マーガレット:心に秘めた愛
『うん……っ、おやすみ……っ』
「…………」
電話越しに璃子の嗚咽が聞こえてたまらなくて、ぎゅっと唇を噛みしめる。
「おやすみ』
泣きながら、それを俺に気づかれないように気丈にふるまっていることに気づいていたから、俺は気づかないふりをして、おやすみを告げた。
電話が切れてからも、俺はカフェの椅子から立ち上がることも出来なくて、しばらくぼぉーっとしていた。
電話越しに聞こえた璃子の嗚咽が耳から離れなくて、喉の奥がきゅーっと切なくなる。
事故に巻き込まれたとかじゃないことにほっとしながらも、璃子の口から世良の名前が出たことに、自分でも信じられないほど心が乱れた。
璃子が世良を好きなことを承知で付き合ってた。俺の側にいて、俺を好きになろうとしてくれているのも伝わってくる。
でも、気持ちって、自分でどうしようって思ってできるもんじゃない。
璃子が誰を好きでも、俺を好きにさせてみせる自信はあった。でも。
もう、潮時なのかもしれないな――
※
ふわふわとした心地よさの中で、私は夢を見ていた。
小学生の私と拓斗が仲良く追いかけっこしてて、つまずいて転んだ私の頭をぽんっと拓斗がなでてくれた。
優しい気持ちが胸いっぱいに広がって、ふっと口元をほころばせた。
※
レポートの参考図書を探しに大学の図書館にきていた俺は、書架の奥の壁際に設けられた一人掛けの机に顔を伏せて寝ている璃子を見つけた。
璃子と最後に話したのはいつだろうか――
そう考えて、つい先週の出来事を思い出す。
そういえば、先週、会って、話したな。
そんなことを思いながら、俺の足は吸い寄せられるように無意識に璃子の寝ている机へと向けられる。
頬を机について寝ている璃子の横顔を覗き込む。
璃子はすやすやと寝息を立てて、気持ちよさそうに眠っていた。
その口元がふっとほころんだのに気づいて、俺は腕をそっと伸ばして、璃子の髪に触れた。
相変わらず、ポニーテールにまとめた髪はだいぶ伸びて、背中に艶やかに流れていた。
俺が誰かを好きになる日がくるなんて想像もつかなかった。
思っていた通り、恋なんて苦しいし、自分の思い通りにならないけど、この気持ちに気づかなければよかったとは思わない。
璃子が好きだ――
強く、想う。俺の中でその気持ちがどんどん強くなる。
こんなふうにそっと璃子を見守ることしかできなくても、璃子が愛おしくてたまらない。
璃子が俺のことを好きになってくれることがなくても、絶望したりしない。
頭をなで、そして髪の毛をすくようになでて、毛先にそっと口づけた。
※
「璃子――?」
私の名前を呼ぶ声にはっとして瞳を開ければ、腰をかがめてこちらを覗き込んでいる翔の視線とぶつかった。
「えっ、わっ……」
私は意味不明な言葉を発しながら、慌てて口元をぬぐう。
わっ、寝ちゃってたんだ、私。よだれとか、垂らしてなかったよね……?
学生が待ちに待った夏休みに突入!
の前に、レポートを一つ提出しなければならなくて、学生の少なくなった夏休みの大学の図書館でレポートをやっつけていた私。
図書館は冷房がきいてて家より快適空間だし、なにより参考文献になる専門図書が揃っているから、レポートをやるなら断然図書館だと思って。
私は一人、書架の奥に設置された一人掛けの席に座って、レポート用紙と参考文献を広げて、ひたすらレポートを仕上げていた……のだけど、だんだんうとうととしてきて、瞼が重くなっていって、ついには寝てしまったんだって気づく。
もう前期試験も終わって、夏にはサークルの合宿があるからその費用を貯めるためにここ数日はバイトを遅くまでしてて、昨日はそのまま、バイト仲間にオールだってカラオケに連れてかれて、二時間しか寝てなかったから、眠くて……
翔はバイトが終わったら、図書館に来るって言ってた。ってことは、もうお昼過ぎってこと!?
うわー、何時間寝てたんだろ……
「えへへ、寝ちゃってた……」
翔に突っ込まれる前に、自分でちゃかして言ってみ。
そういえば、寝てるとき誰かに頭を撫でられていたような気がする。優しく触れる手のぬくもりが心地よくて――
目覚めた時に翔がいたってことは、翔が触ってたんかな……
そんな思いでちらっと翔を盗み見ると、翔はなんともいえない渋い表情で唇を噛みしめていた。
「翔……?」
いつもだったら真っ先に「なに寝てんだよ」くらい突っ込んで馬鹿にしてくるのに。首を傾げた私に、翔は直前の表情からくしゃっと破顔して、がしがしと私の頭を撫でまわした。
「なんだよ、寝不足か? 寝ててレポート終わったのか~?」
「ちょっ、ちょっと、乱暴にしないでよっ。あーほら、ぐしゃぐしゃになっちゃったじゃない……」
翔があまりにも強い力で頭を撫でまわすから、髪の毛を結っていたゴムがずれてしまった。
「もー、ポニーテールするの難しいんだからぁ……」
ぶちぶち文句を言いながら、でも私の顔は笑ってしまう。
それは翔がいたずらっこみたいに眩しい笑顔を浮かべてて、切れ長の黒い瞳でまっすぐ私を見ていたから――
その瞳の奥に、一瞬、切なげな光が揺れたのに、私は気づかなかった。




