閑話 城下街へ 2
「ああ、ああ、御出でになられたわ…!」
「なんと美しいのだろう…。白銀と漆黒…相反する色が、お互いを引き立てている。是非絵画として描きたい…!」
「おかあさん、あのひとがおひめさま?」
「ええ、ええ、そうよ。あなたがお会いしたがった太陽姫様よ。」
「うわあ、あいたかったの!おひめさま、とってもきれーねー!」
王城と城下街を繋ぐ石橋を渡り、現れた姿に、それを見つめる民達は皆、陶然とした表情で息を漏らす。
白銀の髪を緩く編み、背に流す古からの王。
華美なものではなく、凝った部分のない漆黒のシャツとパンツは、その白銀の美しさを際立たせる。
そしてその手に導かれるように隣りを歩くのは、王の半身。
漆黒の髪を結わえることなく下ろし、陽に透ける度に輝くそれは、まるで美しい宝石のよう。
そしてその身を包むのは、白銀の織り糸が輝くワンピース。
素材にのみだけこだわったそれは、漆黒の髪を否応なく引き立てる。
互いの色を身に纏い、微笑み合うと、王の半身は民達を見渡し、その微笑みを向け、手を振っていく。
そんな彼女を見つめる王の表情は、ひどく穏やかだった。
そして彼女の傍らを歩くのは、二頭の獣。
似ているようで似ていない銀色の毛並みは滑らかで、揺れる尾は威厳を纏っていて。
まさに、『神』と『聖獣』の名に相応しい。
その一歩後ろに続く水龍、そして王国が誇る守護騎士団団長と、“紺碧の双翼”の呼び名を持つ2人の総隊長の姿は、まるで一枚の絵のようで。
民は彼らの姿を目をそらすことなく見続けながら、漏れていた声も次第に聞こえなくなっていき、暫くすると誰もが声もなく見送り、出会えたその幸せを噛みしめるのだった。
*
「――…まあ、まあまあまあ……!あなた、あなた…っ!!」
店先で水を撒いていた初老の女性は、顔を上げた瞬間に映った姿に大きく目を見開き、慌てたように建物の中に入っていく。
そして暫くすると、店主であろう同じく初老の男性を伴い、ひどく恐縮した様子で店先から道に出てくると、その場で両膝を付き、深く頭を下げた。
「まさか本当にこんな店にお出で下さるとは、なんと光栄な…!」
「店主殿、奥方殿。先触れは済んでいたかと思うが、殿下のご希望により、龍王陛下とサーナ殿下、そして水龍殿をお連れした。粗相のないように願いたい。」
「は、はい…!」
「――待ってください、キールさん。」
店主達の前に片膝をつき、そう告げていたキールの言葉を止めるように、声が響く。
その声に彼はすぐさま口を閉ざし、その場から一歩下がったことに、それに気づいた店主達が顔を上げれば、自分達の前に歩み寄る姿に、また慌てて頭を下げた。
「…お2人とも、どうか頭を上げて立ってください。服が汚れてしまいます。」
「いいえ…いいえ!そんな恐れ多い…!」
「…お願いです、どうか立ってください。私がここにきたのは、そんなことをさせるためじゃないんです。奥様からの要望書を読みました。お2人が心を込めて育てる花達を、是非見せていただきたくて、今日ここに来ました。」
「殿下…」
「太陽姫様…」
「お2人の手は、とっても素敵ですね。…水を使うからこんなにかさついて、でも凄く働き者の人の手です。商いのお邪魔にならないようにしますから…花を見せていただけませんか?」
目の前に座り込み、自分達の手を交互に取って、労るように撫でてくる手に、店主達はひどく感激したように何度も頷くと、漸く立ち上がり、まるで孫を迎え入れるように、なつなを店の中へと招き入れていく。
それに続くように、ヴェリウスの招きで中へとレイやライナス達が入っていく。
その姿を背後で見ていたキールは、傍らにいるウィルクスへ漏らした。
「ウィル…俺は間違ってしまっただろうか。」
「いや、間違ってはいないさ。サーナ様でなければね。——あの方は、身分に隔てなく人を思いやる方だから。」
「そうだな…気をつけよう。…嫌われたくはない。」
小さな声で呟き、後を追うように歩いていった幼なじみの姿に、ウィルクスはため息を漏らした。
「全く…恋をするには不毛すぎるでしょう。しかも初恋…可哀想だな、キール。」
淡い恋をしてしまった幼なじみを憂い、彼は深いため息をつきながらも、自分も任務を果たすべく店内へと歩き出したのだった。
*
「綺麗…!!」
「――私どもが唯一誇れる、我が家の庭にございます。」
案内されたそこに足を踏み入れた瞬間、視界いっぱいに広がる色とりどりの花々。
そして、まるで今か今かと彼女の訪れを待ちわびていたように、花の蕾達が一斉に花開くその光景に、誰もが驚きに目を見開き。
しかし、なつなとレイとライナス達だけは、慣れたように苦笑いを零したのだった。
「お2人とも…ごめんなさい。私がきたことで、開花の時期ががずれてしまったみたいで…」
「い、いいえ、とんでもございません。ここ数日の花達は、それはそれはいきいきとしておりました。私どもも、今まで見たこともないほどに。」
「きっと、太陽姫様のお越しを…今か今かと待ち望んでいたのでしょう。今もこのように…愛でてくれと言わんばかりに、輝いておりますもの。」
花の名や特徴を説明しながら庭を散策し、なつなは花弁に触れたり、香りを楽しんだりと、店主達が自慢する庭を堪能する。
その花の種類の多さや、手入れが行き届いた庭に、彼女は尊敬の眼差しで店主達を見つめる。
「――お2人が誇られる理由がよく分かります。素晴らしいお庭ですね。」
「勿体ないお言葉です…!陛下や殿下方に訪れて戴いたこと、我が家の末代までの誇りとなりましょう。」
「いいえ、この庭こそ誇られるものです。…うん、そうよね。私もそう思う。」
「殿下…?」
「…ああ、すみません。今、『彼女』達から話を聞いていて。『とても居心地がいいわ』って言っています。それも、この庭にある全ての花や植物が。住みやすい場所で、他の場所に咲いていた子達にも、『次はこの場所に種子を飛ばすといい』って、アドバイスしたんですって。住み替えた『彼』も、この場所にいるみんながお2人に感謝しています。」
「え…」
「『とても良くして貰っている』と言っています。剪定も丁寧で、風が強い日は風除けを用意してくれて、水はたっぷり与えてくれるし、雨が降れば地面を触って、水の量も調節してくれる。『今が一番綺麗なのよ』って胸を張れば、聞こえてないはずなのにその時に切り取ってくれて、切り取る時も細心の注意をはらってくれるって。『例え商いのためだとしても、満足だ』と言っています。」
すらすらと紡がれるなつなの言葉を、初めは唖然としながら聞いていた店主達は、次第に語られている内容が花達の言葉なのだということに気づき、次第に興奮と嬉しさから気持ちが高揚していった。
この国に暮らす民は全員、龍王とその半身が持つ力を知っている。
余りある魔力を持ち、その知識の豊富さと魔術の強さは、神にも匹敵する龍王。
魔力は一切持たないが、万物全てに愛され、神のみにしか見えない存在が、唯一見えるその半身。
そんな尊き存在である御方が、ただの平民である自分達に平等に接し、その話に耳を傾け、敬意を持って自分達の仕事を認めてくれている。
更に、自分達が手塩にかけて育てる花達の言葉を、余すことなく伝えてくれているのだ。
そんなお方に、今日会うまでに抱いていた畏敬の念は薄れ、ただ敬意と愛慕の思いが店主達の心を占めていく。
「……ありがとう、ございます。花達がそんな風に思ってくれていたこと、今日こうして殿下にお目にかかれなければ…我々には一生、知る由もありませんでした。」
「そうした殿下のお気持ちが、私達には何よりの励みとなります…。ありがとうございます、ありがとうございます…!」
突然嗚咽を漏らしながら泣き出した奥方に、なつなははっとしたようにその両手を自分の両手で包み込む。
そんな妻に寄り添う店主にも同じようにお礼を言われてしまい、彼女は困ったように眉を寄せ、傍にいるレイやライナスを見やる。
「君が伝えた見えざる者達の想いを知って、2人は感動したんだ。“嬉し涙”というんだろう?サーナ。だから、そんな顔をしなくてもいいんだよ。」
「その通りですよ、ナツ。あなたのその言葉が、心からの行動が、民には何よりの励みになるのです。だから、そんな顔をしないで。」
2人の言葉に躊躇いながらも頷くと、なつなは奥方の手をさすり、そのままでまた庭を歩き出す。
涙を拭いながら話す奥方の表情は先ほどよりも晴れやかで、彼女に向ける表情にぎこちなさはない。
そんな店主達と彼女のやり取りを、離れた場所から見守っていた3人の騎士達は、ここ数日間で感じていたことを、改めて実感する。
理想的ながら、決して簡単には真似出来ない、彼女の姿勢とその心を。
「――団長。騎士にとっての『理想の主』など、いるはずがないと思っていましたが…出会えるものなのですね。」
任務中にも関わらず、小さな声で感慨深く漏らされたウィルクスの言葉に、それを咎めることもなく、ヴェリウスは肯定するように頷く。
「私もそう思うよ。幼き日の憧憬のまま…いや、それよりもより確かな存在として、こうして出会うことが出来た。——サーナ様は、純粋だ。身分や階級で人を隔てることなく、他者を打算なしで思いやる。異世界でどのようにお育ちになったのか…私などでは、到底知る由もないな。」
「万物に愛される権利を、唯一持った方。本来であれば、『見えざる者』達の言葉をあんなに易々と民に伝えるなど、考えられないことです。あの方は、『見えざる者』との会話を特別なものとして理解していながら、それを『誇る』ことは決してなさらない。万物に愛されていることを理解し、しかしそれを当然と思うこともなく、慎み深くなさるところなど…貴族の令嬢に見習って貰いたいものです。」
「…相変わらず、ウィルクスは辛辣だな。だが、だからこそ陛下や水龍殿達はサーナ様を心配なさるのだろう。その純粋さを、他者に損なわせる事態を避けるために。」
ヴェリウスが指摘する意味に気づき、ウィルクスが頷けば、2人の話を黙って聞いていたキールが、呟くように漏らす。
「私は…もしサーナ様を傷つける者が現れた時、1人の『騎士』として公正な判断を下すことが出来るのか、分かりません。きっと、許すことが出来ない…!」
清廉潔白、公明正大と表され、騎士の鏡だと年若い騎士達から憧れの眼差しを向けられるキールから、常には聞いたことのない激情を感じ、付き合いの長い2人は苦笑いを零す。
そんな彼の肩に手を置き、ヴェリウスはなつな達から視線を逸らすことなく、告げる。
「だからこそ、我らには国王陛下からの勅命が下りたのだよ。万が一事が起こった際の、サーナ様への特別警護と王命での越権許可。——サーナ様は、この世界の要。喪えば、『世界』が終わるのだから。」
「ぞっとしないですね…」
「だが、事実だよ。私達は、幼い頃からそう『教わって』きたのだから。今の職務との永久兼務だが…不満はないだろう?」
『勿論です。』
きっぱりと断言した2人にヴェリウスは頷き、その瞳を細めた。
少し先に映る、曇りない笑顔を見せる姿に、決意を新たにする。
それはどうやら、自分の腹心の部下2人も同じだったようで。
「――陛下や水龍殿は既にご存知だが、サーナ様には気取られぬよう、細心の注意をはらうように。あの方に、不自由は似合わないのだから。」
『はっ。』
騎士達がそんなやり取りをしている中、親交を深め、和やかな会話を繰り広げていたなつなと店主達、そしてそんな3人を見守り、柔らかく目を細める龍王と水龍。
そしてこの日より定期的に、店を訪れるなつなと龍王一行と、3人の騎士達の姿が民に目撃され。
そしてまたある日には、騎士達に伴われ、白王宮へと、ひどく恐縮した店主と奥方が招かれる姿が目撃されるのも、また別の話である。
まだまだ続きます。
いやーしかし、騎士達3人のやり取りを書くのが楽しいです(笑)




