182 ただいま sideヘルゲ
自分自身の中にいろんな事例があるってのは便利なものだな。マギ言語とデボラ教授のことを無理やり呑み込んだ俺は、連鎖反応で出てくる断片的な記憶にインスピレーションを得ていく。
“フィーネ”が開発した方陣を繋げる技術…独特な発想…山津波…
“デボラ教授”と開発した立体複合方陣…
方陣を繋げるための、金糸雀の歌で作る紐の技術は俺にはない。ならば、マギ言語で作ればいい。繋ぐ場所と紐の種類を吟味し、マナが干渉しない構成を模索する。複雑になるであろうコングロマリッドを、いかにシンプルな構造にまとめるか。
どんなことでも、シンプルにする方が難しいものなんだな…
兼任させ、相互作用させ、混乱しない道筋をつける。負荷を計算し、ストレスフリーに限りなく近づける。『俺』を切り分けた並列思考じゃない。俺を増殖させる並列コアを創造するんだ。
*****
ニコルに手伝ってもらうと、魔石代わりのルビーの床はすごい精度でできあがっていく。ほんとにすごいな…これなら純度の高い最上級の魔石と言ってもいい。
床の中心部分から、ニコルがいない間にどんどんマギ言語の刻印作業は進んでいる。ニコルは瓦礫撤去した後は、俺が育ちきるのを見守るつもりみたいだ。
…見守るなんて、そんなにのんびりさせてはやらないけどな。
どうせニコルがいないスキにしかマギ言語の作業はできない。だったらニコルがダイブしている間は、オトすことに専念すべきだ。
そう思って、ニコルにたくさん触れるようにした。
どこまでなら拒否されないんだろうと、手を握ったり頭を撫でたりしているんだが。
一向にニコルの「一線」が見えない。
顔を真っ赤にして変な悲鳴は上げるが、抱きしめても大丈夫。抱きしめたまま耳元でしゃべっても大丈夫。鼻がくっつくような距離で瞳を覗き込んでも大丈夫。
俺はニコルのエメラルドがよく見える“覗き込む”体勢がとても好きだ。その状態になると、頭で響くように強烈なクセに、意味のまったくわからない言葉が脳裏をよぎる。
「一番近くでニコルを見られる」
「一番ニコルの温かい部分に触れられる」
…どこなんだ、そんないい場所って。
そう思いながらニコルの顔を眺めまわす。温かそうな部分。ニコルのふわふわした頬。細い首筋。…首筋はな…瞳が見れないから却下。頬もいいけど、ニコルは撫でるとくすぐったそうに目を閉じてしまう。
あ。
あった。
これだ、一番温かい部分…!
「ニコルを一番近くで見る。よし、これだ」
「えー?今まさに一番近いじゃな…んく!?」
『俺』って、なんという…キスもまともにしてなかったのか。
こんなに可愛いニコルを前にして?ほんとに男か?
まあ…確かにここは特等席だ。
一番可愛いニコルが見られて、一番美しい緑色が見られて、温かくて、気持ちいい。
でも俺も大概だ…パズルを解いた瞬間みたいに「見つけた!」と思ってついそのまま、勢いでキスしてしまったな…これはさすがに怒られるか?
「…ヘルゲ、なんでいきなりキスすんのー!?」
「ニコルが好きだからだな」
「だだだだからっていきなり…う…たまには、いいけど…」
…まさかの…ニコルはキスも「一線」じゃなかった…
よし、これはモチベーションが上がる。
マギ言語の進捗1%に付き1キス。
…それじゃ足りないか…
0.5%につき…
あー、面倒だ。
ニコルに怒られるまで好きなだけ。
怒られても粘って好きなだけ。
とにかく好きなだけ好きだと伝える。
よし、これだ。
*****
とうとう、マギ言語の刻印作業が終わった。
…我ながら呆れるほどの膨大な構文だな…
チェックを済ませ、ガードにニヤリと笑いかける。
「ガード。これでもうお前に小僧って呼ばれなくて済むぞ」
( お、できたのか!早くやってみせろよ )
「まだに決まってるだろう。ニコルの前で6年を飛び越えないと意味がない」
( それもそうか。だが楽しみだな、お前が“マスター”になったら文句なしの成熟度なはずだ。俺もようやく全力を発揮できるってもんだな )
「お前の全力って何だ」
( そうだなー…俺単体で浄き森の守護を突破できる程度のランスを出せるかな )
「は!?ニコルの守護だぞ?ほぼ鉄壁じゃないか、あれを突破とか…」
( そりゃ小僧が浄き森の敵なら、あっちの守護に“拒絶”されて突破なんぞできないさ。だが味方同士でガチの力比べなら、俺に分がある。まあ、そういうランスが必要になっても俺しか使わない方がいいな。護衛の力を削ぐだけだ )
「ふーん。ま、手数は多い方がいいか。お、ニコルが来た!…頼むぞ」
( おーう )
ニコルを端っこで待機させ、一応守護に警戒しておいてもらう。ケガなんて絶対させたくないしな。そしてガードに中心へ連れてきてもらった。
「よーし…お楽しみの時間だぞガード。よく見ていろよ」
( ま、失敗したらちょっとくらいは慰めてやるから気楽にいけ。俺らがいるんだから気負うなよ )
「気負ってるんじゃない、わくわくして仕方ないんだ」
俺は山津波を出した時の錬成量を目指して、極限までマナを練る。さすがに…少し制御に神経を使うか。だが、『俺』はもう既に山津波を成功させているんだ。それだけのポテンシャルが俺にもあると信じての、この構文の膨大さなんだ…やれる、俺は、“こいつを御してみせる”。そう思いながら必死に収束させると、頭上に2m以上のマナの球体が浮かぶ。
なんだか、以前同じことを思いながら必死に何かを御したことがあるな、という感覚だった。そのことを思い出した途端、マナの制御がラクになる。
ニヤリと、笑いがこみ上げた。
もらった。
俺がこの世界のマスターだぞ、ガード!
マナを足元に叩きつけると、構文が輝き出す。
俺を中心に渦を巻き、意志を持った文字が、言葉が、踊るように光って立ちのぼっていく。円はどんどん拡がり、とうとう最後の一文字までマナが行き渡った。
ニコル、6年後の俺でまた会おうな。
カッと光が弾けると、俺が欲しかった6年分の記憶が、情報が、一気に流れ込んでくる。
コンラートが鈴を持って消えた。淋しそうな顔をして、それでも俺たちを軍の内偵から守ろうとしてくれた。涙目のアロイスが殴る。コンラートがニヤリと笑う。ナディヤと幸せそうに笑う。ニコルたちと訓練する。ああ、俺がガードを憎めないのは、コンラートと似ているからかもしれない。全部飲み込んで全てを超える強さがある俺の悪友。
フィーネが通信機を見て泣く。わけのわからない賛辞を並べ立て、しかし信頼に応えると誓う男前な女。俺にはまねのできない頭脳明晰さと見識の広さ。愛する者に見境のない、マナと方陣のマニア。
ハイデマリーを電光石火で捕まえて幸せそうなアロイス。
捕まったと悔しそうなのに頬を染めるハイデマリー。
失言ばかりなのに憎めないリア。
コンラートを虜にした、料理上手のナディヤ。
いたずら好きでさっぱりした性格のユッテ。
毒なことをサラリと言うアルマ。
生真面目で優しいオスカー。
ニコルに夢中なクソ爺大佐。
恐ろしい人生経験の権化、エレオノーラ中佐。
ヴァイスの賑やかなやつら。
俺が騙して利用したデボラ教授。
俺を面白がっていたリーヌス司令。
北方ベースで仲が良かったフリッツたち。
ニコルを心から心配していた魚屋の夫婦。
ようやく、お前らに会えた。
ようやく、お前らの元へ帰れる。
ようやく…ニコルの元へ帰れる…
フラフラする頭をなんとか落ち着かせ、いまだマナの光がちらつくルビーの床を踏みしめてニコルのいる方向へ歩き出す。一気に流れる6年分の全てがまだ踊り狂っているものの、意識はハッキリしている。
一番大事なものはわかってる。
俺はその方向へ向かって、歩いてる。
ガードが少し興奮したように話しかけてくるが、適当な返事しかできなさそうだ…
( おい…これがコングロマリッドってやつか?いま一体上空から全体像を見させてるんだけど、この形ってわざとか? )
「は?全体像にわざともクソもあるか。一番効率のいい状態にしただけだ」
( クソってお前…これは曼荼羅とか世界樹って言うんだよ、この罰当たりが!お前何作ってくれちゃってんだ…700年経つと白縹ってこうなるのか?森羅万象に対する信仰心はどこいった… )
「知るか。マスター様はいま疲れている。ニコルのことしか考えないぞ俺は」
( はいよ、わかりましたよ色ボケクソマスター様! )
やっと黙ったガードにホッとして、ニコルを見つめて歩きながら、俺は一つのことしか考えられなかった。
最後の10分間でようやくってどういうことだ!?
俺は阿呆か…
ニコルに近づくと、泣きそうな顔をしている。
それを見て、俺はようやくニコルが張りつめながら俺を育てていたことに思い至り、納得した。…育成途中の俺に、簡単に落ちてくるわけがない。ニコルは目の前で俺が死ぬのを見たんだ。その俺が…あの黒い手に貫かれた俺がここにいるなら、それはニコル自身が俺を回収したからに他ならない。
俺は、ニコルに絶望を見せてしまったんだ。
「ニコル、怖い思いをたくさんさせたな。俺をなおしてくれて、ありがとう。助かった」
ニコルは俺が6年を飛び越えたことに呆けている。
それ自体は狙い通りなのに、ニコルを手に入れることしか考えていなかった俺はなんて自分勝手なんだ。ニコルはきっと、この瞬間を待ち続けていたのに。
「ニコル、俺のそばにいてくれ。心も、俺のそばにいてくれ。俺は、あの10分間だけじゃとてもニコルが足りない。…もっとたくさん、一番、近くにいてくれ」
『俺』の最後の、一番の想いを引き継いで、俺は願った。
ニコルが、「俺が願えば叶う」と言ったから。
ニコルの顔が歪み、押し込めていた恐怖が、悲しみが怒涛のように表に噴出する。俺は…ニコルにこんな思いをさせてしまったんだ…ニコルだけじゃなく、皆にも。
少しも痛くない拳で俺の胸を叩くニコルが愛しい。
分割されていた俺が統合され、ただ一つの俺でニコルを愛せるのが嬉しい。
「…ようやく、帰ってきた…」
もう疲れてニコルを支えることもできない俺は、それでもニコルの温かさを感じて幸せだった。もう少しニコルを抱きしめたら…アロイスに会おう。皆に会おう。
そして言うんだ、「ただいま」と。
こちらで本編は完結です。
ご覧いただき、ありがとうございました!
と言っても一つの目的に向かったお話が完結、ということなので、これからは彼らの後日談や閑話という形で続けていきます。お目汚しですがお付き合いいただければ幸いです。
ここまで来れたのは読んで下さった方や感想を下さった方のおかげだと思っております。
本当に感謝しかありません。
では、引き続きよろしくお願い致します!
赤月はる