アメリカンブルー:溢れる思い
拓斗の住んでいるアパートで火事があったと聞いてからもう一ヵ月が経っていた。
相変わらず、拓斗とはほとんど会うことも話すこともないけど、時々見かける拓斗の表情はなんだか疲れているように見えた。
お母さん情報で、火事の二週間後に新しいアパートに引っ越したことは聞いた。場所は同じ町内で、うちのお父さんが車を出してお母さんも引っ越しを手伝ったらしい。私はバイトの日だったから手伝いに行けなかったけど。
引っ越しでバタバタしているのかもしれないけど、それにしても、常に微笑を浮かべてるくらい余裕たっぷりの拓斗から疲れているのが分かるのは、相当疲れがたまっているのかもしれなくて心配になる。
大学の講義室内、斜め前方に座る拓斗の背中を眺めながら、ため息がもれる。
遠くから心配して見つめることしかできないのがやるせない。
でも、自分から話しかける勇気も持てなくて、拓斗の背中からそっと視線を逸らした。
※
講義終了のチャイムから少し遅れてやっと講義が終わると、教室内が一気にざわつき始める。
時間ぴったりに終わる先生もいれば、毎回長引く先生、なぜかいつも五分前には終わらせる先生などまちまちだ。
さっきの講義はいつも長引く先生だったから、みんなため息ついたり、愚痴ったりしてる。まあ、次が講義だったら慌ただしく移動しなきゃいけないけど、次は昼休みだから少しなら仕方ないかな。
一緒に座ってた綾や琴羽と一緒におしゃべりしながら教科書やなんかを片付けていたら、ふいに声をかけられて振り仰ぐ。
「璃子」
「拓斗……」
名前を呼ばれただけなのに、鼓動が一気に駆け出しそうになる。
こんなに近くで拓斗の顔を見るのが久しぶりすぎて、泣きそうになる。
拓斗はいつもの女の子を魅了させる甘い笑みを浮かべてて、一瞬、躊躇するように視線を床に落としてからにこりと笑って話しかけてくる。
「後で話があるんだけどいいかな?」
もうまともに数ヵ月話していなかったのに、ほんとうになんでもないような、いつものように話しかけてくるから、自分に話しかけられているんじゃない感覚になる。
首を傾げて見つめてくる拓斗を呆然と見つめ返してしまう。
「璃子?」
「あっ、話? いいよ、お昼休みでも講義の後でもいいけど、どうする?」
「じゃあ、講義の後で。今日は何限まで?」
「四限、拓斗は?」
「同じ。終わったらメールする」
「うん」
「じゃ」
そう言って片手をあげて、講義室の前方で待っている友達の方へ拓斗は小走りに駆けていった。
その背中が扉を出ていき見えなくなったところで、息を詰めていたことに気づく。ほぅっとため息が真横から聞こえて、私は驚きながら顔をそっちに向ける。
「はぁ~、いつみても、イケメンだねぁ~」
「うんうん、こんな近くで世良君みれるなんて眼福」
綾の言葉に、コクコク頷きながら琴羽が同意する。
「眼福ってイマドキ使う……?」
苦笑まじりに言う。綾も琴羽もいまだに拓斗が出ていった扉を見つめていて、それからきゃっきゃっと二人で騒ぎ出す。
「さすが、薬学科一のイケメン、世良君。あんな爽やかな笑顔向けられたらときめいちゃうねぇ~」
「うんうん、あの眼差しで見つめられたらドキドキするねっ」
「そうなの?」
「そうだよ、知らないの?」
「璃子ちゃんは世良君と小学校からずっと一緒なんでしょ? 近くにいすぎたから感覚が麻痺しちゃったんじゃない?」
「麻痺って……」
私はため息をつく。
「拓斗の笑顔が女の子をメロメロにするのも、涼しげな眼差しについドキドキしちゃうのも、さりげない甘い言葉で女子を魅了するのも知ってるけど、誰にでもそうなんだよ。そんなの恋のドキドキじゃないし、いちいち振り回されるだけ損じゃないっ」
喋ったたら、なんだかだんだん腹がたってきて、つい語尾が強くなってしまう。
私の言葉に綾と琴羽はお互いに顔を見合わせて、呆れたように肩をすくめるから、私は不機嫌に眉根を寄せる。
「誰も好きだなんて言ってないじゃん。ただみてる分にはカッコイイと思うだけなんだけど~」
にやにやしながら言った綾の言葉に息を飲む。二の句が継げなくて、ぎゅっと唇を噛みしめる。
「やっぱり璃子ちゃんって世良君のこと好きなんだよね……?」
うかがうように尋ねてくる琴羽に、ほんの少しの間をあけた私は苦々しく微笑む。
「ほんとにそんなんじゃないよ……」
言いながら私は固く目を閉じる。
言葉にしたら気持ちまで全部溢れちゃいそうで、そう言うしかなかった。




