結ばれる約束
大変お待たせいたしました。
夜空の闇を纏う瞳を柔らかく細め、私に優しく微笑みかける青年。
そしてその顔が、さっきから私の赤く傷が残った指先に触れている自分の指先に向けられ、まるで自分がケガをしたかのように、辛そうに眉が寄せられる。
そんな彼の行動に驚きながら、周りを見渡せばやっぱり私の目の前に跪く彼の姿が、レイ達には見えないようで。
でも私と同じように、その姿が見えているはずのシオンの様子が、どこかおかしい。
なんだろう、と気にかけようとすると、まるで私の意識を引き寄せるように、彼が私の指先に触れた感覚がして。
そのピリッとした微かな痛みに視線を向ければ、彼の唇が私の指先に触れていた。
その行動に反射的に手を引っ込めると、彼は私のその反応に申し訳なさそうに眉を寄せながら、それでも私を見つめ続けている。
彼は、この聖樹に宿る『見えざる者』なのだろう。
私と同じ、黒い瞳。
レイと同じ、白銀の髪。
髪を切る前のレイのように長い髪を背に流し、それが土に触れていても気にした様子はない。
そして何よりザグラノルドと違うのは、漆黒の衣服を身に纏う姿。
それに身体が透けていなくて、まるで私と同じ人間の、生身の身体のように見える。
その姿の違いに戸惑う私を慈しむように見つめながら、見目麗しいその青年は、その瞳を一切レイ達の方に向けることなく、真っ直ぐに私だけを見つめて、その口を開いた。
『——お初にお目にかかります、我が君。その尊き血を与えられ、こうして先代に代わり、この地に根付くことが出来ました。心から、お礼を申し上げます』
「あなたは…この聖樹、なのよね?」
『はい。いわば、私は聖樹ジェードムーンの化身です。我が君の血は聖樹を生み、龍王の魔力は聖樹を育てる。我が君の存在がなければ、私達聖樹の存在も、そこに芽生える個性や自我などもないのです』
そう言い切った青年は、会話をするのも難しい私の様子に、その整った眉を険しく寄せ、心配する様子を隠すことなく言葉を続ける。
『ああ、なんとお労しい…。我が君が苦しむ姿など、私は見ていたくない。…そこの龍王は、一体何をなされているのか』
「レイは、悪くない、わ。私が、人間、だから…」
『それは理由になりません。我が君は人だからこそ、私達は慈しみ、愛しく想うのです。…その疲労も傷も私が、すぐに癒やして差し上げます』
そう告げた青年は、その両手を無造作に私の前で開いてみせる。
するとその両手のひらの上に、音もなく現れる、漆黒の実。
それは紛れもなく、聖なる樹実で。
突然目の前に現れたそれに、レイ達が戸惑うのが分かる。
『聖樹ジェードムーンに実った、聖なる樹実です。口にすれば、御身の傷も心身もすぐに癒えましょう』
「食べて、いいの…?」
『我が君に捧げられるなら、こんなに嬉しいことはありません。——さあ、どうぞ』
左手にある実を差し出され、それを受け取ると促されるままに恐る恐るかじる。
すると口の中に広がる、黒糖を食べた時のような甘み。
噛み砕いて飲み込んだ瞬間、身体に纏う倦怠感が、鈍い頭痛の痛みが、少しずつ薄れていくのが分かった。
「すごい…」
思わず小さく漏れた呟きに、目の前の青年は安堵したようにその眉の皺を和らげる。
そうしてその視線に促されて自分の指先を見やれば、そこにあった筈の傷口が、まるで最初から存在しなかったかのように消え去っていた。
「——さすがは、聖なる樹実というところでしょうか。」
「そうだね…。なつなの瞳の色と同じ実だ。でも、聖樹ジェードムーンは、どうして実を2つも用意したんだ…?」
2人の会話を聞きながら、レイと同じ疑問を抱いた私に、青年は柔らかく微笑み、まるで愛おしむようにその実に触れた。
『この実は、聖樹ジェードムーンに初めて実ったものです。最も、聖域から漏れた力を蓄えたもの』
「大事なもの、なの…?」
『とても。——だからこそ、この実を我が君に捧げたい。私が、我が君の傍に在るために』
そう告げた青年の言葉に、私は目を見開いた。
その言葉の意味に、気づいたからだ。
「私の、守護者になるつもり…?」
『我が君が、それを許してくださるならば』
青年の瞳に本気の色を感じ取り、私は戸惑う。
そうして自然とシオンを見つめれば、彼は困惑したように私達を見守っている。
その姿はさっき私が気にかけた時と同じで。
(シオン…?)
思わず心話で問いかけた私に、シオンは困惑を隠さないまま、同じように心話を返してくる。
(なつな、ジェードムーンは一体何を話している…?キミに何を求めている?そしてその姿はなんだ…?)
立て続けに問いかけられて、そして声が聞こえるはずのシオンに、彼の声が届いていない事実に更に戸惑えば、そんな私の様子に、青年が答えてくれる。
『私の声は、最初から我が君にのみ聞こえています。そこにおられる神にも、聞こえてはいないのです』
「どうして…」
『今、私の声を届けたいのは我が君だけ。そして私達聖樹にとって、最も優先されるのは我が君のみ。龍王も神も、敬いはすれど…力ある者に私達は見向きもしないのです』
「…それは私には、力がないから?」
『そうではありません。我が君は、御自身には『力』がないと思っていらっしゃるのですか?…それは異なこと。我が君の力は、龍王や神とも異なる…その魂に刻まれた力。その力を全て把握し、制御することは、如何に我が君とて難しいこと。それが、力を呼吸するように操る龍王や神との違いです』
「……」
『制御しきれない力が、不用意に我が君を傷つけることのないようにすること…それが守護者たる者の務め。——そして、私達の積年の望み』
その声には、とても深い想いが込められているようで。
そして望みという言葉に、首を傾げた私に青年は言った。
『本来、私達聖樹の化身は、根付いた地を離れることが出来ません。蓄える力が多くても、主たる半身との繋がりは聖樹と結ばれている。どれだけ望もうと、傍に在ることなど出来なかったのです』
「じゃあ、どうやって…」
『先代と、そして他の聖樹との違いが私にはあります』
「え…?」
『我が君も私の姿を見て、不思議に思われたでしょう?どうしてこんなにはっきりとした姿で、存在しているのか。『見えざる者』達のように、先代のように、身体が透けていないのかと』
「確かにそう思ったけど…」
『聖樹ジェードムーンは、代替わりの際に宿した我が君の血が、他の聖樹と比べて圧倒的に多いのです。宿した血が多ければ多いほど、聖樹が蓄える力は強くなり安定し、化身と我が君との繋がりも強くなる。故に化身の実体が強化された…今ならば、化身たる私が離れても心配はないでしょう』
そう話し、ゆっくりと目の前に差し出された漆黒の実。
それを見つめれば、青年は真摯な、それでいて懇願するような瞳で語りかけてくる。
『どうか、私の願いをお聞き届けください、我が君。私は、我が君をお護りしたいのです』
「……」
『…いいえ、お護りしたいだけではありません。私は、お傍に在りたいのです。我が君は私達の唯一の主…そして、私達聖樹の親でもあるのですから』
「!」
『本来私達は…主たる我が君に対して、親子の情など感じません。けれど私は我が君との繋がりがよほど強いのか、母に向けるような感情を我が君に抱いています。ただ、お傍に在り…お力になりたいのです』
重なる手のひら。
ザグラノルドとは違って、しっかりと感じるその手のひらの感触。
そこから伝わる想いは、とても温かくて。
私は、感じた想いをそのまま口にした。
「私は…どうしたらいいの?」
その言葉に込められた意味に気づいたのか、青年は溢れる歓喜に顔を綻ばせ、その漆黒の実を私の手のひらに乗せた。
『――そのままで。私が、我が君の心に語りかける言葉を、復唱なさってください。そして最後に、私の名を』
告げられた内容に頷けば、その実を持つ手のひらに、重ねられる手のひら。
そして閉じられた瞼に、私も合わせるように瞼を伏せた。
『我は名を得た』
「我は名を得た」
『我に流れるは、尊き魂の血』
「我に流れるは、尊き魂の血」
手のひらの上の聖なる樹実が、少しずつ脈動し、淡い白銀の光を放ち出す。
そしてそんな私と青年を取り囲む、見えざる者達。
その気配と存在感に、私に寄り添うレイとライナスさんが、困惑と警戒を強める空気を感じるけれど。
それでもまるで離さないと言わんばかりに、ライナスさんは支える腕の力を強める。
『祝福せよ、名のなき者よ。歓喜せよ、新たな主の誕生を』
「祝福せよ、名のなき者よ。歓喜せよ、新たな主の誕生を」
光は強まり、見えざる者達がまるで祝福するような歌声を響かせる。
『我は告げよう、唯一の名を。我は在ろう、ただ主の傍に。我の名は――』
「我は告げよう、唯一の名を。我は在ろう、ただ主の傍に。我の名は――ジェードムーン」
導かれるようにして、口にした名前。
その瞬間に白銀の光ははじけ、光が収まると、手のひらの上にあった実は、姿を消し。
代わりに残ったのは、手のひらの中心に刻まれた小さな模様のようなものだった。
「これは…?」
『私と我が君を繋ぐ…証です。私の存在は我が君の魂に刻まれ、いつでも傍に。私の力も、我が君の意のままに』
刻まれた模様は、聖樹の葉を花びらのように6枚繋げたようなもので。
その模様に口づけた青年は、その瞳を柔らかく細めた。
『ここにいる全ての見えざる者が証人となりました。私は、貴女だけのものです――我が君』
「…っ!」
『なんと可憐な…。我が君は、初心でいらっしゃるのですね』
「か、からかわないで……翠月!」
私が思わず口にした名に、目の前の青年は驚いたように瞳を瞬かせる。
そんな青年を見つめながら、私は思わず熱くなった頬を押さえた。
『それは、私の名なのですか…?我が君』
「あなたに授けたジェードムーンという名は、『翡翠の月』という意味なの。これからずっと一緒なら、呼びやすく短い渾名がいいと思って…」
『渾名…』
「思いついただけだから、イヤなら…」
そう口にしようとした時、目にしたのは。
とてもとても幸せそうに破顔する、青年の表情で。
触れられた手から伝わる鮮明な感情は、この模様のお陰なんだろう。
そして、新たに私の守護者となった聖樹ジェードムーンの化身、翠月。
新たな約を交わしてしまった私に、シオンは仕方がないと言わんばかりに苦笑いを浮かべ。
レイとエドガーさんは、今回の代替わりを経て、聖樹の力が今まで以上に強まったことを知り、翠月が話す内容を私が伝え、詳しい説明をすることになった。
ただしライナスさんだけは、刻まれた模様と翠月の存在に強く嫉妬し、私を離してくれず。
翠月とライナスさんとの間で、板挟みになった私は。
それでも果たせた責任に安堵し、ライナスさんの腕の中で深く息を吐いたのだった。
新たに登場しました、聖樹ジェードムーンの化身、翠月さん。
いやあ、実に楽しいのはいいんですが…中々指が進まず困りました_| ̄|○
なんとか完成して良かったです。
少し補足しますと、翠月達にとってレイさんとなつなちゃんの2人の優位度は、どうしたってなつなちゃんに傾きます。
2人がいなければ聖樹は成り立ちませんが、そもそもなつなちゃんがいなければ聖樹は生まれないんです。
なので、翠月はレイさんを敬いはすれど、優先することはありません。
結構シビアですね(苦笑)
さて、次回は場面が変わります。
暫く旅が続きますが、お付き合いくださいませ。




