24 深淵の界渡り sideヘルゲ
三人でじいさんの木に向かい、ひた、と手を当てる。
万が一昏倒すると危ないので、座って、ニコルを真ん中にして、並列思考に警戒させておく。
「俺が『侵入』すると、異物感で気分が悪くなるかもしれん。がまんしないで、その時はダイブアウトしろよ?」
「りょーかい。まあ、ヘルゲだってわかってるんだから、そんなことにはならないだろ。大丈夫だって。ねえ、ニコル?」
「うん!ヘルゲお兄ちゃんだもん、いらっしゃいませーっておでむかえできるよ~?」
くく…お出迎え、ね。
俺は蛇女が入ってた時、気分悪くて仕方なかったけどな。
…受け入れられてると、こんなに違うんだな。
「よし、行くぞ」
「「おー!」」
防諜方陣、遮光方陣、問題ないな。
警戒方陣のレベルもMAXにして、一応索敵もしておくか…よし、問題なし。
精神防壁を少し厚めにしようかと思ったが、これから潜るのはニコルとアロイスの中だ。
あまり異物感を煽ってもまずいからな。「俺のまま」、行ってみようじゃないか。
潜行開始。
…おお、じいさんがいる…さすがだな、本当に「お出迎え」じゃないか。
よし、行くか。
小さな光についていく。
ランタンみたいだな。
だんだん、紅い光が薄暗くなって、満天の星空みたいになった。
いや…天どころじゃないな。天も地も、上下左右すべて…天の川の中を歩くと、こんな感じなのだろうか…
いかん、集中しないと見失ってしまいそうだ。
ゆらゆら、ゆらゆら
ニコルの小さな光を追って、一歩ずつ進む。
すごいな、この無数の星の中から、俺とアロイスを見つけたのか?
お前は、ほんとに、すごいな。
ランタンが瞬く。
水色の光が見えてくる。
だんだん大きくなって、眼前にまぶしいくらいの、でも優しい水色の光る波紋が同心円状に拡がる。
トゥン…ティン…と、俺の指が触れたところから、音楽みたいな水が湧き出る。
思い切って手のひらで触ると、波紋のむこうで同じように手のひらがあるのを感じる。
ぶわん、と湧水の幕が合わさった手のひらを中心に開けた。
「やあ、よく来たね、ヘルゲ?」
アロイスが笑った。
…こんなにスムーズでいいのか?
俺はあっけなくアロイスの中へ入り、アロイスが作ってあった部屋の一つに鍵を取り付け、俺とのバイパスは入念に隠蔽作業を施した。
ついでに「土産だ」といって、さっきの深淵の映像記憶のコピーを渡してやった。
もう一本、バイパスを取り付ける。
今度はアロイス・ニコル間の通路だ。
ランタンがまた、ゆらゆらと先導する。
「いってらっしゃーい、気をつけてねー」
…力が抜けるってんだよ、やめろ…
ランタンが楽しそうに瞬く。
音楽が湧く水の幕を超え、また天の川を歩く。
ゆらゆら、ゆらゆら。
でもさっきよりも嬉しそうに見えるのはなんでだろう。
…ああ、そりゃニコルのとこに向かってるんだもんな、嬉しいか。
ん?ちょっと違う?…意志の疎通ができたのか…で、なんだ?
…なるほどな。
俺とアロイスを探しながら、ニコルを「維持」するのが大変だったのか。
これからは、どうだ?バイパスが繋がれば、お前はニコルに集中できるか?
…そうか、なら、良かった。
そんなに小さくなるまで、ギリギリまで力を割り振って、俺たちを探してくれたのか。
…助かったよ、ありがとう。お前のおかげだよ。ニコルの作業が終わったら、道案内はもういいぞ。自分の在る方向くらいなら、わかるからな。
あとは、任せておけ。力を取り戻して、ニコルを導いてやってくれ。
ふるる、とランタンが嬉しそうに震えた。
緑の大海原が見えてくると、ランタンはすうっとそちらに吸い込まれていった。
あいかわらず、ばかでかいな。
そんな風に思っていたら、向こうからランタンに先導されたニコルが、飛ぶように海面を駆けてくる。
「ヘルゲお兄ちゃーん!うはー、ほんとに来てくれた!すっごーい!いらっしゃいませー!」
…アロイスどころじゃない大歓迎だな、でも壁が無かったんだが…?
俺は、いつのまにニコルに入ってたんだ。驚いたな…
あ、俺が俺から出てくる時も、壁がなかったっけな。
そういうもんなのか。わからん。
ニコルが大興奮している。
「あのねえ、おじいちゃんが『ちょっと待ってて』って言うから、少しだけさびしかったけど、待ってたよ!そしたら、ほんとうにすこしでヘルゲお兄ちゃん来てくれた!うれしいなー!」
何?
「…そんなに少ししか経ってないか?結構待たせてしまったと思うんだが…」
「? ぜーんぜん!ダイブしてから少しだけだよ??」
俺、深淵の中で年取るかと思うくらい歩いた気がしてたんだがな…
体感時間と実際の経過時間に、相当差があるな。
まあ、いいか。待たせるよりマシだ。
「よし、ニコル。どこか空いてる部屋、あるか?」
「うん、あるよ!あー…でも、ちょっと待って?あんまり片付いて、ないの…」
恥ずかしそうに、しょぼんとニコルが俯く。
かわいそうに、お前のせいじゃない。誰のせいでもない。
これからはもう、大丈夫だから、元気だせ。
すっと、ランタンが揺らめいた。
驚くニコルに語りかけ、ニコルは小さな光を胸に抱きしめる。
ふわっと光が広がると、そこは海ではなく、エメラルドグリーンの、大草原になっていった。
どこまでも、どこまでも続く草原。遠くにじいさんの木が見える。
ニコルの足が、地についた瞬間だった。
「ふわあああ!え?なんでぇ?あ!あれこの前わたしがつくった部屋だ!ヘルゲお兄ちゃん、こっちだよー!」
なるほどな。俺たちを探すために放出してた力が必要なくなって、世界の構築に手が回るようになったのか。
本来ニコルの世界は、こんな大草原だったのか…ああ、風が気持ちいいな。
俺はゆっくり歩き出し、ニコルの部屋にアロイスのバイパスを繋げた。
「よし、鍵も付けた。問題ない。じゃあ、今度は俺との通路を繋ぎに行くからな。また、あとでな、ニコル」
頭を撫でてやると、「にへへ…」と心底嬉しそうな表情を浮かべるニコル。
胸には、大事そうに、少し大きくなった光を抱いている。
「じいさんもな。また、話そう」
ふるる、と楽しそうに瞬くと、俺の世界の方向へふうっと少し動き、またニコルの胸に戻った。
「おう、じゃあな」
「いってらっしゃーい、ヘルゲお兄ちゃん!あとでねぇ!気をつけてねぇ!」
…くくっあの二人、同じこと言ってるぞ。
案外、本物の兄妹なんじゃないのか。
そして一人で深淵を歩く。
俺の世界の方向は、じいさんの残留思念の気配もあって、ハッキリ感じ取れる。
マーキングでもしといてくれたのか?どちらにせよ、助かるな。
こんな、浮いてるか沈んでるかもわからない天の川に命綱もなく飛び込んだら、そりゃ帰れないよな。でも俺は、なんでこんなに安心してるのだろう。
ああ、俺は命綱が二本もあるんだった。
すごい安定感だな。
そして俺は紅くなめらかな自分の世界に帰りつき、滑るような航跡の、三角形の「界渡り」を終えた。
…でも、もう深淵を歩くのはごめんだ…一気に年取った気分になるな。
ダイブアウトしたら、二人は嬉々として「ついさっき」の出来事を話してる。
楽しそうだな、おい…
すると、俺がダイブアウトしたのに気付いて、二人揃って元気に言った。
「「おかえりぃ~!」」
「…おう、ただいま」
…ほんとに、こいつら本物の兄妹なんじゃないのか?