218 白い羽根 sideヘルゲ
「…これはまた…ナハトの言った”癒着”というのを甘く見ていたね…」
そう母さんは呟くと、ふうと溜息をついた。
ただでさえ魂を喰らう禁断の心理魔法の翻訳だ、少し休んでくれと言うと「そうさせてもらおうかな」と素直にソファの方へ行った。
ナハトには、翻訳した一般言語の構文があったが…なぜか二種類ある。
A
我に捧げよ 我に堕ちよ 漆黒の腕がお前を攫う
お前を散らそう お前を砕こう お前は闇しか目にできぬ
魂は獣の餌に
魂は蟲の褥に
魂は汚泥の底に
B
あなたを愛している あなたを愛している
あなたがあまりに愛しいから 私はあなたを縛りたい
あなたを愛している あなたを愛している
あなたがあまりに愛しいから 私はあなたを殺したい
「…母さん、これは…」
「…最初のが魂喰だと思う。次のは…ヘルゲがヨアキムから聞いた呪詛の歌なのではないかと思う。なんとか分離してみたが…絡まり合っていたよ。『あなたを我に捧げよ、愛している』という風にね…まるで難解なパズルだった」
「となると、魂もかなり癒着していると見てよさそうだな」
「ああ。どうやってこの忌々しいやつをぶっ殺してやろうか…っ」
母さんは珍しく、かなりイライラした様子だった。それはそうだろう、敬愛する祖先がこんな禍々しいものに縛られているんだ。それに…この真っ黒い気配に中てられているんだろうな。俺は黙って母さんに紅茶を淹れたカップを差し出した。
「…ありがとうヘルゲ。すまない、ちょっと…疲れたな」
「そういえば母さん、ヨアキムと一晩中話してたって言ってたな?ダメだ、寝て来てくれ。つい夢中になって解析に入ってしまったが…気が利かなかった…すまん」
「はは、それは私がいけないんだよ。私もついね、興奮してしまった。じゃあ隣の部屋を借りるよ、寝てくる」
母さんはそう言うと、ふらりとした足取りで出て行こうとするので隣の部屋まで付き添った。あくびをしながら母さんは「おやすみ、ヘルゲ。…お前も無理はするな」と言い、すぐ寝息を立て始めた。…俺などよりもっとヨアキムの解放を願っているはずの母さんは、うっすらと目の下にクマができていた。
俺は正直驚嘆していた。
俺がヨアキムと話している間に、ヨアキムは同時進行でセンテンスのコピーをナハトへ送り、母さんはそれを見ながら手作業でスタンドアロン端末へ移し替えてはパーテーションで区切る作業をしていた。
確かに俺は結構長い時間ヨアキムと話していたとは思うが、話し終えて少し考えに没頭し…母さんのところへ戻ってきたら、翻訳と歌の分離が終わっていたんだ。しかも俺がカナリアの呪詛の歌のことを言う前に、二つの文が絡まり合っていると直感で判断して分離された後だったんだからな…
母さん、あなたはなんて…すごい人なんだ。
*****
『真実の歌とは祝福の歌、対象者を真の幸福へ導くための命を懸けた歌』
二番目の翻訳が、その真実の歌が失敗した時に発動する呪詛なのか。相手を真の幸福へ導く歌…愛する相手に捧げる祝福の筈が、何かを間違えると、何かを失敗すると、相手を縛って殺してしまう?
祝福と呪詛。きっと愛しているのは変わらないのに、何を間違えると殺すことになってしまうんだ?こんなに絡まりあった呪詛の歌と魂喰、そしてヨアキムの魂…分離など…可能なんだろうか。
並列コアはまだ事象の欠片を掴み切れていないようだ…何が足りないんだろう。俺の中のモノだけでは、足りないのか。
( マスタ~、そういう時こそ仲間だっつーたろうがよ。お前まだ学習が足りねえよ~ )
「…お前の言い方は気に入らないが…くそ、確かにその通りだった…」
俺は一階に降りて行った。アロイス、オスカー、カイ、ユッテがいる。他のやつらはどこに行ったんだろう。
「あれ、ヘルゲ。解析の息抜きかい?」
「いや…皆に見てもらいたいものがあってな。…随分といないな?フィーネは?」
「いっひっひ~、ヨアキムの肉体改造…じゃなかった、肉体製造計画始動だよヘルゲ兄!すっごいことになるし~」
「…お前らそれ、神の領域ってやつじゃないのか…」
「あー、違うよヘルゲ兄。ユッテが面白おかしく言っちゃってるだけだ。パピィとハイデマリーさんの”影”でどうにかなりそうなんだよ。カミル兄とアルマはパペットを調達しに行った。他はハイデマリーさんの魔法改造に付き添ってる」
「オスカー…お前がここにいてくれてよかった」
「オスカー…せっかくヘルゲ兄をダマせそうだったのに…」
「「ダマすな」」
「で?ヘルゲは何を見せに来たんだい?」
「…ああ…これがな、魂喰と呪詛の歌の翻訳なんだ」
「へえ…!って、うわあ…えげつないね、さすが心理攻撃魔法…」
「どれどれー?…うーわ、ホントだ…つかさあ、歌の方ってカミル兄とかアロ兄が言いそうだし」
「…うあー、確かにな。愛してるっつっといて、殺せば永遠に俺のものーとかいう思考になりそうだよな、カミルは特に」
「ひどいなユッテは~、僕はマリーにそんなこと思わないよ?」
「…でもアロ兄、”我に堕ちよ”は言いそうだ…」
「ど…どういう意味…かな、オスカー…」
「…珍しい、アロイスが動揺してんじゃねえか…さてはお前、本当にそう思ったな?」
「…思ッテイマセン…」
「今は思ってなくても、マリー姉をオトそうとした時に思った、とか~?」
「…うぐ…オモッテイマセン…」
「決定だな、コリャ…ハイデマリー、えれえ奴に捕まったもんだな…」
「…なあ、こういう歌ってのは…やっぱり人に依って解釈が違ったりするもんか?」
「さあなあ?俺なんかは単純だしよ、何言ってんだコイツ、愛してるんなら殺すんじゃねーよ、生かせよとしか思わねえけどなあ」
「だよな~…俺も確かに何考えてんだって思っちまうなあ…」
「でもさ、相手を縛りたいってのは…甘く考えれば独占欲とも取れるんじゃん?ほんとに縛ったら問題だけど、縛りたいって思うくらい相手が好きとかさあ…ありそうだけど~?」
「ああ、それはあるよね。そういえば金糸雀の歌劇に”殺したいほど愛してる”っていう一節があった気がするよ。まあ比喩的に”すっごく愛してる”って言ってるだけだったけど」
「…カイ…さっき何て言った?」
「んあ?あー…愛してるんなら殺すな、生かせ?」
…これだ…!
生かせ。そうだ、生かすんだ!
「うー…ニコルと…フィーネと…ああ、もう全員!揃ったら呼んでくれ!頼みがあるんだ!それまで俺は開発部屋にいる!頼んだ!」
「う、うん…わかったよヘルゲ。…何か思いついたんだね、あれは…部屋にお昼ごはん運んでもらうから、ちゃんと食べろよ~?…ああ、行っちゃった…」
俺は急いで開発部屋へ戻った。やっぱり足りないピースは仲間が持っていた…ガードさまさまだ。殺すな、生かせ。そうだ、癒着していて分離が困難な禍々しい魔法と呪いなら…分離せずにそいつらを書き換えてやれ。俺はすでにメデューサを書き換えているじゃないか、何で気付かなかったんだ!
ナハトに翻訳文をぶち込み…ミッタークにこれを反対語へ意訳してもらってみよう。だが、たぶんそれでは効果が足りない。ニコルに、フィーネに、ハイデマリーに、アルマに、ユッテに…愛情が何なのか、明確に知っている皆に考えてもらうんだ。
俺の禍々しい紅くて昏い世界を、ニコルが煌めく紅い世界へ変えてくれたように。その存在一つで、アロイスを宝玉にまで押し上げたハイデマリーのように。
祝福と呪詛。愛情と憎悪。それが何かのきっかけですぐに裏返ってしまう、表裏一体のものならば…あの黒くて呪われた手を、ヨアキムを祝福する白い羽根に変えてやろうじゃないか!




