バショウ:燃える想い
気まずい沈黙を破るようにぽつりと雨音が聞こえた。
と思った直後には、ザーザーと強い雨脚で雨が降り出した。
さっきまでお月様も見えていたのに、いまは木々の間から見える空を雨雲が覆っていた。
山の天気は変わりやすいっていうけど、こんな状況の時に土砂降りってどうなの!?
誰にともなく心の中で突っ込んでいたら、急に腕を引っ張られて立ち上がらされた。
「いこうっ」
そう言った瞬間、拓斗が私の腕を掴んだまま走り出した。
どこに……?
頭の中に浮かんだ疑問は、喉にひっかかって言葉にはならなかった。
みんなに迷惑をかけた――そう言った時の拓斗のナイフのように鋭い眼差しが心に突き刺さって、ぎゅっと唇をかみしめた。
※
突然降り出した雨に、俺は璃子を立ち上がらせ、腕を引いて走りだした。
夏といっても夜、しかも山の中は涼しい空気で、一時的な雨だろうけど、この量をまともに浴びたら、さすがに風邪ひくだろう。
俺はさっき思い当たった場所へと急ぐ。
ロードワークで走っている時に、山小屋を見つけたのは確かこの辺りだったと思う。
岩壁を迂回して宿に戻るよりも、とりあえず山小屋へ行き、明るくなってから宿に戻った方が安全だろうと思った途端に、この土砂降り。
タイミングがいいといえばいいのだろうか。
地面に溜まった雨水をばしゃばしゃと踏みながら、なんとか山小屋にたどり着いた。
今は使われていないみたいで鍵は壊れてて、軋む扉を開ける。懐中電灯で中を確認すると、二十畳ほどのスペースの隅に埃をかぶったストーブが置いてある以外はトイレも水場もない。
まあ、屋根と壁があって雨風しのげて横になれるスペースがあれば十分か。
俺と璃子は、山小屋の屋根が突き出したウッドデッキの上で、濡れた服を軽く絞ってから山小屋の中に入った。
俺はすぐに室内を見回し、なにか体を拭いたりできるものがないかを探す。
埃をかぶったストーブの側に備え付けの収納を見つけて中をあさる。
毛布一枚を見つけ、とりあえずこれでどうにかなるかなと振り返ると、璃子は俺がいる場所と対角線上の部屋の隅にいるから、内心で首を傾げた。
※
拓斗が向かった先は、山小屋だった。
ずっと木々の生い茂った場所だったのに、そこだけ開けて山小屋がぽつんと建っていた。
さっき、ロードワークでこの辺りを走ってたって言ってたから、この山小屋もその時に見かけていたのかもしれない。
拓斗の頼もしさを感じると共に、迷惑だと言った拓斗の言葉が胸に突き刺さる。
山小屋に入ってからもギクシャクした空気のままで。
拓斗は勝手に飛び出して崖から落ちた私に呆れて怒ってた。きっと仕方なく私をここに連れてきてくれたのだろう。
そう思うと拓斗には近づけなくて、がさごそと奥でやっている拓斗から一番距離を置いた場所――入り口のすぐそばで足がすくんで、それ以上中には入れなかった。
※
「璃子、なにやってんの?」
しばらくして、拓斗が訝しげに問いかけてきたから、私は慌てて俯いていた顔を上げる。
「えっ……と……」
なにって言われても困るんだけどな……
私はなんと言ったらいいか迷って、歯切れ悪く答え、また俯いた。
室内は薄暗くて、拓斗の表情はわからないけど、突き刺すような眼差しが怖くて顔を上げられなかった。
つかつかと足音がして、床に落としていた視線に拓斗の足が見えた。
「毛布あったから使って」
差し出された毛布を見つめる。
「拓斗は?」
「……、一枚しかなかったからいいよ、璃子使って」
斜めに視線をそらした拓斗は、ぶっきらぼうに言った。
拓斗が私に対して怒ってるのは分かっているけど、そういう言い方はないんじゃないかな。なんだかやるせない。
「いい、いらない。拓斗が見つけたんだから拓斗が使えば」
私はぷいっと横を向いて、毛布を押し返し、つい可愛くない言い方になってしまう。
「俺はいいから、璃子使って」
そう言って私の手に無理やり毛布を押し付けてくるから、キッと顔を上げる。
「いらないって言ってるじゃない!? だいたい拓斗はレギュラーなんでしょ!? 風邪でもひいたらどうするの!? 迷惑するのはチームメイトなんだよ!?」
つい、むきになって言ってしまう。
「レギュラーなら自己管理くらいしっかりしなさいよっ!!」
言いながら、私は拓斗に毛布を投げつけた。
私に背を向けて歩いていた拓斗の背中に毛布が当たり、バサっと音を立てて床に落ちた。
床にたまったほこりが舞い上がり、室内に重苦しい沈黙が落ちる。
拓斗は顔だけで振り返り、視線を私から床の毛布へと移す。
腰をかがめて毛布を掴みこっちに一歩踏み出したから、私は拓斗との距離をとるようにすっと一歩後ずさった。
「拓斗が私に毛布を押し付けるつもりなら、私は外にいるから」
言うと同時に、振り返り入り口に一目散に駆け寄る。だけど。
扉に手が触れる前に、後ろからぐいっと腕をひかれた。
「分かったよ……、そんなに毛布使うのが嫌なら、俺が使うから。そんな濡れた格好で外になんか出たら、本当に風邪ひく……」
苦々しく吐き出した拓斗はすっと掴んでいた腕を離し、毛布を片腕で抱えて部屋の奥へと消えていった。
拓斗が持っていた懐中電灯が床に置かれ、壁の一部を頼りない明かりが照らしているだけで、奥に座る拓斗の姿はよく見えなかった。
私は入り口近くの床に背中を壁にもたせかけるように腰を下ろし、膝を腕で抱え込む。その上に頭をうずめた。
拓斗と二人っきりって状況が気まずいけど、夜が明けるまではここにいるしかないんだ。
息がつまりそうで、早く寝てしまおうと思うのに頭は冴えててなかなか眠れそうになかった。




