専属侍女の幸福
わたくしの名はルナシェリア・クエイク。
わたくしは、気高き六属龍の一角・水龍クエイクの子として生を受けた。
お父様は、晩年を迎える頃に番であるお母様リーシャイアを見つけ、漸く出会えたその存在を心から慈しみ、お互いに愛し続けて――お母様は、わたくしを身ごもった。
とても、とても幸せだった。
特別ではなく普通の家族のように暮らし、お母様に叱られ、お父様に甘やかされ、笑い怒り泣き、そして長くも短く感じた月日の中でわたくしは、両親を見送った。
片時も離れずに、傍で。
そして生まれたライナスを、エドガー殿と共に育てたわたくしは、セラフィナ殿とユーナディア殿と共に、先代の龍王陛下とリュシオン殿下を見送り――神殿で、五属龍と四香龍と共に、新たな龍王陛下と殿下の生まれ落ちる時を、待った。
けれど、聖壇には陛下しかおられず、殿下の姿はどこにもなく。
その事実をこの場にいる全員が、そして聖獣が、『見えざる者』が、陛下が、世界が認識した瞬間――聖域は、混乱に満ちた。
生まれ落ちたばかりの、陛下の悲壮な幼い鳴き声が神殿の中に轟き、神殿の周りに集った様々な聖獣達の咆哮が、包み込む。
見えざる者達の声なき声を現すように、地面は揺れ、巻き起こる嵐。
わたくしも常日頃冷静なエドガー殿も、この状況を受け止めるのに費やした時間は短くない。
アルウィン殿を筆頭に、まだ成人してもいない四属龍はこの状況を理解したくないのか、困惑したようにその場にただ座り込んでいて。
ライラ殿は狂ったように叫び、それをセラフィナ殿が自身の震える身体で必死に押さえ込む。
その傍でシェリーン殿がこの事実に堪えきれず崩れ落ち、ユーナディア殿が呆然としながらもなんとかそれを支えていた。
皆が皆、うろたえ、叫び、事実を受け止めきれず取り乱すその様は。
全て、抑えきれぬ狂気のようだった。
その混乱は、数ヶ月に渡った。
陛下は決して聖壇から離れようとはせず、何も飲まず食べず、エドガー殿やわたくしが近づこうとすれば、その膨大な魔力が躊躇いもなく襲いかかってくる。
陛下も、聖獣も、『見えざる者』も、誰もが狂ったように鳴き、叫び、暴れ、あらゆる狂気が聖域を覆っていた。
たった1人の存在を求めて。
しかしその混乱も、陛下が力尽きると徐々に収束し、それでも聖域は、世界は、光を失ったように静まり返っていた。
香龍達は、まるで何かに取り憑かれたように、国中を飛び回って。
そして、王国には次々に異常が起き始め――陛下はまるでのめり込むように、執務に追われていった。
何かを必死に忘れようとするように。
国中を探して、その度に落胆し、また探して、見つからず。
ただ唯一の希望は、陛下がご存命であることだけ。
期待すれば期待するだけ陛下は疲弊し、神経をすり減らし、ついには六属龍とわたくし以外の眷属を近付かせることを厭うようになり。
そして、短くも長い23年の時が経った。
その頃には聖域に暮らす誰もが、殿下の消息を口にすることも出来なくなった頃――この世界に生きる誰もが待ち望んでいたその時が、唐突にやってきた。
*
その存在を感じ取れた者は、誰もいなかった。
六属龍も前属龍の子たるわたくしも、聖獣も『見えざる者』も世界も、気付くことなく。
神の隠蔽は滞りなく為された。
ただ誰よりもこの時を待ち望み、心を壊す寸前だった陛下が、その場に居合わせ、誰よりも先にその瞬間に立ち会えたことは――果たして偶然だったのだろうか。
わたくしには、主神である大神と神の一柱である『彼』からの、せめてもの償いのように思える。
そしてわたくしがその存在を感じ取り、その事実を告げられたのも、また唐突だった。
「陛下、おはようございます。そしてライナス、何をしているの。陛下の居室にまだ留まっているのは何故?そしてこの気配は一体誰のものなの。この時間の白王宮への登城者はいなかった筈。一体誰が入り込んで…」
「そのようにまくし立てるのは止めて下さい、叔母上。何も無意味にこの場に留まっているわけではありません。…しかし流石は叔母上、王が呼び出す前にもう気付かれて居室にこられるとは。」
「陛下がわたくしにお声を?」
陛下の居室に足を踏み入れ、ご挨拶を済ませた後、この場にまだいるライナスを窘め問えば、ライナスは肩を竦めながら含みのある言葉を告げてくる。
それを訝しみながら陛下へと視線を向ければ、ご挨拶を済ませた時には気付かなかった変化に、わたくしは息を呑んだ。
「陛下…!成体になられたのですか!?」
ソファーに腰掛けている陛下のお姿は、昨日までの幼体のお姿よりもより精悍さを増した、まさしく成体といえるもの。
見知らぬ気配に気を取られ、陛下の変化に気付けなかった己の失敗に内心で舌打ちしながらも、それ以上に動揺していた。
この23年間、こんなに穏やかな陛下の表情を見たことがあっただろうか。
ふとした時に見せる泣き出しそうな、微笑むことを忘れてしまったような、無表情になりきれていないお顔が、見る影もない。
改めてそのお姿を見れば、昨日までの抑えつけられた不安定で荒んだ魔力が驚くほどに安定し、お身体を巡っている。
そのあまりの様々な変化にわたくしが、ある可能性に辿り着くまでに掛かった時間は決して長くはない。
けれど、その可能性を口にするにはあまりにもこの23年間という月日は、重すぎて。
ずっと見てきた陛下の悲痛なお姿が、脳裏を過ぎり続けて。
「――ずっと心配をかけて済まなかった、シェリア。けれど、昨日までの苦しみが続くことは…もうない。僕は――僕の半身をこの手に取り戻した。」
陛下のその言葉を理解した瞬間、わたくしはその場に座り込んだ。
目頭が熱くて、次から次に溢れてくる涙が止まらなくて。
この溢れる感情を言葉にせずにはいられなかった。
「ああ…っ!殿下が、殿下がお戻りになられたのですか…っ!陛下の元に、漸くお戻り下さったのですか…!」
この溢れる感情は、喜びでもあり安堵でもあった。
世界が、『見えざる者』が、聖獣が、眷属が、人々が、この事実にどれだけ喜ぼうと。
わたくしには、陛下が漸く本来のお姿を取り戻せたことの方が、何よりも嬉しくて。
「――殿下の帰還を、心よりお喜び申し上げます。六属龍の一人、水龍ラーヴィナスの忠誠を、改めてお二人に捧げます。」
「――殿下の帰還と陛下の心の安寧を、心よりお喜び申し上げます。クエイクの子、ルナシェリアは忠誠と恭順を、改めてお二人に捧げます。」
わたくしの隣で跪き、頭を垂れたライナスに続き、わたくしも涙を拭い、跪いてそれに続く。
拭っても拭っても溢れる涙と、この歓喜を胸に。
*
「なつな、もう休もう。目を酷使し過ぎるのは良くないよ。」
「ごめんね、レイ。どうしても続きが気になっちゃって…」
執務を終え、居室に戻られた陛下にそう声を掛けられたなつな様は、食事を終えられてからずっと手放さなかった書物を、漸くテーブルの上に置かれた。
それを預かり、飲み終わったカップを下げていたわたくしに陛下が声を掛けられる。
その腕に、毎夜同じようになつな様を抱き上げて。
「おやすみ、シェリア。後を頼むよ。」
「おやすみなさい、シェリアさん。」
「はい、おやすみなさいませ。――陛下、なつな様、良い夢を。」
寝室に消えていくお二人を見送りながら、わたくしは毎夜の喜びに目を細める。
この穏やかな毎日を、今日も訪れるであろう、お二人のその安らかな眠りを。
当たり前に続く、陛下となつな様の仲睦まじい姿を。
夜を迎える度、わたくしは何度でも歓喜するのだ。
――この幸福の瞬間に。
まず初めに、心よりお詫び申し上げます。
2年以上も更新出来ず、その上本編が全く進んでいない内容で、その全てにお詫び申し上げます…!
この2年間、書いては消し書いては消し、最後には全くなつなちゃん達が現れなくなる、長い長いスランプでした。
そしてここ数日にかけて、不意に彼女達が動き出し、2年前に書き途中だったこのお話を漸く書き上げることが出来ました。
なつなちゃんが帰還するまでの間に、そしてなつなちゃんとシェリアが初めて顔を合わせたあの時より少し前に、一体どんなことが起こっていたのか。
シェリア視点ですが、少しでも長い時間お待ちいただいた皆さんに、『龍王様〜』の世界を思い出していただけたら、幸いです。
もしかしたらまたお待たせしてしまうかもしれませんが、どれたけかかっても完結致しますので、どうか長い目でお待ちいただければと思います。
ありがとうございました。




