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リナリア*セレネイド ―この恋に気づいて―  作者: 滝沢美月
かけがえのない存在 side拓斗
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ムラサキヤシオ:道しるべ



 張りつめた空気の中、俺も祖父も視線をそらそうとしない。

 祖父は獲物をいるような鋭い眼差しで俺をねめつけていた。その鋭さがふっと緩み、視線をそらした。疲れたように吐息を吐きだすと。


「まあ、よい。私もお前のことを認めたわけじゃない。まだ次期後継者の候補の一人にしかすぎん。どんなに成績が良くてもそんなもの、紙切れの上のもの。経営者としてふさわしいかどうかは現場での働きぶりをみて判断する」


 そう言うと、サイドテーブルに置かれた水の入ったコップを取り、ごくごくと一気に飲み干した。


「後の指示は柏原から聞け」



  ※



 俺ははぁーっと大きなため息を吐き出した。

 慣れないネクタイの結び目に指をかけて緩めて、非常階段の壁に寄りかかって夜空を見上げる。

 橘家に足を踏み入れてから約一ヵ月。大学はそのまま薬学部に通い続けながら、朝は部活、昼は講義、夜は橘食品の本社で研修、その後、深夜のバイトをする日々に追われている。

 祖父と対面した直後、別室で柏原から今後について説明を受けた。

 次期後継者の一人にすぎないといった言葉通り、俺以外にも数人の候補がいるらしい。そのなかで誰が後継者に相応しいかは、この一ヵ月の本社での研修で見極めるということ。後継者に選ばれた後に経済学部に編入すること。

 研修期間中はバイト代相当の給料を出すからバイトはやめるように言われたが、なんだか癪でそれを断った。

まだ後継者になったわけでもないのに、借りを作るみたいで嫌だったから。

 住む場所も大学と橘食品の本社の中間地点に用意すると言われたけどそれも断って、アパートはいままで住んでいた場所の近くで格安物件を見つけて、璃子のおばさんとおじさんに手伝ってもらい引っ越しを済ませた。

 大学も本社での研修もバイトも部活も、すべてを両立してみせる。そのどれもが自分でやると決めたことだから、何一つ投げ出したくなかった。

 でもさすがに、睡眠時間四時間だけっていうのは疲れがたまってくる。

 俺は首すじをさすりながら、首をくるっと回す。バキバキっと肩が鳴る音がして、苦笑が漏れる。

 食品生産部、経営企画部、営業部、経理部、七日ごとに各部署で研修した。工場の生産ラインの把握、品質保証の検査、経営企画、小売店への販売戦略、経理業務。いままでまったく知らなかった世界で、目まぐるしく食品会社の中を走り回った。

 大学受験を考えていなかった時、とにかく早く就職したいということばかりで、職種はなんでもいいと思っていた。薬学部に進んだのも、単に手に職がいいかなって思っただけで、特別薬剤師になりたいとか薬学部でなければならないこだわりがあったわけじゃない。

 橘家の次期後継者に名乗りをあげたのだって、食品会社に興味があったからじゃない。でも。

 一ヵ月間、あちこちの職場を駆けまわって、いままでに感じたことのないわくわくした気持ちが胸に芽生えた。

 こんな気持ち初めてだ――

 食品業界は面白い。もっと知識を増やして、自分の力を活かしたい。

 そんな思いが胸に湧き上がる。

 明日は本邸に来るように祖父に言われている。いよいよ次期後継者を決めるらしい。

 たった一ヵ月で見極めるのは難しいが、急がなければならないほど祖父の容体は思わしくないらしい。

 俺の働きぶりを見るためにちょこちょこ祖父が顔を出しては、俺の指導担当の社員を威圧して恐縮させてしまうのが少し可哀そうだった。


「もう少し頑張りますかぁ~」


 誰にともなくこぼして呟いて、俺は非常階段の扉を開いて中に入る。そこは橘食品の本社。とりあえず研修も今日が最後だと思うと、ほんの少し寂しさを感じた。




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