2 憂鬱なアロイス
瞳の品質を上げるのは、いわゆる基礎修練で行う。
対する応用修練では、マナを循環させ、収束し、放出させることを学ぶ。
基礎修練でフィジカルを上げ、応用修練でテクニックを学ぶ、と言ったところか。
ニコルは基礎修練の度合いも良ければ、応用修練もそこそこの習熟度合いだ。
ではなぜ品質検査に合格できないか?
まず、瞳の透明度。
練度をどう上げても乳白色の斑が消えない。
この白斑が無くなれば、きっと上位の緑玉になれるだろうと言われている逸材だった。通常、上位宝玉に手が届くだろうと目される者の瞳は、薄く白霧がかかったかのように見える。
これを修練でさらに薄く、最終的に払拭することができれば透明度の高い上位宝玉になるが、ニコルは「乳白色の斑以外は、完璧な透明度を持った緑」なのだった。
今までこういった瞳を持った者は、誰も見たことがなかった。
そしてマナの収束。
錬成量も多く、錬気速度もなかなか速い。
これで収束ができさえすればかなり強力な魔法になるはずなのに、ニコルは決定的にマナの収束が苦手だった。
(なぜだ…なぜニコルはこんなにも収束できない?)
アロイスはヘルゲと共に、この不遇な妹の状況をなんとかできないかと心を砕いてきた。ニコルの修練度が高いのは、二人の丁寧なケアのおかげでもある。
そもそも中規模魔法以上を扱える部族は白縹以外にも多く存在する。
生活魔法程度ならばどの部族の誰でも使えるのが普通、という世界だ。白縹の特殊性は偏に「個人で大規模魔法の行使が可能」であること。
魔法行使において「瞳による反射増幅」のプロセスがある以外は、他部族の使う魔法と何ら変わりないのだ。
( 生活魔法も使えるのだから、ある程度の収束はもちろんできる。が、一定以上の出力となると急激に拡散してしまうのはなぜだ。精神性の問題なのか…いや、ニコルは集中力もあるし、健全だ )
こんな時にヘルゲがいてくれたら、と思わずにいられない。
基本的に穏やかで包容力があると思われているアロイスだが、本当にニコルを包み込める度量があるのはヘルゲの方だ、と彼はわかっていた。
検査でなかなかいい成績の出ないニコルは自己評価が低く、すぐ落ち込む。
以前のニコルは、落ち込んでも明るく振舞って、あまり周囲に悟らせないように努力する少女だった。そこへどう察知するのか、ヘルゲだけはニコルの落ち込みを察していつのまにか隣にいる。
「…来い」と前後の脈絡もなくつぶやくとニコルを連れ出し、帰ってくる頃にはニコルの表情に一切の曇りもない。
( あいつの大規模魔法より、よっぽどミラクルだろう、アレ )
ヘルゲがいなくなった一年でどれだけニコルの心が荒んだかを目の当たりにしてきたアロイスは、ため息しか出なかった。
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ヘルゲという人物は、一言でいえば無愛想。
サラサラした黒髪でおそらく整った顔立ちだと思われるのに、長い前髪でほとんど表情が見えず、あまりしゃべろうともしない。
たまに見え隠れする鋭く紅い瞳が一瞬悪魔的な苛烈さを彷彿とさせるので、怖がる子供も多かった。
逆に同期のアロイスはと言えば、明るい金髪に青い瞳の優しげな顔。
見た目どおりの穏やかな話し方と笑顔で、村の癒しとまで言われる。
両極端な印象の二人だが、仲よくなったきっかけはやはりニコルだった。
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ヘルゲは紅玉候補である。本来大事に養育され、安定した魔法行使のためにも精神の健全性は確保されて然るべき存在だ。天真爛漫とはいかなくとも、ここまで無口で無愛想なのは、通常ならば養育セクトの責任問題と言われてもおかしくない。
だが、ヘルゲはマギ・マザーの「実験体」だった。
彼は「史上最高品質」を目指す実験のため、初等養育プログラムを直接マギ・マザーによって施されている。つまり10歳までマギ・マザーの完全管理下に置かれ、それ以降は学舎の中等養育プログラムに出るようになった。
ヘルゲとアロイスが出会ったのは、もちろん学舎。約20人ほどの同期の中で、ヘルゲはいろんな意味で有名人だった。曰く「無愛想」「マザーの申し子」「悪魔」等々。
いままで何人か紅玉候補はいたが、ここまで悪目立ちする候補は初めてだった。
話をしたがって群がる者、ちょっかいをかける者などが当初は入り乱れたが、管理された環境下で育った子供は基本的に品がよく、陰湿だったりしつこかったりするものは少ない。
ヘルゲ本人に至っては、どんなちょっかいをかけられても動揺もしなければ傷付いた素振りもない。そのうち騒ぎらしい騒ぎもなく混乱は終息し、ヘルゲは付き合いにくいのだと理解して皆離れていった。
そんな中でアロイスは完全に傍観していたものの、気持ちの悪さを覚えていた。
( ヘルゲの内心はわからないにしても、皆と違う環境で育ったからってのは理解できる。でも…今まで考えたことなかったけど、僕たちは皆、なんでこんなに「何事も穏やかに終われる」んだ?あんなに特殊な存在を前にして、なんで僕たちは激しいケンカにもならず、穏やかに笑うだけで… )
隔絶された白縹一族だけの村にあっても、外界の情報くらい入ってくる。
激しい感情のうねりが、様々な思惑の奔流が世界中にあふれていることを「知っている」。
( マザー、か… )
聡いアロイスは、当然のようにマギ・マザーによる感情抑制だろうと見当をつける。白縹が「生体兵器牧場」であることは隠し事でさえないのだから、容易に想像できた。
しかしそうやって管理された中で「自己の違和感」を見つけるというのは言うほど容易くはない。
狂人に「狂ってる」と指摘して、理解できるだろうか。
気づいたアロイスでさえ、「感情が抑制されている」とわかっても特にその檻を破ろうとは思わない。
そんな激しいモチベーションは、皆と等しく「狂っている」アロイスにもないのだから。