ひとまず休憩しよう
恋は錯覚だと思っていた。
人を好きになる感情とは、その人を好きだと脳に認識させるから好きになるのだと思っていた。
認識させているから友人はあんなに簡単に人を好きだと言えるのだし、付き合ったり別れたり出来るのだと思っていた。
真実の愛はあっても、真実の恋はない。そう思っていた。
そう思っていたのだけれど、人並みに恋に憧れていたし、少女漫画のような恋をしたいなんて本気で思っていた。
それが出来ないのならば彼氏なんて要らない。そう思っていた。
だから友人に彼氏が出来ても、表面上は羨ましい素振りを見せていたけれど、実は何にも羨ましくはなかった。普通の恋愛に興味などなかったからだ。少女漫画のような、ドラマチックな恋愛以外私は求めていなかった。
友達には身が固いとか、恋愛に興味がないとか言われたけど、考えを変える気はなかった。
恋は錯覚だと思っている。だけど少女漫画のような恋がしたい。
そんな矛盾を抱えていれば彼氏なんて出来なかった。
異性からもてなかったわけじゃない。実際に私は何度か男性から告白されたことはあった。
でも全て断った。
知らない男性だったし、こちらが好きでもない相手と付き合うなんておかしいと思った。
つまるところ私は恋に恋していたんだと思う。
人を好きになるのではなく、恋という状況をしてみたいと思っていたのだ。
それを客観的に理解した時、私は人を好きになることなんてないのだなと思った。
そう思っていた。
『この学校にはどんな傷でも治すことが出来る人物がいる』
その噂を耳にしたのは入学して数週間のことだった。
どうやらその人物も私と同じ年のようで、部活動などで怪我をした生徒を無償で治しているらしいのだ。
無償というのが私には気になったが、しかし生徒の受けは悪くないようで、事実同じ部の仲間はその人物をかなり評価していた。
それは新たな能力によるものらしい。もしその話が本当ならば学校に通うことなんてせずに、病院などでその能力を活かせばいいのに。
そんな天邪鬼な考えをする私だったが、運動部に入っていた私はある日足をくじいてしまった。
他校との練習試合も近かったので、怪我などには気をつけなければならない時期だったのに、不注意でそれを起こしてしまった。
私は仕方がなく、そのどんな傷でも治すことができる人物に会うために保健室を訪ねた。
それが私と蒼巳君との最初の出会いだった。
朝起きたらメイド姿の女の子が台所に立っていた。
「あ、おはようございます。観凪さん」
「おはよう、ひまわり」
メイド姿の女の子は橙灘ひまわりだった。
僕とひまわり(元黄虎さん)はここ数日ですっかり仲が良くなり、お互いを名前で呼ぶようになった。
……どんな状況でも流される男がここにいた。
「ところで、何?その格好?」
「メイド服です。似合いますか?」
「似合うけど、そうじゃなくて。どうしたのさ、それ?」
ひまわりがメイドになるという発言は記憶に新しいが、しかしお金がないひまわりはメイド服を調達できず、うなだれていたのがここ数日の話だ。
僕はそんなものはなくても全然構わなかったのだが、よくわからないひまわりのこだわりがあったようで、ともかくかなりの落ち込みようだったのである。
「今日の朝早くに『正義』の事務所に行ってきたんです。そのときに先輩から頂きました」
「へぇ~」
メイド服を持っている先輩っていったいどんな人物だろう。
想像できないわけではないが、出来る限りしたくないのでそこはあえてスルーをすることに決める。
「……え?『正義』の事務所に行ったの?」
朝で頭が回転していなかったため聞き返すのが遅れてしまった。
「はい」
「な、な、何で?」
『正義』とは新たな能力を使って、新たな能力で犯罪するものを裁く組織である。犯罪者を裁くためならばいかなる権限も与えられており、『フェンリル』とかいう新たな能力によって構成された犯罪者組織と対立した際、『正義』はその『フェンリル』の犯罪者全てを虐殺して解決したという。僕ら一般人に恐れられている組織、それが『正義』である。
で、先日『正義』に喧嘩を売って、辛くも勝利した僕らであった。
でもそれは『正義』の氷山の一角に過ぎないであろう。
ここにいるひまわりも『正義』の一員であるが、話を聞くとひまわりが『正義』に入ったのは『フェンリル』との抗争後で、彼女自身はそれほど野蛮な性格をしていなかった。
むしろ性格はハムスターであった。
毎日びくびくしている。そんなにびくびくしているのなら、もう帰ればいいのにと思うのだけど、ひまわりのよくわからない自尊心があるらしく、この家から出て行かないと聞かないのであった。ハムスターだが芯はしっかりしているようだ。もっともその芯が僕にはよくわからないのだけど。
話が脱線したが、僕らが勝利した『正義』というのがひまわりであった。
ひまわりはその後、雪崩式に僕の部屋に住むことになったのだが、そのことは誰にも秘密であった。
世界征服を目論む紅糸さんにだって言っていない。
何故言っていないのか?
答えは非常に簡単だ。言えるわけがない。
『いやぁ、よくわからないんだけど『正義』の可愛い女の子と同棲することになっちゃったよ』
そんなこと誰に言えるだろうか?
僕とひまわりの間にやましいことなんて何一つないのだけど、それを他人が理解してくれるとは思わない。大抵、男女が同棲していればそっち方面に考えるのが日本人の悲しい習性というものなのだ。故に誰にも言っていない。
ひまわりも誰にも言っていない。
これは別に僕が強制したわけではなく、ひまわりが極度の人見知りのため、僕の部屋から一歩も出なかったからである。
少なくとも昨日まではそうだった。
だから、「メイドになります」なんて発言したひまわりだったけれど、買い物は今までどおり全部僕がやっていたりする。料理は僕が教えていたりする。掃除や洗濯は勝手にやってくれるのだが、自分の衣類を洗われるのは何となく恥ずかしかったり。
ともかく、ひまわりはあれから一度として僕の部屋を出たことはなかった。
それがどうして?しかもあの『正義』の事務所に戻るなんて……
ま、まさか僕らの抹殺依頼でも出してきたのだろうか?
そんな!結構仲良くなれたと思ったのに。
しかし、ひまわりの回答は僕が考えていたのとは違う答えであった。
「辞表を出してきました」
「あ、そうなの?何だ、辞表を出しに行っただけか」
「はい」
「……」
「……」
「…………!ひまわり!『正義』辞めるの!?」
「はい」
さらっと重要なことを言うから、対応が一テンポ遅れてしまった。
もうさらっと言うのやめてもらいたい。さらっと言うのはどうでもいいことだけにしてもらいたい。
例えば『夕飯はカレーです』とか『洗濯機壊れました』とか。あ、洗濯機が壊れたことは重要なことか。と、そんなことはまさしくどうでもいい。
「ど、ど、ど、ど、ど」
「ドラ焼きですか?」
「違う!」
「あ、知ってます?ドラえもんがのび太君の家にはじめてきた時に一番最初に食べて美味しいって言ったものはお餅なんですよ?漫画版ですけど。でも未来にお餅ってないんですかね?お餅がない未来ってどう思いますか?」
「酷くどうでもいいし、今は未来の話をしている時じゃない!どうして?どうして辞めたの!?まさか、僕らに負けたから辞めさせられたの?」
もしそうだとしたら、こちらの責任はかなり大きい。
僕も紅糸さんもここまで人の人生を狂わすとは思っていなかったのだ。
自分たちが動くことで、ここまで人の人生が変化するなど思っていなかったのだ。
「いえ、辞めさせられたのではなく、辞めたんです」
「自分の意思で?それこそどうして?」
「だって、今の私は観凪さんのメイドですから」
そこで滅多に見せない笑顔を僕に見せたひまわり。うわぁ、めっちゃくちゃ可愛い。
何かぎゅってしたい。保護欲というか、そんなものをとても刺激された。
あ、いやいや、いかんいかん。
そんなひまわりスマイルに騙されてはいけない。本人は騙すつもりはないかもしれないが、あの笑顔は強烈だ。あの笑顔で何か買ってくださいといわれたら無条件で何でも買ってあげてしまいそうだ。注意しなくては。
「それ理由になってないから。だいたい『正義』をやめてどうするのさ?」
年齢的には僕らと同じように高校に通うのが普通なのだが(話によるとどうも年は僕らと同じらしい)、今まで『正義』で働いてきたのだから今頃普通になれというのは無理な話かもしれない。無理な話かもしれないが……
「だから、観凪さんの専属メイドとして働きます!」
「だからってそこまで話が飛躍するのは無い!」
「私思いました。二足の草鞋でわたっていけるほどこの業界は甘くないって」
「業界って、メイド業界に入ったわけじゃないでしょ?ただ単に炊事洗濯などをしてくれるだけじゃん。炊事にいたっては僕の指導の下だしさ」
「とても厳しい業界だと思います。故に私はどちらかを捨てなければならないと判断しました」
「話聞いているようで聞いてないね。うん、わかった。どちらかを捨てなければならない判断をしたのは間違ってないと思うよ。でも切り捨てるほうが確実に間違っているから!」
「これからはメイド一筋、頑張ります!」
「だから話を聞け!そして突っ走るな!」
どういうわけだろうか?僕の周りにはボケしかいないような気がしてきた。
突っ込み、僕。その他ボケ。
これは僕にかかる負担がかなり大きいんじゃないか?神様ってどうしてこう、不公平なんだろうか?
「よし、まず話を整理しよう。最初にひまわり。ひまわりが『正義』に所属していた理由はなんだった?」
「自分の才能が生かせる場所が他になかったからです。あとお金稼がなきゃ生活できませんし」
ひまわりも僕と同じで現在ひとりで生活していたらしい。しかしながら両親が遺してくれた遺産でのうのうと高校に通っている僕と違い、ひまわりは自分で自分の生活費を稼がなくてはならない。だから『正義』に入ったらしいのだ。
確かにひまわりの身体能力は群を抜いているが、だからといって他に就職先があるだろうに、と思うのだがその辺りを何も考えないのもひまわりらしいと言えばらしいのであった。
「そう、お金を稼がなくちゃ生活が出来ない。だから『正義』に所属していた。ここまではいいね」
「はい」
「それがどうして僕の専属メイドになる!?」
「はい。再就職先ですね」
「いや、募集していないから!僕はメイドなんて募集していないから!」
「メイド……お嫌いでしたか?」
しゅん、という効果音でうなだれるひまわり。
「き、嫌いじゃないけど……むしろ好きだけど。あぁ!めんどくせ!」
こういう対応が一番面倒である。
そして僕は何を口走ってしまったのか!?
いや、メイド好きじゃないですよ。ただ、そういう主に献身的に仕える姿勢は素直に尊敬の意を唱えてもおかしくないと思うとか思わないとか……
「好きとか嫌いとか……」
「最初に言い出したのは誰だったんでしょうか?」
「知るか!」
一個一個突っ込んでられないので、ここは蔑ろにすることを決める。
「好きとか嫌いとかじゃなくて、僕はメイドを雇おうとしていない」
「はい」
「意外なことに理解が早いな。つまり、僕は、酷い言い分だけど、ひまわりに給料を払うつもりはない」
「はい」
「はい、って。それじゃひまわり生活できないだろ?稼がなきゃ生活出来ないんだから」
「大丈夫です。お給料はいりません」
「どうして?」
「私はメイドです。故に観凪さんの側に仕えさせてもらえればそれでいいのです。だから生活はこの部屋でしますし、ご飯も観凪さんのものをあやかります」
「堂々と寄生虫発言されたよ!」
「ダメでしたか?」
「人間的にダメだろ!もっと社会と関わりなさい!」
「私の世界は観凪さんだけで充分です」
「なんとなくヤンデレっぽい発言はやめて!」
ひまわりがヤンデレになるかどうかはさておいて、ひまわりのその提案はもちろん却下した。
「却下されました」
「いや、当然でしょ。そんなにうなだれないでよ。あぁ、もう!めんどくせ!」
「私はこれから路頭に迷うことになるんですね?」
そんな子犬のような瞳で僕を見ないで!
決心が、決心がぁ!
「べ、別にメイドをやめろとまでは言わないよ」
簡単に折れる僕だった。
「本当ですか!」
「で、でも僕は稼ぎがない。恥ずかしい話、親の遺産を食い潰して生活しているんだ」
「知ってます。ごく潰しの碌でなしですね」
「……僕は紳士だから拳をあげないけれど、普通だったら殴られてるからね」
「?」
ひまわりはどうやら悪気があって言ったわけではないらしい。
意味を大して理解もせずに口に出したようだ。
「まあそんなことはどうでもいい。ともかく僕の経済事情は自分ひとり生活していくことで精一杯だ」
「甲斐性無しですか?」
「普通の高校生なら当然なの!ともかく、僕はひまわりを雇うお金もないし、養っていけるお金もない」
「つまり?」
「ここにいちゃいけないってわけじゃないけど、せめて食費ぐらいはいれてもらいたい」
「わ、私に働けというんですか!?」
「え?うん」
何をそんなに大袈裟におどろく必要があるのだろうか?
人が働くのは至極当然のことだ。社会のため、そして自分の為に人は働くのだ。
「メイドの私に……」
「うん」
「人見知りで引きこもりな私に……」
「あれ?なんか新たな属性ついてるよね?聞いてないよ。引きこもりだなんて」
「人見知りだから、引きこもりなんです。基本的に人にいるところに出るのが怖いんです」
「めんどくせ!」
働くの超大変だなぁ。
それでよくあの『正義』で働けたものだ。
もっともあの虎の仮面があったおかげかもしれないが。
「とにかくいろいろな理由があるから働かなきゃダメだ。『正義』に戻るか、何かバイトを探すか……」
「と言われながら、ずっとここでメイドを続けるという選択肢は?」
「どうしてさっきから自堕落な発言しか出ないんだよ!?将来の夢はニートかよ!?」
「はい。中学の進路希望でそう書きました」
「書いてた!」
「担任からは現実を直視しろと言われました。それで仕方がなく『正義』に就職したんです」
「『正義』もやめとくのが一般的だと思うんだけど」
まあ過去の話は置いておいて。
「ともかくニートはダメ。何か職を探さないとダメだからね」
「うぅ、厳しいです。優しいのに厳しいです、観凪さん」
「よくわからないけど、僕は学校に行くからね」
「うぅ、はい」
泣きそうにうなだれているひまわりを見ると決心が鈍りそうになったが、それでも僕は心を鬼にしてそのまま部屋を後にした。
蒼巳観凪……年齢16歳。性別は男性。二年C組の生徒で、誰とも仲良くしているが特定の人物と親しくはしていない。つまり親友や彼女はいないらしい。
背は高すぎず低すぎず、体格も太りすぎず痩せすぎず、平均的な男子学生といえる背格好であった。
部活動は帰宅部であるが、その理由は放課後に保健室を借りて『治療』を行っているからである。
その治療がどんなものであるか受けたことがない私は何とも言えないのだが、受けたものの評価は皆好評であった。
ボランティア精神溢れる『治療』とその人当たりがいい性格から女子からの人気も悪くはなかった。もっとも本人はそんな自覚はこれっぽっちもないかもしれないが。
ともかく、女子からの人気はあった。だけど、実際に本人と対面をしたことがなかった私は、その情報に逆に反発した。
他人が良いと言うものほど信頼してはならないと思っていたからだ。天邪鬼だったのだ、私は。
だから練習試合前に怪我をしてしまった私は、渋々というかむしろ嫌々といった感じで保健室に向かっていた。
足を引きずりながら廊下を歩く。部活の友人がついていってくれると言ったのだけど、断った。弱っているところを見られたくなかったのだ。
ひねった足は無理な角度や、少しでも力が加わるだけで痛んだ。
「っつー、しくったっすね」
それは誰に言うわけでもなく自然と出てきた独り言であった。誰も聞いていないと思ったからだ。でも聞いている人物がいた。
「足でも痛めたの?」
背後から男性の声。
完全に油断していた。びっくりして、また体重のかけ方に失敗しひねった足に痛みが奔った。
「っつー!」
「大丈夫?」
「痛いっす!大丈夫じゃないっす!何すか、あなたは!?急に声をかけて!」
ほとんど八つ当たりに近い形でその男性に対して怒りをぶつける。
見ると気弱そうな男子生徒が立っていた。
下校の途中なのか、鞄を持っていた。
「あぁ、ごめんごめん。足を引きずっていたからさ。足を痛めたのかと思って」
「……そうっすよ。部活で痛めたっす。だからこれから保健室に向かうところなんすよ」
「ふーん。でも今は誰もいないと思うよ」
保健室に常駐している先生はこの学校にはいない。だから男子生徒はそんなことをいったのだろう。
目の前の男子生徒は知らないのだろうか?
この学校にはどんな傷も治すことが出来る生徒がいることを。
結構有名な話だと思ったのだけれど。
気になったので聞いてみることにした。
「あなた、知らないんすか?」
「何が?」
「この学校にはどんな傷でも治すことが出来る生徒がいるんすよ。いつも保健室にいて無償で傷を治してくれるらしいっす」
「その人を訪ねるために保健室に行くの?」
「そうっす」
「ふうん」
男子生徒の反応が素っ気ないものだったので私は構わず足を進めることにした。
「っぅー」
「痛むの?」
「痛むっすよ!悪いっすか!」
「悪くはないけど、荒れてるね。荒れているのは痛むから?」
「それもありますっすけど、違うっす」
「ありますっすって、すごい口癖だな」
「余計なお世話っす。私が荒れているのは、多分自分自身に対してっす」
「自分自身に対して?」
「こんな怪我をしてしまった自分自身に対してっす……あなたはどう思いますっすか?無償で人を治すっていう生徒のことを」
「……別に、何も」
「胡散臭いと思わないっすか?無償で人を治すなんておかしいっすよ!絶対何か企んでるっすよ。例えば後で料金を請求するとか、いやらしいことを強制するとか」
「僕って、この人にすごい鬼畜に思われてるんだな」
「何か言ったっすか?」
男子生徒が小声で言ったのでそこだけうまく聞き取ることが出来なかった。
「別に何も。うーん、君は無償の愛というものが信じられないかな?」
「信じられないっす。聖人や神様じゃない限りそんなものないっす。この世はギブアンドテイクで出来ているんすよ」
「乾いてるね。考え方が」
「あなたはあると思うんすか?無償の愛が」
この年になってそれを信じている人間などいるはずがない。
誰もが自分の利益のために動いているのだ。
十数年も生きていればそのことに嫌というほどに知っているだろうに……
でも、その男子生徒は笑顔で言った。
「あるよ」
「え?」
「無償の愛はこの世にある」
「……あなたバカっすか?それとも頭の中がお花畑で出来ていて、いい環境で育ってきたんっすか?」
「酷い言いようだね。僕はいい環境でなんて育ってないよ。頭の中もお花畑で出来ていない」
「なら……」
「どうしてそんなものを信じるのか、かい?答えは簡単だよ。僕はそれを受けたことがあるから」
「え?」
「僕の両親なんだけれどね。その無償の愛をくれたのは」
やっぱり男子生徒の頭はお花畑で構成されていた。
「家族は別っすよ。血の繋がりは無しでの無償の愛っす」
「血の繋がりは無かったよ。養子だったからね」
「え?」
「僕は……いや、そこまで深く話すこともないか。まあ僕は彼らに無償の愛を教わった。だから僕もそれが出来たらなって思ってね」
「……僕も?」
「余計なことを話しすぎてしまったかな?じゃあさっさとそっちの用件を終わらせようか」
「そっちの用件?」
「足診せてもらえるかな?」
「ほえ?」
私の了解をとる前に男子生徒はかがんで、そして痛めた足を触った。
「うきゃ!何するっすか!セクハラっすか!」
ばっ、と足を引いた。
しまった!怪我をしているのに思いっきり動かしてしまった。
また足に痛みが……
「……あれ?痛くないっす」
「セクハラじゃないよ。まあ痛みがひく、よく利くおまじないのようなものだよ」
ケンケンと片足でジャンプしてみるも、痛みは全くしない。
治った?
ひねった足が治った?まるで噂に聞いていた『治療』のように……
「え?まさか……」
「じゃあ、僕はもう帰るから。今度からは気をつけるように」
「あ、あの」
彼が、無償で傷を治す男子生徒?
え、え?私、悪口みたいなこと言ったのに、治してくれたの?
私は謝罪の言葉もお礼の言葉も言えずにその場で立ち尽くしていた。
ひまわりのことも気になるのだが、学校生活で気にしなくてはならないのはひまわりよりも紅糸さんのほうであった。
ひまわりとの対戦後、またしばらく動きらしい動きがなかった。
いや、一緒にお昼食べたり、一緒に下校したり、一緒に買い物に行ったりといろいろ付き合わされることはあった。しかし、世界征服のための動きは何一つなかった。
何一つない。それが逆に僕を不安にもさせていた。
この間も何一つなく、そして何か動きを見せたと思ったら『正義』との対戦だったから。
つまり紅糸さんはまた僕の知らないところで着々と何かを企てているのではないかと、僕は不安になるのだった。
そのことを考えると憂鬱になり、ため息が出てしまう僕だった。
何回目かのため息の後、
「グッドモーニングスター。ミナギン」
背後から朝の挨拶をされた。
この愛称で呼んでくるのは世界広とも一人しかいない。紅糸さんだ。
「……ツッコミが先のほうがいいかな?紅糸さん」
「いや、人間的に朝の挨拶をおろそかにしてはいけないから挨拶が先だ」
「おはよう、紅糸さん」
「うな」
振り返り朝の挨拶を交わすと、紅糸さんは満足そうな笑みを浮かべた。
「めずらしいね。登校の時に会うなんて」
「いやいや、ミナギン。そんなことより先。先に必要なもの」
「え?」
「ツッコミ。ツッコミ。今突っ込まないでいつツッコムつもりだ?」
「その言い方。僕が年がら年中ツッコンでいるようじゃないか?」
紅糸さんに対しては毎日のようにツッコンでいるように感じた。
本当にツッコミが身にしみてきたようだ。
「それじゃあもう一度やるぞ。グッドモーニングスター。ミナギン」
「……」
「グッドモーニングスター。ミナギン」
「……」
「グッドモー…………うな、うな、うな」
そんな低レベルなボケに一回一回ツッコム僕ではない。
「どうした!ミナギン!調子悪いのか!?」
「ツッコミの有る無しで僕の体調を判断しないでよ」
「じゃあお前ミナギンじゃないな!ミナギンなら盛大なツッコミが返ってくるのだから」
「いやいや、だから僕がいつツッコミのプロフェッショナルみたいなのになったのさ?」
「もう一回やるぞ。ゴッドモーニングスター」
「神になった!」
あ、しまった。
いつもの癖がやはりつい出てしまった。
その僕の様子を見て、紅糸さんは嬉しそうに「うんうん」と首を縦に振った。
「やはりミナギンはこうでなくてはいけないな。ツッコミのないミナギンなどもはやミナギンではないと言っても過言ではないだろう」
「明らかに過言だよ。何?僕のアイデンティティはツッコミなの?そう決まっているの?」
「今更になって決まっていないとでも?」
決まっていたらしい。
どうやら僕はずっとツッコミをしなければならない運命のようだ。
そんな運命はお断りしたい。しかし僕の周りに僕以外ツッコミが存在しないことを見ると、それは絶望的に思えた。
「ミナギン、何だかブルーな感じが入っているな」
「それは、僕のアイデンティティがツッコミと言われた日にはブルーにもなるさ」
「うな。しかし私が見る限りではそれよりも前からブルーが入っていたように思えるぞ。ため息ばっかついていたしな。何かあったのか?」
「……」
その原因も紅糸さんにある、とは流石に言えない。
しかしここであえてあの質問を行っておくことで、急な無茶な要望にもすんなりと理解できるということになるかもしれない。
「……紅糸さん。最近あまり動きがないようだけど」
「うな?動き?」
僕の質問に首を傾げる紅糸さん。
ちょっと質問の仕方が大雑把だったかな?
「だから、世界征服の動きだよ」
「うな」
「最近、全く動きがないよね?」
ちょくちょくその動きがあるというのも考え物だが、前のようにいきなり大きいのが一発あるというのも精神的にくる。
しかもいきなりだとうまく対応できないので、そういう計画があるのならあらかじめ聞きだしてしまおうという僕の魂胆だった。
「うな。実はな、少し考え事をしていたんだ」
「考え事?」
「この間戦った奴のことだ」
「あぁ、ひまわりのことか」
「ひまわり?誰だそれ?」
あ、しまった。
僕があのあと黄虎であるひまわりと接触したというのは秘密だったんだ。
もちろん同棲しているというのも秘密のことだ。
「あ、えっと。黄虎さんだよね。ごめんごめん、間違えちゃったよ」
「……まあいい。ともかくそいつのことを考えていた」
ひまわりのことを?
何だろうか?虎猫可愛いなぁとかそんなことだろうか?
普通ならありえない答えであるが、紅糸さんに限ってはそれがありえる答えだというのがおそろしいことだ。
「あの時、私がどうして『正義』に喧嘩を売るような真似をしたのか?覚えているか?」
「確か、『正義』を打破することによって紅糸さんの名を売ろうっていう計画だよね?売名行為のための戦闘だったはずだけど」
「うな。その通りだ。でもな、倒した後考えたんだ。それ行ったらあいつどうなる?」
「……」
『正義』は人から畏怖の目で見られる組織。
それは絶対的な力を持っているからこそ、そう見られるのだ。だが、その『正義』が負けたと知れたらどうなるか?
『正義』の名は今よりも重みがなくなるはずである。
つまりはそういうことだろうか?紅糸さんが心配していることは。
「あの黄虎というやつは『正義』をやめさせられるかもしれない。そうなったら可哀想だろう?私は優しい世界を目指しているのだ。それなのに、可哀想な奴が出てもいいのか?いやよくない」
「……」
熱弁しているところ悪いのだが、その黄虎本人であるひまわりは今日『正義』に辞表を出していた。
しかもそれは紅糸さんに負けたからというわけでなく、僕のメイドになるからというとてつもなくアホな理由で。
「だから私はこの数日間動かずに、自分の前回の短絡的な行いを恥じていたのだ」
「紅糸さん」
もっと早くにそのことに気づいていたら、僕は現在あのような状況に陥っていなかったのに。
と、呪詛のような言葉を吐きたかったが我慢した。
「というのが建前の理由だ」
「は?」
「うな。驚いたか?バカめ。私がそんな殊勝な性格をしているわけがないだろう?たかだかそんな理由で世界征服の動きを止めるわけがないだろう。ふはは、ミナギンは本当に騙されやすいのだな」
「じゃ、じゃあ本音は?」
「今日発売のゲームソフトが気になってそれどころじゃなかったから」
「本音、酷っ!」
いや、そんな理由で世界征服を止めてしまう輩ってなんなんだよ?
「2D格闘ゲームの最高峰と言われるゲームがついに家庭版ゲーム機に移植されるんだ。ゲームセンターでは物凄い人気で、休日には猛者共が押しかけてそれはもう凄いことになっているんだぞ。ちなみに私はこのゲームが結構得意で、ワンコインで四時間ゲームセンターに入り浸っていたこともある」
「超暇人ですね!」
そしてゲームの達人であった。
まあ前回あれだけの反射神経と器用さを見せていた紅糸さんなら何ら不思議ではないことかもしれないが。
「ふふふ、楽しみだなぁ。予約してあるから、帰りにゲームショップに寄るんだ」
「ふーん」
何か、この様子だと世界征服の道のりはまだまだ遠いようである。
まあ僕にとって世界征服はどうでもいいことだけど。
最初は優しい世界を作ろうとしている紅糸さんに共感したけれど、最近は紅糸さんと一緒にいることが楽しくなってきた僕だった。
「ミナギンも一緒にだぞ」
「え?僕も?でも僕はゲーム買っているお金なんて……」
「そんでそのままミナギンの家でゲーム大会な!」
「ちょっと待てや!何それ!?何で決定事項みたいになってるの?」
「だって明日は土曜日で暇なんだ。四十八時間ゲームをしよう」
「日曜日までやるつもりか!?」
「うな。これは確定事項だから変更出来ないからな。今日、明日、明後日の予定は空けておくように」
「えー」
「大丈夫、ミナギンもきっとそのゲームに病みつきになるぞ」
「病み付きになるとかならないとかそういう問題じゃなくて……あぁ、もういいや」
世界征服への道が果てしなく遠く思えたが、僕はそんなものどうでも良かったので結局流れに流されることにした。
しかしゲーム、ね。
本当に僕らは友達付き合いをしているだけなのかもしれないと、ちょっとだけ思った。
次の日の放課後、昨日の男子生徒が蒼巳観凪ではないかという私の考えを証明するため、私は保健室に向かった。
そして案の定そこにいたのは昨日私の足を治してくれた男子生徒だった。
「あ、」
「やっぱりっすね」
「……何の用かな?」
男子生徒はばつの悪そうな顔をした後、苦笑いをしながら言った。
「……誰もいないっすね」
私は男子生徒の問いに答えずにそんな返答をした。
「まあ、そんな怪我人がそうそうでるわけじゃないしね。多くても一日数人だよ」
「そんなもんっすか」
「そんなものだよ」
「……」
「……あの何の用?」
「あなたが蒼巳観凪っすね?」
「あぁ……うん。まあ、そうだね」
返答はかなり曖昧なものだった。その表情も曖昧な笑顔であった。
曖昧なものだらけであったが、そのことが彼が蒼巳観凪であると証明するには充分な証拠であった。
「どうして……」
「はい?」
「どうして昨日黙ってたんすか?」
「うん?いや結構喋ってたと思うけど」
「そういうことじゃないっす!どうして自分の正体を黙っていたかっていう話っす!」
「あぁ、その話?いやだってさ、あれだけ言われたら普通名乗れないよ」
「うっ、で、でもっす。あれほど言われて、その、あ、頭にこないんすか?」
あれほど言ったのは私にもかかわらず、聞いてしまった。
「いや、別に」
「何でっすか?あれほど言われたのに」
「一理あるからね。君の言ったことは。確かに知らない人から見れば僕の行っている行為は理解できないかもしれないからね」
「で、でも……でも……」
私は彼に何を聞きたいのだろうか?
私はそれがわからなかった。わからなかったから言葉に詰まってしまった。
「……私にはわからないっす。昨日のあなたの行動が」
「何のこと?」
「私は昨日あれだけあなたのことを悪く言ったっすヨ」
「まあ確かに結構言われたね」
「あれだけ言われたのに、どうして、どうして治してくれたんっすか?」
「うーん。だって誰だって怪我しているのは嫌でしょ?」
「え?」
そんなとても、とても単純な理由で?
……違う、私はわかっていた。彼がその答えを出すことをわかっていた。
あぁ、そうだ。そして私はようやく理解したのだった。
私は彼のその答えを聞くためだけにこの保健室を訪れたのだった。
彼の優しさを知るためだけに。
「怪我は人の笑顔を奪うものだよ。それを僕が無くすことができるから、僕はそれを喜んで行うんだ」
私は彼の一言一言を聞き逃さないようじっと耳を傾けた。
あぁ、私恋してるんだなぁ。
目の前の彼、蒼巳観凪君に。
保健室での治療は日課なので何があっても行うようにしていた。
たとえ何があってもだ。その後に紅糸さんとのゲームショップ巡りが控えていようとだ。
でも、紅糸さんを一人で待たせているのも何なので、二人で保健室で談笑をしていた。
話の内容は下らないもので、いつもどおり紅糸さんがボケで僕がツッコミを担当していた。
そうこうしているだけでかなりの時間が流れたのだが、結局今日は誰一人治療に訪れなかった。
うん。怪我人がいないということは良いことだよね。
今日はもう誰も来ないこととして、僕と紅糸さんは帰宅、もといゲームショップに向かうことにした。
数十分後、ゲームショップに到着。
ゲームショップに入った後、僕と紅糸さんは直ぐに別れた。
紅糸さんは予約していたゲーム以外にも見たいものがあるらしく、僕がついていると邪魔なようで単独行動を計ったのだ。
さて、僕はどうしようか?
紅糸さんと同じようにゲームを見て回ろうかとも思ったが、よく考えればそのようなお金はないのでやめた。
結局僕は手持ち無沙汰になり店内をぐるぐると巡っているしかなかった。
「紅糸さんまだかなぁ」
「まあ、今帰ってこられると面倒だしな」
僕の独り言に参加してきた男性がいた。
最初はただの偶然かとも思ったが、男性と目が合ってわかった。どうやらその男性は僕に用事があるようだ。
「……誰です?」
二十代前半ぐらいだろうか?
目の前の男性に僕は見覚えがなかった。
「お宅が蒼巳観凪?」
「何で僕の名前を?」
「んで、先程まで一緒にいたのが紅糸紬、だな?」
「だからどうしてそのことを……」
「悪いがそちらの情報は粗方仕入れさせてもらっている」
本当に何者だ?この人?
僕が訝しげな目で見ると男性は余計に信用できない笑みを浮かべてこちらの警戒を解こうとした。
作り笑いなのがバレバレなので、僕は余計警戒のレベルを上げた。
「んな警戒するなよ。今から自己紹介してやるから。俺の名は風雲。風雲明。『正義』の一人だよ」
『正義』の名を聞いて僕は持っていた鞄を落としてしまった。
「あ、おい。鞄落としたぞ」
親切にも風雲さんは僕が落とした鞄を拾ってくれた。
「ほらよ」
でも、僕は受け取ることが出来ない。
だ、だって、つ、つ、ついに来てしまったのだから!
ひまわりを打破した日からいつかこのような日が訪れるのではないかと考えてはいたが、まさか今日だなんて……
あぁ、紅糸さん助けて、って全然こちらの様子に気づいていない。
自分の世界に入っていらっしゃるようだ。
とりあえず僕は鞄を受け取るが、その動作はぎこちないものであった。
「どうした挙動が不審だぞ?」
「そ、そ、そんなことございませんよ!」
「いや、明らかにおかしいだろ?」
「私はいつもこのような話し方でございましゅる」
「あはは!バカだ、こいつ!緊張してんのか!すんなよ、そんなもん!」
風雲さんは大笑いしながら僕の背中をビシバシと叩いた。
「あ、ちょっと。や、やめてください。痛いです」
「え?俺、強化系の能力じゃないからそうでもないと思うけどな」
「普通の男の人に叩かれれば誰だって痛いですよ」
「ふーん。まあ緊張するな、ってのは無理な話か」
そう無理な話だ。
だって目の前の男性は『正義』であのひまわりと同じ……
あ、何かひまわりと同じって考えたら落ち着いてきた。
「うん?何でか知らないが、落ち着いようだな」
「はぁ、まぁ」
「それでわざわざ俺がお前に接触を図った理由だがな……」
「はい」
「……」
「……?……あの?」
「宣戦布告に来たんだ」
「え?」
「我ら『正義』は全力を持って蒼巳観凪、紅糸紬両名をこの世から排除する」
「え、えぇえええぇ!!」
やっぱりか!やっぱりひまわりを打破したのがまずかったのか!?
いや、それ以前に『正義』に喧嘩を売ったこと自体がそもそもの間違いだったんだ。
ど、どうしよう。
とりあえずここで精一杯謝っておけば許してもらえるかな?
ジャンピング土下座とか、したことがないけれどすれば許してもらえるだろうか?
「あ、あの……」
「……う、く、くくく……はははは、もうだめ!耐えられない!」
「あ、え?」
「いやね、嘘」
「……はい?」
「『正義』がお前らに向かって宣戦布告っていうの、真っ赤な嘘。いや、あまりにもお前の怯えた様子が面白かったからもう一回見たいなぁと思って、ついな。いやぁすまん、すまん」
う、そ?
嘘?
「嘘ですか!?」
「反応遅え!楽しいな、お前!」
「怯えている初対面の人間を脅かして楽しいですか!?」
「超楽しい。いやぁ、それで本当の用件何だっけ?」
「知りませんよ!」
この数回のやりとりで判明した。
この人はSだ。そして僕はどうやらソフトMの属性を持っているらしいから、風雲さんからちょっかい出されることは間違いなしだった。
というか一人でいると危険だった。
「……あの紅糸さんを呼ばなくていいんですか?」
「ん?必要ない。今日の用事はお前だけだからな」
「僕だけ?」
僕だけに用件とはどういうことだろうか?
そもそもあの手紙を出したのは紅糸さんで、僕の名前は記入されていなかったはずである。
風雲さんは僕の情報を何処で仕入れたというのか?
「用件は二つ。両方とも頼み事だな。先に言っとくが強制ではない。別に軽い気持ちで断ってもらってもいいからな」
「はぁ」
「んで用件だが、真面目なのと不真面目なのどちらからがいい?」
「はぁ?」
「だから用件は二つあって、真面目な内容と不真面目な内容があるんだよ。で、どっちから聞きたいかっていう質問」
何だ?不真面目な質問って……
僕は物凄い気になったので、
「では、不真面目なほうからで」
先にそちらの内容を聞くことにした。
「OK。それじゃ、不真面目なほうだがな」
「はい」
「橙灘ひまわりをなんとかしてくれ」
「はぁ?」
「知らないなど言わせないぞ、橙灘ひまわりを。調べはついているんだ。お前がひまわりと一緒に住んでいるということを」
「な、な、何故そのことを?」
僕はそのことを誰にも話した覚えはない。
あの紅糸さんに対してもだ。
それなのにどうして……って、そういえばひまわりが今日の朝『正義』の事務所に行ったって聞いたな。
もしかして、そこでひまわりがぽろりとその情報を洩らしてしまったのだろうか?
いや、でもそのことをひまわりに口止めさせようとしたわけではないのだけど。
「……ひまわりから直接聞いたんですか?」
「あぁ。今朝事務所に来てとても嬉しそうに俺に語ったよ」
「何故に嬉しそうに?」
「そんなの俺が知るか。ひまわり本人に聞け」
「いやぁ、それは照れくさいというか……」
「何だ、その甘酸っぱい反応。まぁいいや。それでひまわりをどうにかしてくれ」
「どうにかって……」
「あいつ今朝事務所来てさ、お前の話と共に『正義』辞めるとか言い出してさ」
「あぁ」
そのことについて頭を痛めていた人はどうやら僕一人だけではなかったようだ。
「あいつの戦闘能力は群を抜いているからな、抜けられるとこっちが困るんだよ。ぶちゃけるとさっきお前らに宣戦布告を冗談でやったけどさ、実際そっちにひまわりがいる状況で戦りあったらこっちが潰されちまうよ」
「ひまわりは僕らの味方をすると一言も言ってませんでしたよ」
「しかし実際にお前に危害が加えられそうになったら、ひまわりはお前のほうに付くだろうさ。『正義』が対応出来ないものをこれ以上増やしたくはねえんだよ」
「『正義』でも対応できないもの?」
そんなものあるのだろうか?
あの『フェンリル』を壊滅させた『正義』に……
ってあれ?
「あれ?ひまわりが『正義』に入ったのは『フェンリル』を壊滅させる前だって言ってましたよ?ひまわり抜きで今までやってきたのなら別に何とかなるんじゃないんですか?」
「『フェンリル』を壊滅させたのは確かに『正義』だが、実際にそれを行ったのは一人なんだよ。しかもそいつはひまわりと入れ替わりのように『正義』を辞めてな。今それほどの能力を持っている奴はひまわりぐらいだったんだよ」
「はぁ」
「だから今ひまわりに抜けられると非常に困るんだ」
「はぁ」
「だからひまわりを説得してくれよ」
「『正義』を辞めるな、ってですか?でも僕、似たようなこと今朝ひまわりに言いましたよ」
「何だよ。もうやってダメだったのかよ。意味ねえじゃん。一個目の理由。じゃあいいや」
「やけにあっさり引くんですね」
もっとしつこくそれを頼んでくるのかと思ったのだけれど。
「まあ、何やっても駄目なことってあるしな。今回のはそれっぽいしな」
「はぁ」
「それに用件はもう一つある。それを言う前に紅糸紬に帰ってこられると厄介だ」
「厄介?紅糸さんに聞かれると問題があることなんですか?」
「問題なけりゃわざわざ一人でいるところを狙ったりしねえよ。それで真面目なほうの用件だけどな」
「はい」
「蒼巳観凪。お前、『正義』に入らないか?」
「……すいません。今何と?」
「何だ?お前若いのに耳が悪いのか?仕方がねえな、もう一回だけだぞ。蒼巳観凪、『正義』入んない?」
「凄い軽い誘い方ですね!」
「誘い方なんてどうでもいいだろ?で、返答は?」
そんなものは決まっている。
僕は、紅糸さんについていくと決めたんだ。
だから……
「断ります」
「へぇ。何で?」
「紅糸さんの目的はおそらくあなた方の目的と相反するものだからです」
「それは理由になってそうで理由になっていないな」
「どこがですか?ちゃんとした理由になってるでしょう?」
「それは紅糸紬の目的が俺たちと敵対するかもしれないってだけだろ?お前の目的と相反するわけではない」
「僕は紅糸さんについていくと決めました。だから」
「『世界脅威』」
その単語は僕の言葉を、いや時間を止めるのに充分の単語だった。
「先程言ったよな。お前らのことは粗方調べ終わっているって」
「……」
「知っているか?『世界脅威』?知らないわけないよな?『星墜』、『世教』、『世界の敵』、『蒐集家』、『観測者』、『眠り病』、『喰鬼』、そして『天断』の澄渡空。それは組織名だったり能力名だったりはたまた個人名だったりするが、まあ一般人なら知りえない情報だ。だが、お前はこのいくつかは知っているな?」
「……どこまで」
「ん?」
「僕の情報をどこまで知ったんですか?」
「全て」
「……」
「と言いたいところだが、そこまでは無理だったな。お前が蒼巳夫妻に引き取られる前の情報がどうしても得られなかった。ったくお前も普通じゃないな」
「……どうも」
両親に引き取られる前の情報を知らないとなると、
そして両親の話題しか出てこなかったことをみると、
「知りたいだろ?『喰鬼』の情報を」
やはり示された『世界脅威』はそれだった。
「……知っているのですか?」
「いや、知らんけど」
「……」
「……」
「あの、それじゃあ取引にならないんじゃ?」
「いや、なる。少なくとも『正義』に入れば今よりは『世界脅威』の情報は入ってくるさ。俺たちはそれを追っているのだからな」
「……」
「いいか今までの話を全て踏まえたうえで答えろ。蒼巳観凪、『正義』に入らないか?」
「入りません」
僕自身が驚くほどすんなりと答えが出た。
「ほう、どうして?」
「簡単ですよ。怖いからです。『正義』も『世界脅威』も」
「……」
「……」
「……くくく、ははは、嘘だろ?それ?」
「半分は本当ですよ。でももう半分は言うとおり嘘ですね。でもその嘘の内容は黙秘させてもらいますけど」
「あぁ、いいよ。言わんで。興味はあるが、もう充分に楽しませてもらったからな」
「人の反応見て楽しまないで下さい」
「いいじゃん、別に」
「いいですけど。もう用件終わりですか?」
「終わりだ。あ、そうだこれ俺の名刺」
そう言って風雲さんは僕に自分の名刺を渡した?
「……?いりませんけど?」
「いやいや、持っとけよ」
「持っていればいつか僕が連絡して『正義』に入るとでも?」
「別にそんな気はねえよ。何か困ったことがあったら連絡しろよ(特にひまわり関連で)」
「(小さな声でひまわり関連でと言ったな)……。どうしてそんなことを?僕らは敵対しているんじゃないんですか?」
「俺はそんなふうに思ってないぜ。今日お前と話して確信した。お前らが作る世界っていうのも面白そうだ。それに手は貸さねえが、相談ぐらいは乗ってやるよ。俺は年長者で『正義の味方』だからな」
手を振りながら、風雲さんは去っていった。
僕はその名刺を適当なところに捨てようと考えたが、それをすると後々面倒なことになるような気がしたので一応財布の中に入れておくことにした。




