ルシェラザルトの住人
どれくらい眠っていたのだろう。
優しく頰を風が撫でる感触に、とじていた意識が目覚め、伏せていた瞼を開く。
最初に映ったのは、空の青。
広がる青空は私がいた世界と、同じ。
でも、ふと見下ろしたそこには――見たこともない景色が広がってる。
日本は島国だった。
地球という星の中の、ただ1つの国。
そして様々な大陸があって、たくさんの人が暮らしてる。
きっと、この世界もそうなんだろう。
私は漠然とそう考えていた。
ただ、今見下ろした世界は、思ってたよりもずっと小さくて。
見たことのない形、風景に、ああ、ホントに世界を渡ったんだって…漸くそう理解した。
“——気分はどうだい?”
その声に振り返る。
そこには思った通り、銀色の毛並みの猫がいた。
こちらを窺いながらもしっぽを揺らし、どこか楽しそうにも見える。
「うん、なんか思ってたよりも呆気なかったかな。揺れとかもなかったし。」
“それは勿論考慮したからね。揺らして欲しかったなら、言ってくれたら良かったのに”
「冗談やめてよ、世界渡った直後に空で吐きたくなんかないよ。」
“まあ、そうだろうね”
そう言って肩を竦めて見せた後、彼はその場で飛び上がり、ひらりと私の肩へと乗った。
衝撃も重さも感じないのは、猫の姿をしていても彼が神様だからなのだろうか。
“ここが、キミが生まれる筈だった世界だ”
その言葉に、もう一度眼下を見下ろす。
海に囲まれた、大陸。
思ってたよりも小さくて、そして想像していたよりも――綺麗で。
「うん…思ってたよりも、小さいんだね。」
“確かに。日本に比べれば大きいだろうけど、これがこの世界唯一の国だと思えば、小さいね”
「この世界には、国は1つしかないの?」
“そうだよ。龍と人と動植物、そして『見えざる者』が住む世界。これがこの国だ”
「じゃあ、ここから見える景色が…この世界全てなんだ。」
呟いた私に頷いて、彼はしっぽをある方向へと向ける。
その指す方向へと歩きながら、私は訪ねる。
こんな僅かの間に抵抗なく空を自由に歩けるなんて、私もずいぶん慣れたものだ。
「ねえ、私が今話してるのは日本語だけど…言葉は通じるの?」
“問題ないよ。キミは日本語という意識だろうけど、それはちゃんとこの国の言語に訳されるようになっている。書くことは覚えないといけないだろうけど、読みだけは問題ないから”
「なんて都合のいい…。それも『神様補正』ってヤツ?」
“そう思ってくれて構わないよ。こんなことでは、お詫びにもならないけどね”
そう言って苦笑いを零す彼に、私はふとさっき聞いた言葉を思い出して、足を止めた。
「ねえ、『見えざる者』ってなに?」
訪ねた私に彼は少しの間黙り込んで、しっぽで私の頬を撫でる。
“『見えざる者』は、言葉通り見えないだけで、確かに存在する者のことだよ。龍にも人にも見えないけれど、僕達神にはそれが見える”
「んー…?」
“説明が難しいね。そうだな…キミがいた世界で流通する書籍の中で出てくる、『精霊』が一番近いかもしれない”
「精霊!?」
予期せぬ答えに驚いて彼を見れば、そんな私の反応に彼はおかしそうに笑う。
“キミがいた世界の書籍は面白いね。誰も見たことがないのに、『精霊』という言葉は生まれ、誰もが知っている。存在を信じてる者だっているんだから”
「どんなファンタジー小説よ…まさか精霊がいるなんて。」
“とは言っても、恐らくキミが想像している精霊とは違うと思うよ”
「そうなの?」
“彼らは、万物全ての者に宿っているんだ。花、木、土、水、風――全てに。彼らには明確な自我と意思がある。そして、彼ら全員に共通するのが…不干渉を望んでいること”
「不干渉…」
“彼らは干渉されること、強制されること、行使されることを何よりも嫌がる。彼らは自由で在りたいんだよ”
そう話し、彼はこの場に留まるようにとしっぽを揺らして、眼下を見るように促す。
“見てごらん。ああして風が吹くのも、雨が降るのも、花が咲くことも、全て彼らの意思だ。それは龍にも人にも、決められないこと。たとえ、王であっても”
「……」
“彼らは気まぐれであり、我が儘だ。だから龍とも人とも関わらず、自由を選ぶ。キミの世界で描かれる、『精霊との契約』や『召還術の行使や精霊の使役』なんて、彼らにとっては有り得ないことなんだよ”
「そうだよねえ…そんなチート能力、あるわけないし。」
ごもっともな話だ。
精霊にだって意思はある。
それを、強制的に召還されて、契約させられて、都合よく力を使われたら、精霊だってたまらない筈だ。
そう考えて納得していた私に、彼はこれまでの説明とは矛盾する話をあっけらかんと続けた。
“存在するだけで、見えはしないし、彼らもそれを望んでいない。僕達神と、なつな。キミ以外にはね”
「!え…?」
今、何を言ったこの猫。
さも当たり前のように私の名前を出さなかったか。
「私…見えるの?」
“見えるよ。キミにも僕にも”
何を言ってるの、とでも言いたげな声に、私は戸惑いながら噛みついた。
「待って…おかしくない?人にも龍にも、見えないんだよね?なら、ただの人間の私に見えるなんておかしくない?」
“キミはただの人間じゃないってことだよ。今はそれで納得しておいて?すぐに分かるから”
そう言って彼は眼下にある、ある建物を指差した。
“あの城に、なつな――キミの半身がいる。ただ、まだキミはこの世界にきたばかりで、魂と身体が定着していないんだ。だから…”
また暫くの間、眠っていてね。
その言葉と共に首筋をしっぽで撫でられて、あっという間に私は意識を手放した。
“ねえ、なつな。どうかキミは変わらないでいて。――たとえ、全てを知ったとしても”
キミの意思が、この世界を生かすも壊すも、思いのままだとしても。
どうか、自分の力にのまれないで――
眠らせたその身体の傍に寄り添いながら、神の一柱である彼は、そう強く願った。
なつなちゃん、来た早々とんでもない立場になりました。
次回は、いよいよライナス…登場出来るといいなー(笑)