紅焔の宴《3》3時間前 覚悟
まだもう少し続きます。
ただただ顔色を失い、自責の念に駆られたかのような表情でレイとなつなの姿を見上げて、微動だにしないルエナの様子は、それまでの抵抗する素振りとは正反対のものだった。
そしてそんなルエナを取り囲んでいたヴェリウス達も、国王クロードルスと宰相ウェザリアスも、レイが発した膨大な魔力の圧力を受けて圧倒されていた様子から次第に立ち直り、はっとした様子で現状を把握する。
その中でクロードルスとウェザリアスは、冷静さを取り戻したレイと隣りに立つなつなに深く深く頭を下げ、ふらりと歩みを進めると、クロードルスは玉座にどさりと座り込んで片手で額を覆い、ウェザリアスはその傍に控えながら、苛立ちややりきれなさが入り交じったような表情で佇んでいる。
「――何故、何故もっと早くに気づけなかったのだ。龍王陛下の御心を乱し、サーナ殿下に在らぬ疑心を抱き、このような場を設けさせた上に…見えざる者達を怒らせ、煩わせた。…そなたが起こしたこの騒動は、この世界の根幹を揺るがすことだと何故すぐに気づけなかった!サフィールの娘よ!」
憤怒を隠そうともせずに声を荒げたクロードルスの叱責に、ルエナはただただ震え上がり、カタカタと歯を鳴らし、言葉も紡げずに身を縮こまらせている。
その様子に更なる怒りを募らせ、クロードルスが叱責を続けようとした時、それを制したのは意外な人物だった。
「――恐れながら、陛下。この先は私めにお譲り戴けませぬか。」
龍妃の間に響く、声。
自分の後ろから聞こえたその声に、ルエナの心臓がより一層嫌な音を立てた。
「…サフィールか。」
「我が娘の愚かな行い、全てこの目で確認しております。…その上で、恥を忍んで御願い致したく。」
「……良かろう。」
短く許しの言葉を紡いだクロードルスに一礼した後、なつなとレイ、ライナス達六属龍に視線を向け、サフィールは深く深く頭を下げ、臣下の礼を取った。
この場を取り仕切る役割は既にクロードルスにあり、なつな達はそれを見守るだけと、龍妃の間に入る前に、事前に打ち合わせていた。
そしてその打ち合わせには、ルエナの父サフィール・フロイト・キエナ・モルフィード侯爵と、次期当主であり嫡男アルフォンス・ロゼ・エーナ・モルフィード、母ルベリア・ララ・フィゼ・モルフィードも、国王クロードルスによって王城に召喚され、そこで初めてルエナが起こした一連の出来事が知らされた。
サフィールとアルフォンスはただただ驚愕し、ルベリアに至ってはクロードルスの言葉にも半信半疑な様子で、ルエナを庇う始末。
故にクロードルスはウェザリアスと協議し、レイ達とは反対の隣室にサフィール達を控えさせ、この龍妃の間での一部始終を見させた。
そして今、ルエナの背後から少し離れた場所に立つサフィール達の表情と様子が、その全てを物語っていた。
「おとう、さま…」
クロードルスの指示でヴェリウス達がルエナから少し離れ、そのことにルエナが反応する前に正面に差す影。
恐る恐る顔を上げれば、そこにあったのは今までにルエナが見たことがない程に鋭く厳しい、父の眼差し。
その眉間には深い皺が刻まれ、その眼差しは既に我が子に向けるものではなかった。
そしてそのことを理解する前に、重い衝撃と熱い痛みがルエナを襲った。
「――お前は何ということをしたのだ、ルエナ!我が侯爵家を救って下さった殿下に、お前という者は…!」
激しい音を立てながらルエナは頬を叩かれ、その勢いで体勢を崩した。
そしてその体勢のまま自分を見上げてきた娘を、サフィールは苦々しい表情と震える声で叱責する。
だがその叱責と行動に反応したのはルエナではなかった。
「あ、あなた…!何もルエナを打つことはないではありませんか!それはあまりに無体な振る舞いですわ…!」
「何が無体なものか。ルエナがしたことは、このくらいの痛みでは到底許されることではないのだ。我らの真の王たる龍王陛下と殿下を蔑ろにした、それがどんなに罪深いことか…」
「で、ですが…!」
「控えよ、ルベリア。王の御前であるのだぞ!これ以上、見苦しい振る舞いをするでない!」
ルエナに寄り添い、まだ庇う妻を黙らせ、サフィールは再度娘に向き合う。
その瞳が信じられないものを見るように揺れているのに気づくも、それはサフィールにとって何の意味もないものだった。
「私は恥ずかしい…お前にもルベリアにも、理解されないと諦め、我が侯爵家の状況を何も話さなかった自分が。執務の多忙さを理由に、お前の教育をルベリアに任せきりにしたことが。」
「御父様…」
「殿下が行方不明となっていた23年間、この国の全ての農作地で不作や家畜動物の疫病等が続き、海は荒れ漁は満足に出来ず、時に川は枯れた。それによって上位・下位を問わず、全ての貴族が国王陛下から賜っている領地で、民が納める筈の税が納められない事態が起きた。そのことはお前も学院で学び、知っていような?」
「はい…」
「それ故に国王陛下と宰相殿、そして財務相を賜る私は、民が納める税の減免を決め、各領主には減免した分の税を申告させ、不足分は国が補うことにした。…そしてその不足分には、龍王陛下並びに殿下、そして六属龍殿が持つ資産が使われていたのだ。」
「!」
「『全ては半身の行方が知れぬためだ』と、龍王陛下も六属龍殿も、躊躇うことなくその資産を民のために提供なされた。そうして我が侯爵家も、民に負担を強いることなく、領地運営を滞らせることなくいれたのだ。…そうして生まれた資産で、お前は何をしていた?」
「…っ…」
「社交のためにと、宝石をドレスを求め着飾り、侯爵家令嬢として日々勉学に励むことなく、遊び呆ける。…それを家令とアルフォンスから聞かされた私は、そんな行いを許すだけではなく、むしろ推奨するようなルベリアの姿勢に、むしろ愕然とした。」
「あ、あなた…」
サフィールの口から淡々と、けれどその表情にはっきりとした失望を浮かべて、紡がれる言葉。
その自分達が知ろうとしなかった事実に、更に顔色を失った妻と娘に、サフィールは更なる事実を突きつけた。
「ルベリア、私はお前に言ったな。ルエナの行いを止めさせよと。だが、お前はそれを真摯に受け止めず、尚且つルエナを諌められなかった。…そのことに私は失望し、改めさせることを諦めてしまった。…後悔してもしきれぬ。」
「あ、ああ…」
「その全てがルエナを助長させ、拍車をかけ、この国を救って下さったサーナ殿下に、御恩を仇で返すような愚行をさせてしまった。殿下は、この世界にお戻り下さり…23年間続いた全ての災いを取り払って下さったのだぞ!」
「!」
「殿下のご帰還と同時に、嵐は収まり枯れていた川には水が溢れ、芽吹かずにいた作物は一気に実った。…その一部始終を、私とアルフォンスは領地の視察中に目撃したのだ。あの、奇跡のような光景を。」
「そ、んな…」
「そしてその場に宰相殿から緊急の伝令が届き、アルフォンスを領地に残し王城へと参じ、そこで他の大臣達と共に、国王陛下から殿下のご帰還を知らされた。…私は泣いたよ、悪夢の終わりだと。これで、ルシェラザルトに生きる全ての者が救われたと。」
「…っ…」
「その裏で、殿下の御身に起きていた出来事の全てを国王陛下から知らされ、そんな生を送りながらもこの国を憂い、ご帰還して下さったばかりか、見も知らぬ民を慈しんで下さった。…なのにお前という者は!」
怒りや失望、様々な感情をない交ぜにしながらサフィールはそこで言葉を切り、クロードルスに向き直る。
そして片膝を付き、深く頭を垂れた。
「陛下、どうか娘共々、私にも重い処罰を御願い致します。…そしてアルフォンスに、爵位の譲渡も御認め戴きたく。」
「父上!私も共に…!」
「ならぬ、アルフォンス。私共々お前にまで処罰が及べば、我が領地の混乱は必須。民を路頭に迷わせ、苦しみを味合わせる訳にはいかぬ。」
「ですが…!」
「良いのだ。…陛下、どうか御願い致します。私とルエナの死を持って、この騒動に終止符を。」
アルフォンスの懇願を聞かず、クロードルスに願い出るサフィールの決意と覚悟が、ルエナに逃れられない死と罪の重みを突きつける。
その表情を白くし、涙も流せずただ震えるしかないルエナを慰めもせず、自分を見つめ続けるサフィールに、クロードルスは頷いた。
「…分かった。お前のその覚悟、無駄にはせぬ。」
「感謝する、クロード。――息子と領地の民を頼む、ウェザー。」
「…分かっている。俺達に任せておけ。」
「――感謝する。後は頼んだぞ。」
その口調を互いに気心が知れた親しげなものへと変え、自分の願いを請け負ってくれた旧友達に、サフィールはこの日初めて、微笑みを浮かべた。
自分の死と、引き換えにして。
ルエナの父、サフィール登場の回でした。
不憫なお父さんなんですよ、ホントに。
なつなちゃんが行方不明になった影響で、ルエナの教育に携われないくらい、執務が多忙を極めてしまったので。
そして妻のルベリアは典型的なお嬢様だったっていうね…ある種、政略結婚の弊害ですね。
唯一の救いは、跡取りでお兄ちゃんのアルフォンスがまともに育ったことでしょうか…。
さて、このままサフィールの願い通りになってしまうのでしょうか?
出来るだけ早く更新しますねー。




