謁見後《2》倫理観の違い
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年も、よろしくお願いいたします。
「うーん…どう説明したらいいのかな。たぶんね、こういうことってどの世界でも変わらないと思うの。」
「こういうこと…?」
「地位も名誉も財産も十分で、それから見た目もカッコ良くて。そんな人がいたら、近づきたい、愛されたい、優越感に浸りたい。そう思う人……レイ達も心当たりがあるでしょ?」
『…!』
「…ルエナ嬢は、レイのことが好きなわけじゃなくて。レイがこの国で一番の身分を持ってて、侯爵令嬢としてこの上ない相手だから、私という存在が傍にいることが許せないの。」
「……」
「自分に自信があって、身分も申し分なくて…だから私の存在が不満だったんだと思う。自分が相応しい、だから私はいらない…そう思ってるのよ。」
「そんな…」
なつなの言葉に絶句し、茫然とした表情をしているレイと、自分の言葉に同じように衝撃を受けているライナス達を交互に見つめながら、なつなだけがこの事態を冷静に分析していた。
「…でもね?そう思われるのも、仕方ないのかなって思うの。だって、私には『実績』がないから。」
「実績…?」
「この世界に還ってきて、まだ2年も経たないの。馴染むのに必死で、ルエナ嬢達貴族や民達の前で、目に見えた実績を積んでないから。」
「そんなこと…!なつなが今までに何をしてきたか…。なつなが戻ってきて、異常気象もおさまり、不作続きだった作物も豊作になった。それだけでも十分なのに、あんなにも早い段階で聖樹の代替わりだって済ませた…これだけのことをしてきたんだよ?」
「でも、それを知ってる人達は、クロードルスさん達王族と七公家の当主だけ。異常気象がおさまったのも作物のことも、私の力だって信じなければ、意味がないの。」
「…!」
「23年の月日は、龍や見えざる者達にとっては短いかもしれない。…でも人間にとっては、短くはないの。その月日の中で、考え方や想いは変わる…それぞれの人によって。」
過酷な環境やままならない状況の中で、人は変わる。
誰かを羨むし、誰かを憎むし、誰かに救いを求める。
それは人として自然なことで、それを否定なんて出来ない。
そうやって考え方も想いも、変わっていくの――月日は、誰に対しても平等で、時に残酷だから。
そう続けたなつなを見つめたまま、レイは茫然とした表情を次第に変えていき、その表情に激しい憤りを浮かばせながら、振り絞るように声を漏らした。
「――どれだけなつなを振り回し続けるの、大神の過ちは…っ!」
苦しげに漏らされたレイの言葉に、なつなは瞳を瞬かせ、強く握り締められたレイの両手を優しく撫でる。
その想いを解きほぐすように。
「レイ、大神様は悪くないよ。誰だって悪くないの。だって、こうなることなんて…誰にも分からないんだから。」
「けど…っ!」
「分かってる。レイは私のために、怒ってるんだって。納得出来ないんだって。でも…お願い。私のために、憎しみに囚われないで。誰も恨まないで。」
「なつな…?」
「私は辛くないよ。今はもう…ちゃんと自覚してるから。自分の力も、立場も。自分が相応しいなんて、そんなこと自信を持って言えないけど…でも、私を信じてくれるみんながいるから。私自身を知ってくれてるみんながいるから。」
「なつな…」
「だから、全く気にしないって言ったら嘘になるけど…大丈夫。誰かを憎んだり恨む気持ちを持つくらいなら、みんなが幸せになれるようなことを考えよう?時間が勿体ないもの。」
それに、レイは今の私が幸せだと思ってるって、誰よりも知ってるでしょ?
そう言って笑ったなつなを見つめ、レイはその表情をくしゃりと歪ませると、なつなを強く抱き寄せる。
自分の背中に回されたレイの手が微かに震えていることに気づき、なつなもまたレイの背中を包み込み、そっと慰めるように撫でた。
その光景を足元に跪いたまま見つめるライナスは、2人の会話に感極まり、同じように表情を歪ませながらも、なつなを抱き締められないことに歯噛みした様子でもいた。
それらの光景を見つめ、他の属龍達は、互いにそれぞれの想いを表情に浮かばせながら、深く息を漏らした。
「――なつながこの中で一番冷静だな。全く、俺達の義妹にはいつも驚かされる…」
「…本当に。まさかあの娘がそんな目的を抱いていたなんて、考えつきもしなかったよ。」
「我らが思いつきもしない側面から、なつなはこの事態を見つめていたのだな。…我らの常識では思いもよらないことですな。」
「そうだね。これもなつなが異世界で育った故のことかもしれない…」
「……」
互いに会話を交わしながら、アルウィンは自分の隣りで言葉もなく、口唇を噛み締めているセシルの頭を優しく撫でてから、なつなを抱き締めたままのレイと、その足元から動く様子のないライナスに瞳を向ける。
龍王でありながら、半身不在の23年間、限られた者達としか深く関わってこなかった龍王は、ある種潔癖であり、そして自分達の中で誰よりも、なつなが示す好意を受けてきた。
それ故になつなの言葉を誰よりも理解し、そしてなつなの言葉に含まれる経験を元にした確信を、誰よりも憂い、複雑に絡む感情を抑え込むようになつなを抱き締めているのだ。
なつなが関わる時にだけ見せるその不安定さが、未だ龍王の心に根づく影の証。
そしてライナスも、アルウィンと同じように龍王の憂いと不安定さを感じ取りながら、しかし番を持つ龍として、番への独占欲との狭間で揺れ動き、ああして身動きが取れずにいる。
若いな…、そんな風に己の心中でごちたアルウィンは、自分と同じ感情を瞳へ映したエドガーと目配せをし合うと、レイとライナスへ向けて声をかけた。
「王、それからライナス。そろそろなつなを解放してやってくれ。話が進むに進まないだろ。」
「アルウィン兄さん…」
「…ああ、分かったよ、なつな。俺達が席を外そう。1時間程で戻るから…それまで2人を頼むな。」
自分の言葉に頷き、感謝を口にしたなつなに首を振り、アルウィンはエドガーと共に執務室にいた全員を隣室へと促し、主達の様子を察したシオン達も隣室に移動したことを見届けると、エドガーの後に続き隣室に入ろうとする。
「――ルエナ嬢の心に少しでも、レイを好きな気持ちがあったら…良かったのにな。」
ぽつりと漏らされたなつなの言葉に気づかぬフリをしながら、アルウィンはそっと扉を閉めた。
理不尽な感情と言葉を突きつけられてもなお、愚かな娘を気遣うなつなの優しさを、受け止めながらも受け入れられずに。
◇◇◇◇◇
「――サフィールの娘が、こんなにも愚かだったとはな。」
「ああ。俺達が抱いた違和感が、最悪な形で的中するとは…俺達の瞳は節穴にも程があるな、クロード。」
揶揄するような響きを持ちながらも、その瞳には鋭くも強い憤りを映したウェザリアスの言葉に、クロードルスは肯定するようにその手の中にあるグラスを呷る。
けれど、喉を滑っていく年代物の果実酒は、喉に焼け付くような熱を残すだけで、少しもクロードルスの憤りを和らげてはくれなかった。
「…俺とお前の不行き届きだな、ウェザー。あの娘の本心を見抜けず、自らサーナ様に目通り出来る口実を与えてしまった…。こうなることを、俺達は知っていながら防げもしない…全く、愚かなものだな。」
「…ああ。歴代の王も宰相も、こうして己の未熟さを噛みしめていたのだと思うと…これも宿命とすら思えてくるのが怖い。」
2人の一人称は平時のそれより砕け、それだけで国王と宰相がどれだけ近しく、そしてそれが自然なものかが伺える。
ウェザリアスは己の手の中にあるグラスを同じように呷り、クロードルスのグラスに新しく果実酒を注いでから、自分のグラスにも注いだ。
2人がいるそこは、アレクセイ公爵邸――ウェザリアスの私室。
堅固な城壁に囲われた王城の、城壁の外から時計回りに連なり、ルシェラザルト山を囲むように七公家の邸は存在する。
それが古からの七公家の権勢の証であり、龍王と半身と六属龍の、剣であり盾である、七公家の誇りの象徴でもあった。
そして王城の一番近くに存在するアレクセイ公爵邸は、七公家当主等が非公式に密談を交わす場所でもあり、そしてその七公家当主の私室と国王の私室とが、互いに魔力陣で繋がっていることは、当事者である彼らしか、知らないことでもあった。
「しかし、サーナ様の何を見れば、半身ではないなどと疑えるのか…俺には理解出来ん。」
「全くだな。サーナ様の瞳を見れば、疑いなど抱ける筈もなかろうに。」
たった23歳の娘。
けれどあの謁見の日に交わった漆黒の瞳の光は、今でも2人の脳裏に焼き付いて、色褪せることはない。
初めて見た色彩だった。
漆黒の髪に、夜の藍を纏う同色の瞳。
どこまでも広がる闇のように、その存在を主張する色。
けれど、揃いの玉座に腰掛ける白銀と漆黒の荘厳さは、言葉に表せないほど――美しく。
龍王が纏う白銀が陽の光を司り、半身が纏う漆黒が夜の闇を司る。
互いに互いがいなければ成り立たない――世界の仕組み。
そしてその漆黒の瞳に浮かぶ純粋さと思慮深さと、纏う雰囲気の神々しさは、神と万物の愛し子であることを、何よりも証明していて。
国王と王妃、そしてその後ろに控える七公家当主は、自然と跪き、頭を垂れていた。
「俺は今代の龍王陛下に初めて謁見した日――心の底から畏怖したよ。あの狂気を宿した緑色の瞳と、全てを威圧する濃密な魔力に。先代の龍王陛下の快活さなど見る影もなかった…だからこそ、魂は同じでも自我は異なるのだと改めて実感し、サーナ様の存在の大きさを痛感した。」
「…ああ。だからこそあの謁見の日に拝謁した陛下の瞳と雰囲気に、驚いたものだったな。あれが、本来の陛下だったのだと実感し…サーナ様が待ち望んだ半身なのだと、安堵することが出来た。」
「それを知らぬ一貴族の娘とはいえ、やってくれたものだ…」
「サーナ様がこの世界に戻られてすぐに、何が起こったのか…それを思い起こすだけで、己が抱くべきではない疑念だと、気づく筈だろうに…」
『全く、慢心とは愚かなものよ…』
互いに示し合わせたかのように同じ言葉を口にした国王と宰相は、またグラスを呷ったのだった。
異世界間での、倫理観の違いのお話でした。
なつなちゃんにとっては、身分制度自体が馴染みのないものなので、自分の存在に対する認識は、絶対的なものではありません。
そしてレイさん達にとっては、なつなちゃんは絶対的な存在であり、一侯爵令嬢であるルエナがその存在に疑問を感じること自体がタブーなわけです。
そして何より、性別差ですね…女の敵意は女には分かるものです。
そしてクロード達、裏ではあんなやり取りをするオジサマ方です(笑)
次から次に、苦労が絶えないねえ…(他人事か)




