旅立ちと新たな力
聖樹『ザグラノルド』への出発は、夜が明けてからになった。
4本の聖樹は大陸ごとに離れているため、聖樹の様子や経過を確認してから周ると、数日はかかるそうだ。
あの後すぐにやってきたシェリアさんは、着替えを済ませた私の拙い話からあっという間に事態を把握し、私を迎えに来たレイと居室を出る姿をその場で見送ってくれて。
そして私達が『白議』から居室に戻った頃には、必要な荷物を既に纏めて、更には自分自身の身支度も整えてしまっていた。
「わたくしも、共に参ります。わたくしは、なつな様の専属侍女です。その身をお護りしたいのは、何も陛下やライナス達ばかりではありませんわ。」
そう言ったシェリアさんは、前水龍クエイクの娘であり、眷族の中でも特別な強い力を持っているそうだ。
そして更にはライナスさんに、魔力を扱う術を教えた師匠でもあるらしい。
「シェリアは、前水龍クエイクの血を色濃く受け継いでいる。その魔力は属龍にも匹敵するんだよ。」
だからなつなの侍女にしたんだ、と言ったレイは、空を見上げてからその瞳をエドガーさんへ向けた。
「じゃあ、エドガー。お願いするよ。」
「お任せを。――なつな、王と共に少し下がっていてくれるかい?」
私を見つめ、穏やかな口調でそう言ったエドガーさんの身体が、淡い光を放ち、空気に透けていく。
あっと思う間もなく、目の前に現れたのは、昇ってきた朝日を遮る、大きな影。
それは、濃紫の鱗に覆われたとても大きな紫龍だった。
その圧倒的な存在感。
私なんて丸呑みに出来そうな大きな口、でもその見知ったアメジストの瞳は、優しく細められ、穏やかに私を見ていた。
「エドガー、さん…?」
『――そうだよ、なつな。驚かせてしまったかな。私の躯は、王の成体よりもとても大きいからね』
響く声も、いつものエドガーさんの声だ。
でもその姿は私が知っているレイの龍の姿よりも、遥かに大きくて。
小さなビルくらい、普通に包み込めてしまいそうだ。
「聖樹までは遠いからね。なつなに任せるのは避けたいし、僕達の中では1番エドガーの躯が大きいからね。聖樹までは、彼の背に乗っていくよ。」
「…どうして、私ではダメなの?風にお願いするだけで、私は別に…」
「なつなは、これから代替わりを行うのです。どれだけの負担が、あなたの身体にかかるか分かりません。力の覚醒を促すわけにはいかないのです。万全を期さなければ。」
そう言ったライナスさんに、レイもエドガーさんも頷く。
それに納得はしながらも、そこで私はあることを思い出し、尋ねてみる。
「『転移陣』は、聖樹にはないの?」
転移陣とは、この白王宮の入口とルシェラザルト山の結界内の入口を結ぶゲートのようなものだ。
そもそもこの魔力陣に名称なんてなかったけど、分かりやすいように私が付けた。
この転移陣は遥か昔、当時の龍王と六属龍によって、陣として定着させたものらしい。
龍や人が持つ魔力は、陣として定着させれば、半永久的に存在させられるそうで。
でもそれには豊富な魔力と知識が必要で、中々陣として存在しているものはないらしい。
だから、この世界にとって重要な聖樹と、この白王宮が転移陣で繋がっていてもおかしくないはず。
でも私の問いにレイ達は、首を横に振った。
「それは出来ないんだ、なつな。」
「どうして?」
「理由は、着いてから話すよ。今は出発しよう。」
そしてレイはシオン達を見つめ、エドガーさんの背に乗るように促した。
それに続くようにライナスさんがその背に乗り、レイはその腕に子供のように私を抱き上げて、軽々とエドガーの背に飛び乗った。
そうしてレイに背中から抱き込まれたまま、私は初めて龍の背に乗り、空を飛んだのだった。
*
どれくらい飛んでいたんだろう。
龍の背中から初めて見る景色も、この先に待ち受ける聖樹のことや、私の役割とか、考えることが多すぎて、ゆっくり見る余裕もなくて。
そうこうしている内にエドガーさんが降り立った場所は大きく開けた、何の変哲もない静かな森の中だった。
全員が背から降りるとエドガーさんはまた人の姿に戻り、森の中を仰ぎ見た。
「——ここから聖樹ザグラノルドまでは、そう遠くない。ライナス、君は王の前に。私が先行しよう。」
「分かりました。」
「シェリアとシオン達はなつなの後ろをついて来て。…さあ、なつな。行こう。」
差し出された手を繋ぎ、頷いた私は先を歩くエドガーさん達を追いかけるように歩き出す。
獣道よりはしっかりした道を歩きながら、進んでも進んでもあまり代わり映えのしない静かな森に、私はレイに問いかける。
「静かな森ね…」
「僕達以外には、誰もいないからね。聖樹がある森はみんなこうだよ。」
「どうして?」
「人にとってこの森は、ただの森に過ぎないんだ。人には聖樹の姿は見えないからね。」
「見えない…?」
レイの言葉を疑問に思い尋ねれば、それを引き継ぐように前を歩くエドガーさんが答えてくれる。
「この国の民は、聖樹の存在を知らないのだよ。知っているのは、国王と宰相、『七公家』の当主のみ。聖樹がある森は人里から離れ、辿り着くのも困難な辺境の地にある。故に民は、聖樹がある森に入ることはないし、そもそもただの森に特別な興味もないだろう。」
「確かに、空を飛ばなきゃ辿り着けないかも…」
「それに聖樹は、私達と眷族、聖獣や見えざる者にしか見えない。とても特別な存在だからね。」
「…どうして、見えないの?」
疑問はそこだ。
実から育つなら、実態はあるはず。
なのに限られた者にしか見えないなんて、何故そうしてまで隠す必要があるのか。
そんな私の疑問が顔に出てたのか、レイがまた答えてくれる。
「聖樹に実る聖なる樹実には、どんな病や傷も治す力が備わっているんだよ。その実を食べれば、失われた魔力も元に戻り、力を取り戻せるんだ。」
「万能薬、ってこと?」
「そうだね。聖なる樹実は、聖樹が吸収した力が、言わば固体化した物なんだよ。故に、悪しき者に渡れば、悪用されてしまう。だから、僕達以外の人間には見えないようになっている。」
「……人間は、すぐに欲に囚われるから?」
「それもある。でも、1番の理由はね…人には絶対的な『理』がないからだよ。人の自我も理も、成長する中で育ち、得るものだ。故にそれぞれに理が違う。だが龍も聖獣も、魂に刻まれた理がある。…それを違えれば、待つのは『魂の破滅』だからね。」
静かに話すレイの言葉には、確かな重みがあった。
そしてその内容に、私はここに来る前にレイが言っていた意味を知る。
「…だから、聖樹には転移陣がないのね。」
「そうだよ。万が一、この地に人が辿り着いた時、その人間が陣を通り白王宮に入れば…無用な死を招くから。それを避けるために、陣は創られなかった。」
「もう1つの理由は、この地が特別な場所なのだと、人に知られないためです。陣が存在するだけで、頭の良い人間にはその意味が分かってしまう。——全ては、聖樹を護るため。無用な懸念を生じさせないためですよ。」
レイに続き、そう言い切ったライナスさんの言葉を聞きながら、私は辺りを見回す。
流れる風も、瞳に映る木々も花達も、みんなが聖樹のことを心配してる。
どうか早く救って欲しいと、私に願っている。
そんな彼らの声を聞きながら、ふと木々の間に映った姿。
ぼんやりとしたそれに焦点を合わせようとした時、先を歩いていたエドガーさんの声が、私の意識を呼び戻す。
「なつな。見えてきたよ――あれが聖樹『ザグラノルド』だ。」
その声にはっとして視線を向けて、映ったのは。
木々の間を抜け、辿り着いた広い空間にそびえる、とても大きくて…でも、色を失い今にも枯れ果てそうな、灰色の大樹だった。
「元々聖樹は、龍王の鱗を受け継いだような…白銀の大樹なのだよ。だが、代替わりの時期が訪れるとこうして少しずつ色褪せ、朽ちていく。…枝を上に辿ってごらん。」
促すエドガーさんの声に視線を空へと上げれば、兄さんが言っていた通り、枝の先は今も消え続けているようで、灰色の粒子になった枝は風に流され、空に溶けるように消えていく。
「…もう、猶予はないようですね。」
「そうだね、急がなければ。」
硬いライナスさんの声に同意したエドガーさんは、私とレイを促す。
そして歩み寄るレイより先に、私は無意識に繋がれた手を離して、聖樹に駆け寄った。
その痛々しい姿に、いてもたってもいられなかったから。
《――漸く、会えた。いと懐かしき、妾の愛する主…》
そんな私の耳に、届く声。
それは、夜更けに聞いたあの声で。
私は立ち止まり、目の前にそびえる聖樹を見上げた。
「私のことが、分かるの…?」
《ふふふ、おかしなことを…。妾が、主を間違えるはずもない。姿は違えど、その魂の輝きは…忘れえぬ愛しき主のもの》
「……」
《さあ、呼んで。汝の声で――妾の名を。古に与えられた、妾だけの名を》
「――『ザグラノルド』。」
その願いを叶えるために口にした私の声に、聖樹が揺れる。
まるで歓喜に震え、そして最後の力を振り絞るように。
そこに、『彼女』の微笑みを見たようで。
ううん、確かに『彼女』は『微笑んだ』のだ。
その、たおやかな髪を揺らして。
「あなたが、ザグラノルド…?」
《妾の姿が見えるのか…?ああ、なんと嬉しい…!消えゆく前に、主の覚醒の時に立ち会えるとは…そしてその瞳に映した初めての存在が、わらわ…!》
更なる歓喜に震える彼女に呼応するように、葉を枝を震わせる聖樹の様子に、私は目を見開く。
そして私が口にした言葉に、後ろにいるレイ達が息を呑んだのが分かった。
たおやかな、灰色の髪。
きっと、元は白銀に輝く綺麗な髪だったに違いない。
ほっそりとした手足は、真っ白で。
その肢体は女性らしく、豊満で。
少しつり上がった瞳が印象的で、緩やかに縁取られる顔は、まるで創られたもののように整っていた。
ふいに訪れた、それは。
私が初めて見た、『見えざる者』の姿だった。
さて、いよいよ旅が始まりました。
そこでまさかの、力の覚醒。
なつなちゃん、苦労をかけます…いじめてはないんだよ、ゴメンね_| ̄|○
さて、色々裏設定も明らかになってきましたが。
あまりここでは多くを語らず、いきたいと思います。
次回、いよいよ代替わりの儀式です。
なつなちゃん、がんばれ…!




