マランサス:心配ご無用
「だーかーらー、そんな顔すんなって言っただろ」
ぺちんと、璃子のおでこを指ではじいて俺は苦笑する。
璃子はもともと大きいちょっと色素の薄い瞳をさらに大きく見開いた。
この瞳を見ると、いつも初めて会った時のことを思い出す。
あんな衝動的な自分は初めて戸惑ったけなぁ。
でも、璃子だから、惹かれたんだ。璃子だから、つい、手が出てたんだ。璃子だから……
胸が締めつけられるような想いが湧き上がってきて、俺は情けなくて苦笑いする。
ぽかんと俺を見上げる璃子に優しく微笑んで、くしゅっと乱れた頭を撫でた。
「俺はさ、お前のこと好きだよ。自分でも呆れるくらい、初めて会った時から惹かれてた。ずっとそばにいたし、ずっと見てた。だから分かるんだよ」
璃子は意味が分からないというように小首をかしげている。
「本当は俺を好きにさせてやるって思ってた。でも、璃子の気持ちに答えはでてるんだろ?」
そう問いかけた俺に、璃子の体がぴくんっと揺れる。
「もう認めちまえよ、お前が好きなのは誰なのか。自分の気持ちに正直にならないことほど辛いことってないだろ? 俺は自分の好きな女が、そんな泣きそうな顔してる無理して笑てるのは嫌なんだよ」
今にも泣きだしそうになってるくせに、必死に涙をこらえてる表情を見ると俺まで胸が苦しくなる。切なさと愛おしさとがごちゃまぜになって押し寄せてくる。
でも、俺じゃ、その涙をぬぐってやることしかできないから――
ぽんっと璃子の頭に触れる。
「世良のこと、好きだろ――?」
尋ねた俺に、一瞬、躊躇した璃子は、小さく頷いた。
「その気持ち、世良に言ってみろよ?」
今度はふるふると首を横に振る。その反動で、キラキラと光る透明な雫が床にこぼれていく。
「言えよ」
少し強い口調で言った俺を、璃子は困ったように見上げる。
「怖くて言えない……、絶対拒絶される……」
「絶対なんてないだろ、お前に世良の気持ちが分かるのかよ」
「でも……」
「逃げるなよ」
「逃げてなんか……」
「逃げてるだろ」
はぁーっと盛大なため息をつくと、璃子の肩がびくんと震える。
なんか苛めてるみたいで、困るな。
「確かに、面と向かって言葉にするのは怖いだろうけどさ、言葉にしないと理解できることも理解できないだろ? 怖がってこのまま逃げ続けるつもりかよ? あいつ、秋には他大学の編入試験受けるらしいじゃんか、そうなっても後悔しないのかよ?」
俺はちょっと聞きかじった世良の情報を言う。
まあ、癪だけど、共通の友人もいるわけで、それとなく世良の事情も耳に入っては来てる。
璃子は世良の編入のことを知らなかったのか、動揺に大きく瞳を揺らしていた。
「お前、世良のこと大事にしすぎて、直接触れるのを怖がってるだろ? 触れて、痛みを感じてこそわかることもあるんじゃないか? 大事なら、なおさら」
あーあ、なんでこんなこと言ってんのかな、俺。
好き女を、他の男のとこに行く手助けなんて、俺の柄じゃないのに。
でも、璃子の笑顔のためなら、そんなに嫌でもないっつーか。
はぁ~~……
内心で盛大なため息をついて肩を落とす。
惚れて惚れてしょうがないってことか。
あーあ。
いまだに迷うように瞳を揺らしている璃子を見て、俺はばんっと勢いよく璃子の背中をたたいた。
「きゃっ!?」
「難しく考えるなよ。お前は頭いいから、無駄に変に考えすぎるんだよ。お前は世良が好き、ただ気持ちを伝えろ。その後のことは、その後考えればいいだろ」
※
翔の言葉が不思議なほどすぅーっと私の胸にしみこんでいった。
後のことは後で考えればいい、か――
私はずっと思ってた。
私の気持ちは拓斗には迷惑なもので、絶対、口にしてはいけない想いだって。
でも、拓斗がどう思うかなんて拓斗にしか分からない。
ずっとぐだぐだ考えて前に進めないでいるよりも、傷ついたとしてもすっぱり振られた方が前に進める気がした。
進め――、って翔が背中を押してくれる。
私は……
拓斗に自分の気持ちを伝えたい。
拓斗の迷惑とか、フラれて傷つきたくないとか。そういうことじゃなくて、ただ今まで持て余してきた自分の気持ちの行き場をやっと見つけたみたいで、少し気分が軽くなった。
「そうだよね、ぐだぐだ考えててもしょうがないかっ! 私、拓斗とちゃんと話してみる」
もう一年近く拓斗とはまともに話してないけど、拓斗がちゃんと話を聞いてくれるまで話そう。メールして、電話して、それでもダメなら会いに行こう。
「でも……」
私は歯切れ悪く言う。
「翔はその……、それでいいの?」
ちょっと聞きずらいけど、ちゃんと聞いておかないといけないと思った。
だって、私と翔はまだ別れを口にしてはいない。
「変な気、使うなよ。俺もいいかげん子守は飽きたしな~」
あっさりした口調に、ほんの少し、胸がうずく。
俯いた私の頭に、ぽんっと翔の大きな手が置かれた。それからぐしゃぐしゃっと乱暴にかき回されるから。文句を言おうと顔を上げると。
「ばーか、冗談だよ」
微笑みを浮かべたその表情はとても優しくて。
「俺は璃子が好きだ――」
私をまっすぐに見つめる翔の表情は、一瞬前の冗談めかした表情ではなく、真剣でせつなげな光を瞳に中にきらめかせた。
その表情がなんだか泣きそうに見えて、私の胸をついた。
こんなに好きになってくれて、大事にしてくれて、私は翔に何もかえせないなんて――
「翔、私も翔のこと好きだったよ……」
最後まで私のことを大事にしてくれる翔の優しさに、ぽろっと涙がこぼれてくる。
翔は浅く、ほんのわずかに笑っただけで何も言わず、立ち上がって玄関に向かう。直後。
私は痛いほど強く翔に包み込まれていた。息もできず、身動きもできないほど激しく、抱きしめられた。
次話から拓斗ターンです。




