なつなと秘密基地
大変お待たせしました。
『なつなと○○』シリーズ、始まります。
訪れる秋の気配。
慌ただしく過ぎた日々を終え、漸く落ち着いた時間を取り戻したなつなの元へ、待ちかねた人物が『ある品』を持って現れた。
「サーナ様、リオレイ殿がお見えになりました。」
居室の入口で応対したシェリアが告げた名に、なつなはソファーから立ち上がる。
その綻んだ表情と、半身の居室にまで案内され、訪れることを許されているその人物に、ライラとシェリーンの表情が引き締まる。
「リオレイ『先生』!」
「ご無沙汰致しております、サーナ様。ご所望の品をお届けに参りました。」
現れた初老の男性は、穏やかな瞳をして自然体な笑みを浮かべている。
そんな男性に自ら駆け寄り、親しげな様子で話しかけている主の姿。
そして主が口にするその敬称に、それらを見聞したライラ達は一定の距離を保ちながらも、初見の男性を観察するように見据えた。
そんなライラ達の視線を感じ取ったのか、リオレイと呼ばれた男性は視線をライラ達に向けた後、少し驚いたように瞳を瞬かせて、その場で挨拶をするように軽く頭を下げた。
「わざわざ来ていただいてすみません、ありがとうございます!」
「とんでもございません。お元気なご様子を拝謁することが出来、私も嬉しく思います。」
「リオレイ先生も、お元気そうで良かったです。さあ、どうぞ中に入ってください。」
「いえ、今日はこの場で構いません。すぐにお暇致しますので。」
部屋に招き入れようとしたなつなの申し出を丁重に断ると、リオレイは穏やかに微笑む。
その微笑みにとあることを思い出したのか、なつなはどこか困ったような表情で、気遣うように問いかけた。
「すみません、あれからずっと忙しいですよね…そんな中来ていただいて。」
「どうか御気遣いなく。サーナ様の御蔭で、あれから日々忙しく過ごしておりますが、妻も私もその忙しさすら楽しんで、商いをしております。私どもの仕事がサーナ様のお役に立てるのなら、幾らでも御依頼下さって構いません。またおいでください。それに今は、フィガレルの花が見頃でございますよ。」
「…ありがとうございます、また近い内にお邪魔しますね。カレラ先生もお元気ですか?」
「はい、それはもう。本日は店番がありますもので、共にこちらに参ることは出来ませんでしたが、妻からサーナ様に手製のパイをお土産にと、預かっております。」
その言葉になつなは更にその表情を綻ばせ、嬉しそうにそれを受け取る。
その、まるで親子のような親しげなやり取りに、ただライラ達は驚くばかりだ。
「嬉しい、カレラ先生のオレイルの実のパイ!コハクも喜びます。」
「サーナ様にそう仰って戴けるだけで、妻には何よりの喜びとなります。…では、こちらがご所望の品になります。お改めください。」
そう言って差し出された品に、なつなは受け取ったパイをシェリアに渡してから、それを受け取って茶色の小さな袋を開く。
そして何度か言葉を交わした後、満足そうな表情で頷いてみせる。
それを見つめ、安堵の表情を見せたリオレイは、深く頭を下げた。
「…では、私はこれで失礼致します。また何かご所望の際は、御連絡下さいませ。」
「ありがとうございました、リオレイ先生。また遊びに行かせていただきますね。カレラ先生にもお礼を伝えてください。」
「はい、必ず。妻と共にお待ちしております。」
挨拶を交わし、また眷族に案内され居室を後にするリオレイを見送り、戻ってきたなつなに、ライラ達は漸く浮かんでいた疑問を口に出来た。
「なつな様、今の方は…」
「城下で花問屋をなさっているリオレイさんです。私の『先生』なんですよ。」
「花問屋を営む方…ですか。一体どんなことを学んでいらっしゃるのですか?」
「説明するよりも見て貰った方が分かりやすいですし、今から行こうと思ってるんです。まずは着替えてきますね。」
怪訝な表情を浮かべているライラ達ににっこりと笑いかけ、心得た様子のシェリアを伴い、なつなは衣装部屋へと入っていく。
そして暫くして、動きやすい装いへと着替えを済ませたなつなは、大きな籠を持っていた。
「今日はライラさん達を、私の秘密基地にご招待しますね!」
「ヒミツ…キチ?」
そう言って楽しげに笑う主の姿と聞き慣れない言葉に、ライラとシェリーンは瞳を瞬き、お互いに顔を見合わせたのだった。
*
白王宮の裏手を少し歩いた先、そこは木々に囲まれた開けた場所だった。
傍には小川が流れ、透き通った水の下では様々な魚が泳いでいる。
そして耕され、柔らかく盛られた土から顔を出す多彩な野菜。
近くの土からは同じように顔を出し、大きく育った複数の樹木。
たわわに実った色とりどりの実が、陽射しを受けて輝いていた。
「ここは…?」
「私の『秘密基地』です。」
「この場所はなつな様の手によって耕され、手入れをされていらっしゃいます。そしてこちらにあるものは全て、なつな様が御自身でお育てになっている、野菜や果実ですのよ。」
『秘密基地』の意味を説明したシェリアに、ライラ達は驚きに瞳を瞬いた。
目の前にあるのは、それは美味しそうな野菜や果実達。
さらにこの耕された土や、雑草の一本もない大地も、手入れをしているというのだ。
これを全て、君臨せし主が自らの手で行なっているのが、信じられない。
「なつな様が全て…。失礼ですが、こういった作物を育てることに、わざわざなつな様のお手を貸されるまでもないかと思いますが…」
「そんなことないですよ。私がいた世界では、こうした畑を『家庭菜園』と呼んで、自分が食べる野菜を作ったりするんです。でもさすがに、ここまでの規模になるとは思ってなくて。」
「そうなのですか…」
「私、ずっとやってみたかったんですよね。…って言っても、私1人の力でこんなに立派な菜園になったわけじゃないんですけど。」
苦笑いを零すなつなの頬を、柔らかく撫でていく風。
傍の小川からは、軽やかな水音が響く。
それらはまるで、全てがなつなの気を引くかのようで。
「…ふふ、あなた達のお陰ね。いつも手伝ってくれてありがとう。」
「なつな様…?」
「ごめんなさい、ちょっと行ってきますね。」
ふと、なつなから漏らされた言葉。
怪訝な声を上げたライラに一言告げ、菜園の中に入っていった主を包む、風。
緩く纏められた髪は緩やかな風に揺れ、柔らかく陽射しが降り注ぎ、大地にはまるでケガなどさせたくはないというように、小石一つもない。
そんな中を歩き進みながら、なつなは時折視線を空に大地に空中に向けて、話しかけている。
まるでそれら全てと会話を交わしているような、そんな主の後ろ姿を呆然とした様子で見つめるライラに、苦笑いを浮かべながらシェリアが口を開く。
「――驚いたでしょう?あんな風に、なつな様は日常的に沢山の『見えざる者』と会話をされているのです。」
「…!では、あれは…」
「わたくし達には見えませんが、なつな様の周りには様々な見えざる者達がいるのでしょう。この菜園も、『なつな様を手伝いたい』と、見えざる者達が力を貸した結果ですわ。」
主を包み込む空気はきらきらと煌めいて、まるで神聖な雰囲気を醸し出しているように、ライラには映った。
それはどうやらシェリーンも同じようで、ぽつりと声が漏らされる。
「…改めて目の当たりにすると、驚くものなのね。わたくし達は、事実として半身様の在り方を知っていたはずなのに。」
「シェリーン…」
「なつな様の在り方は、今までの半身様と同じように考えては…きっといけないのね。あの方は本当に異世界で生を受けたのだと…日々そう感じるもの。」
「……」
「どうして、あんな風に自然体で…誰にでも隔てなく接することが出来るのかしら。その笑顔を…見せられるのかしら。」
心からの疑問を口にしたであろうシェリーンに、その答えを口にしたのはシェリアだった。
「…なつな様は常々、わたくしやシオン殿達近しい者にこう仰るのです。『自分らしく在りたい』と。」
「自分、らしく?」
「ええ。なつな様が生を受けられた世界は、誰しもが平等に暮らしていた世界だったそうです。身分も階級もなく、誰しもが等しく同じ教育を受け、友人を持ち、能力によってではありますが、自由に仕事を選ぶことが出来ていたと。」
「そんな世界が、あるのですか…」
「わたくし達には想像もつきませんわよね。でも…なつな様には、ずっと分からなかったことがあったそうです。それが、『自分らしさ』だと仰っていました。」
自分の言葉に、驚いた様子で瞳を瞬く2人に、シェリアはなつなを見つめたまま、語られた内容を思い出す。
それはとても忘れられない、静かな夜の話。
「御自身の環境、与えられる家族からの愛、それでも感じる違和感に…『自分』というものが分からなかったそうです。」
「分からない…」
「違和感と孤独を埋めるために、積極的に他者と関わり…周りに合わせるようにして日々を過ごされていたそうです。そんな日々の中で、いつしか『自分』というものが分からなくなってしまったと。」
「……」
「シオン殿に出会われ、この世界に戻られ、陛下と再会され、漸く自分を取り戻した気がした…そう仰っていました。」
誰かの顔色を窺ったり。
周りの雰囲気に合わせたり。
自分を偽ったり。
そんなこと、もうしなくていいんだって、この世界に還ってきて、初めて気づけて。
レイに出会ったあの夜に――漸く、心から笑えた気がしたんです。
そう、泣き笑いのような表情で語っていた、少女のような主。
「なつな様の想いは…陛下にもわたくし達にも、推し量ることしか出来ません。だからこそ陛下は、なつな様には自分らしく在って欲しいと願われています。」
「……」
「そしてなつな様の願いも、自分らしく在ること。なつな様は、戻られて間もないですが…この世界を愛してくださっています。そして御自身の瞳で世界を見て、他者を見て、判断していらっしゃるのです。その心のままに。」
「心のままに…」
「そんななつな様を、見えざる者達も愛すのでしょう。――わたくしも、なつな様にはお変わりなく過ごして欲しいと願っています。」
慈しむような微笑みを浮かべて語るシェリアに、眦に浮かんだ涙を拭い、ライラも頷く。
そんなライラの腕に手を添え、耳を傾けていたシェリーンは、シェリアを見つめ、礼を述べた。
「シェリア殿、ありがとうございます。お話を聞いて、なつな様を御護りするためにはどうしたらいいのか…分かったような気がします。」
「シェリーン…?」
「なつな様を御護りすることと、そのために他者を排除することは…必ずしも等しくはないということなのよ。なつな様に悪意を持った者が現れれば、翠月殿や見えざる者達がまず気づくもの。」
「……」
「だからこそわたくし達は、先入観なく見極めなくてはならないのよ。なつな様にとって何が優先されて、何を望まれるのか。なつな様を『護る』というのは…きっとそういうことなのだわ。」
シェリーンの言葉を黙って聞いていたライラは、真っ直ぐに主を見つめる。
見えざる者達と会話し、微笑む姿に、恐れや偏見はない。
その姿こそ、まさしく主の真実なのだろう。
ライラは、改めて決意を新たにするように瞼を伏せ、頷いた。
「――私達も、学ばなければならないな。なつな様のためにも。」
「そうね…光栄なことだわ。」
なつなから視線を逸らすことなく交わされた会話に微笑んで、シェリアは2人を見る。
「では、早速学ばれてみますか?」
「え?」
「学ぶ、とは?」
「――なつな様、ここにきた目的をお忘れですわ!種を蒔くのでしょう?」
背にかかったシェリアの声に、はっとした様子で振り返ったなつなは、見えざる者達と一言二言言葉を交わした後、慌てたように駆けてくる。
そんな主を出迎えるように、シェリアは持っていた籠を差し出した。
「ごめんなさい、シェリアさん!つい話し込んじゃって…」
「構いませんわ。種は2つしかありませんもの。すぐに終わるでしょうから。」
「はい、もう植える場所も決めてあるんです。みんな、やる気満々みたいで。」
困ったような笑みを浮かべながら話すなつなに、互いに話を飲み込めずにいるライラ達は、思わず疑問を口にする。
「なつな様…何の種を植えられるのですか?」
「レティカの実とフィヨルの実の種です。お2人の好きな果実でしょう?」
なつなが口にした予想外の答えに2人が驚きに瞳を瞬けば、シェリアがなつなの言葉を補足する。
「この菜園で育てられている野菜も果実も、陛下やライナス達属龍、そしてシオン殿達の好物ですのよ。なつな様はわたくし達に食べさせようと、御自身でお育てになっているのです。」
『!』
「私にはまだ出来ることは少ないから…だったら趣味を兼ねて、みんなの好きなものを私が作れたらって思ったんです。…そんな不純な動機なんですよ。」
そう言って苦笑いを浮かべる主を見つめたまま、ライラ達は言葉もなく立ち尽くす。
主から与えられる想いに、刻まれた紋様が微かに疼いて。
「セラフィナさん達の好きなものも、今度聞こうと思ってるんです。育てられるものだといいんですけど…」
「なつな様の楽しみが、また増えますわね。」
そう言って笑い合う主と侍女は、まだ何も植えられていない土へと歩いていく。
そんな後ろ姿をただ見つめていたライラ達を、なつなが呼ぶ。
「ライラさん、シェリーンさん。一緒に植えましょう!」
その声に2人は顔を見合わせ、恭しく頭を下げると歩み寄る。
互いの顔に、穏やかな笑みを浮かべて。
こうしてライラとシェリーンは、己の主についてまた新たに学んだのだった。
なつなとライラ達の、交流の一幕でした。
ほのぼのと言っていたのに、若干しんみりした話も混じってしまいました…すみません。
レティカの実ーー真っ赤なグレープフルーツ。シェリーンの大好物。
フィヨルの実ーーオレンジ色の桃。ライラの大好物。
香龍は果実や花の蜜が好物です。
もちろん、普通の食事もします。




