がぐるんぐるんするよフィーネ…
未来の街みたいな緑青。
真っ白い建物が眩しい第一の中は、驚くような仕掛けで歩かずに移動できちゃう。
何百年も前の出来事を気にかけて、俺を暖かく迎えてくれたゲラルトさん。
白縹とは全く違う、血の繋がりで編み上げられた血族の結束。
連綿と続く「家」を密かに守り続ける、古い古い時代からの歴史。
ねえフィーネ、俺はまだ村から一歩出ただけなのに、こんなに新しいものを見たり聞いたりしたよ。これだけで目を回してたらダメだよなあ。
よしっ!今日あったことを記録して…今度皆に会ったらたくさん話そう。俺が感じたこと、皆に聞いてもらおう。そう思って、移動端末へ夢中になって書き込んだ。これ、猫の庭に設置されてる俺専用のサーバーへ保存されるようになってるんだ。俺の一年を、サーバーにガンガン記録していってやるぞお。
書き込みが終わって一息ついたら、ポーンと音がしてリア先生から通信授業の資料が届いた。早速見てみると、ズラリと教材がリストで出てきた。すーっげえや、リア先生…この教材、全部リア先生の手作りなんだよね。ありがたいなあ、絶対消化して、俺の糧にしなきゃ。リストの一番最後には小さい容量のものが一つあって、『グラオ通信』って題名がついていた。
『アル、無事に緑青へ着いたかしら?アルが今朝出発してからヨアキムは【拷問推奨】Tシャツのまま一階をウロウロするし、フィーネはミニーネを睨みつけてるし、アロイスとナディヤは厨房で何かコソコソやってるし、ヘルゲはパティオの壁に”アルの移動経路”なんていう地図データを投射するしで、みーんなアホになってるわ!また皆がどんなアホっぽいことしたかを知らせるから楽しみにしてなさいね。 リア』
ぶは!と俺は噴き出しちゃって、たくさん笑った。涙目になってるのは笑い過ぎたからだよ。泣いてなんていないよ、初日なんだからさ。
そうだ、お腹すいたし喉が乾いたな。
ここでの食事は案内センターへお願いすれば、俺が対応ランクSなので第一で用意したものを届けてくれるんだって。何が来るのかなあって思って案内端末に触ろうとした時だ。
リビングでマナが震えたので「え?」と思いながら振り返ると、移動魔法のゲートが小さ目に開いた。ヒョイっと白いマシュマロが出てきて…
「いよう、おまっとさーんアル坊!アロイスとナディヤから伝言だよっ!”今日は特別に押し付け弁当。これから食事に困ったり僕らのごはんが食べたくなったらいつでもご注文をどうぞ”だってよ~!」
「うわあ、もしかしてフュンフ?しゃべれるようになったんだ?」
「おーう、システムマスターがちょちょいっと改造してくれてなぁ。音声データはコンラートなんだぜ~、コンラート、すっげえイヤそうな顔してるぜ~」
「ぶあっは!すっごい想像できるよ~!ありがとフュンフ、皆にも俺はすっごく絶好調で快適に過ごしてますって伝えてくれる?」
「がってんしょうち!じゃあな、よーく噛んで食べろよ~」
「うん、味わって食べまーす」
フュンフが帰って、俺はうきうきしてお弁当を開けた。うは、これナディヤ姉ちゃんだよ絶対!俺の大好物の五目炊き込みごはんに、海苔で「がんばって」だって。も~…皆、過保護だってばあ。甘い卵焼きもあって、一番最初にそれを食べた。甘いはずなのに、少ししょっぱい味もする。なぜか視界もユラユラ揺れてる。くっそー、俺は初日から泣いてなんてなーい!!




