11 紅の歓喜 sideヘルゲ
俺は少し驚いて目を見張った。
あえて「意識が広がる」とミスリードしたのに、なんでアロイスはピンポイントでここに辿りついた?
…この男は、いったいなんなんだ?何を見ている?
やめてくれよ、アロイス。
期待させないでくれ。
ニコルを救えると判断したら、俺は何も深く考えずにお前を巻き込みそうなんだ。
そんなことしていいはずはないのに、お前を道連れにして、俺が安心したいだけで、ボロボロの船にお前を乗せてしまいそうなんだよ。
「…自分の、というか」
…対人コミュニケーション担当が話をしている。
やめろよ、アロイスを巻き込むな。
ああ、でも…そうだよな。伝えたいよな。届いてほしいと、願ってしまうよな…
「たぶん最初から…ニコルの中にあったはずだ」
ああ、言ってしまった。
これでわかるとも思えないが、だが、異常性はわかってしまうだろう。
俺は勝手だ。
ニコルの安全を、アロイスの危険で買おうとしている。
俺はなんて浅ましいんだろう。
ニコルをどんな危険からも守ると誓うが、アロイスのような善良な男を、本来不要な危険に巻き込んで、もう一枚の盾にしようとしている。
「そんなこと…って…」
やっぱり戸惑っている。
…もう、いいじゃないか。
たぶんアロイスは、ニコルが苦しんでいる、という事実だけで力になろうとするだろう。
きっと、アロイスならニコルを笑顔にできる。
ここまでわかってくれれば、俺がこれ以上漏らさない限り、俺の事情には巻き込まないで済むに違いない。
どうせ俺はそのうち軍に配属される。
ニコルのそばにいるために、なるべく時期を伸ばそうと画策してはいるが、もって数年だろうしな。
配属された後は俺にとって正念場の「戦場」になる。
そこにとにかくニコルやアロイスが巻き込まれないよう、この村で穏やかに過ごせるよう、綿密に計画しよう。
大丈夫だ。俺は一人でもやれる。
やってやる。
だから…ニコルだけは。
あの蛇女に気付かれたらおしまいだ。
ニコルまで「分割」されるなんて絶対に許すものか。
あの美しい緑の海を、おぞましい形にされてたまるか。
俺がようやく傾いでいた気持ちを立て直した頃に、アロイスは考えをまとめたようだった。
ゆっくり顔をあげて、ひた、と俺を見据えてきた。
俺はこの時、ようやくアロイスの瞳を見たのかもしれない、と後から思ったものだ。
アロイスの瞳は水色に光り、濁りのない湧水のように、滾々と湧き出る強い意志を宿している。
俺は彼を誤解していたかもしれない。
ただただ、優しい男だと思っていた。
今俺を見据えているこの瞳が何を想い、何を訴えるためにここまで強く光を宿しているのか。
何か俺は間違ったことを言ってしまったのかと、少し不安になるまなざし。
ニコルのことをわかってもらいたかっただけなんだが…
少し動揺していると、アロイスは俺が最も恐れていたことを、いとも簡単に暴ききった。
「…どうしてかはわからないけど、最初からニコルの心には、純粋で、大きな願いがあった。だから修練で整理しようにも、最初から大きな心の器の全貌が掴めず、途方に暮れる。…途方に暮れるニコルが縋っていて、道しるべみたいなのが、おじいちゃん。だから、他人には認識されなくていい。いや、認識できない。ニコルだけの道しるべだから。…そんな解釈で、いいかな」
な…
「なん、で…」
「わかったのかって?」
ああ、そうだよ!
なんでわかったんだ!
バカかお前、なんであれしきの情報で、たったあれだけの会話で、俺がどれだけお前を!ニコルを!バカだ、お前はバカ野郎だ、自分から泥沼に足を突っ込んでくる、本物の大バカ野郎だ!
くそ…っ バカは俺じゃないか…
どんな経路でかはわからないが、アロイスは真実に辿りついた。
こいつの聡明さに、こいつの意志の強さに気付かなかった俺のミスだ。
でも、まだ危険性にまでは気付かないだろう。まだ、引き返せる。
大丈夫、まだ大丈夫だ。
呪文のように繰り返しながら、それでも並列思考の一部は気付いている。
一番の問題は、俺が、アロイスにわかってほしいと。
ニコルを救ってほしいと。
何より願ってしまっていることなのだ、と。
「僕はニコルを理解したわけじゃない。君だよ、ヘルゲ。君も『溺れてる』んだろ?君に『藁』があるのかは知らないけど、ニコルが自分と同じだと理解してる。だから『おじいちゃん』がいることを信じてあげたわけではなく、君は、いることを知ってたんだ。違うか?」
…俺の、願いは。
俺の、身勝手で浅ましくて薄汚い願いは。
こんな風に叶っていいものだと、思うか?
俺はどうしたらこの、清冽な湧水を持つ男に借りを返せるだろうか。
この、俺の願いを拾い上げてくれた、『ひかる水』に。
どうしたら伝わるだろうか、「理解者」を得た、ゆがんだ『くらい火』がこれほど喜んでいると。
俺はこの日、紅い世界をかけて守るものが、二つに増えた。
それはとても、あたたかくて、嬉しくて、嬉しくて、きっとこれが幸せというものなのだ、と思った。