114 見逃した信号 sideアロイス
女子会+1も無事終わり、後はすっかり眠るだけという状態で僕とニコルはリビングにいた。ニコルはホットミルクの入ったカップを両手で包むように持ちながら、僕にぴったりくっついて座っている。
淋しい、とニコルは言った。
それは僕も同じだし、わかっているつもりだったんだけど…
この甘え具合は、いつものニコルじゃないと思う。
あの女の子の襲撃への対応に精一杯で、ニコルの大事な”信号”を見逃してしまっているような気がしてならない。僕は何を見逃したんだろう…
「ニコル、眠かったら寝ちゃってもいいよ?ヘルゲからの通信が来たら起こしてあげるから」
「ううん、眠くはないから大丈夫。…通信できたら、ヘルゲ兄さんと何話そうかな…」
「今日のことは話すの?リアの意見はちょっとこう…不純物が多すぎてどうかと思うし。無理に話そうと思わなくていいんだからね、ニコルが話したいことを話すといいよ」
「うん…」
ニコルはぽやんとした声で返事をするけど、本当に眠いわけではなさそうだ。何か物思いに沈みかけている、そんな雰囲気。少しそっとしておこうか。
しばらくそんな風に静かに過ごしていたら、ミニロイがぽす、ぽす、と僕のヒザを叩いてきた。ニコルがハッとした顔でミニロイを見るけど…コンラートだった。
コンラートと話せること自体はニコルも嬉しいらしく、ガッカリした様子ではない。よかったね、コンラート。
『よーう、ニコルちゃん久しぶりだなー』
「コンラート兄さん!元気だった?」
『おう、元気しか取り柄はねーよ。ニコルちゃんも頑張ってるってなァ、ナディヤからも聞いてるぞー』
「えへへ…この前、棍でオスカーに勝ったの!気持ちよかったー!」
『マジかよ、いよいよ三人娘がおっかなくなってきたな?』
「ヒドい!普段はおしとやかですぅ~!」
『お淑やかって意味、ちゃんと調べたほうがいいぞー』
こういう時って、コンラートの存在がありがたいと思う。からかわれて、笑いながらブーブー言っているニコルを見ていたら、コンラートが言った。
『そういや”山津波”は見たかよ、アロイス』
「ん?ああ、そういえばまだ見せてもらってないんだよね…」
『なんだよー、アイツさっさと見せろって言っといたのにな!』
「はは、凄すぎるってコンラートもフィーネも絶賛してたもんねぇ。なんかタイミング合わなくてさ。話してる時にベースの人が探しに来ちゃったりしたもんだから」
『あぁ、ベースじゃ10人くらいのタコ部屋だもんな。あいつ隠密で外に出て話してるっつってたしなぁ』
「…山津波って、なあに?」
「ああ、ごめんニコル。ヘルゲが国境線を奪還した時の大規模魔法のことだよ。司令官が監視方陣で撮影した映像を、ヘルゲが見せてくれたらしいんだ」
「へぇぇ!そんなに凄かったの?」
『おう、あの品質検査での火魔法も真っ青の、特大の大規模魔法だ。…あー、でもそうか。ニコルちゃんたちはあれも見てないんか』
「あ、品質検査の”炎獄”はアロイス兄さんに映像記憶を見せてもらったよ。あれよりすごいのかぁ…」
「僕もね、山津波はまだ見せてもらってないんだけど…ありえない規模の大きさだったって。品質検査の炎獄でさえ、演習場全部を消し炭にしちゃわないように相当抑えて撃ってたってことだよね。境界警備隊あたりが自信喪失しそうな話だよなぁ」
『はは、そんなのヴァイスだって自信喪失するやついるだろ。筆頭はデニスだな』
「うあー、確かにデニスには見せない方がいいと思うな…」
「デニス兄さんってヘルゲ兄さんと仲悪かったもんねー」
『そーそー。いい加減勝手にライバル視すんのやめればいいんだろうけどよ、デニスはそのおかげで実力がついたって面もあるからな。ま、自信喪失してもあいつは勝手に復活するさ』
その時ヘルゲからも着信が入ったので、会議通信に切り替える。
『おう。…ニコル、久しぶりだな』
「ヘルゲ兄さん…元気、だった?」
『ああ。ケガも病気も何もないぞ。ニコルはどうだ』
「えへへ…元気だよ。皆もすごく元気!」
『おい、ヘルゲ!アロイスに山津波見せろって言ったじゃねーかよ。俺はその話をしたくてウズウズしっぱなしなんだ』
『ん?ああ、あれか。ニコルも見るか?』
「うん、見たいっ」
ニコルがそう言うと、ヘルゲは映像を切り替えた。
…どれだけの広さがあるのか。針葉樹の森は、ちょっとした樹海といった感じだ。遠くに見える国境の壁や崩れかけた砦が、打ち捨てられた遺跡のように見える。
ゴゴゴ…と地鳴りがしたと思ったら、壁と砦跡を含む森の大部分が長方形にズルリと動いた。目の錯覚かと思ってしまい、え?と瞠目した瞬間だった。
ゴバァ!っと、その長方形が波に揺れる筏のように振動しながら浮くと、ゴオオっと唸る濁流に浚われてあっというまに向こう側へ滑っていく。
それはテーブルの上でチョコレートの入った箱をスッと向こうへ押しやったかのような。チェスの盤上で、ヘルゲが何の感情もなく「チェック」と言って駒を動かしたかのような。
轟音が収まると、ピースの置き場所を間違えたジグソーパズルのような景色になっていた。無くなった国境の壁がズルゥッと地面から生えてくる。不自然に抉れた地面は土が補填され、整地された。
時間にして、数分の出来事だっただろう。でも僕らにとっては”一晩かけて見た夢”のような感覚だった。
『見たか?言葉失くすだろ、コレ!』
「う…うん…あれは…なんで森ごと動かしてるの?」
『ああ、あの森自体が敵の魔法で作られたものだったんだ。森のおかげで進軍できなくてな、ジャマだった』
「はは…ジャマ、ね…」
「ヘルゲ兄さん、あれ全部一人でやったんだ?…スッゴイね、やっぱり世界一スゴイ!ヘルゲ兄さん、かっこいい!!」
『…そうか』
あ。
ヘルゲのこの笑顔、久しぶりに見た気がする。
『フィーネのやつが考えたやり方なんだけどよ、実際にやれるのなんてヘルゲだけだろ。変態魔法極まれり、だな。こいつら組ませたらほんとヤベーよ』
「あー、それは言えてるかもな…フィーネも楽しげにそういうこと考えるから…」
「でもでも!これって向こうにケガ人くらいはいたかもしれないけど、ご丁寧に送って差し上げましたって感じ!おもしろーい!」
『ああ、司令官もそう言ってたぞ。毒気抜かれて撤退せざるを得ないか、逆上して攻めてくるかって話だったが、もう中枢は停戦協議に入るようだから安心していい』
「そっかぁ、ヘルゲ兄さんもそこから帰還できるの?」
『ああ、そろそろ帰還命令が出る頃だな。…早くまともなメシが食いたい…』
『出た出た、そればっかしだな。気持ちはわかるけどよ』
「ごはん、おいしくないんだって?ヘルゲ兄さん、痩せちゃったりしてない?」
『ああ、レーションは栄養価とエネルギー摂取だけを考えて作られているからな。大した戦闘もないのに食っているだけだと、逆に太らないか心配だ』
「ぷは!おデブのヘルゲ兄さんって想像つかないなー」
『ふふん、ニコルちゃんはどうなんだァ?アロイスの菓子ばっか食って、またアルマに注意されてるんじゃねーのかァ?』
「うぐ!私だけじゃないもんっ 今日は女子会+1だったし、アルマだってめっちゃ食べてたもん!」
「あはは、今日はオスカーも一緒に来てもらってねぇ。久々に山ほど料理とお菓子を作ったよ」
『ああ、プラスワンってのはオスカーか。食べ盛りだからな、いい食いっぷりだったんじゃないのか』
「すーごかったよ、オスカー。リア先生に”行け、暴食戦士!”とか言われてたよ」
ひとしきりリアの暴言失言に話題が移って皆で笑っていると、ヘルゲもそろそろ宿舎に戻る時間になった。
『…元気そうでよかった、ニコル。また週末に連絡できるように調整するからな』
「うん、でも無理しないでいいからね。話せたら嬉しいけど、でも無理しないでね」
『ああ』
通信を終え、リビングに静寂が戻る。
「…取り越し苦労だったかな、女子会の話も普通にできてよかったよね」
「うん、ヘルゲ兄さん元気そうでよかった…」
「やっぱりニコルと話すと違うんだよなー、僕らと話しててもあんな笑顔は滅多に出ないんだよ。失礼なやつだなあ」
ニコルは元気になったかな、と思って様子を窺うと、少しだけぼんやりした顔をしていた。眠い…わけではなさそうだけど…
「…えへへ、ヘルゲ兄さんも話せてうれしいって思ってくれたのかな」
「そりゃそうだよ、リアも言ってたじゃないか”ヘルゲはニコルでできてる”ってさ」
「え~、あの発言はなんだか素直に喜べないんだけどな~」
「はは、リアも言い回しが独特すぎるよね。…さ、じゃあもう寝よっか」
「うん、そだね。おやすみなさいアロイス兄さん」
「おやすみ、ニコル」
部屋に入り、明かりを消す。
…見逃してしまった、ニコルの何か。
まだそれが燻っている気がして、僕はなかなか眠れなかった。




