140 好かれ過ぎる理由 sideヘルゲ
ニコルにフィーネへの行動がやりすぎだと思う、と言われて「確かに」と思う反面、「あの程度当然の報いだ」と思う俺がいる。
俺はニコルが大切過ぎて、少しおかしくなっているんだろう。
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俺はあの圧壊した養育室を見た時、涙が流れた。
その時は感情を整理する暇もなく対応に追われたこともあって、最近ようやく考えることができていた。俺は、たぶん、途轍もなく嬉しかったんだと思う。
俺は現状でも充分すぎるほどアロイスとニコルに幸せな気持ちをもらって生きている。こんな「分割」された俺でも。いろんなモノが欠けている俺でも。あいつらは笑って、「それがどうした」とばかりに俺を幸せにする。
それなのに、ニコルは現状では足りないと思ったんだ。
俺がもっと幸せになるように。俺が縛られている場所があったら、そこを破壊してでも解放する。俺が、もっともっと幸せになるように、と。
ニコルが養育室の残骸の中で流していた、たくさんの涙。
あれは俺の痛みを引き受けて、俺の代わりに泣き叫んだかのようだった。
…俺は、あんなに泣き叫ぶほどの可愛げはなかったがな。
俺があの養育室や白縹のマザーに何も仕掛けていないのは、最終目標として取っておいてあったからだ。もちろん、分体だけイジっても根本的な解決にならないからこそ本体を狙っているわけだが。本体のロジックを書き換えてやった後で、白縹のマザーに改訂版ロジックを逆流させてやれば拒絶反応もクソもなく事は済む。
そして最後に養育室のデータ消去命令を”メデューサ”本人から出させてやる…その部分は、俺の”復讐”計画だった。
だが、ニコルはそれでは遅いと。
ほんの少しでも俺がメデューサに縛られている状態が許せない、と。
それを身体中で叫びながらニコルは養育室を破壊したかのようだった。
だから、俺は…以前とは比べものにならない強度でニコルを大切にしたいと思う。ニコルに近づくやつは、本当なら全員排除したい。だが、それは倫理的に考えていけないことだと理解している。だから、やらない。そんなことをしたら、ニコルが対人関係を構築できなくなってしまうからな。
…本当はやってしまいたいが。でもやってしまったら最後、ニコルに嫌われてしまう。それでは本末転倒だ。
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ニコルが以前から素直さで無自覚に他人を籠絡するキラー属性持ちなのは、身を持って知っている。だが、ここ数年…どんどんその力が強くなっているような気がするんだが。
異変に気付いたのは、商店でお礼にと言ってニコルがクッキーを配り歩いた時。
ありえない、と思った。
ニコルが素直で可愛いのは誰にも否定させる気はない。
だが、あれが異常だとは、誰も思わないのだろうか。
老若男女、ほぼ全ての者がニコルを好む。
ニコルを嫌えるのは、何か後ろ暗い感情を抱えている者しかいない気がする。
ニコルが眩しくて、直視できないやつがニコルを嫌う。
…これは客観的に見て、異常だ。
”自然の体現者”はそういう特性でも持っているんだろうか。人は自然を見て、感動したり畏怖することはあっても、憎んだり嫌ったり破壊してしまいたいとは普通思わない。もしくは「いつもそこにあるのが当然」で、好悪など関係なく生活に溶け込んでいるか。
しかも、白縹一族にニコルを好む傾向が顕著に表れている気がするんだよな。大佐に会わせた時たまたまペヴィン准尉が呼ばれていて、帰るところに出くわした。ニコルはいつも通りに元気な挨拶をしていたが、ペヴィン准尉はいたって普通に笑顔で挨拶を返し、去って行った。
対してヴァイスでは…何も言うべきことが見つからないくらいだった。挨拶一発で白縹の軍人どもをオトしていくニコル。人生経験も何もかもが百戦錬磨の大佐夫婦も速攻で魅了し、事実上ヴァイスそのものをオトしたと言っていい状態にした。
これは、何なんだ?
ニコルはいつも「私の周りは優しい人ばかり」と、自分が失敗しようが人を傷つけようが許してくれる周囲に感謝している。時々、困惑していることさえある。
ついこの前、アロイスに「フィーネ姉さんがね、”正のスパイラル”って言い方してくれたの。それがすっごく嬉しかった」と話していた。
ニコルはそれを”慰め”というか、それでいいのだという”励まし”と受け取った様子だった。それはそれでいい。
だが、俺にはその言葉がニコルのキラー属性に関する正鵠を射た言葉に聞こえた。しかも、白縹が特にオチやすいのもそれで説明がつく気がしている。
白縹は精神年齢が高く、他の一族よりも倫理観が高い。見え透いた世辞などで自分を籠絡しようとする人間を忌避する傾向が高く、率直に話す者を好む。
正のスパイラルによって純粋培養され、自分の好意的な感情を素直に表すことにためらいのないニコルの言葉や態度は”白縹一族の大好物”だと言える。
妙に納得できる仮説に、そういうことだったのかと安心したつもりだった。だが、俺の並列思考の一つが警鐘を鳴らす。…一番小さな、”ニコルについてずっと考えろ”と指示していたやつだ。
その仮説をニコルに話すのは、アロイスやコンラート、フィーネ…ナディヤ、リア、ユッテ、アルマ、オスカー…それにヴァイスでニコルを大切に想う人々、それらに相談してからにしろ、と。
俺は少し驚いた。
だが、並列思考は頑として譲らない。
絶対、ニコルにそれを不用意に話してはいけない。
それしか言わない。
…不得要領ながらも、わかったと返事した。
守護にこのことを尋ねてみていいと思うか?との問いには「それはいい考えかもしれない」と返ってきた。
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ニコルに守護を寄越してくれ、と頼んですぐにダイブした。相変わらずノータイムで俺の中にやってきている。頼もしいやつだ。
( お呼びだろうか、昏い火 )
「ああ、すまないな呼びつけて。”自然の体現者”についての質問なんだが。過去にたくさん存在したという自然の体現者は、周囲の者に無条件に好かれるような特徴があったか?」
( 人に依る。…昏い火は主がそれゆえ好かれるとお思いなのか )
「ニコル自身が素直で優しく可愛いのが原因だと思っている」
( 是 正しく理解している。では、なぜそのような質問を? )
「ニコルが好かれる度合いが異常だと思っているからだ。いくら素直で優しくて可愛くても、ニコルは異常なほど好かれる。何が原因でその異常さが出るのかが知りたかった」
( …理解した。過去に存在した者の中には、そういう特徴を持つ者もいた。奇しくもフィーネ殿が発言したように、”愛し子”と呼ばれていた。主がその特徴を持っているのは否定しない。…存外、我らの集まる数が異様に多いのが原因なのかもしれない )
「…多いのか?深淵の意志の数が?」
( 是 我らもその数の多さは、主の他に”自然の体現者”が不在なのが原因と思っていたのでな。職にあぶれたものが集まってしまったのかと )
「…深淵の意志はもっと崇高な存在と思っていたのだが。なぜそんな就職難のような表現になるんだ…」
( それだけ、主を守る役目というのが魅力的だということだ。…きっと昏い火がなおれば、我らと同等かそれ以上の数が集まるぞ。深淵の意志は皆…昏い火を守り切れなかったことに深い後悔の念がある。今度こそ守ると、息巻いていることだろう )
「そうなのか?まあ、俺には”俺が直る”なんて荒唐無稽な話にしか聞こえないが…気持ちは感謝する。ではな」
( 是 )
ダイブアウトすると、俺の体が小刻みに揺れていた。…ではなくて、隣にいるニコルが顔を赤くしながらもじもじしている。
…初等の頃に、トイレを我慢してた時がこんな感じだった…だろうか。
我慢せずにトイレへ行けと言うと、「おばか!」と叫んでニコルはトイレへ駈け込んで行った。ああそうか、守護と話してたアロイスが傾いたからな…俺もそうなると思って、トイレを我慢して俺を支えてくれてたのか。
デリカシーのないことを言った上、図星だったということなんだろうな。
すまないことをしてしまった。
…さて…ニコルのキラー属性について、ニコルを大切に想う者と相談、か…俺自身、何を相談する必要があるのかよくわかっていないんだがな。
まあ、まずは今晩アロイスに言ってみるとしよう。