101 凱旋準備 sideヘルゲ
『ふむ、いいと思うよヘルゲ。私の無理なお願いだったというのに、よく1%も圧縮してくれたね』
「いえ…結局この程度でした。申し訳ありません」
『はは、気にするなというのに。この立体複合方陣は、瑠璃のシンクタンクでも物議を醸してね。検証結果を見て驚いている者がほとんどだったが、演算速度の低下に懸念を持つ者も多かった。マザーの容量を増やすにも限度があるが、増やさざるを得ないという意見に落ち着いたね。マザーの容量増加は、急務と言われつつも簡単ではないし。たぶんこの立体複合方陣の導入と同日になってしまうだろう』
「そうですか。容量が増えるなら演算速度の低下もそれほど悪影響にはならないですよね、安心しました。ですが同日と言っても…同時では、マザーへの負担が大きすぎますよね?」
『ああ、それなんだがね。容量を増やした後で立体複合方陣を入れるのがベストだとは思うんだが…そうもいかないようなんだよ。容量を増やすとマザーは自動的に最適化しようと動くだろう?その後パッチをあてると、当然マザーが方陣を安定させるためにもう一度自動で最適化を行ってしまう。これを一度で済ますためには既存容量のままパッチをあて、最適化を意図的に止めてから容量を増やすのが一番効率がいいんだよ』
「なるほど…それもそうですね。最適化を2回もさせては、余計に当日の稼働効率が落ちます。それこそ悪影響ですからね…」
『たぶん君が軍へ戻った後…一年から二年後に実施されると予測しているが、その時は開発者の君に作業してもらうことになるだろう。この立体複合方陣に関することだけは最優先だ、とバジナのタヌキ爺にはきつく言ってある』
「ご配慮ありがとうございます、デボラ教授。…それにしても、結局”炎獄”も欠陥方陣だということが証明できただけで、何のお役にも立てませんでしたし…自分ばかりデボラ教授から教えをいただいてしまって恐縮です」
『…ヘルゲ。私はこの言葉があまり好きではないんだが…君は紛れもない”天才”だ。君の生い立ちについては、失礼ながら調査書が回ってきているので把握しているつもりだ。開祖のロジックが採用されなかったことについては何度か言ったと思うが…君に逢うまではね、ただ残念だとしか思っていなかったよ。そして君に逢ってからは、採用しなかった権力者に対して憎しみさえ覚える。君は、もっと自由に生きていい。そうできない背景が白縹にもこの国にもあるのはわかっているが…だが、君は、自由なんだ。それだけ信じてくれれば…私は、君と仕事ができて大変有意義だったと、胸を張って言うさ』
「…長い間、大変お世話になりました、デボラ教授。ありがとうございました」
『ああ、だが、まだ縁を切らせたりはしないからね。私は君がただの生体兵器などではないことを知っている。…とにかく、戦場に出るとしても生き意地汚く生き残ることを、上司として命令するよ』
「…了解しました。生き意地汚く、ですね。お約束します」
『ん。ではね』
デボラ教授との通信を終え、息を吐く。
あの人も、信頼に値する人ではあった。
出会い方がもっと違ったなら、俺は全てを話して頼りにしただろうな。
…今さら、利用したことを悔いても遅いが。
俺が、自由…か。
あの人も面白いことを言う。
きっと俺が雁字搦めなのを知っていて、それでも言ってくれたこの言葉には…何かの願いでも詰まっているんだろうか。…そうだ、あれは…心配、だな。俺を心配して、何があっても死ぬなと、希望を捨てるなと…言っているのではないだろうか。
…だめだ、切り替えるぞ。
このまま考えると…また、震えが止まらなくなるに違いない。
もう既に、俺の腕からは溢れるほどの大事なものを抱えている。
絶対に、取りこぼさないようにしなければいけないんだ…
*****
「…ふん、んじゃあ予定通りに5月の品質検査後に中央へ戻ることになるんだな。”マザコンの説得に成功”ってホデクに言っていいな?」
「お前の言い方は気に入らないが、おおむね合ってる」
「だけどよ、品質検査をわざわざ待つ必要あんのか?」
「俺はマザコンだからな、白縹のマザーに接触する機会は逃さない。今まで出したこともない好成績を叩き出して凱旋してやるさ」
「はァ?お前今まで手加減してたのかよ?あの成績で?アホか…」
「お前の言い方は気に入らないが、そういうことだ」
「そっか~、じゃあ後3か月?ニコルもナディヤも淋しがるだろうね…ま、フォローは僕が頑張るからさ。二人とも中央であんまり大暴れするなよ?」
「俺が大暴れしたくなくても、戦場で大暴れしろって言われるだろうが」
「あー、お前すぐ前線行きかね?」
「だと思うがな。マザーにつられて、せっせと働けと言うだろうな」
「…ま、バジナ大隊長も、どの程度安定運用できるかは知りてぇだろうな」
「あ、いい考えがあるよ。僕の代わりにコンラートに依存し出したってことにすれば、一緒に戦場へ行けるんじゃないか?」
「「冗談じゃない」」
「えー、面白いと思うけどなー」
「「絶対ゴメンだ、気持ち悪い」」
「息ぴったりじゃないか…」
「無理に決まってんぞ、アロイス。俺はシュヴァルツでも暗殺・諜報のスペシャリストって扱いだ。大規模魔法も風属性ならいけるが、俺の出力ならヘルゲ一人いりゃあ事は済む。この”甘えんぼちゃん”の付き添いに、これ以上シュヴァルツの無駄使いはしねぇよ」
「…お前の言い方は非常に気に入らないが、そういうことだな。これ以上気持ち悪い属性を付けられるのもゴメンだ」
「そうか~、残念だね~」
「…アロイス、お前俺をどうしたいんだ…寒気がするぞ」
「あはは、僕も二人がいなくなるのは淋しいからね。今のうちに笑えるネタ…げふんげふん、思い出が欲しいなってね」
「お前いま明確に笑えるネタっつったな。隠す気がサラサラなくて、いっそ清々しいぜ」
「ん~、仕方ない、他の手を考えるか…あ、そういえば移動魔法はどうなんだい、ヘルゲ」
「おい、他の手って言わなかったか、今…まあいい…解析はできたがな、めちゃくちゃだ。あんなのでよく中枢のやつらは自分の体を預けて長距離移動なんてやってたもんだ」
「え、そうなの!?」
「ああ、フィーネが手に入れた魔石もな…魔石一個じゃないんだ。中央に一つ、周囲に12個の魔石を配置した”石板”でな。あんな方式は…。あれも”古代魔法”の一種と思えばわかる気もするが、公開されずにひた隠しだっただろう?要するに緑青の研究者たちによる研鑽をしないまま使用していたんだ」
「うっへ…んじゃ、実際に使うのは危険なのか?」
「いや、危険というほどでもないが、改良しないと俺が安心できない。今現在出回っている方陣だって、昔は無駄の多いマギ言語でできていたんだ。それが研鑽された過程がわかっている以上、移動魔法もスリム化・高性能化ができないわけはない。まあ、解析不能じゃなかっただけ助かった。時間はかかるが、実用化はできるぞ」
「おぉ~、んじゃ2日も馬車でケツ痛くしないでも村に来れるな。完成すれば、休みにスグこっち来れるもんなー」
「ああ、マナの消費量も中規模魔法程度だしな。スリム化できればもっと消費量を軽くできるだろう。期待してていいぞ」
「でもな、俺らの任務って大抵長期任務なんだよな…そうしょっちゅうは帰れねーか…」
「そういえば、どういう方式なんだい、それ?魔石が合計13個も必要なんて、複雑なのか?」
「複雑というか、座標設定が甘くてな。12個の魔石で方向指示していたんだ。まるで方位磁石のみで大海を旅していた頃のようなやり方だ。移動の方式は”空間歪曲型”だな。”転移型”だったら実験でコンラートの輪切りが見られただろうにな」
「お前…絶対に人間以外で実験しろよ?俺は警戒態勢を敷くからな、実験体にはならねぇぞ?」
「残念ながら空間歪曲型だからな。ゲートをくぐり抜けるだけだな」
「そっかー、じゃあ早く実用化できるといいね。ニコルとナディヤには話す?」
「ああ、そうだな…過度に期待させない程度で話そう、すぐには無理だしな。話さずに普通に帰ってきたら、またニコルに叱られる…」
「あー、そうだね。あれは堪えるもんね~」
「ぶは、お前らニコルちゃんに説教されたんか?」
「ああ、入隊一か月でヘルゲが戻った時にね…『私の涙を返して!』ってね~」
「ぎゃっはっはっは!なっさけねー!」
俺は何も言わずにコンラートをホルマリン漬けにした。ソファごとだったので、アロイスにめちゃくちゃ叱られた。その日は酒を出してもらえず、次はコンラートを立たせてからにしようと反省した。
もうしばらくしたら、ほとんどニコルに会えなくなるんだな。
コンラートも言っていた通り、俺たちは長期任務の可能性が高い。
さすがに戦場からダイレクトには帰れないからな…
帰れるスキがあったとしても、血の匂いをさせてニコルに会いたくはない。
あと、少し、か。