圧倒的
時は御剣爽が脱落してから10分後。
所は愛の国、その昔愛知県と呼ばれていた県の内の西尾という市。
誰か、神杉紳である。
「……。」
「どういう手を使って此処に来たのかは知らないが、御剣爽と同じ反応とは。師弟の縁みたいな物か。」
「貴方がネフィリムですね。取り敢えずさっさとその血で塗れた汚い手を爽から離して下さい。」
「これは失礼。前前々世からの恨みを晴らすには、こいつを殺すだけじゃ足りなかったみたいでな。」
そう言ってネフィリムはその手を爽の死体から離した。
後、その体の“一部”を蹴って神杉紳へと飛ばした。
一部、所謂手と呼ばれる物だ。
「これが本当の手土産、と言った所か。……怒らないな。場にそぐわない最悪のセンスをふんだんに含んだジョークだったのだが。」
「貴方は私に怒って欲しかったのですか?だとするなら遅かったですね。日は落ちる。燦然と輝く星の下に、誓え。“落日に燦然たる福音”。」
神杉紳が召喚したそれ、9mm口径、装弾数15+1の自動拳銃。
それは、以前見せたそれは、確か黒一色だった筈だが、今はそこに深紅の、炎の様な紋様が刻まれている。
「……遅過ぎたんですよ貴方は。私は爽が一人で愛の国に送られた時点で怒っていたのですからね。」
彼は発砲した。
ネフィリムに向かってではなく、御剣爽の手に向けてである。
「……何をしている。」
ネフィリムにもこれには驚いたらしく、開いた口が塞がっていない。
「私の拳銃は、神を信じる者を救います。その力はその者が死して尚発揮する。」
「……!」
弾を撃ち込まれた手が一閃、光を放つ。
その一秒後には、ばらばらになり、切り傷だらけだった御剣爽の体が、生きていれば十全と言って間違いではないであろうそれが、神杉紳の前に仰向けであった。
「爽。よくやりました。後は私が始末を付けておきます。日は昇る。天から下りし破壊の恩恵。“破壊の天使”。ファイア、頼みました。」
神杉紳が召喚したのは、何時だったかジェイカー・リットネスがメタトロンと同化した際に舞台を整えた天使達だった。
キーキーと、訳の分からない声で喚くファイアと呼ばれた天使に、神杉紳は一言“分かっていますよ”と返した。
ファイアが指を鳴らす。
すると御剣爽の体は一瞬で火に包まれ、その一瞬後にはその体を全て灰とし、風に舞っていった。
「火葬か。中々粋な事をする。」
「煩いですよネフィリム。私は今爽にお別れを言っている所なので邪魔しないで下さい。」
「それは失礼した。」
神杉紳は手を合わせ一礼する。
そしてそれを終えるとホルスターに仕舞っていた“落日に燦然たる福音”を右手にし、ネフィリムに向き直った。
「君はキリスト教徒ではないのか?先程の一連の動作を見ていると、どうもそうは思えないのだが。」
「神と冠するなら私の信仰の対象です。」
「成る程。つまり君は神と名が付くなら例えそれが人間であろうと崇拝すると。」
「ええ。だから私は自分の名前が好きなんです。」
「ふん。大したナルシストだ。ところでさっきから気になっていたんだが、その天使達は何だ?言葉はまるっきり分からないが、俺に向けて痛い程の殺気を放っているぞ。」
確かにネフィリムの言う通り、ある者は両手に紅蓮の炎を纏わせ、ある者は体中に雷を帯び、またある者の浮く真下の地面は大きく陥没し、最後の者の体は見るのが困難な程発光している。
そう、確かにネフィリムの言う通り、全員が全員ネフィリムへと殺気を、今すぐにでも飛び掛かり、その四肢を断絶し、焼き、貫き、粉砕し、消し飛ばしたいという気を放っている。
「彼等は爽と仲がよかったですからね。……まあたまに行き過ぎて爽は死にそうになっていましたが。」
「それは仲がよろしかった様でって!……いきなり危ないな。」
神杉紳はネフィリムが話し終えそうになるのと殆ど同時に、一発の銃弾を放ったが、ネフィリムはそれをいとも容易く切り捨てた。
「……もう良いでしょう無駄話は。」
神杉紳の言葉を切っ掛けとし、四柱の天使、ファイア、サンダ、グラヴ、レイはネフィリムに飛び掛かる。
「これは中々危ないな。“ハザイ”。」
ネフィリムが放ったのは、何時だったか更月涼治にベレトの箱庭の中で彼に見せたそれだった。
シェミハザの持つ固有の重力である“千の重力”により形成した重力負荷の斬撃波を、更に“千の重力”による上下からの重力負荷により極限まで薄くした斬撃。
それが“ハザイ”である。
今ネフィリムが放った“ハザイ”の幅はおよそ2m。
こんな風に悠長に説明してはいるが、その斬撃波の速さは並大抵の物ではない。
後ろからも重力負荷が掛けられているので、その速さは200km以上と推測される。
そんな物を放たれては、常人、いや、人には避ける事が困難なレベルだろう。
だが、今ネフィリムが対峙しているのは人間ではなく天使だった。
「……驚いた。」
“ハザイ”は打ち消された。
グラヴの重力によって。
通常、線を捉えたいのなら、90゜角度を変えた線か、若しくは面で受けるのが得策と言えるだろう。
何故なら受け止められる確率が上がるからだ。
だが今グラヴは線ではなく、そして面でもなく、百人に聞いたのなら百人がそれは駄目だろうと言うであろう、およそ愚策と言って相違ないであろう手段である“点”を使った。
こんな諺があったらいいなと思う。
紙を貫くならクリップより針。
つまり効率の問題で、紙をより簡単に貫けるのは針だと。
確かにクリップでも、形を変形させれば紙を貫く事も難くない。
難くないが、それでも最初から貫く形である針よりも面倒だし、クリップの先端はあまり尖っていない。
程度の差で、そんな物は実際にやってしまえば差など然程無いと思うだろうが、それでもやはり針の方が有利だろう。
どうでもいい話が非常に長くなったが、とにかくグラヴは自らの重力を針の如く鋭くし、これまたどうでもいい話だが物にはそこを突くと全てが崩壊する原子の綻びがある。
グラヴはそこに重力の針を差し込んだ。
そして“ハザイ”は雲散霧消。
四柱の天使達は皆無傷のままネフィリムに襲い掛かる事を続行している訳だ。
「しかしこの程度ではかすり傷すら受ける事はないぞ。」
最初に飛び掛かったファイアの炎の拳を軽く躱し、擦れ違いざまに後頭部を柄尻で強打。
ファイアは無様に地面をヘッドスライディングしていった。
続いてサンダ、彼は体中に雷を纏っている訳だが、その範囲は大体彼を中心に半径1m程。
まともにぶつかれば“煉獄に咲く晩年華”では防げ得ない。
かと言って左右に避けるのも得策とは言い難いだろう。
ならばと、ネフィリムはその手に持つ剣をサンダへと投げ付けた。
“攻撃”星五十による加速、重力負荷による加速を合わせておよそ300km。
サンダまでの距離は約3m。
到達するまでの時間は約0.03秒と言った所か。
数学……というかこれは算数のレベルか。
とにかく数字を用いたあれこれは苦手なので間違っているかもしれないが、とにかく速い。
流石の天使でもこの速度には反応出来なかったらしく、サンダは無残にもその腹を刃の切っ先を以てして貫かれた。
次いで現れたグラヴ。
仲間が刺されたからか、その顔は天使の物と言うよりは鬼のそれに近かった。
両手に重力を纏わせ殴り掛かってくる。
「甘いな。体が重く動きにくくなるにしても、サンダとか言う天使同様重力を纏っておくべきだった!」
「な……。」
此処に来て、映像にすれば10秒掛かるかどうか分からないこの攻防に於て、初めてネフィリムは声を上げ、神杉紳は驚きの表情を浮かべた。
なんと、魔術師ではあるけれども、それでも人間という種類に属されるネフィリムが、徒手空拳の格闘で人間より上位の存在である天使を圧倒したのだ。
いや、圧倒したのだなどという言葉では足りない。
何故ならグラヴの腹もまた、物は違えど貫通させられたからだ。
ネフィリムの腕が、貫通したからだ。
すぐさまその腕を引き抜くと、ネフィリムはあらぬ方向に向けてグラヴを投擲した。
それは正しく投擲と言って相違ない物だったであろう。
違う点と言えば、投げられた物が砲丸より遥かに重く、槍より遥かに速く投げられたという事か。
とにかくグラヴは投げられたのだ。
あらぬ方向と“思われていた”空間に向けて。
思われていたなどという思わせ振りな表現をする辺り、そして君が思い付く通り、それはあらぬ方向ではなかった。
そこには、光速の99%の速さで動いていたレイがいたのだから。
光の速さで動く物に違う物体を当てたらどうなるか。
他の場合は知らないし興味もないが、さっきの場合は音もなくグラヴとレイが消失した。
「……。」
神杉紳はその一連の攻防、多分10秒にも満たないそれを見て、しかし彼は眉一つ動かさなかった。
消えてしまったレイ、グラヴはともかくとして、体を貫かれ戦闘不能と見て間違いないであろうサンダの事も、ネフィリムの背後で震えているファイアの事も、助けようとはしなかった。
いや、天使とは言え所詮は術式兵装、そもそも助けるという言葉を使う事自体が間違えだな。
正確には、俺がした様に術式兵装の回収だ。
とにもかくにも、神杉紳はそれをしなかった。
ただ無表情に俺を見据えていた。
何となくだが、奴は達観し、俺を見抜いている様な感じがして気に食わなかったな。
「……完敗です。」
「負けを認めるのか?」
「最初から分かりきっていた事ではありました。私が貴方に勝てない理由は三つあります。一つ、武器。私は刀剣の類は扱えない。故に銃に頼るしかありませんが、私がいくら発砲した所で貴方は避けるか切り捨てるかする。これでは勝てるはずがない。」
「確かに。」
「二つ、召喚の術式兵装。貴方は使いませんでしたが、私は“破壊の天使”を使った。先に結果論を述べてしまえば、貴方はそれをたった一人で全滅させました。これでは勝てません。加えて、貴方が使う“天より堕ちた集合体”。これに私達は対処出来ない。」
「成る程成る程。では最後の理由を聞こう。」
「三つ、地力の違いですね。これはもう貴方に、本当に、どうやっても、どう転んでも勝てる気がしません。」
……それを言ったら元も子もないんじゃないだろうかとは思ったね。
だから俺は質問した。
「そうか。質問なんだが、どうして勝てないと分かりきっていた戦いに君は身を投じた?わざわざ死にたかったのか?」
「その理由は二つで済みます。一つは、分かるとは思いますが爽のためです。……いや実際は私のためなのかもしれない。最後に師匠らしい所を見せたかっただけの、ただの自己満足だったのかもしれません。」
「……仲間に置き換えれば何とか理解出来そうだ。」
「それは良かった。二つ目の理由は、爽と同じです。」
「御剣爽と同じ?」
何だろうかと考えたのも一瞬、直ぐに答に辿り着いた。
「そう、時間稼ぎですよ。そして―――」
「ち!」
腹いせ……と言えばそうなるかもしれない。
とにかく俺は切り掛かった。
「本当に遅過ぎるな、ネフィリム。」
初めて乱暴な言葉を使った神杉紳を、俺は袈裟斬りで一閃。
大量の血を噴き出しながら、そして笑いながら、神杉紳は死んだ。
「……とまあ、これが君が此処に来るまでに起きた出来事だ。理解したかジェイカー・リットネス。」
「理解しました。その上で、私はお前を殺す。」
次はジェイカー・リットネスか……。
やれやれ疲れそうだ。
とにもかくにも、神杉紳死亡。
故に脱落。




