100 安全祈願 In a “demi”meeting 2nd
興奮したフィーネから連絡が入ったのは、12月の初めだった。
コーチングパペット“パピィ”は、約500はある学舎からの注文が殺到し、1学舎に平均3体が納品されることになった。大きい中央の学舎ではクラブ用も含めて10体とのことなので、よほど需要があったのだろう。
さらに初等学舎でのコーチングには背が高すぎたり、木製よりも布製で安全性がほしいとのことで、メガヘル同様ぬいぐるみ製のコーチングパペットの特別注文までいくつか入ったのだと言う。ぬいぐるみはヒトに近い体型のものとして猿が採用され、“パープ”の名前で愛嬌のある仕草のデータも増やして納品するそうだ。
山吹が取材に入り、「我が国の方陣技術が革新的進歩:方陣で動く運動教師、コーチングパペット誕生」と大々的に宣伝したのも大きい。諸外国でもトップニュースで扱われ、大国アルカンシエルの面目躍如といった事態になっていた。
『ふふ…ふふふ…あと一歩だ…エレオノーラさんの采配で、魔石の出品予定も掴んだよ。まったく、紫紺のお偉いさんには計画性のないお方が多いのか、年末で物入りになる時期だからか、今月中に2つの出品予定があるということだよ』
「まったく、そんな簡単に出品があるなんて聞くとよぉ、別に禁忌でもなんでもねーって感じがするよな」
「それで…どうやってデミに行くの?安全対策とか、話してくれるって言ったよね?」
『ああ、もちろん。まず、欠かせないのがハイデマリーさんだね。彼女はレア・ユニーク持ちで、幻影という魔法が使える。ホログラムのような映像ではなく、本物と寸分違わず触れることのできる幻影を出したり、自分や他人に幻影を被せて変装させる使い方もする。次にベテランのアヒムさんだ。コンラートならどういう人選かわかるだろう?』
「マジかよ…アヒムさんも、元シュヴァルツだ。双子のさらに前の専属だな。デミで5年間潜入捜査した経験がある。完璧にやり通して、デミの中でも悪質な人身売買組織を叩き潰した立役者だ」
「5年間!? え、でも白縹だったら、すぐ軍人だなんて分かるだろ?何かユニークでも持ってる人なの?」
「…いんや。あの人はコンタクトレンズと眼鏡をかけるだけの変装で5年間やり通したんだ。人身売買組織なんていう警戒心マックスな場所で信用を得て、最終的にはボスの身辺警護責任者になってた」
「…そりゃ…白縹に視力低下はほとんどないけどさ…だからって、白縹だってのはごまかせても、眼鏡をかけてるから軍人じゃないってことにはならないよね?…すごい人だな」
『そうなのさ。デミ離脱時から半年はヴァイスに籠って体型を劇的に変え、パッと見はもうわからないと言っていたが…顔はそのままなのでね、ハイデマリーさんの出番というわけだ。で、ジーヴァ商会会頭の秘書という形でマーケットへは簡単に入れるんだがね。まあ、闇市場での暗黙の了解やら、秘密の合図やら、落札時に支払う現金の警護といった諸々にはアヒムさんが最適なんだ』
「…じゃあ、アヒムさんが一緒なら…皆大丈夫なんだね?無事に帰ってこられるね?」
「アロイス、そこは大丈夫だろ。デミで一番危険なのは“カネをごまかす”ことだ。払えもしない額をオークションで提示して場を混乱させたり、偽造通貨で払おうとしたり…そういったことが無けりゃあ、基本的に安全なんだ。その保障がないと闇市場は成立しない。アヒムさんが同行するのは、軍人だと気づかれるのがマズいからだ。そこをほぼ完璧にフォローできる人選だと思うぜ」
『そういうことだね。マーケットに入るのはぼくら三人でも、何かあった時の為に場外で数人の変装したヴァイスが待機してくれる手筈だ。どうだろう、ご納得いただけるかな?』
「…うん、わかった。ごめんね、フィーネ。君やヴァイスを信用してない訳じゃないんだ」
『アロイス、よく分かっているよ、謝らないでくれたまえ。君がそうやって心配してくれるから、ぼくもコンラートも抑えが利く。そして成功率を上げるためにどうすればいいか、さらに知恵を絞るのさ。君はぼくらの安全を願うことで、安全を実現させているんだよ?』
「はは、フィーネの思考回路は独特な明るさだな。僕まで元気になるよ」
ずっと黙っていたヘルゲは、フィーネの上半身が浮かぶフォグ・ディスプレイを見ながら静かに言った。
「…フィーネ。“心理探査”のデータをお前に送信する」
『は?な…なんだって?嘘だろう?き…禁術…』
「こればかりは、おいそれとはバラせなくてな。お前が中等学舎で感じたという方陣は、俺がニコルのぬいぐるみに仕掛けた心理魔法だ。お前に気付かれて、すぐに隠蔽工作をした」
『は…はは…ヘルゲ、君はまったく…ビックリ箱かい?これで移動魔法が手に入ったら、ぼくの求める珍味はあと一種類だけだよ…』
「…珍味というのは、要するにお前が味わっていない方陣、という意味か?」
『その通り。ぼくが求めていた三大珍味は移動魔法、心理魔法、古代魔法だ。移動魔法入手のメドが立った途端に、心理魔法も手に入るとはね…』
「残念ながら、俺が持っている心理魔法はこれと“魅了”だけだ。たぶん強力な洗脳系魔法は、マザーには保管されていないだろう。何かアナログな方法…紙媒体か、口伝の類だろうな。魅了は威力も弱く、持続性に欠けるから脅威度が低いとみなされてデータ化されたようだ。心理探査は…わかるよな?」
『ああ、捕虜の尋問に使われるからね…』
「すぐにこれを使いこなせと言っても無理だろう。俺の方で、フィーネとアヒム、ハイデマリーに悪意を向ける存在をサーチできるように調整したデータを渡す。弄らずに魔石に入れて、これから発動させ続けろ。デミのマーケットで用事を済ませても数日は切るな。悪意を察知したらすぐにバルタザール爺さんに知らせて警戒態勢を取れ。…信用してもらうためなら、心理魔法を俺から手に入れたと話してもかまわん。わかったな?」
『…ヘルゲは、なんなんだい?ぼくを泣かせたいのかい?…魔石はすぐに発動させよう。もし悪意を察知したらすぐに警戒態勢をとってもらおう。だが、心理魔法をヘルゲにもらったなどとバラさなくとも、ぼくはバル爺とエレオノーラさんに信用されているのでね。そこは心配ご無用だよ。以上だ、不足はあるかい?』
「ふん…もう一つあるな」
『なんだい?』
「…よく目を冷やして寝るんだな」
『…ご忠告感謝するよ、ヘルゲ。君は本当に意地悪だな』
それを聞いて、僕らは思わず「その通りだ、間違いない」と笑ってしまった。会議通信を切り、コンラートも満足げにアパルトメントへ帰っていった。
「ヘルゲ、思い切ったね?」
「…そうだな。やりすぎたか?」
「いいや?今なら君にアスティ・スプマンテを出しても惜しくないと思うくらいには、僕はご機嫌だけど?」
「そうか。すぐ出せ」
「あ、もう出したくなくなった…」
「出せ」
「え~…もう少し言い方ってもんを覚えてくれよ…なんで僕はあのワインを出そうとするたびに微妙な気分になるんだろ…」
結局ワインを出し、肴も作り、ヘルゲは満足して部屋へ入っていった。
これは確定だな…ヘルゲの中で、すごい変化が起きようとしている。
僕とニコル以外の二次的な人物だった二人…
コンラートとフィーネが、ヘルゲの中でものすごく大きい存在になっている。僕という「門番」を通して仕方なく、とか少し警戒しつつ、という軽い存在ではない。
たぶん、彼らが傷ついたり、死ぬような目に遭ったら、ヘルゲは冷静でいられない程の存在になっているんだ。
…ヘルゲが怖がっている気がするな。
あいつ、突拍子もないこと平気でやるくせに意外と怖がりなんだよ。
大事なものを失くさないように、いつも必死なんだ。
…誰も…誰も、傷付きませんように。
ヘルゲが怖がらない世界が、いつか訪れますように。