サンザシ:ただひとつの恋
部屋の外からはにぎやかな声が時折聞こえてきて、天井から床まである大きな窓の外には墨を塗りたくったような闇の中にビルや街灯の明かりがキラキラ輝く夜景が広がっていた。
私は鏡の前に置かれた椅子に案内され、そこに座ると、さっと数人の女性に囲まれて化粧をされ、髪の毛をいじられていく。
今日はもうパーティー当日。業界大手の橘食品のパーティーだけあって、一流ホテルが会場。拓斗は内々のパーティーって言ってたけど、それなりの偉い人が集まってくるんじゃないかなって思うと緊張してくる。つまり私も、それなりにちゃんとした格好をしなきゃいけないわけで。でもパーティーに着ていけるようなドレスなんて持ってないし、そのことを相談したら拓斗がなんとかするって言われて、パーティーは夕方からなんだけど昼ごろに会場となるホテルにくるように言われてきてみれば、ホテルにあるサロンで女性スタッフ三人に囲まれてあーでもないこーでもないって着せ替え人形のようにされて、やっとドレスが決まって着替え終わったと思ったら今度はお化粧と髪形っていうわけ。
最初は突然の事に戸惑いと緊張で固まっていたけど、今はもう素直にスタッフさんに従って言われるがまま。
まあね、こんな普通だったら着る機会もなさそうな豪華なドレスも着られて、メイクも髪形もしっかりやってもらうなんてそうそうないだろうし――ってかもう今後一生ないと思う――、だからいまはちょっとしたお嬢様気分を味わっているところ。
そんなふうにでも考えていなきゃ、緊張で神経がすり減って本番まで持ちそうもなかった。
そうなんだよね、肝心なのはここからで……
拓斗のおじいさんに会って、気に入られるような彼女のふりをしなきゃいけないんだよね。
ほんと、私に出来るのかなぁ……
不安にならないって思ったのに、やっぱりどこか不安になりかけていたら、スタッフに声をかけられた。
「はい、お待たせいたしました。いかがでしょうか?」
言われて、閉じていた瞳を開ければ、目の前の鏡にはまるで別人のような自分がいて、驚きに息を飲みこんでしまった。
パニエでふんわりとし広がった膝丈の裾、ハイウエストできゅっと絞ったウエストラインの清楚で可愛らしいデザインのドレス。だけど背中部分は編み上げになっていて、色もワインレッドとちょっと大人っぽい。ビーズやスワロフスキーがちりばめられた透き通ったホワイトのショールを羽織って、髪の毛はもともとついてる癖をさらに巻いてアップにしてすごい高そうな宝石のたくさんついたティアラみたいな飾りをつけて、ネックレスやブレスレットもつけて、ほんとに黙っていたらどこかのご令嬢みたいに綺麗な自分がいてビックリしてしまう。
「いかがでしょうか?」
私があまりにも呆けた顔で鏡を見ていたからか、スタッフの女性がもう一度訪ねてくる。
「あっ、はい……、なんだか自分じゃないみたいで……」
そう言うと、女性はふふっと嬉しそうな微笑をもらす。
「気にいっていただけたようでよかったです。お客様にはオフホワイトやピンクゴールドなどの淡い色味が可愛らしい雰囲気でお似合いになるとも思ったのですけど、色白ですし瞳や髪の毛の色素が薄いので逆に濃い目のはっきりした色の方がお似合いになると思ったんです」
確かに、普段は白やピンクとかパステルカラーの淡い色の服ばかりを選んで着ている。
「なので、形は可愛らしいビスチェドレスでお色味を大人っぽいワインレッドにしてみました」
「すごく素敵です」
自分だったら絶対に選ばないようなコーディネートにさすがプロだなと感心してしまう。
それに、背が低くて大人っぽいとは無縁の私がちょっとは年相応に見えるのが嬉しかった。
「可憐さの中に大人っぽさを含んだ、バラの精霊のようですよ」
そう言って笑う女性スタッフの後ろで他のスタッフも微笑むから、ちょっと照れてしまった。
最後に靴と鞄など小物を出してもらう。
「お連れ様もじきにご準備が整うと思いますので、正面のラウンジでお待ちください」
お礼を言ってサロンを出てラウンジに向かう。
拓斗の付き添いの私がこんなに着飾ったんだから、今日の主役の拓斗もそりゃあ存分に着飾ってるんだろうな。
しゃらんと、ブレスレットに交じってつけた腕時計で、パーティーまでの時間を確認する。まだパーティーまでは一時間ほど時間がある。
この腕時計は普段から使ってる私物なんだけど、サロンのスタッフの人がこのままでもドレスに合うからつけてて大丈夫って言ってくれてそのままつけている。
携帯が普及して時間も携帯で確認できるようになったけど、やっぱり腕時計が一番すぐに時間を確かめられるから身につけるのが習慣になってしまった。学生は時間に縛られているしね。
それにしても――
鞄のチェーンの取っ手に指を絡めて、歩調に合わせて鞄をゆっくり振る。
いつも自分の気持ちには正直に生きてきたけど、たった一つだけ自分についていた嘘がある。小学校の時、拓斗が誰も好きになれないって言ったのを聞いてしまった。ご両親のことが原因で誰かを好きになることを諦めてしまったこと。その時の拓斗の悲しげな表情が、切ない感情が胸に焼きついて離れない。
誰も好きになれないって言う拓斗が切なくて、それなら友人として拓斗の側にいてあげたいって思った。ただ必死に拓斗と親友関係を続けてきたけど、あまりに近くにいすぎて、自分の気持ちを持て余してしまうようになって。
拓斗への気持ちが溢れてきて隠せなくなって、今まで通り親友として接することが出来なくて、それを誤魔化すのにギクシャクなって。
蕨さんや翔に好きだって言われて、いままでの私だったら、その気持ちに答えようとした。他人の目も自分の気持ちも誤魔化して。だけどもうダメだって気づいた。
気持ちを伝えることも出来ないし、もし伝えたとしても受け入れられることが分かってる。それでも自分の気持ちを偽って誰かの彼女になるよりも、親友としてでも拓斗の側にいたい。そう思ってしまった。
これが私のただひとつだけの恋なんだ。
たった数時間の仮初の彼女だとしても、拓斗の一番近くにいられると思うと緊張よりも幸せな気持ちが膨らんでくる。
うん、不安にがってばかりいたらダメだよね。おじいさんに気に入られるようにしゃんとしなきゃ。本物のお嬢様にはなれないけど、拓斗の隣にいても恥ずかしくないように凛として、ちょっとくらい強気でいかないとダメだよね。




