とことん休憩しよう
この街の多くの人が新たな能力に目覚めた。けれどそれは100%というわけではなく、新たな能力に目覚めない人も勿論いた。
私は目覚めた。でも皆には新たな能力が使えないと嘘をついている。
理由はとても単純で、この能力の使いどころがないからだった。
部活動に活用できる能力ではないことは勿論のこと、生活のあらゆる場面において使うことが出来ない能力。
私はこの能力を『箱庭』と名付けた。
使用はしていないけれどそう名付けた。名前は重要だと思ったからだ。
何故このような能力が私に身に付いたのか、それはつい最近になるまでわからなかった。
静寂で閉鎖的な能力。私の性格とはまるで対極にあるかのような能力。
もっと便利な能力が欲しいと思ったこともあった。
だけど、今は違う。
私は理解した。
この能力は、あぁ、そうなのだ。この能力は正に今の私にはなくてはならない能力なのだ。
そのことに気づいてから数日、学校を休んで能力の把握に励んだ。
単純ではないこの能力。
どのような特性があり、どこまで持続できるのか。
孤立した空間。
内からの観察、外部からの観察。
ドアと鍵。
繋ぎ方と外し方。
把握していき、そして思考した。
『箱庭』は内に入るには私がドアを『箱庭』と繋ぐだけで他に条件は要らないが、外に出るためには私の許可が必要だった。
私の許可無しにはどんな力を用いたところで出ることが出来ない世界。『箱庭』。
私の中での計画が段々と色づいていった。
そして、私が自身の能力を把握し終えた時と同じにして計画も定まった。
能力の把握および計画が定まったのは週明けの日曜日。
決行日は翌日の月曜日にすることにした。
もう抑えることは出来ない。
誰も私たちの世界を侵すことは出来ないのだ。
それはきっと素晴らしい世界。
二人だけの、世界が二人で完結している素晴らしい世界。
私に必要なのは彼だけで、そして彼に必要なものも私だけ。
あぁ、私が夢見た理想の世界。
この能力の中こそが、『箱庭』の中こそが、私の理想郷になるのだ。
夕方の四時になるまで紅糸さんは起きなかった。
まるで死んでいるかのように、ピクリともしなかった。
しかし四時きっかりになった時、まるで体内時計に目覚まし機能があるかのように紅糸さんは起床し、そして挨拶もそこそこに自宅へと帰っていった。
と思っていた。
少なくともその時の僕はそう思っていた。
ちなみにひまわりはというと、すっかり夜型の生活になってしまったらしく、紅糸さんが帰宅した時にはご就寝だった。
まともな生活リズムを刻んでいるのは僕だけだった。
そしておそらく常識人も僕だけである。
紅糸さんの帰宅する姿を見送りながら、『ひまわりとのことを結局話してなかったけれど、いいのかな?』と思ったけど、それは藪蛇になるだろうからやめた。
忘れてくれているのならばそれでいいだろう。
嫌なことは後回し、後回し。
それからいつもどおり、夕食を作り(ひまわりは未だ就寝中だったので結局僕が作った)、美味しくもなくまずくもなく頂いているところに、紅糸さんが訪ねてきた。
というか帰ってきた。
ニャータに餌やって、シャワー浴びて、着替えて、急いで帰ってきたと言う。
帰ってきたって、ここは紅糸さんの家か?
しかも僕が作った夕食食べられた。
更に美味しくないと文句も言われた。
それなら食べなくていいと言うと「うなぁ」が返ってきた。
そうこうしているとひまわりが起きてきて……
それからは昨日と同じ様子の繰り返しになった。
グダグダだった。
グダグダのグズグズだった。
この空間ほど非生産的な空間が他にあるだろうか?いや、ない。(反語法だよ)
そして僕はまた彼女たちについていけなくなったので、昨日と同じく夜の十時ごろ就寝した。
それから五時間後の、つまりは深夜三時のことだった。
そこから話は進展することになる。
いや、嘘。
やっぱりそんなに進展はしないのだった。
「……ぎん」
「……」
「ミナギン」
「……ん」
「ミナギン、起きろ!」
「うな」
「それ私の!パクるな!」
「……なぁに、紅糸さん」
「話がある。起きろ!」
起きろと言われても、眠い。
身体が僕に告げている。今はまだ起きる時間じゃないと。
故に、
「……ぐぅ」
「こらぁ!起きろ!」
紅糸さんが僕の身体をゆすった。
「うぅん。やめて」
「うな。ちょっと色っぽいな、ミナギン」
「眠いんだよ。大体さ、今何時?」
「三時だが。それが何か?」
「……僕はサンジよりもゾロが好きだから、起きない」
「ツッコミのミナギンから物凄いボケが出た!」
うるさいなぁ。
ボケたわけではなく、ただ単に寝ぼけていて頭が回転していないだけだ。
……ん?まてよ。
寝ぼけていることもボケに含まれるのだろうか?
含まれるのだとしたら、今のはやはりボケたことになるのだろうか?
……超どうでも良かった。
「うなぁ、今のは凄いなぁ。今度使わせてもらうためにどこかにメモしておこう」
「……ぐぅ」
「しかしこのボケ、残念なことに三時にしか使えないというデメリットがあるな。つまり一日に二度しか使えないという時間条件型のボケ。その分嵌った時の威力は凄いものがあるな。でもミナギンが特許を申請したらどうしよう?一日に二度しか使えない時間条件型のボケではあるのだが、その都度ボケの使用料を支払わなければならないのだろうか?そしてそれはいくらなのだろうか?いくら払えば、ミナギンはこのボケを許可してくれるのだろうか?」
「……すぅ」
「なぁ、ミナギン?そこんとこどうなんだ?……って寝るな!」
「う、うぅん。なぁに?」
「うな。ちょっと色っぽいな、ミナギン」
「……それさっきやった」
「うな。寝ぼけていてもやはりツッコミは欠かさないのだな、ミナギンは。そのプロフェッショナル精神、素晴らしいぞ」
「ありがトンヌラ」
「………………………………………………………………………………………………………………………………う、うなぁあああ!凄いボケキタぁ!」
うるさいなぁ。
何をそんなに騒いでいるんだ?紅糸さんは?
「うな、うな、うな!何だ、ミナギン!起きている時はツッコミのプロフェッショナルで寝ぼけている時はボケの神か!?どっから湧いてくるのだ?そのボキャブラリィは!出来ることなら教えろ!」
「……紅糸さん」
「うな?何だ、ミナギン?早速奥義伝授か?」
「ボケというのは誰かから教わるものじゃない。ましてや必死になって考えるものでもない」
「うな?そんなことはないだろう?現に芸人は必死になってボケやツッコミを考えるのだから」
「違うんだよ。真に、神から認められたボケやツッコミは自然と出てくるものなのだよ」
「!!」
「だから、むにゃ、教えるとか教えないとか、君は少し、むにゃむにゃ、ずれているんだよ」
「……私が間違っていました」
「うむ」
「どうか、弟子にしてください。奥義とかボケとかツッコミではなく、あなたの人間性を私は学びたい」
「……うぅ、精進したまえ」
「はい!」
紅糸さんはとてもいい声で返事をした。
もっとも僕はこの時完全に夢心地で何を言ったか全く記憶にないのだが。
「……紅糸さん。そろそろ観凪さんを起こしましょう?」
「…………はっ!そうだった!何か変なマインドコントロールにかけられていた!」
ひまわりのまともな提案に紅糸さんはようやく目を覚ました。僕はまだ目を覚ましていないが
ちなみに僕はマインドコントロールをかけた覚えはさらさらない。
というか今の一連の台詞が既に全く記憶にない僕だった。
「うな?こうなったら力技で起こすしかないな」
「力技?ですか?いったいどうやって」
「乙種対人能力『でっかいぱんち』」
「……だ、ダメです!観凪さん死んじゃいますよ!」
就寝中僕でもリアルに死の危険を感じてきた。
どうしよう?起きたほうがいいのかな?でもこのまま永眠するっていうのもありな気がする。
「大丈夫だ。この間ひまわりに使用して気がついたんだが、この技殺傷能力は低いようだから。きっといい気付けになるはずだ」
「下に床があります!その威力で叩いたら、観凪さん圧死しちゃいます!ゴキブリみたいにぐちゃってなっちゃいます!」
「うな、それはグロいな」
グロすぎる。
しかも僕はゴキブリと同等扱いか?人権を主張したい気分だ。
「そうなってしまったら確かにグロい。確かにグロいが、大丈夫だ」
「大丈夫じゃないです!紅糸さんのその自信は何なんですか!?」
「私はな、知っているんだ。ミナギンは実は凄いやつだってことを。このぐらいの攻撃、ミナギンなら軽く止めてみせる」
……何故紅糸さんはいつもぼくを過大評価するのだろうか?
その過大評価のせいで僕がどんな目にあっているか、本当に認識してもらいたい。
まったく、ひまわりはそんなことはないよな?
「あ、そうなんですか?それなら大丈夫ですね」
「大丈夫なわけあるかぁ!」
結局、命の危険を感じとったのと、ツッコミのために僕は勢いよく身を起こした。
「あ、起きましたね」
「うな、起きたな」
「何で君たちはいつも僕の実力を過大評価するんだ!そのせいで僕は命の危険を何回感じればいいんだ!後何回感じればいいんだ!」
そんな僕の必死の言葉も虚しく、紅糸さんたちはその僕の必死の様子が疑問らしく、可愛らしく首を傾げたりしている。
「うな?私は別にミナギンを過大評価なんてしてないぞ。それは正当な評価と考えているな。むしろミナギンの能力を間違って評価しているのは他ならぬミナギン自信ではないのか?」
「いや、さっきのを強行されたら僕は絶対に圧死していたから!というか本当にやるつもりだったね!」
見ると紅糸さんの右腕がでっかく赤くなっていた。
あの時と同じように、ひまわりを飛ばしたときのように、紅糸さんの右腕は具現化されたそれに包まれていた。
それから発せられるプレッシャーは物凄いものである。
これにあてられても起きなかった僕っていったい。
「ふ、私は冗談が大好きだが、しかし時と場合を選ぶのだよ」
「間違ってるから!選択の基準を確実に間違えているから!」
こういうときは冗談にしてほしかった。あと少しで僕は友人に殺されるところだった。
「……はぁ。まあいいや。それで僕をこんな時間に起こした理由は何なのさ?」
「うな。何だったっけ?」
「用も無いのに起こさないでよ!そして殺そうとしないでよ!」
「殺す気はないんだがなぁ。うなぁ、何だっけ?何でミナギンを起こそうとしたんだっけ?」
紅糸さんは「うな、うな」言いながら頭を抱え始めた。
「うなぁ、ダメだ!『サンジよりもゾロが好き』と『ありがトンヌラ』しか思い出せない!」
「何それ?」
前者は意味不明だし、後者は駄洒落だ。
「何って、ミナギン渾身のボケだったじゃないか!忘れたのかぁ!」
「え、それ僕が言ったの?またまた」
そんな記憶ないし、そしてそんなつまらないことを僕は言わないと思う。
「大体、それボケって言うかただの駄洒落じゃないか」
「こらぁ!」
物凄い剣幕で怒られた。
深夜なのだから静かにしてもらいたい。ご近所さんに迷惑がかかってしまうではないか。
「言うに事欠いて駄洒落だと!ミナギンには『ありがトンヌラ』がどれほど高度なギャグなのか、まったく理解してないな!それでもツッコミか!ツッコミのプロフェッショナルを目指している身か!」
「いや、目指してないしね。ツッコミのプロフェッショナル」
それで飯を食べていくとしたら相方がいなければならない。
ツッコミだけでは世の中は渡っていけないのだ。
「仕方がない。説明してやる。どうもミナギンには一から説明しなければならないことが多いようだな。きっと察しが悪いんだな。まったくそんなことでこの世の中を渡っていけるのか?」
「不安ですね」
人見知り+引きこもりのひまわりに心配されてしまった。
何だか物凄い心外だ。
僕はひまわりの将来のほうが圧倒的に不安なのだが。
「まずこのギャグを説明する前に、一つ問うことがある。ミナギンは『トンヌラ』を知っているか?」
「……うーんどこかで聞いたことはあるような気がするけれど。思い出せないなぁ」
「たわけが!その程度の知識で世界征服を行う片腕といえるのか!」
「ゲームが気になって世界征服の活動をしていない征服者が何を言うか」
「うな!何か言ったか!私には何も聞こえなかったようだがな!」
語気が荒くなっている紅糸さんだった。
僕は出来る限り小さな声でそれを言ったつもりだったが、どうも紅糸さんは地獄耳のようで全部聞き取られていた。
まあ皮肉だろうけど、紅糸さんは聞き取れなかったと言っているし気にしないでおくことにしよう。
「トンヌラ、トンヌラね。何かのキャラクターの名前のように受け取れるけど」
「お、鋭いなミナギン。思い出したのか?」
「うーん。ダメだね。わからない。降参」
「ミナギン……世の中に出たら降参したってその答えを教えてもらえると思うな。わからなかったらネットで調べろ。私は世の中の厳しさを教えるために絶対に答えを言わないからな」
「別にそこまで知りたくはないんだけれど」
むしろどうでもいい。
トンヌラという単語を調べ、そのギャグの凄さがわかったところで何だというのか?
それだけの労力を払ったわりに、返ってくる報酬は決してよくないものだと感じ取った。
「いいよ。紅糸さんが教えてくれないならこの話はここまでにしよう」
「ちょっと待て!何でミナギンはそうやっていつも早々に諦めるんだ!知りたくはないのか!?この素晴らしきギャグを」
「いや、そこまでは」
「何て知的好奇心がない奴だ!ミナギンの精神年齢は老人か!?植物のように穏やかな精神状態なのか!?」
「夜中の三時に起こされて聞くことでもないって思っただけだよ。もう寝ていい?」
「ダメ!言うから、答え言うから!ギャグの内容も教えるから寝ちゃダメ!」
結局紅糸さんが折れることになった。
何となく、紅糸さんが教えたいことって僕が興味がないことが多いな。それでいつもこの流れになっているような気がする。
「いいか。ミナギンはドラクエはやったことがあるだろ?」
「うん。一応は」
「ドラクエⅡだとサマルトリアの王子の名前の候補一つだが、それはあくまでも候補のひとつであるから正しくそれを指しているとは判断できない。だからドラクエVだな。ドラクエVでの『トンヌラ』が正しいだろう。主人公の父親のパパスが主人公につけようとした名前。それが『トンヌラ』だ」
「凄いマイナーな起源だね」
「でもインパクトはあるだろう?誰もが思ったはずだ。『おいおい、パパス。その名前はないよ。センス全くないよこの親父』とな」
「確かに僕もそう思ってたよ」
トンヌラはない。産まれてきた子供にトンヌラはない。どんなネーミングセンスだよ。でもあれがあの世界においての普通のネーミングセンスなのだろうか?だったらとても嫌な世界だ。
「ビヤンカもセンスありませんよね。ベビーパンサーに『ゲレゲレ』ですから」
「うな。何処をどう見たら『ゲレゲレ』になるのか検討もつかないな」
「紅糸さん、ひまわり。これ以上話を脱線させるのはちょっと」
ただでさえ、『ありがトンヌラ』というギャグ説明するというどうでもいいことを話し合っているのだ。それから更に脱線してどうする?
このまま脱線し続けたら収拾がつかなくなるぞ。
……もうなっているかもしれなかった。
「うな。『ゲレゲレ』の議論もしたかったが、仕方がない。話を戻すとするか。ミナギン、とりあえずトンヌラが何であるかは理解したな」
「まぁとりあえずは」
ゲームの主人公の却下された名前であることはわかった。
わかったのだけど。
「それを踏まえたうえでも、『ありがトンヌラ』はただの駄洒落じゃないか?」
「はぁ、これだからミナギンは。読みが浅すぎだろ」
やれやれといった感じで紅糸さんは首を横に振る。どうやら呆れているようだ。
僕はそんな紅糸さんに呆れているのだけれど、それは勿論内緒である。
「ミナギン、覚えているか?私と前ドラクエの話をしただろ?」
「……そういえばそんな話もしたね」
確か、紅糸さんがドラクエⅢの職業では勇者だったというボケをして、それは『デフォルトでその職業だから』とつっこんだ記憶がある。
「つまりミナギンと私はドラクエについての知識があるということを考慮してのボケ。これはなかなかポイントが高い」
「いや、でも僕覚えてなかったよ。トンヌラ」
「寝ぼけミナギンは覚えていたの!それだけで充分なの!」
「はぁ」
「そしてこの『ありがトンヌラ』はおそらく『ありが父さん』から派生したギャグ。トンヌラは主人公の父親がつけようとした名前。そういう関連性もあるのに加え、トンヌラという却下された名前にもかかわらず、それに対する感謝の言葉。これはもうギャグの域を飛び越えて、芸術の域に達したと私は考察する。このギャグを聞いた時、私は身震いがしたものだ」
「はぁ」
そこまで説明された僕だけれど、全然『ありがトンヌラ』の素晴らしさはわからなかった。いや、紅糸さんが無駄に感動を覚えていることは理解したけれど。
かわりに、
「す、凄いです!そんなに高尚なギャグだったんですね!」
ひまわりがその素晴らしさを理解していた。
それから紅糸さんとひまわりによってドラクエ談議が始まったのだが、流石に僕はそれについていかず再び眠りにつかせてもらった。
けれどその一時間後、つまりは四時にまた紅糸さんに起こされた。
今度は眠りが浅かったのですんなり起きることができた僕だった。
「……今度は何?」
「うな。喜べミナギン。思い出したのだ」
「……だから今度は何の話題?ドラクエ?FF?」
「うなぁ。FFⅥのシャドウって絶対初回プレイだと助けられないと思うのだが……」
「……御休み」
「うな!違う!今度は違う!真面目な話!ミナギンを起こそうとした理由を思い出したの!」
ようやく紅糸さんはそれを思い出したらしい。
思い出すのに一時間もかかっていた。
いや、その間ずっとひまわりとどうでもいい話をしていたんだろうけど。
真面目な話というならば、僕も真面目に聞かなければならないな。
僕は身体を起こし、両腕を上空に思いっきり上げて伸びをした。
それによって身体が急速に目覚めていく。
「うん。目が覚めた。それで真面目な話って何?」
「実はな……負けが込んでたんだ」
「……はぁ?」
今日だけで僕はその台詞を何度吐いただろうか?そしてこれから何度吐くのだろうか?
倍の回数以上は吐く気がした。
「うな。強化系能力者、おそるべしって奴だな。まさかここまで動きが洗練されるとは思ってもみなかった」
「あの、何の話?」
「だからゲームの話だ」
「はぁ」
え?何?
僕、そんな理由でこんな夜中に起こされたの?
嘘でしょ?嘘だといって、誰か。
「えへへ、後半は七割ぐらいの確率で私が勝利しているんですよ」
とひまわり。やけに嬉しそうに語るなぁ。
対人恐怖症はどうしたのだろうか?
「うな。そういうわけだから、まぁ気分転換のつもりでミナギンに話をしようと思ったのだよ」
「気分転換ぐらいで寝ている人を起こさないでよ」
暴君だ。
紅糸さんは確実に暴君だった。
「話はそれで終わり?なら寝かせてよ」
「うな?いや、まだ話に入ってないが」
「うん?話は紅糸さんがゲームで負けが込んでいることじゃなかったの?」
「うな!それは真面目な話をするきっかけだ!何だ、真面目な話がゲームで負けが込んでいるって!そんな奴いるか!」
「……」
紅糸さんなら充分にありえる。
というか己の行動をよく振り返ってもらいたい。勘違いしないほうがおかしいだろ?
「失礼だな、ミナギンは!失礼しちゃうな!」
「意外に怒っているね」
「負けが込んでいましたからね」
「さっきはそれも忘れていたようだけど」
所詮はどうでもいい話なのだ。
紅糸さんは真面目な話だというが、おそらくどうしようもなくどうでもいい話なのだろう。
だから負けが込んできた時に聞こうと思うわけだし、そしてその内容を忘れて『トンヌラ』の話をしてしまうのだ。
「それで紅糸さん。真面目な話って何なの?」
「うな!ミナギン、謝罪の言葉が先じゃないのか?私のとてもデリケートな乙女な心は酷く傷つきました。慰謝料を請求しても何らおかしいことではありません」
「あぁ、ごめんごめん」
「何だ!その誠意のない謝り方は!全然反省してないだろう!」
「いや、だって僕は別に悪いことをしたわけじゃないし」
ただ勘違いしただけだ。
それをここまで怒られるのは納得がいかないというか……いや、だって紅糸さんノリで怒っているだけでしょう?
徹夜続きで、紅糸さんの脳内は物凄いアドレナリンが分泌されテンションがおかしなことになっているだけなのだ。
だから睡眠をとって素の僕には今の紅糸さんのテンションについていけないのであった。
「うな!反省の色が見えないどころか開き直りだとぉ!ミナギン……」
「あの、紅糸さん。その辺にして話を進めたほうがいいと思うのですが」
意外なことにそう提言したのは、ひまわりだった。
ひまわりはアドレナリンがそんなに分泌されていないのかいつも通り、いやむしろいつも以上の常識人となっていた。
まさかあのひまわりからそんな言葉が発せられるなんて。
明日は雪が降るかもしれないと思うのは大袈裟なことではないだろう。
「私は早くゲームに戻りたいですし」
「期待した僕がバカでした!」
「?」
いや、本当、ひまわりに何を期待していたんだ、僕は?
わかっていたことじゃないか。
ひまわりに常識がないことなんて。
だからそう落ち込むんじゃないよ、僕。
「うな。ひまわりがそういうなら仕方がない。まぁどうせ、そんなに怒っていなかったことだしな」
「じゃあそんな剣呑な空気出さないでよ」
「たまにはこういうノリもいいかなって思ったんだ。でもあまり楽しくなかったな」
僕のほうが楽しくなかった。
怒った紅糸さんよりも、確実に怒られた僕のほうが楽しくない思いをしたはずだ。
でも、僕は大人だからそんなことは勿論進言しないのであった。
「うな。それで負けが込んできてミナギンと話をしようとした話題だが、アレだ」
「アレって?」
だから、そういうツーカーで伝えようとするのはやめてもらいたい。
紅糸さんは僕にそういうのを察する能力があると勘違いしているのではないだろうか?
「だからアレだ!話途中で終わっただろう?」
「?」
「どうしてひまわりと一緒に暮らしているかだ」
「うわぁい!」
そういえばその話は途中で切り上げていた。理由は紅糸さんとひまわりがゲームに夢中になっていて話どころではなくなったからだが、正直僕はこの話が切り上げられて良かったと思っていたのだ。
だって……どうやって説明するよ?
僕にだってわからないよ。どうして一緒に暮らし始めたかなんて。
そもそも僕はただ流されただけであって、それを決定したのはひまわりだ。
それならひまわりに聞くのが筋ってものじゃないか?
筋ってものだろう?
ようするに、ひまわりに答えさせて僕は責任から逃れよう。
「どうしてって言われても、それはひまわりに聞いてもらわないと」
「え?私ですか?」
「うな。何でひまわりに聞くんだ?この部屋はミナギンのものだろう」
「そうだけど、メイドになりたいってひまわりが言って、それから雪崩式に話が進んでいったから、正直僕の意思みたいなのはそこにはないんだよ」
僕は流されただけなのだ。
よって僕に責任はない。責任はないのだから責めないでもらいたい。
本当に僕は流されただけなのだから。
「ひまわりは何でミナギンと一緒に住もうと思ったんだ?」
「だって、観凪さん優しいですから。お仕えするのはこの人しかいないって思いました」
何で突然『正義』からメイドに転職したのか、その肝心の理由が一切語られていなかった。
「うな。そうか、なら仕方ないな」
「簡単に納得したよ。この人」
それでいいのだろうか?
まあ、紅糸さんがそれでいいのならそれでいいのだろう。
拍子抜けするぐらい修羅場にならなかったなぁ。
しかし僕と紅糸さんは別に付き合っているわけではないのだから、これが普通の流れというやつなのかもしれない。
「時にミナギン」
「何?紅糸さん」
「ミナギンは誰かが一緒に暮らしたいと願い出たら、それを了承してしまう人間なのか?」
「いや、その」
あ、僕に矛先向いた。
紅糸さんはどうもひまわりに甘い傾向がある。
接している時間が短いからだろうか?とにかくひまわりにはそれほど強く接しないようだ。
その分が僕に向けられていたりする。
「ぼ、僕だって時と場合を考えて行動するさ」
「ほうな。それでは今回の場合もさぞかし考えた上での結論というわけだな?」
「うな!」
ごめんなさい。本当は全然考えてません。
えぇ、これっぽっちも考えていません。
ただ僕は人の考えを強く否定できないから、ひまわりの決意を否定できなかったからこのような結末に至っているわけです。
……だけど、『ほうな』って。ツッコミたいなぁ。
「ひまわり可愛いから一緒に住めてラッキー、とか考えて現在に至るというわけだな?」
「いや、あの、その……すいません。何も考えてません。流されただけです。すいません」
結局謝っている僕だった。
何で僕と紅糸さんは付き合っていないのに、このような修羅場になっているのだろうか?
「ミナギン。人の意見を断れないというのはマイナスファクターだぞ」
「はい」
「じゃあ、私もそのマイナスファクターに付け込んでここに一緒に住むことにするな」
「はい」
「ニャータも連れてくるが、ここはペットOKか?」
「OKです………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ってちょっと待て」
さらっと重要なことが進んでないか?
僕がへこんで肯定しか出来ないことをいいことに、話がとんでもない方向に進んでないか?
「紅糸さん。ちょっと今までの話、頭に入らなかったなぁ。何を話していたんだっけ?」
脳が強制的に今の会話をデリートしていた。
そして今の時間も本当にデリートされていたらいいのになぁ。
「うな。ニャータを連れてくるって話だな」
「ここに?別にこのマンションはペットを飼うことを禁止してないから大丈夫だけど、何でさ?」
「だって、ニャータを一人にしたら可哀想じゃないか?」
「猫だから一匹でしょ?」
「うな!ニャータは家族なの!私のかけがえのない家族なの!だから一人でいいの!間違いじゃないの!」
また凄い剣幕で怒られた。
そこまで可愛がっているのか、ニャータを。
「猫の数え方はさておいて、どうして猫をここに連れてくるわけさ?」
「だから、ニャータを一人にしたら可哀想じゃないか?」
「猫だから一匹でしょ?……ってループしているね。ごめんごめん。でもわざわざここに連れてこなくても紅糸さんが家に帰ればそれで済む話でしょう?」
「何を言っているんだ、ミナギン?だからその家をここにしようという話じゃないか?」
「何を言っているんだはこっちの台詞だ!!」
よかった。今度は脳が拒否反応を示すことなく普通に対応することが出来た。
きっと慣れたのだろう。
さらっと言われることに慣れ、即座に対応することが出来たのだろう。
と、冷静に判断している場合じゃない!
「え?何?紅糸さんもここに住むつもりなの?」
「つもりだが?それが何か?」
「何か?じゃないよ!問題ありだよ!凄い問題あるよ!」
「うな?部屋数なら問題ないのではないか?見たところ3LDKのようだし一人一部屋を与えてもリビングが残るぞ」
「まあ確かに残るけど」
このマンションの一室は僕とその両親が暮らしていた部屋だ。
故にそれぞれの個人用として三つの部屋とそしてリビングなどがある。ひまわりには一室を貸しているし、僕もずっとある一室を使っている。そして両親がいない今確かにもう一室空いていることには空いている。
空いているのだが、
「いや、だからって何で一緒に暮らすのさ!おかしいでしょ!?」
「ひまわりと一緒に暮らしているのにおかしいといえるのか?」
「そ、それは」
それはこの話題における急所であった。
いきなりピンポイントで急所をついてくる紅糸さん、恐るべし。
「い、いや、でも、ほら、その、紅糸さんの親が許さないでしょう?同じクラスメイトと同居するなんて」
「許すも許さないも私に親などいない」
「え?初耳なんですけど」
しまった。
僕は知らなかったとはいえ今の一言で紅糸さんを傷つけてしまっただろうか?
「ミナギンにもいないだろう?別に気にすることじゃない」
「私もいないですね」
「うな。そういうわけだ。何かお前ら楽しそうだったから、私も混ぜてくれ」
それは、紅糸さんが現在一人で暮らしているということだろうか?
明るく、いつもどおりに何気なく言った紅糸さん。
しかし、彼女はどれだけの決意を持ってその言葉を口にしたのだろうか?
孤独はつらい。一人でいることは寂しい。
だから僕は紅糸さんの申し出を了承したんだ。
決して流されたわけではないということだ。
……勿論それは嘘で、結局は流されただけだったりする。
土曜日はゲーム、日曜日は紅糸さんの引越しの手伝いという形でこの休日は潰されることになった。
紅糸さんの引越しの手伝いは、普通におこなったら隣人からいろいろと怪しまれると思ったので(いや、もう取り返しのつかないところまで来ているような気はするのだけれど)、まず明け方の人のいない時間を見計らい、それから紅糸さんの能力を使用して目立たないようにやった。具体的には糸をつかって、玄関からではなくベランダから荷物を入れた。ひまわりがあの日ここに飛ばされてきたようにベランダから。もっともあの日のようにまた窓を破壊ということは勿論してないが。
紅糸さんの荷物はそんなに多くはなく、また紅糸さんが土曜日に一度帰宅した時には既にその計画を立て荷造りをしていたようで、皆が起きてくる時間までには引越しを終えることができた。
誰にも見つかっていないことを真に願う。
さて、それからはいつも通りで、ゲームをしたり眠ったりしていた。僕もたまにゲームに混ぜてもらったが、如何せんついていく事は出来なかった。仕方がないのでニャータと遊んでいたり。
そんなこんなで休日は過ぎる。
とてもじゃないが、世界征服を目論む者達の休日とは思えないグダグダっぷりであった。
グダグダっぷりであったが、僕はこの休日がとても楽しかった。
そう紅糸さんと同じ感想を僕は持ったのだ。
思えば、あれから僕は八方美人に生きてはきたが、決してある一線は他人に踏み込ませなかった。
親友など親しい人間は決して作らなかった。
理由は二つある。
一つは割り切ったから。
僕は完全にこの世界にとってただの歯車であると割り切ったから、そして僕はあの二人の代替品であると割り切ったから、親しい人間を作らなかった。
もう一つは恐れたから。
親しい人間を失うことを恐れたから。もう、あの時と同じ思いはしたくはなかった。その思いは今も変わらない。
変わらないが、もしかするとこの二人なら、紅糸さんとひまわりならそれをも覆す力を持っているかもしれない。
僕が彼女たちと親しくしている理由。彼女たちを受け入れた理由。打算などないと言いたいところだが、突き詰めるとやはりそれが理由なのだろう。
今は違う。それははっきり言える。
今は彼女たちといるのが楽しいから、一緒にいる。
だが、最初は、最初の理由はそこによるところが大きい。
失わない可能性が高いこと。個々が強いこと。それこそが彼女たちと一緒にいることにした理由だった。
彼女たちはとても強い。僕なんかよりも段違いで強い。
だから気をつけなければならないのは僕自身だ。
僕自身が失われてはならない。
それは彼女たちをきっと悲しませることになるから。
いつか僕たちは、僕たちのうちの誰かを失うことになるだろう。それはどういう理由かはわからない。別れかもしれないし、死かもしれない。わからないが、必ず訪れる。
願わくば、どうかその日までは、この休日のように楽しい日々が続くことを。
僕は柄にもなくそう思ったのだった。
月曜日、登校は勿論別々の時間におこない(詳しく語ると、紅糸さんに早めに出てもらった)、何とか僕と紅糸さんが同棲していることを誤魔化した。
と、普段と変わったところはそれぐらいで後はいつも通りの平日だった。
普通に授業を受け、普通に休み時間を過ごし、普通に昼食を摂り、普通に放課後を迎えた。
逆に普通すぎて不気味なぐらいだ。
それは何かの前触れのようにも感じたが、しかしいくらなんでもそれは考えすぎだろう。
さて、放課後だ。
僕はいつも通り保健室に向かわないといけないのだが、紅糸さんはご就寝だった。
昨夜もひまわりと遅くまでゲームをしていたからだ。
まったく、見境というものがないのだから困る。
とりあえず起こしてみることを試みる。
「紅糸さん、放課後だよ」
「……ぅなぁ。あと……」
「『後何分』という技法は使いまわされているよ」
「む」
「アトム!」
やばい!ツッコまないと!
でも難しいなぁ。このボケは。
『どんな夢見てるのさ!』という普通の突っ込みも思い浮かんだが、如何せん「アトム」のボケに対するツッコミとしては力量不足に感じる。
『原子力か!』、『あの髪型は何なのさ!』などは如何だろうか?
と、何を真面目に考えているんだ、僕は?
末期かもしれない。
ツッコミが陥るという末期症状なのかもしれない。
「困ったなぁ。この様子じゃあ紅糸さん起きそうにないな」
……って、別に紅糸さんを待つ必要はないのだけれど。
しかしながら、昨日からではあるけれど一緒に暮らし始めた仲である。別々に帰るというのもちょっと寂しい話だ。
うーん、どうしようか?
困りながら周囲を見回していると、友人と話をしている識桜を発見した。
……女の子同士の談笑は長くなると相場は決まっているし、識桜に言伝を頼んでみるか。
「識桜」
彼女たちの話を中断させるのは忍びないという心の現われなのか、その呼びかけは酷く小さなものになってしまった。
それでも識桜は僕の声に気づいたらしく、振り向いてくれた。
「うん?蒼巳君じゃない。どうしたのかな?」
「ちょっと識桜に頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」
「いいよ」
内容も聞かずに即断で返答をする識桜。
それは僕に対する信頼の現われなのだろうか?いい奴すぎるよ、識桜。
もう少し人を疑ってかからないといけないと僕は思った。
よし、今後の教訓のためにもここでエロイことを強請させてやろう。
……と、識桜の信頼をわざわざ壊すような真似をしてどうする。
冗談はさておいて、真面目にいこう。
「識桜たちはまだお喋りしているの?」
「うん。しばらくは無駄話をしていくつもり」
その言葉の後「私たちとの会話は無駄話ですか」という識桜の友人からのツッコミが入り、慌ててそれを否定する識桜。
どうやらここでの識桜は弄られキャラであるようだ。
「うん。しばらくは楽しくお話していくつもり」
「言い直した」
妙な圧力がかかったようだった。
人間関係って大変だなぁ。
「それで頼みたいことって何かな?」
「あ、うん。お喋りが終わるまででいいんだけど、終わるまでに紅糸さんが起きたら、僕が保健室にいることを伝えて欲しいんだ」
「いいよ」
また即断で回答をしてくれる識桜。
……本当に理解したのか疑問に思うスピードだったけど、ここは識桜を信用しよう。
お互いに信頼を寄せ合うことこそが、人間関係をうまく築くポイントなのだから。
「ありがとう。頼んだよ」
「ちょっとマッタァ!蒼巳君!」
お礼の言葉を述べて立ち去ろうとしたら、識桜の仲良しグループの一人に止められた。
止めたのはこのグループのまとめ役のような存在の桔梗さんであった。
あまり面識はないが、何度か会話をした記憶はある。
「蒼巳君に、質問があります」
「……何かな?」
桔梗さんは普段敬語を使うような人ではないので、ここでそれを使用したということは何か警戒しなければならないことがあると僕は考えた。
「ズバリ!蒼巳君と紅糸さんは付き合っているんですか!?」
「…………え?」
おぉっと、これは思いがけない攻撃だ。
いや、確かに紅糸さんは可愛いし一緒にいるのは楽しいけれど、けれどそういうことは全く持って皆無であった。
皆無であるはずなのに何故そのような質問をされるのだろうか?
「桔梗さん。何でそんな質問を?」
「何でって……えっ!もしかして付き合ってないの?」
「付き合ってません」
「嘘ダァ!だってあれだけいつもいちゃいちゃしているジャン」
えぇ!
僕と紅糸さんの関係のどこをどう見たらそのような解釈ができるというのだろうか?
僕たちは一緒に休み時間を過ごしたり、一緒に昼食を食べたり、一緒に下校したり…………あれ?わりといちゃいちゃしているように見える?
見えるかもしれない。
「僕と紅糸さんは、まぁ確かに仲はいいけど、そのような関係ではないよ」
「あれだけいちゃいちゃしているのに?」
「いちゃいちゃしているつもりはないんだよ。ただ友達付き合いをしているだけ」
世界征服を手伝っているとは間違ってもいえない。
そんなことをクラスメイトに言えるわけがないという理由も勿論のこと、世界征服の活動をまともに行っていないこともその理由のひとつだった。
「信用ならないなあ」
「何でさ!?」
どうしても桔梗さんは僕と紅糸さんを付き合っているということにしたいらしい。
まったく、女子は色恋沙汰が大好きだなぁ。
とここで識桜が言った。
「だって、皆噂しているよ」
「………………………………………………………………………………………はい?」
「蒼巳君と紅糸さんは付き合っているって。もうこのクラスだけじゃなくて学校全体が知らないくらい有名な噂だよ」
「当の本人が知らないんですけど!」
僕らを無視して噂は一人歩きしていたらしい。
本当に恐ろしいな。噂って。
「蒼巳君、本当は紅糸さんと付き合ってるんでしょ?」
「何でさ!?」
識桜とも、桔梗さんと同じやり取りをしてしまった。
何で男女関係となると、皆色恋沙汰に持っていきたがるんだろうか?
サガか?人間のサガというものなのだろうか?
「だって、紅糸さんも蒼巳君も、二人でいるようになってから随分と変わったもの」
「え?」
変わった?紅糸さんが?そして僕が?
「紅糸さんって綺麗で可愛くて男子に人気があるけれど、でも友達は誰もいなかったでしょう?紅糸さん、必要最低限の会話はしてくれるけどそれ以外はしません、関わりません、みたいなオーラがあって。うん、誰も話しかけられなかった。何か、見えない防護壁を作られているみたいで。だけど蒼巳君と付き合うようになって、防護壁じゃなくて防護幕になったって感じがするよ」
「防護壁が防護幕に?」
違いがよくわからない。
どちらにせよ他人を拒否しているのではないのだろうか?
「何かやわらかくなったっていうことだよ」
「よくわからないね」
「印象だからね。よくわからないのが印象じゃないかな?」
何かの名言のように、識桜は言った。
このぐらいの年頃は名言を吐きたくなるものなのだ。今のはまさしくそれだった。
「そういえば僕も変わったっていうけど、どう変わったのさ?」
僕は、僕はあれから変わったのだろうか?
自分でもよくわからない。自分のことなんてよくわからない。
だから、古くからの付き合いがある識桜に僕は聞いたのだった。
識桜は笑みを浮かべながら、こう答えた。
「笑顔でいることが、多くなったよ」




